第13話 私、もう帰りたいのですけれど。
聖堂内は騒然としていた。
しかも、日ごろの行いはさておき、外見上ではこの中で誰よりも気品のあるマリー・ラングドシャが、悲しそうに手を組んで神に祈りを捧げている。
「あぁ。神よ。どうか、アーケイン様のご家族を御救い下さい。」
白々しく祈りを捧げるマリーだが、当然これは彼女が仕組んだことだった。
彼女が仮面舞踏会を開いたのは情報を得る為ではなかった。時間が殆ど残されていない状況の引き延ばし、それが彼女の真の狙いだった。
『最近、イマリカ半島の商人たちの間で病が蔓延しているらしいわね、お可哀そうに』
これをベアトリスとその友人にそれとなく伝えていた。ロイらが水面下で動いている間に、地上では水面下の動きに関係なく、その噂が流れていた。
「流行り病の悪魔は南よりやってくるのですね。マリー様、私にも祈らせてください。皆さま。どうかご無事で」
マリーの祈りを真似て、生徒たちが祈りの姿勢を取り始める。
さて、マリー・ラングドシャが追い詰められるのは、ゲーム・フィフスプリンスの佳境だ。
つまり、アーケインが王子になる日も近いということ。
アーケインの二人の兄が死に至るのは、もう少し先の話だ。だが平民の間では既に疫病が流行り始めているのは明白だった。
(ゲーム内では、突然そのイベントはやってくる。でも、それっておかしいわよね。疫病は基本的に不潔環境で広まる。だから、あのペストだって貴族の死亡率はそこまで高くない。でも、その噂が広まってしまえば、あるいは——)
アーケインが司祭に抜擢された経緯は、ベルトニカ王国の貴族の間では知れ渡っていること。
そんな彼を快く思わない者、我こそが司祭と考える行き場のない貴族の次男坊、三男坊は多数存在する。
だから、水面下で動いたとしても、彼の耳にその情報を入れたい者は多数存在していただろう。
そして教会は大陸全土にネットワークを持っている。アーケインが噂の真偽をそのネットワークで確認すれば、流行り病の情報は直ぐに手に入った筈だ。
「その……、やはり。司祭も家族が心配だったらしく、最近は落ち着かない様子でした。」
アーケインが兄想いだったかは分からない。だが、彼は疫病に苦しむ故郷を無視する選択は出来なかった筈だ。
自分開催のミサを大切に考えるあまり、アレは故郷を見殺しにしたと見做されるかもしれない。
それに還俗して継承権を手に入れるのは、彼にとっても僥倖に違いない。
聡明な彼のことだ。迅速に行動した方が良いと考えるに決まっている、いや彼はそういう性格なのだ。
「だからですかね。最近の仕事は全て私が任されていました」
と、副司祭。もしかしたら司祭が還俗すれば自分が司祭だと考えているかもしれないが、現実はそんなに甘くないだろう。
だが、今だけは彼が聖マイス教会のトップに違いない。
そして、副司祭ベルセデもマリーの味方というわけではない。
「ロイ。どうする?準備が出来ているのなら、いやアリスがあそこまで頑張ったんだ。」
「そうそう。副司祭だって十分に偉いわけでしょ。」
「うーん。俺は止めといた方がいい気が……」
彼らに動揺が走る、そして足並みも乱れていく。
それはそうだろう。マリーが苦悶したように、この国の法律によりロイを含めて彼らは成人していない。
五人のうち、唯一成人しており、司祭という立場にある彼がいるから盤石な、マリー排除作戦だったのだ。
ただ、やはりそんな中でも決定権を持つのは彼。
「副司祭。今すぐ資料を搔き集めて来てください。アリスの頑張りを無駄にしたくない。」
フィアンセの言葉が、マリーの顔に影を落とす。
やはりこの男か?それとも焚きつけた彼らか。
この勝負はまだ終わっていない。彼女がやったのはあくまで引き延ばしである。
つまり、ここからが物語の始まり。足並みが乱れた彼らから情報を引き出すチャンスなのだ。
(仮面舞踏会ではしてやられた。でも、ここからは準備という意味では横並びよ。それにしても——)
「それにアネット、ジュリア。話が違いませんこと?私は司祭様の為にバロア宮に帰って祈りを捧げたいのですが……」
「もう少しお待ちください!まだ、聖餐式は終わっていません。」
大きな流れが変わったと思えない。だが、少なくとも今起きていることは、仮面舞踏会の比ではないほどのイレギュラーだ。
そも、マリーへの裁判はアーケインがいなければ始まらない。
「新教派がご同席しているのですから、聖餐式も意味を成していないように思うのは私の勘違い?」
「そ、それは……」
ドサッ、ドサドサドサッ
