第三話 キッカ
例の
二階建ての小さな一軒家で、よく掃除や手入れがされていて清潔な印象には好感が持てる。呪いの人形に悩まされている家にはとても見えなかった。
インターホンを鳴らすとスピーカー越しに「はーい」という電話の時と同じ声がしたので、私は「お電話しました
少し間を置いてから玄関のドアが開き、お胸の大きい美人な女性が現れた。
「お電話差し上げました斎賀
私が頭を下げると「赤桐
「どうぞ散らかっておりますが」
「お邪魔します」
赤桐さんの家は外見と同様、よく整理整頓された印象があった。
呪いと縁がある家というと乱雑に物が積んであったり、意味不明な文字や絵が描いてあったりする、というイメージだが少なくとも赤桐さんの家はそれには該当しない。むしろ一人暮らしの私の家より綺麗である。
ただ玄関に飾ってある子どもが描いたと思しき絵が少し気になった。
クレヨンで描かれた女の子と小さな男の子。絵の横には「わたし」「キッカ」と書いてある。
「例の人形というのは今どちらに?」
案内されたリビングでお茶を出してもらい、一通りの自己紹介をしてから私は本題に移った。
「出掛けている娘が持って行ってます。肌身離さず、と言いますか。あの子は学校にも持って行っているので……流石に鞄からは出していないようですけれど、それでも学校では噂になっているみたいです」
「そうですか」
学校で噂になっている、という話は篠山さんからもそれとなく聞いている。くわえて
「他にその人形で変わった事があったりしました? 例えば夜になると妙な声がするとか、変な音がするとか」
「そういった事は特には……ただ時々、あの子……」
そこまで言って、赤桐さんは声を詰まらせてしまった。
言いたくないような事なのだろう。私はそれ以上の追及はしなかった。聞かずとも、これまでの話しからどういう事が起きているのか想像は付く。
私は話題を変える事にした。
「亡くなった清水さんとお会いした事はありますか?」
赤桐さんの記憶では、清水さんは一度だけ篠山さんと一緒に来た事があるらしい。
ただ挨拶をした程度で会話はしておらず、そのまま二階にある真理さんの部屋に上がっていったそうだ。
その後、真理さんと口論する声が聞こえてきたかと思うと、憤怒の表情の真理さんにハンガーで叩かれて家から追い出された。余ほど怒っていたのだろう。しばらく赤桐さんも話し掛けられなかったらしい。
「なんで喧嘩をしていたのかは解りますか?」
「特に聞いてはいませんけれど、たぶん人形の事だと思います。あの子、基本的に他の事では怒りませんから」
おそらく真理さんから人形を引き離そうとしたのだろう。どういう手段かは解らないが、ともかくそれで真理さんと人形を怒らせたのだ。
「人形は旅行先で拾ってきた、との事ですが場所は何処でしょう?」
「岩手県の……ちょっと詳細な地名までは覚えていませんが、夫が知っている筈なので帰ってきたら聞いてみます」
私は頷いた。
「その旅行の時にお寺に行った記憶はありませんか?」
「お寺、ですか……? ちょっと記憶にはありません」
不思議そうな顔をする赤桐さん。
私は件の人形がお寺から持ち出された物だという事を説明した。
目を丸くする赤桐さん。
かなり驚いたようだが、しかし人形のいわくというよりも、真理さんの「盗んだ」という行為そのものに驚いているようだった。
「幼い頃から人の物を盗む、なんて事はしない子だったのに……」
余ほどショックだったのだろう。赤桐さんはしばらく唖然としていた。それほどまで真理さんが「物を盗む」という行為はイレギュラーだったらしい。
「魅入られている、というんですか? そういう事って実際にあるのでしょうか?」
あるのでしょうか、と訊ねられても困る。私はオカルトの専門家ではないのだ。
「解りません」
私は率直に答えた。
「ただ何か尋常じゃない事が起きているのは確かです」
私がそう言った時、玄関のドアが開く音がした。
続いて「ただいま」という可愛らしい声。靴を脱ぐ音。足音。
それからリビングに現れたのは、小柄で可愛らしいおさげ髪の女の子だった。
お母さん譲りなのか胸が大きく、顔も小動物みたいで愛らしい。
内気な性格なのが外見に滲み出ていたが、とても「呪いの人形」と関係があるようには見えず、むしろとても穏やかな印象を受けた。
