第7話 私、パーティと言えばやっぱりこれだと思いますの。
暑い。いや、熱い。熱いというより痛い。
一酸化炭素中毒であっという間に意識を失う、そう教わった筈なのに。
どうして、私は……
あまりの熱さに全身から汗が噴き出す。だが、その汗も痛みと共にあっという間に気体へ変わる。
黒煙で周りが見えない。真っ暗な世界。
こんな思いはもう二度と……
「……は?」
目を開けると、天井ではなく天蓋が見えた。ベルトニカ王国製ではなく、織物業が盛んなグリトニア王国製の一級品である。
布団も何もかもが一級品で、南東にあるトルリア王国でもなかなか手に入らないモノ。そこに汗で出来た大きなシミが出来ている。
「今のは夢?……身に覚えがないことだわ。つまり、私ってそんなに追い詰められている?」
汗のせいで少しだけ寒い。そして、不思議な感覚に襲われていた。怖いのではなく怖かった、と。
ただ、今日は夢占いをしている暇はない。思いついてからたった数日しか準備に仕えなかった。バロア宮は今はトルリアの顔でもある。ラングドシャ家の為にも豪華なものにしなければならないのに、だ。
「夜が明ける前に目覚めたのは幸運ね。三年前に決まった法律で、未成年の夜通しパーティは禁止ですもの。今日はジュリアとアネットがいない。今のうちに作戦を練りましょう。」
マリーが準備の時に気付いたのは、位の低い侍女たちの反応がジュリアとアネットのものとは違っていたことだった。王太子がやってくるかもしれないことに、彼女たちの顔は引き攣っていた。ただ、その顔は見慣れたもので、別の思惑は感じなかった。
「さぁ。私が私である為の最初の一歩を華々しく飾りましょう!」
「仰せのままに。……ですが、どれくらいの生徒様が来られるか分からないのですよね。如何致しましょうか。」
侍女のカミラは、トルリアのトルカ伯に嫁ぎ、子が出来る前に夫に先立たれた。彼女もラングドシャ家の人間である。ジュリアやアネットも親戚だが、それは偉大なる祖母が多産だったからだ。
家での仕事は侍女頭の彼女の仕事であり、ジュリアとアネットは学校生活でマリーの補佐をしている筈だった。
(それが最近、家の中にまで入って来ていた。服を選ぶ手伝いなら、若い方が良いからって理由だった気がしたけど。……成程、やってくれるじゃない。)
「カミラ。私の友人がたくさん来るの。それに可能性は低いとはいえ、殿下とあの三人。それから司祭様もいらっしゃるかもしれません。」
そんなマリーの言葉にカミラは白目を剥いた。
「あのお三方も……でございますか?流石にそれは……。いえ、それで金貨をあんなに。分かりました。姫様が真に姫様になる日も近いのですから、贅を尽くしましょう。」
ただ、マリーがそう言うのであれば、そうなる世の中なのだ。それにマリーが王妃になれば、やもめである彼女の人生も変わる。
そんな侍女頭の表情を見て、マリーは口角を上げた。
「えぇ。そういうことであれば、間違いなく全員が来る筈よ。そして、私が間抜けではないという証拠」
カミラは首を傾げるが、マリーはその困惑顔にも満足をして、例のパーティの準備を始める。
先王の寵姫が流行らせたファッションのお蔭で、複数人がかりで着替えなくても良くなった。そういう意味でもジュリアとアネットの動きはおかしかったと言えよう。
「寵姫という存在は鬱陶しいですが、あの文化を廃れさせてくれたあのご婦人には感謝ですわね。」
これもフィフス・プリンスの影響だったのかと、今の彼女には分かる。彼女の背中側で帯を結んでいたカミラは、主の視線が先王の肖像画に向けられていることに気付いて、肩を竦めて溜め息を吐いた。
「カツラ文化の廃止……、ですが殿方の中には頭を抱えるものも多いと聞きますよ。それにマリー様もあの時は確か——」
異国の話は分からないが、少なくともエウロペ大陸で一番髪を盛っていたのはマリー・ラングドシャ自身であった。
