目が覚めても普通でいられると思っていた。

安全すぎる安全靴

第1話 いつも通りの日常

 首筋のUSBコネクタに黒色のメモリを突き刺す。

 日常に擬態するためにプログラムされた身長の低い地味な身体がすらりとしたきれいな身体へと変貌していく。このメモリこそが彼女の戦闘服だ。

 長く伸びた艶のある黒い髪がひとつに纏まって紐が絡まる。一瞬の着替えの中で真っ直ぐと彼女はただ目の前の怪物を見ていた。

 避難命令が出された首都には大きなビルが立ち並んでいるくせにビルの中には誰もいない。花粉の季節も終わり過ごしやすい気候になっているのにもちろん出歩いている人もいない。いつものオフィス街の雰囲気からは考えられないほどシンとした空気にまたいつもの日常が来たと思い知らされる。

 今日もまた誰も殺されないように。

 彼女も死神に見放されている。

 それが最大の武器だ。

 一歩、また一歩と足を前に出すごとに身体が加速していく。頭の中で大きな剣を想像する。自分よりも随分と大きな剣を。

 そうしてぐんぐんとスピードが上がっていく中、グググと右足に力を入れれば身体が空中へと弾丸のように飛んでいく。同時に腰のあたりに着いたエンジンが火を噴き、さらに早く高くその怪物へと飛んでいく。あっという間に怪物の頭上へとたどり着き先ほど想像した剣があたかも初めから存在していたかのように手元に現れ、そのまま重力とエンジンの力を利用して上から怪物の首を押し切ると、じゅぅという音と肉が焼ける匂いが鼻腔を掠めた。地上に着地する前に剣は消え、落ちてくる首を避け、空中へと舞い戻る。

 怪物の首がゴトリと落ちゆっくりとそのデカい図体が地面に横たわる。

「あっけない。にしても最近のやつらは弱すぎる」

 もう何千年も前から人類はこのどこから来るのかもわからない怪物たちに追われている。自然災害のように現れ甚大な被害を起こすこいつらから人類を守り続ける日常は何千年も続く彼女のいつも通りの日常だった。

「おまたせ~よい…って終わってんじゃん。さすが。傷口を焼いて出血量も調節してんねぇ」

「避難から随分時間が経ってると思うんだが?飛影ひえい。何してたんだ」

 同じようにぴったりとした戦闘スーツを身につけた青年がすたすたと彼女の元に向かってくる。

 飛影と呼ばれた彼は呆れたようにひとつため息を吐いた。

「なんもしなくても何の問題もないくせに何言ってんの」

「勝手に戦闘不能になりに行くことよりはマシか」

「マシってさぁ」

 手厳しいなぁと溢しながら怪物の元に歩き出すと同時に大きな肉切り包丁のような刃物を出現させる。

 怪物の遺体の処理をするのは自分達の仕事ではないが普通の人間が先程まで危険だったここの区域に入ってくるまでは時間がかかる。どうせこのまま帰っても報告書が待っているだけだ。時間潰しと言っては華がないが要はそういうこと。

 それからしばらくして怪物を部位ごとに切り分け終われば大きな車両の数々がまっすぐにこちらに向かってきた。

「お待たせいたしました。宵様」

 そういって一番前の車両から降りたのは燕尾服を来た人にしては造形が整いすぎている薄紫色の瞳と茶色の髪を持った細身の男性だ。

「随分と最近はゆっくりになったな」

「そうした方が皆様の負担が減るでしょう?」

「…最近ホントに都合良く扱うよね」

「飛影様に言われたくはありません。それでは引き継いでもよろしいですか?」

「ああ。私は帰る。任せたぞ紫苑しおん

 そういうとエンジンを起動させ、そのまま空へと飛び立った。その姿が消えるまで紫苑は見送るようにお辞儀をし、続々と降りてくる武装した人間に向いた。

「皆様、本日もよろしくお願いいたします。残業は嫌でしょうからテキパキと」

「ねー俺も帰っていい?」

「どうせ飛影様は参加していなかったでしょうから手伝ってくださいね?」

 にこりと微笑みながら現場の人間に指示を出して怪物の残骸を回収していく。

 これが今の日常である。

 いつ、どこに出現するかわからない怪物を処理していく。もう何世紀も前から続く何も変わらない日常だ。

 それは、食事をすることと一緒。それは、睡眠をとることと同じ。もう数えることなどなくなった日常。

「私は一体、なぜ戦っているんだろうな」

 自分はとうに無くしてしまったものを多く背負って。同族たちと、一人でこの化け物どもと戦っているのか。それはなぜ食事をとるのか。なぜ睡眠をとるのか。そのような問いと同じようなものだ。

 エンジン出力がだんだんと小さくなっていく。自動ナビゲーション機能を使っていたため、目的地に着いたのだろうと考える。

 ゆっくりと地面に足を付け、首筋のメモリを抜くと元の地味な少女へと変わる。視線が意気なる低くなるからと嫌がったのが懐かしい。赤縁の眼鏡が出現すると髪型はおさげに。

「え、百瀬さん…?」

 日常というものはこうして壊れるのだと思い出した。

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