第9話 私、もしかして無意識に誘惑してますの?

 マリーは困惑していた。

 勿論、祖母の言葉はちゃんと胸の中にある。それでもかの有名な銀髪の貴公子の微笑みは心を奪われそうになる。

 グリトス王国はコウモリのような外交をする。右の手に薔薇を持って、左の手にナイフを隠し持つ王の息子。ただ、それは良いように考えれば、マリーの祖母が目指した均衡外交と言えよう。


「よう。久しいな。なるほどなるほど。この社交界はマリーにお似合いじゃあないか。」


 だからランスロットと上手く使えば、マリーがそう思った時。銀髪の彼を押しのけるように赤毛の男が割り込んできた。


「……ジークフリート様。私に文句でも言いたそうですね。」


 仮面舞踏会という設定はどうなったのか、そんな風に思ってしまう程、マリーに人が集まって来る。

 今回の彼女は下流貴族を装っており、仮面で顔を隠している。髪型も今回はかなり大人しい筈なのに、全ての生徒に直ぐバレてしまう。

 その理由は彼女の生まれ、ラングドシャ家に起因する。

 既に分裂して久しいが、ベルトニカ王国の東に位置する神聖メロウ帝国。その皇帝を幾人も排出してきたのが、ラングドシャ家である。

 彼女の祖母は自分に厳しい人間であり、マリーも幼い日から気品を叩き込まれているから、立ち振る舞いですぐにバレる。


「そう睨まないでくれないかな、マリー様。過去の遺恨は過去のモノだ。俺は仲良くしたいと思っているのだが?どうですか?久しぶりに踊りませんか?」


 祖母とジークフリートの父は犬猿の仲であり、その牽制の為に生まれたのがマリーとロイの婚約であった。

 だから、マリーとロイが置かれている立場の一因は、100%彼らの家系のせいなのだ。

 よくも、ぬけぬけとそんなことを言う、——そう思えとこれまた祖母に言われている。

 だが、確かに彼の言う通り、時代や他国との関係は目まぐるしく変わっている。

 先のランスロットと同じ内容になるが、彼と友好関係を築くことは悪いことではないとも、このマリーは考えていた。

 それに別の理由もある。


「あら。騎士が寄り合って作った国と聞いていたんですが、ダンスも御上手ですね。」

「いや、流石にマリーの優雅さには負けるよ。俺との婚約というのも当時は少しだけ話し合われていたらしいが。……そうしなかった選帝侯共を恨んでしまいそうだ。」


 そう、ここでも。数十年前までは憎しみ合っていた両家。だのに、ジークフリートは平然とマリーを誉める。

 更に学校生活においても、彼は彼の父がやってきたような女性蔑視をしてこなかった。勿論、ベルトニカ王国の法律があるからかもしれないが、マリーの目からはそう映っていないのだ。


(……嘘、でしょ?ロイを羨ましがっているだなんて)


 ただ、まだ彼が受けるべき禊は済んでいない。


「ジークフリート様も、アリスという女と大変仲睦まじいと風が申しておりましたが?」

「ふ。それは単に学校という閉鎖空間だからだろう。由緒正しき我らが帝国、そして互いに皇帝に近い立場。身分違いが過ぎる、それはマリー殿も知っている筈。だから、それはあり得ないことだな。爺どもが何を言おうと、俺の隣に立てるのは、……マリーだけだ。」


 涼しい目で肩を竦める男。大陸東北のフィヨルド地方、その血が混じっているのだろう黄金瞳を細める彼。

 聖騎士の血も混じるその力強い手で、マリーを華麗にリードしていく。

 祖母の宿敵の血、だがマリーにとっては、いや真理にとってもあまり興味のない話だ。

 彼女は二重人格になったわけではない。真理はあくまでマリーの記憶の一部であり、マリーの記憶も真理の記憶に溶け込んだだけ。

 だから。


(カッコいいいいいい‼フィヨルド神話のシグルドの生まれ変わりと言われるだけある。いーえ、絶対に生まれ変わりよ。そんな英雄的な彼が嘘を吐くはずないじゃない!アリスはジークフリート様ルートにはいない!)