自身のアイデンティティの一つを失ったに等しい彼女だが、今回のパーティに関しては感謝しかない。
「状況が変わりましたの。あれを被ったままでは動くに動けませんし……ね?」
そしてマリーは一度も着けたことのない——というより地味すぎて気に入らなかった——大人しめのビロードマスクを手に取った。
「では、カミラ。今日は頼みますよ。私も目いっぱい楽しむつもりですから」
「畏まりました。パリーニにトルリアの力を見せつけられるように頑張ります。」
カミラとマリー、トルリアに戻ればどちらが上、ということはあまりない。無論、マリーはベルトニカ王国の王太子妃なのだから、やはりマリーの方が立場はずっと上である。
ただ、今はどうでもよいこと、大切なのは彼女から感じ取れる雰囲気の方だった。
「また、この子はラングドシャ家の言いつけを守らずに、我が儘なことを言っている」
彼女の顔にはそう書いてある。そして、そう感じ取れることがマリーにとっては大きい。侍女達が日頃からそう思っていることは知っている。それにも拘らず、我が儘三昧だった。その理由については割愛するが、とにかくあの二人以外は普段通りなのだ。
——自分以外の人間も、次のミサで自分が裁かれることを知らない。
「……かなり慎重に動いているということね。それなら、フィアンセが開くパーティに来ないなんて、不自然な真似は出来ないわよね」
マリー・ラングドシャが主催するパーティは、この時代では珍しくない形式のもの。ただ彼女の立場上、その形式が性に合った。気兼ねなく話が出来るし、王太子妃らしからぬ発言も許される。
即ち、仮面舞踏会である。とはいえ、彼女の場合は誰がどう見てもマリー・ラングドシャであり、ただの体裁だっととも言える。但し、三年前からカツラ文化は消えている。大人たちはまだカツラを重宝しているらしいが、少なくともパリーニの学徒でカツラを着けている者はいない。
「マリー様。その服は見たことがありませんが……。その……」
同じくビロードのマスク、ただ王太子妃よりもずっと派手なマスクを着けた少女が言う。マリーよりもかなり大胆なドレスを着た令嬢が言う。
「私は今日はこんな気分ですのよ、ベアトリス。それに今日はマリーではないわ。」
「あ……、そ、そうでした。久しぶりなものでつい……」
ベアトリスはマルス伯の娘である。彼女の家は伯爵だが、小さな小さな領地しか持っていない。そんなマルス伯ご令嬢は、はっきり言ってお金がない。ただ、とても美しい少女なので、マリーが一方的に気に入っている。華やかな自分の側に咲く可憐な花として気に入っている。
だが、今回ばかりはそこは重要ではない。彼女はフィフスプリンスの世界でマリーと共に処刑をされる。——だから彼女は信用できるのだ。
「せっかくの仮面舞踏会ですもの。王太子のフィアンセの肩書きを抜きにして楽しみたいの。」
「そうなんですね。いつもマリー様は直ぐに見抜かれてしまいますものね。それくらい地味目なドレスにしないと意味がありませんし」
輝くようなブロンドを奇抜な形に固めた少女ベアトリスは、少しだけぎこちなく微笑んだ。どんな姿をしても、マリー・ラングドシャを知る者が見れば彼女と分かる。
ただ、それは決して口には出さない。本来なら下位カーストであるベアトリスが上位カーストの扱いを受けているのは、マリーの力に他ならない。
「うんうん。そうなのです!今日も一緒に楽しみましょう。」
マリーは少女のような笑顔を親友に向けた。ただ、実はベアトリスのぎこちない笑みにも気付いている。元々、人を見る目はある。それは中の人である真理にとって驚きであった。
ただ、そのマリーの性格や特質すべき才能について語る時間はないらしい。
既に本日のお客様が集まり始めており、カミラが戸を叩いたのだ。
「マリーお嬢様。殿下とその一行がお越しになられました。」
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