第63話

「それで俺たちを呼んだからには、ちゃんとした理由があるんだよな?」


 プールサイドに上がり、俺は鬼頭さんに視線を向けて聞いた。……もう少し漂っていたかったな。


「もちろん!」


 鬼頭さんは口角を上げながらサムズアップをして、言葉を続けた。


「流れるプールでゆらゆらと漂っていたら、プールサイドで美味しそうに食事している人たちがいて、私までお腹空いたんだよね〜」

「ちゃんと朝食を家で食べて来たのか?」

「プールで泳ぐのに朝食を抜く馬鹿はいないでしょ〜! 朝食を抜いたらお腹が空きすぎて、溺れてしまうからね」


 おかしいな。冗談混じりで聞いたはずなのに、何故俺の方が馬鹿にされた感じになるんだろう。


 佐伯くんが「実は…」と小さく手を挙げた。


「俺もお腹空いたんだよね。 もちろん朝食はちゃんと食べて来たんだけど、少なめだったんだよね」

「佐伯くんは信用できるから、そこまで詳しく話さなくても大丈夫だよ」

「み、御影くん?! その発言だと、私のことは信用が出来ないと言っていると受け取れるんだけど」

「………そうだと言っている」


 鬼頭さんは時々信用出来ない時がある。

 別に悪いことはしていないし、俺の方にも影響はないから問題はないのだけど、それでもお互いに信用が大事になってくるからね。


 鬼頭さんは頬を膨らませた。


「別に御影くんに信用されなくても、委員長や七音から信用してくれればいいもんねー!」

「その…私は鬼頭さんのことをまだ信用した訳ではないですからね。 だから、ごめんなさい」

「委員長も?! 流石に七音は彼氏だから信用してくれるよね?」

「当然だろ。 俺は静香のことが好きだからな」


 お互いに顔を見合わせると———


「七音…!」「静香…!」


 そう言って、手を握りながら言った。


「……」


 一体、何を見せられているのだろう。

 佐伯くんと鬼頭さんがイチャイチャするのは別にいいのだけど、場所とかを考えてほしいかな。

 あっ、プールなら問題はないか。


「……」


 横を向けば結茜さんも呆然としている雰囲気を出していた。……そうなるわな。


「結茜さん。 俺たちだけで先に屋台に行って、メニューを見てこようか」

「………っえ。 そ、そうだね」


 未だにイチャイチャしている二人を傍目に、俺たちは屋台の方へと向かった。




 屋台で料理を注文をし、プールサイドに取っておいた場所で昼食を終えた。それから数十分程休憩を挟んだ俺たちは、ウォータースライダーのある場所へと歩いていた。


 ここのプールにあるウォータースライダーは急カーブと猛スピードによる予測不能の大回転をするらしく制限などがかなり多いらしい。……事前にネットで調べたのだ。

 

「雪翔くんはウォータースライダーを経験したことはあるの?」


 そして近づくウォータースライダーを眺めながら歩いていると、結茜さんが話し掛けてきた。


「実はウォータースライダーは初体験なんだよね。だから、楽しみ半分不安半分って感じだね」

「確かに顔が少し強張っているように見えるね」

「そう…? それで結茜さんは経験ある———って、結茜さんなら経験はあるか」


 プールでの撮影終わりとかに少しの時間だけ遊ぶ時間とかあるはずだ。だからこそ、結茜さんは不安そうな顔をここまで一度もしていないのに納得がいく。……まあ、単純に怖いもの知らずか楽しみにしているだけなのかもしれないけど。


「もちろん! モデルの仕事ではないんだけど、テレビ番組で数回程体験したよ」


 半分当たって半分外れた。

 まさかテレビ番組だったとは…。てか、結茜さんがテレビ番組に出演していたなんて初耳だわ。

 まあ元々俺は羽衣姉妹のファンとかではなかったから当然なんだけど、かなりファンの紫音が知らないのは驚きだわ。……何の番組なんだろ?


