ハエに敗北した男

Unknown

ハエに敗北した男

 この前、動画サイトで適当なASMR動画を再生したら、女の子が可愛い声で、


『今日もお仕事お疲れ様〜!』


 って言ってきたから、俺は一瞬で動画を閉じた。

 俺は圧倒的無職である。26歳だが仕事なんかしてない。精神障害年金と親からの仕送りによって、1Kの安いアパートで一人暮らしはしているが、職も友も恋人も無い。普段、話す相手は精神科の主治医と、ペットのカメだけ。寂しくないと言ったら嘘になる。

 俺はベッドに寝っ転がりながら白い天井を眺めて呟く。


「あーあ、俺はこれから誰からも愛されずに童貞のままゴミみたいに死んでいくんだろうなぁ。やだな。でも俺みたいなゴミのこと好きになってくれる人なんて現れるわけねえ」


 俺にはもう特に生きる理由なんて無いのだが、たった一つだけ夢があった。それは童貞を卒業することだ。それだけが、26年間生きてきた俺の唯一の夢であり、他のことはどうでもよかった。童貞さえ卒業できたら、もう俺の人生は100点満点だ。その場で謎のスナイパーに射殺されても後悔は無い。

 この世には女性と男性が半々くらいの割合で存在している。地球の人口が80億人だと仮定すると、40億人も女性がいる。今までよく26年も童貞を保ってこれたな。

 26年間童貞だったら、これから先、一生童貞は確定したようなもの。俺は言わば事故物件・見えてる地雷。


「……」


 俺は溜息をついた後、ベッドから立ち上がり、部屋にある姿見を見た。

 鏡に映る俺は超イケメンだった。服装は上下黒のスウェットだが、髪は金髪メッシュ。耳には黒いピアス。首には金の磁気ネックレス。パッチリした目。筋の通った綺麗な鼻。桜色の薄い唇。少しダウナーな雰囲気。


「なんてかっこいいんだ……」


 俺は鏡に近付いて、自らの唇に濃厚なディープキスをぶちかました。

 生きてる中で誰からも愛されないので、もう俺自身が俺を愛してやらないと、俺があまりにも不憫で可哀想だ。


「大好きだよ、俺……。うん、私も大好きだよ、ずっと一緒にいようね♡」


 俺は1人芝居をしながら、鏡に向かって何度も何度も唇を重ねる。

 そして5分くらいずっとキスし続けて、俺は衝撃的な事実に気付いたのだ。


「あれ? 俺ってなんで外出しないのに髪染めてピアス開けてんだ? 馬鹿なのか?」


 それからも俺はずっと鏡に映る自分にキスしまくっていたが、だんだん虚しくなってきて、涙が出てきた。


「えーん!!!!! 俺だって愛されたいよーーーーーー!!!!!!」


 正気を取り戻した俺は感情が爆発し、鏡の前で大号泣した。もうだめだ。俺の人生には圧倒的に愛が足りない。このままでは愛に飢えた獣になってしまう。

 そう思っていると、俺の目の前に2匹のハエが現れて、俺の目の前でノリノリで交尾し始めた。


「ハエですら彼女いるのに、なんで俺は彼女いないんだろう。えーん!!!!!」


 俺はハエの交尾をスマホで動画撮影しながら、しばらく大号泣し続けた。

 よく「ありのままの君でいいんだよ」みたいな歌があるが、俺の場合、現状だとハエに敗北してるから、なんとかしなきゃいけない。ありのままで良いわけねぇだろボケ!


「彼女が欲しくて死にそうだ。こういう時は女友達に相談しよう」


 俺はスマホを手に取り、ネット上の女友達にラインを送った。


『彼女ほしいんだけど、どうすれば出来ると思う?』


 すると3分後くらいに返信が来た。


『●●君はまず就職した方がいいと思う。今1人暮らしだっけ?』

『うん』

『1人暮らしは良いと思うよ。でも無職が彼女作るのは難しいんじゃない?』

『分かった。就職する!』


 真理を突きつけられた俺はとりあえずベッドに寝っ転がった。俺にはこうする事しか出来ねえ。


 ◆


「就職かー……。働きたくねえなぁ」


 俺は暖かい毛布を被り、天井を眺めながら呟く。

 めちゃくちゃ働きたくない。本当に心の底から働きたくないと思っている。何年も前は車で通勤して必死に工場で働いていたのだが、今となっては遠い昔だ。

 俺は暇を潰す為に、小説投稿サイトを開いた。

 このサイトでは「現実世界で駄目な男が何らかの理由で異世界に転生し、成功が約束された人生を送る」という娯楽小説が流行っている。

 俺はそういう小説の面白さは分からないが、そういう小説が存在する理由は分かる。どうせ現実では誰からも見向きもされない、俺みたいなゴミたちが現実逃避の為に書いているのだろう。

