第4話 私、絶体絶命のピンチではありませんの?
マリー・ラングドシャは今年を乗り切れば、無事に成人の儀式を迎えられる。更にロイ王太子も同時に成人を迎える為、彼女は誰の手も届かぬ存在である王太子妃になれる。
「フィフス・プリンスの世界で間違いない……筈。それじゃあ、この世界の主人公はアリス?あのアリスってこと?あんな平民女が……、私を追い詰めている?あの下賤の者も今年で成人する。っていうか、私。どうして私自身のことは何も知らないのよ。」
それが一番問題だった。彼女にはとても奇妙に思えることだが、思い出した記憶はアリスの目線のものばかり。マリー・ド・ラングドシャが悪者になっている世界。全てに自覚がある訳ではないが、大部分は確かに記憶と合致している。
「なにこれ……気持ちが悪い。どの記憶も私が私を外から見ている。」
更に厄介なことに自分に関する情報の方が圧倒的に少ない。真里はプレイヤーとして、画面の中を歩いた世界しか知らない。プレイ中にエメラス歴を意識したことなんて一度もなかった。
「うっかりにも程があるわよ、私。私が知っているのはアリス目線の時間だ……」
マリーは婚約が決まった直後、パリーニ近郊の宮殿に引っ越してきた。そして、修道院でこの国の法や歴史を学んでいた。今はその延長線上にいるから、彼女には今が何年生か、という概念がない。
そもそも、年齢は基本的にバラバラなのだ。既に成人している者もいる。そして、ゲームの主人公はアリスであり、彼女が入学するのはマリーより随分遅い。
——そんな彼女の三年間が描かれるのが『フィフス・プリンス』の世界である。
つまりプレイヤーにとって重要なのは、自分が入学して何年経ったかだけ。好感度を上げるタイムリミットのようなものなのだ。だから真理も直ぐに気付けなかった。
「でも、今の私はアリスじゃない。そんなことより、私が悪役?ロイの時だけじゃなく、アーケイン様と田舎者が楽しそうに話をしていた後に嫌がらせはしたけれど。ううん、それだけじゃない。ランスロットと気軽に話しかけてたのを見て、悪い噂を広めたりしたし、ジークフリート様と楽しそうに話している彼女を見た時はその場で売女と罵って、服をひん剥いたっけ。」
この出来事だけを並べられたら、確かに悪役令嬢に違いないが。
「カルロスに近寄ろうとしてたら、池に突き落としてやろうって思ってることも、どうやら昔の私は知っている。……そして、私は凋落するのね。」
自分について思い出せる場面が、どれもこれも『悪役令嬢』の姿である。そして、思い出せる中に自分の生存ルートはない。そして内容があまりにも苛烈過ぎて立ち眩みを覚えそうになる。
「……迂闊だった。まだ始まったばかりだと思っていたのに。ゲーム内でエメラス歴何年って言われたって覚えているわけないじゃん。でも、落ち着いて考えれば分かる。私はアリス目線で言うと三年生。つまり……」
平民出の主人公マリーは修道院付属パリーニ大学校にひょんなことから入学する。貴族の子らが通う煌びやかな学校で、彼女は沢山の人達と出会う。それこそ学校でのヒエラルキートップの王太子や、先のイケメン司祭を含めた五人のヒーローと出会うシンデレラストーリー。
そしてシンデレラストーリーでは、悪役の貴族令嬢が凋落するというのが定番な訳で。
ただ、ゲームの内容を思い出したとしても簡単には呑み込めない事態でもあった。
「たかが平民女がパリーニの主役?今、パリーニは世界の中心とも言われているのよ?つまり、アリスが世界の主役。……そんなわけないじゃない。これは何かの間違いだわ。」
そう、マリー・ラングドシャが知っている常識では在り得ないのだ。伝統的な宗教を崇めるこの国。そして、三百年程度の過去からとはいえ、血統を重んじるこの国だ。そんな伝統と血統を重んじる国の王太子の婚約者、飛ぶ鳥を落とすブルジョワ市民でも届かない存在である。
「……でも、それが真実だとする証拠もある。」
フィフス・プリンスの世界だと確信させるような、意味不明な法改正が行われているのも事実である。
数年前に他界したマリーの祖母は三つの国の王母であった。祖母テリシーが渇望した女性の権利の拡大を、彼女が亡くなった三年前にあれだけ反対していた他国があっさりと認めた。
それぞれの国は既に男が皇帝に、そして王に即位している。圧倒的な人気を誇ったテリシーが死んだことで脅威がなくなった、だから認めた、という噂は聞いている。