 と、思っていると、結茜さんがその答えを教えてくれた。


「ちなみにテレビ番組と言うのは、モデルを始めた時に出演した番組だから、紫音ちゃんには絶対に秘密にして…ね!」

「わ…分かった」


 その番組はとても気になるけど、結茜さんが見てほしくないと言うなら、俺は見ない。

 本人の意見を尊重しないとだしね。


 結茜さんは優しく微笑んだ。


「よろしい! ということで、ウォータースライダー経験者の結茜お姉さんが、初体験の雪翔くんの緊張を和らいであげましょう〜!」

「どうやっ…結茜ふぁん?!」


 突然、結茜さんが俺の両頬を優しく掴み、そしてむにむにと揉んできた。


「これで心が安らぐでしょー?」


 変わらず優しく微笑んでくる結茜さん。


 確かにウォータースライダーに関しての不安は無くなったけど、それと同時に別の問題が発生した。


 それは———この現状に関しての緊張だ。

 女性関係が少ない俺にとっては、女子から頬っぺたをむにむにされることに慣れていない。

 だからこそ、先程の不安よりも心臓の音が段々と大きくなるのが分かる。……あと周囲の微笑ましい視線が恥ずかしい。


「はぁずかぁいいでう」


 未だに両頬をむにむにされているので、上手く言葉が発することが出来なかった。


「何言っているのか全然分からないよ〜!」


 絶対に分かっていながらも、一向に手を止めない結茜さん。


 ……このままでは埒が明かないな。


 そんなことを悩んでいると、前方から声を掛けられた。


「イチャイチャしているところ悪いんだけどさ、ウォータースライダーの場所に着いたよ」


 声の方に視線を向けると、鬼頭さんがニヤニヤしながら話し掛けていた。

 佐伯くんも隣で微笑ましい笑顔を向けている。


 周囲の視線の時は何も狼狽えていなかった結茜さんも、鬼頭さんに言われて両頬から手を離した。


「えっと… おふざけが過ぎました」


 少し顔を赤く染めながら、結茜さんは言った。


「まあ、これからは程々にお願いね」

「それは…またむにむにしてもいいってこと?」

「程々だからね?」

「それは学んだから大丈夫。 それにやり過ぎで雪翔くんに嫌われるのは嫌だしね」

「俺が結茜さんを嫌うことはないから安心して」


 だけど、俺の頬を揉むことに価値はないと思うけど、結茜さん的には安らぐのかな?

 まあ俺が嫌な思いをしていないし、いますぐに聞くことでもないからいいかな。


「それじゃあ、私も御影くんの頬っぺたを揉んでもいいかなー?」


 鬼頭さんが手を挙げながら言った。


「ダメです」

「雪翔くんの頬っぺたは私の物です」

「静香…雰囲気をぶち壊しだよ」


「皆んなして…私を仲間外れにして…」


 俺、結茜さん、佐伯くんの各々の言葉を受けて、鬼頭さんは瞼に涙をうっすらと浮かべた。


 佐伯くんが嘆息してから口を開いた。


「いつもの事だから気にしないでね。 そんなことより、二人とも先に並んできていいよ」

「本当にいいの? 泣いているようにしか見えないのだけど?」

「私も少し心配だよ」

「全然大丈夫だから。 普通に一分後には泣き止んで、ウォータースライダー楽しいとか言っているからさ」

「そ…そうなんだ」


 俺は結茜さんと顔を見合わせて苦笑した。

 そして佐伯くんに促されるまま、俺と結茜さんはウォータースライダーの列に並んだ。



 列に並んで数十分程経ち、いよいよ俺たちの番が回ってきた。並んでいる時に悲鳴とは程遠い楽しそうな声が聞こえて来たが、俺としては不安と緊張が高まっていた。


……結茜さんが折角和らいでくれたのに。


 そんなこんなでスタッフに呼ばれ、俺と結茜さんはスタート地点の前までやって来た。


「それでは、こちらの浮き輪にお乗りください」


 スタッフに言われて、浮き輪に乗り込みながら俺は結茜さんに話し掛けた。


「前後に乗るタイプではないんだね」

「そうみたいだね! だけど、大きな浮き輪に二人しかいないから貸し切り状態でいい感じじゃない?」

「本当なら鬼頭さんや佐伯くんもいたはずなんだけどね」


 この浮き輪は四人乗りらしいが、知らない人と乗りたくない場合は二人だけでもいいらしい。俺たちより先に体験した人たちも二人で滑った人がいた。


 きっと少し後ろにいる鬼頭さんと佐伯くんも俺たちと同じように二人だけで乗るはずだ。


「それでは楽しいスライダーを体験してください」


 そう言うと、スタッフの人は俺たちが乗っている浮き輪を軽く押してゴールに向けて出発した。


 出発してから数秒でゆっくりと浮き輪は加速していき、進むごとに左右に激しく動いていく。


 そして———お互いの肩に軽く体重を預ける形になったりしてゴールした。


 

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