 異世界小説はとても悲哀に満ちたジャンルだということがわかる。

 俺は生まれ変わったら、ハエになりたい。ハエなら労働が免除されるし、能力や容姿に関係なく彼女が出来るだろう。わざわざ人間として生きたくない。

 そんなことを考えていた俺は、フランツ・カフカの「変身」を思い出した。高校生の時に友達がいなかったから暇潰しに教室で読んだ記憶がある。ある日、主人公が目覚めたら気持ち悪い虫になっていたという有名な小説だ。

 あの虫は羽が無くて飛べなかったが、ハエなら自由に空を飛べる。だから彼女だって出来る。


「あー、ハエになりてえなあ」


 俺はベッドから起き上がり、なんとなく冷蔵庫を開けた。


「……」


 お茶以外に何も入ってない。

 近所のスーパーに行ってくるか……。


 ◆


 アパートから徒歩5分のところにスーパーがある。

 スウェットのまま靴を履いて外に出ると、春の優しい風が俺の頬を撫でた。ぽかぽかして気持ちいい。今日は晴天である。気が付けばもう春になっていた。

 きっと普通の人は学校か会社に行っている。

 あの頃に戻りたいとは思わない。俺は学校も会社も苦痛でしかなかったから。

 あの頃、俺の居場所なんてどこにも無かった。

 だからネットの世界に救いを求めた。

 結局それも気休めでしか無かったが。

 ネットの世界で、俺は頻繁に小説を書いていた。俺の孤独が誰かに届いてほしかったからだ。その願いは何年も前に叶った。

 だから俺はもう自分の小説に満足して、何も書かなくなった。


「……」


 今の俺の居場所は、アパートだけだ。

 仮に小説でメシを食えたらどんなに素晴らしいだろう。小説家になったら多分彼女もできる。

 社会不適合者であることが許されるのが創作の良いところだ。小説家やバンドマンは、むしろ社会不適合者の方が向いてる。普通の価値観の中で生きてきた普通の作品なんて必要じゃない。少なくとも俺にとっては。


「……」


 それはそうと、なぜ俺は普通に生きられないのか。なぜ普通に働けないのか。なぜ普通に友人がいないのか。なぜ普通に彼女がいないのか。

 その理由は分かってる。きっと俺の人格は狂ってるんだ。

 どうして俺は普通の人間に生まれることが出来なかったんだろう。

 今更そんなこと考えても何の意味も無いが、俺は普通になりたかった。

 切実な願いだ。

 普通ってなんだろう。

 贅沢な悩みだ。

 明日の命すら保証されてない中で生きてる人も世の中たくさんいる。


 ◆


 そんなのはもうどうでもいい。この世界がどうなったって構わない。俺の夢だけは何とかして叶えないといけない。

 スーパーに入った俺は、みんなの前でこう叫んだ。


「誰かー!!!! 俺と交尾してくださーい!!!!!!!!!!」


 すると、俺と同世代くらいの女が遠くから走ってきて、俺にこう叫んだ。


「私と交尾してくださーい!!!!♡」

「わかりました! 服を脱いで!!!!」

「あなたも脱いで!!!!!!!」

 

 そう言われた俺は速攻で服を脱いだ。

 女も走りながら全裸になった。


「うおおおおおおおおおお!!!!!!」

「うおおおおおおおおおお!!!!!!」


 ドカーン!!!!!!!!!!

 俺と見知らぬ女は、衝突と同時に合体した。


 ◆


 そして、俺と女は誰かに通報され、スーパーの店員に引き剥がされて、交尾中に公然わいせつ罪で現行犯逮捕された。


 ◆


「──ハッ!!!!!!!!!!」


 気がつくと、俺はベッドの上で目が覚めた。


「なんだ、夢だったのか……」


 俺はベッドから静かに体を起こす。すると、隣で寝ていた妻の紗希が目を擦りながら起きてしまった。

 咄嗟に俺は言う。


「あ、ごめん、起こしちゃったか」

「勇輝、どうしたの? 夢でも見た?」

「うん。変な夢見たんだ」

「どんな夢?」

「あんまり言いたくない」

「言わないと怒るよ?」

「性的な夢。紗希じゃない人と俺は交尾してた」

「そうなんだ。聞かなきゃよかった」

「俺も言いたくなかった」

「私のこと好き?」

「大好きだよ」

「どのくらい好き?」

「太平洋の大きさくらい愛してる」


 ◆


 とまでスマホで書いて、俺は溜息をついた。

 今日も俺は酒を飲みながらタバコを吸って精神薬を飲んでゴミみたいに1人でアパートで暮らしている。好きだったあの人はもう居ない。もう2度と会えないなら、手くらい繋いでおけばよかった。君の体温を知りたかった。君が居なくなったら、俺はどうなってしまうだろう。そう思ってたけど、大して俺の心や生活は変わらなかったよ。君の毎日が穏やかであるように俺は今も遠くから願っているよ。





 終わり





【あとがき】

寂しい

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