 祖母の宿敵にして、現在の実家も敵視している男を、彼女は元々そんな風に考えていた。

 そして、ここまで来れば「あの女」が更に憎らしい。本来、世界の中心はマリーであり、先まで踊っていた紳士は自分の為に踊り続けるべきなのだ。


「そうですわよね。やはり聞き間違いでした。ジークフリート様はどなたにもお優しいから、……いいえ、単にアレが勝手に流した噂でしょう。」

「どのみち貴女が気にすることはないのでは?……あと半年経てば成人、そしてロイと結婚か。その前に一緒に踊れて良かった。」


 逞しい血筋の彼、マスク越しに見える黄金が美しい。マリーはのぼせそうになるのを抑え込んで、暫くの間ジークフリートと踊り続けた。


「では、また」


 祖父母の代のいがみ合いがなければ、そんなことを考えながら、マリーは次に踊るべき相手を見定めた。

 基本的に男が女を誘うので、マリーはただ待つだけである。ただ、仮面をつけているという建前がある以上、マリーから動いても差し支えない。

 そうでなければ、何のための仮面舞踏会なのか。


(ロイ、ランスロット、ジークフリートは大丈夫。カルロスは……後回しね。っていうより、あの子は誰が誘ったの?そもそも、あの子は何者なの……)


 視線の先に彼女がいる。

 真理の記憶は目端に捉えることしか出来ない女が主人公だと言う。

 だが、彼女はどこの馬の骨とも分からぬ子供だ。

 現国王の祖父ロイ十五世が築き上げた貴族の慣習に倣えば、嫌みを言ったり罵倒したりすることはさておき、マリーから愛想よく話しかける訳にはいかない。

 マリー・アントワネットとデュ・バリィ夫人の戦いよろしく、マリーからアリスに話しかけることは、マリーの負けを意味する。

 仮面舞踏会だから、そんなに片意地を張らなくても良い。だが、マリーという存在がソレをしようとしない。


 ——ただ、今は違っていたが、マリーの目線をそう捉えたのだろう。一人の男が彼女に近づいて来た。


「お嬢さん、怖い顔をしていないで、俺と久しぶりに踊りませんか?」


 身のこなし軽やかに、マリーの手を取る茶色の髪の青年。ナボル山脈の北と南に領地を持つナンセール伯の嫡子。ラングドシャ家の血が僅かに混じった男、カルロスだ。


「別に怖い顔なんてしてないわ。どうしてあの娘が来ているのか、気になっただけです。そしてカルロス、貴方にも聞きたいことがあるわ。」

「おおっと。いきなりなんだよ。……こっちは人が多いから、あっち行こうぜ」


 縁戚とはいえ、カルロス・ナンセールもラングドシャ家の一員に見られることがある。

 だからマリーは同級生ながら、彼を少し避けていた。ただでさえ、ラングドシャ家は近親婚の疑いが掛けられている。

 ベルトニカ王国は神に一番忠誠を誓っている国とまで言われている。そして近親婚は教義に反するから、妙な勘繰りをされたくなかった。

 もしも真理の記憶しかなくなれば、人懐っこい性格のカルロスと良い関係になれたかもしれないが。


「で、俺に聞きたいことって?」

「カルロスだけに聞いていることではないのですけど——」


 異端審問まで、時間が残されていない。だから、今日はその中心となる人間にそれとなく接触したかった。

 だからカルロスは後回しと思っていたのだが、いずれカルロスには相談するつもりだった。

 アリスがカルロスルートを辿れば、次のミサに即効性の罠は無くなる。勿論、その後のマリーは処刑される運命にあるのだが、そのミサ直後に幽閉されることはない。


「アリス……ね。うん。不思議な少女だよ。なんていうか、魅力的な少女には違いないな。」

「魅力的?……それは女として、ということ?」

「いやいや、そういうんじゃないって。確かに俺はその辺、だらしないかもしれないけど。とにかく、そういうんじゃない」


 そして、ついにマリーはフィフスプリンスの一人から、一番信じたくない言葉を引き出した。知っていた筈なのに胸に突き刺さる話。

 外見や立場ではなく、ましてや下心も孕まない純粋な恋、あるいは愛。


 恋愛ゲームの主人公にのみ許される、五人の王子との同時進行恋愛。国際問題になる前に、周りの人間に殺されてもおかしくないことを成し遂げる。


(嫉妬されて好感度が落ちることもあるけど、ね。でも誰と結ばれても、他の四人はアリスを祝福する。直前まで5人と恋人寸前の関係になっていたとしても、よ?……その時、私はもういないのだけれど。いえ、そんなことよりアリスはカルロスルートを辿っているということ?)


 日の沈まぬ国の次期国王と踊りながら、マリーはそれならばと考える。ロイ、ランスロット、ジークフリートは明確に否定をしていたのだ。

 アリスはカルロスルートを歩んでいる。


 そう、思った矢先の出来事だった。


「それより聞いてくれ。俺、まだマリーのこと諦めていない。諦められないんだ」

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