その時、大量の本と紙束が床に落ちる音がした。
「ふぅ……、ふぅ……。こ、これで多分、全部だと思います。司祭に託されていた資料を片っ端から持って——」
動きの遅い副司祭が言い切る前に、彼らは書類に手を伸ばしていた。
流石はプリンスたち、必要な書類を手早く整理していく。
「マリー、もう少し待て。証拠はここにある。証拠を前に帰るとあれば、全てを肯定することになるが……。これを見ろ。学校内での目撃情報が纏められてある。それにその一部の証人は私たちだ。」
なんと執念深い男たち。そして、彼らに寄り添って共に資料を漁る少女。
だが、マリーもここまで来れば、流石に余裕をもって頭を使うことが出来る。
「副司祭様。教会の立場は存じておりますが、陛下はなんと仰るでしょうね?」
「ひ……、そ、それは。」
一番引っかかるのは、そこである。
曲がりなりにもシャール13世も、ロイとマリーの婚約を認めたのだ。
それを反故にしただけでなく、婚約者を処刑するなど言語道断である。
(やはりアーケインルートを辿っていたのかしら。いえ、アーケインはアリスの為に何でもする男よ。きっと王を欺く、もしくは納得させる案を用意していた筈。……一番手っ取り早いのは、私を異端者にしてしまうことだけれど。私にだって想像が出来ないんですもの)
明るみに出れば、王の怒りに触れた筈だ。正に諸刃の剣。
ベルセデが噂通り信用ならない男ならば、アーケインはベルセデにその術を明かしていない。
「殿下。……その、私ではどうにも」
「大丈夫だ。私が説得する。」
「僕も父上に相談してみるよ。」
「まぁ、俺も手を貸してやらんでもない」
必死なのは分かる。だが、彼らの焦りがヒシヒシと伝わってくる。
そして、そんなことより。
「ベルセデ様。私の素行の件ですが、貴族の正しい振る舞いとは?王家の正しい振る舞いとはなんでしたでしょう。陛下はなんと仰っていたでしょうか?」
「——‼」
「マリー!お前は黙れ!」
「マリーちゃん、大人げないよ」
「マリー、それは流石にいいこなしじゃ……」
いや、なんとでも言える。つまり、マリー・ラングドシャにとって、所詮はベルトニカ王国の中流貴族である副司祭は、最初から相手にならないのだ。
腐りきった神の愛された国が成立するのは、先王が中央集権制を推し進めたからだ。
そして、フィフスプリンスの脇役である彼には役が勝ちすぎている。
——ただ、マリーが恐怖に陥る寸前だったのも事実だ。
勿論、その相手は副司祭ではない。だから、とにかく彼女はこの場を立ち去りたかった。
その為に、彼女は初めてアレに対して妥協をした。
「殿下。勘違いをされているようで。」
「は?どういうことだ。」
「私はアーケイン司祭のいらっしゃらない聖餐式は無かったことにすべきと申したいのです。」
ゲーム上、ここでマリーを追い詰めなければならないのは分かる。
だが、それでも。現実問題、どうして彼らが一丸となって必死で続行しようとしているのか、考えただけでも恐ろしい。
「ジークフリート様、アリスという少女の勇気を無駄にしたくないのでしょう。心配には及びません。私は今日の式をなかったことにしようと言っているのです。彼女の勇気ある告発も、聞かなかったことにすると言っているのですよ。……ね、貴女もそれで良いでしょう?」
そう、本来ならマリーの負けを意味する、彼女を想った言葉。
慈愛の目で、誰かも分からぬ少女をみやる。これだけで破格の譲歩なのだ。
「で、でも……」
「私がなかったことにすると言っているのです。……私の立場を忘れたの?」
一人、美しく立つラングドシャの女。彼女の言葉はそこにいる全ての人間、——ヒーローは除くが、全員に強制力を持つ者だった。
だから、アリスは息を呑んで頭を下げた。
「……も、申し訳ありませんでした。」
「アリス、でしたよね。言葉は要りません。今日は何もなかった、ただそれだけです。」
マリーは優雅に歩いていく。アリスがそう言った以上、フォースプリンスは既に仕事を放棄していた。
アネットとジュリアはついてこなかったけれど、悪友であり親友のベアトリスは彼女の後ろにぴったりとついている。
そして、運命の日は勝ちとは言えないまでも、予定通り引き延ばされた。
だが、マリーの心を蝕む恐怖はそのままべったりとこびりついていた。
(ロイ、ランスロット、ジークフリート、カルロス。全員が私の凋落を望んでいる?……そうとしか、思えない。)
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