その頃は前世の記憶がなかったから、やっと祖母の念願が叶ったとしか思っていなかったけれど。
「普通に考えればおかしな話。内外で人気の高かったお婆様が泉下に入られたなら、その隙に将来の芽を摘むのが彼らのやり方の筈。明らかにおかしい。……でも、それは後回し。三週間後のミサ、そこで私は罠に嵌められる。あまりにも時間がない。三週間で出来る何かを考えなくちゃ……」
(火炙りとか絶対に嫌だ。ギロチンも嫌だ。もうもうもう!なんで、私ばっかり!それに私は二度も死にたくない……)
それぞれのルートでマリーの死に方は違う。だが、どれも悍ましいモノ。
そして何より時間がない。三週間後に死にますと言われて、どうしろというのか。
(逃げ……)
そんな彼女が最初に考えるのは、このルート、この世界から逃げ出す道である。
だが、逃げ出すと言ってもどこへ行けば良いのか。ベルトニカ王国は世界大国であり、ラングドシャ家も同様でエウロペ大陸で知らない者はいない。
それどころかマリーは王子との婚約者であり、今までずっとお姫様の如き振る舞いをしてきた。だから、一般庶民にまで顔が知られてしまっている。
「……無理よ。市民に顔を知られていなければ、統治者として失格。それが統治する者が最初にやらなければならないこと。私は間違っていない。でも、当たり前の慣習のせいで……。今からイマリカ半島に向かってエメラス海を越える?それとも故郷に戻って、南東の異民族の国に行く?」
あまりにも顔が広すぎて、エメラス教が伝わっていない国に行くしかない。だが、そもそも言葉が通じないし、万が一にも身バレして捉えられた場合、とんでもない目に遭うかもしれない。
「それに歩いていくってこと?馬車は使えない。ラングドシャ家の顔に泥を塗る行為。馬車は使えない。それなら……」
「あの、マリー様?」
その声にマリーの両肩、白にも見える金髪が浮く。別に特筆すべき声ではなく、ジュリアのいつもの声だが、今の彼女には違って聞こえてしまう。
「あ、あら。ジュリア、いたの?」
「はい。ご旅行の予定でもお考えでしたか?ですが、三週間後にミサがございます。近場なら構いませんが、遠方はお控えください。」
当たり前のことを当たり前に諭す彼女、従妹のジュリアはミサと見せかけた裁判でクルリと手のひらを反す。どこまで聞かれたかは分からないが、ここ最近彼女がぴったりと張り付いていたのは、そういう理由だったのだと、今なら分かる。
「それは分かってます。それより何の用ですか?」
「帰りの馬車の用意が出来ました。それにしても安心しました。小旅行を考えるほどお元気になられて。錯乱状態だと診断されたらどうしようかと思っておりました。」
(今の私はどう考えても錯乱状態でしょ!あんたの目はどんだけ節穴なのよ。……って、状況を知らなければツッコんでいたわ。ミサに見せかけた一方的な裁判の準備をしていたから、私に欠席の理由を与えないようにしただけ。やはり時期は間違っていない。この子は既に私を裏切っている。だったら——)
「……分かりました。帰りましょう。早くうちに帰って、一人で休みたいですからね。」
「あら。ベルトニカ王国の作法を真似なくて宜しいのですか?着替えもお一人で?」
「作法も何も。アレは先々代のシャール11世の頃より始まったものよ。」
「トルリアもそれに倣っていると聞きましたが。というより、マリー様?何を慌てていらっしゃるのですか?マリー様は今までのように何もせず、ドンと構えていれば良いのですよ?」
ジュリアは変わらない口調でそう言った。実は少しずつ変わっていたのかもしれないが。マリー・ラングドシャの目から見た彼女の行動は、先王のシャール11世が始めた作法である。着替えから何から全てを従者に委ねるという貴族の作法のそれに見えていた。
マリー自身も亡き祖母から、嫁ぎ先の文化を知るように言われていたから、そのことについて何も思っていなかった。
だが、その慣習を彼女が利用していたとしたら。
「……そ、そうよね。やっぱり頭を打ったから、気分が悪いみたい。うん。いつものように堂々と姫として宮殿に帰ります。」
彼女にも、誰にも、この先の未来に気付いたことが知られてはいけない。そもそも、アリスがどのルートを辿ったのかさえ分かっていないんだから。
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