第2話 私、頭を打った衝撃で恩寵を授かりましたの。
金髪の美女マリーは困惑していた。コケてしまったのは自身のスカートの裾を踏んでしまったからだった。
コケて顔面を強打する、そうなることは不測の事態にも拘わらず瞬時に判断していた。更にはその時点での彼女は、偶発的な転倒さえあの平民女のせいにしてやろうと思っていた。
彼女には自然にやれてしまう。息を吐くように誰かを貶める行動が出来る……筈だった。
「ひっ……」
一度目の小さな悲鳴は自分の血を見てしまったからだった。だが、二度目の悲鳴は美男美女に囲まれた空間、しかも煌びやかな服を着た外国人男性に迫られたからだった。そして頭に血が昇って、出血を促してしまい貧血で倒れた。
——それってつまり
困惑しっぱなしの女は医務室のベッドで呆然としていた。そのベッドの傍らには彼女の従妹にあたるモンロー伯ジュリアが椅子に座って何やら考え事をしている。ジュリアも美しい女であり、幼少期から徹底した教育を受けていることが仕草から分かる。そして、それが分かってしまうことも更なる混乱に繋がっている。
「あの……」
「マリー様!目を覚まされましたか!」
ただ反応を伺おうとしただけなのに、大袈裟なリアクションで応えられてしまい、マリーの両肩が無意識に跳ね上がった。だが、欲しい答えの一部を貰えたことも事実だった。
「ジュリア。私はマリー・ラングドシャという名前であっていますか?」
「……はい。その通りですが、突然どうして……。もしかして頭部を強打したことで、記憶障害が?」
従妹の反応は当然である。あの王太子が治癒魔法を手抜いたことをジュリアは見抜いていた。勿論、あの時彼が言ったように戴冠の儀式を受けていないことも理由の一つだろう。だが加えて、王子がそのような態度になってしまうことを、従姉のマリーは散々やってきた。その片棒を担がされているジュリアにとっては、王子の行為を責めようとも思わなかった。
「やはり医師に診てもらいますか?」
「……え。いえ、これ以上迷惑はかけられないので、それは流石に——」
マリーは自分の不注意でコケてしまった。確かに一度診てもらった方が良いかもしれないが……。
「後で、あることないこと難癖付けるおつもりですね。やはり医師に診てもらいましょう。」
「——え⁉それ、どういう」
「なんでもありません。マリー様の為を思った言葉です。」
マリーは聞き間違いかと目を剥いたが、彼女は直ぐに立ち上がって、医務室のドアに向かってしまった。そのドアを開けたところには別の女が立っており、何やら耳打ちをして従妹は足早に廊下を歩いていった。
それを確認し、マリーは咄嗟に頭を抱えた。
「難癖って。私はそんな面倒くさい人間じゃ……」
彼女の従妹の発言は実は大正解である。マリー・ラングドシャは頭部を強打したことにより、記憶がとんでもないことになっていた。
「——いや、待って。マリー・ラングドシャならやりかねない。あいつはかなり面倒くさい女だから、後から首が痛いだの頭が痛いだの、なんでも言いそう。それこそ、医師の診断なんて邪魔でしかないわ。でも」
これは、ただの記憶障害では片付けられない、奇跡と言っても良い。
「……そんな馬鹿な事。だって私は……、平凡な日本人……。——いえ、違うわ。何を考えているの私。私はマリー・ラングドシャ、この国の王妃になる頂点に立つ人間……、って私は何を?」
この世界を知っている記憶を持っているという、とんでもない記憶が蘇るという奇跡が起きた。ラングドシャ家は神に愛されていると自他ともに言われている。つまりこれは神の奇跡か、それともラングドシャ家に悪意を持つ者が言う悪魔の所業か。
女は鞄に手を入れて、そこから手鏡を取り出した。彼女はそこに手鏡が入っていることを知っている。その事実こそ厄介だが、彼女は自身の美麗な顔貌を確認した後に青ざめた。美麗ならば青ざめる必要はない、と状況を知らぬ者なら言うかもしれないが。
「この冷たくも美しい顔。間違いない。私はマリー・ラングドシャ。二つの意味で私は私を知っている……。でも、そんなまさか。『フィフス・プリンス』の世界?どうして私はゲームの世界に。……いえ、この世界は現実。でも、それって——」
マリーはこの世界について、別の角度というより四角いディスプレイで見た記憶を思い出してしまった。夢や思い込みだと片付けられないほど明確に思い出せる。これは間違いなく前世の記憶、そしてこの世界の記憶。
「私はあの日、フィフス・プリンスのラストワン賞のことを思い出して、コンビニに走って…。そして私は……。あれ?ここから記憶が途切れている。」
ただ、厄介なのはマリー・ラングドシャがそれを思い出してしまったこと。
「ちょっと待ちなさい。私は何を言っているの?私はマリーよ。でも、
頭部を強打したとて、前世の自分が今の自分を上書きするはない。彼女にはラングドシャ家で生まれ育った記憶が存在している。
真里であった記憶は鮮明に残っているが、マリーとしての自分も共存している。だからこそ考えを纏める必要があるのだ。
「考えてみれば、確かに前からおかしいと思っていたのよ。どうして成人の年齢が私の世代から引き上げられてしまったのかって。いえ、年齢は些末な問題よ。今まで貴族の男だけが受けていた成人の儀式である騎士の称号が、貴族の女にまで適用されることになった。これは大変な改革よ?」
マリーの中身が抜け落ちることはない。だから深刻な記憶障害が生じる。彼女はこの世界で生まれ、教育を受けた。そして様々な人間と触れ合った記憶もちゃんと覚えている。つまり、この世界を単純にゲームの世界なのだと割り切ることも出来ない。
そしてマリーは例え悪役令嬢よろしく、いずれ処されるとはいえ、基本的には頭のいい女である。
「突然の女の格上げ、それは私のお婆様が長年訴えてきた制度だし、私としても大賛成だったんだけど……。あまりにも突然すぎたわ。でも、そういうことなら納得できる。私の世代で起きた様々な慣習の変更は、私が知っているゲーム、いや当時の世界の事情か……。——そして、ゲームの世界で私は罪人になる。」
俄かには信じがたい話だった。けれど、そうなることを自分は知っている。
そして前世の記憶がない頃からずっと不審に思っていたことがあり、その不可解な状況がゲーム世界だと確信を持てる一つの判断材料になった。
「ずっとおかしいと思っていたのよ。でも、やっと分かったわ。私の代にどうして王の継承権を持つ男が五人も集まっているのか。答えは簡単。フィフス・プリンスの世界だから。それでこの奇々怪々な状況を説明できて——」
その時、コンコンとドアが叩かれた。だからマリーは意味もなくベッドに身を投じた。先ほどまで部屋の中を右往左往していたが、そういえばジュリアは誰かを呼んでくると言って部屋を飛び出したのだ。
「——‼……どうぞ」
体に異常を感じるではなく、そして頭痛がするでもないので、立ったままでも良かったかもしれない。だが、まだ記憶が完全に結びついていない状況での不用意な行動は『あの裁判』に繋がってしまう恐れがある。
つまり今は様子見をするべき。……っていうか私、いつもこうやって仮病のフリをして授業をサボっていたんだっけ。じゃなくて本当にそうしていたの。だって、授業なんて聞いても意味ないって思ってたし。っていうか、私って憧れだった西洋のお城に住んでるってこと⁉
お姫様願望、荘厳なお城で暮らしたい願望などなど。前世では100%実現不可能だった願望が、いつの間にか叶っている。
先の状況を知っているだけに、複雑な気持ちもあるが歓喜の気持ちの方がやや強い。
「お邪魔しますね、マリー君。王太子様の婚約者が寝ている部屋のドアを勝手に開けるなんて出来ないからね。」
そして彼女は素直に目を剥いた。黒色のキャソックの男に、普通に考えれば不自然なほどに青い髪の司祭服の男に。
「アーケイン……様?」
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