「こんにちは。お邪魔してます」
私が頭を下げると、女の子も「こんにちは」と礼儀正しく頭を下げる。
「真理、ちょっと来なさい」
赤桐さんが手招きをすると、不思議そうな表情をして女の子がトコトコと側に歩いてくる。
「娘の真理です」
赤桐さんの紹介で、女の子……真理さんは改めて私に頭を下げた。
「フリーライターの斎賀と申します。よろしくお願いします」
改めて私も頭を下げて自己紹介をする。
「今日は、そのぅ……真理さんが不思議な人形を持っていると聞いて取材に伺いました」
人形、と聞いて真理さんは露骨に警戒心を露にした。
もっとも棄てられたり、焼かれそうになったりを繰り返しているわけだから当然だろう。
真理さんの疑心の視線が赤桐さんに向けられる。
「あー……ちょっと不思議な人形があるって噂を聞いて、私が興味を持ったっていうだけだから、お母さんをそんな睨まないで上げて」
そう言う私に向けられる真理さんの視線には明らかに敵意がこもっていた。
「帰ってください」
キツい口調に敵意のある声。
おそらくそう来るだろう、とは思っていた。しかし取材に来た以上は「はい、解りました」と帰るわけにもいかない。
「せめて一目見るだけでも、駄目かな?」
近寄らないから、と私は頼み込んだが、それでも真理さんは承諾をするどころか私から距離を取ろうとする。
仕方がないので、私は直に人形を見るのは諦めて「写真だけでも見せてほしい」とお願いした。
それならば、と思ったのか真理さんはスマホを取り出して画面を見せる。
「わっ、可愛い」
私は思わず感想を口にした。
スマホの画面に大きく写っていたのは男の子のぬいぐるみである。篠山さんに見せて貰った物と同じで大きな特徴はない。呪いの人形という単語で思い浮かぶような歪さもなかった。
可愛い、と私が言ったので警戒が少し解けたのか、真理さんの表情が少し柔らかくなった。
「この子、とても大切にしているんだね」
私はなるべく「彼」を人形扱いしないように注意した。
前にドール愛好家の人に会った事があるのだが、彼は自分のドールを「物」扱いされるのを嫌がっていたからだ。おそらく真理さんも同じ気持ちなのだろう、と予想した。
「はい、愛し合ってるんです」
少し恥ずかしそうに真理さんは言う。直球な表現であったが、私は何とか驚きを隠した。
とにもかくにも、まずは真理さんからの警戒を解かねばならない。
「真理、変な事を言わないの!」
赤桐さんが咎めたが私は手で制す。
「愛し合っているっていうけれど、その、なんで解るの? 喋ったりするとか?」
真理さんはイヤそうな顔をした。私が茶化していると思ったのだろう。
「御免ね、莫迦にしているわけじゃないの。ただ私達には解らないから」
「言葉や動作があるわけではないです。でも、気持ちは伝わります」
言ってから真理さんは私の目をしっかりと見た。
「愛って、そういうものじゃないですか?」
以心伝心というべきか。しかし言葉や動作もないのに「相手が愛している」と考えるのはやはり妄信であるように想える。
もっとも私は口には出さなかった。変な事を言って怒らせるのも気が引ける。
そこで私は一つ気になった事があったので、真理さんに聞いてみる事にした。
「その子は名前とかあるの?」
私の質問に「キッカ」と即答して、真理さんは微笑む。
「それが彼の名前です」
※
それから私は二人と少し会話をしてから赤桐宅を後にした。
本来であれば人形を拾った時の話や、棄てられたのに帰って来た件についても聞きたかったが、明らかに警戒されているので現状で聞き出すのは難しそうだ。ひとまず今日のところは諦める。
ただ人形の話しをしている真理さんは少し頬を赤らめ、ウットリとした表情をしており、彼女が人形と恋愛をしているという話しが嘘偽りでないという事だけは確信した。
「あんまり引っ掻きまわさない方が良いような気もするなぁ」
もし真理さんと人形――キッカが本当に想い合っているのであれば、第三者が介入して止めされるのはお門違いな気がしないでもない。
もっとも人形に「想い合う」という心があればの話しだが。
そんな事を考えていると不意に鞄に入れていたスマホが呼び出し音を発した。
慌てて取り出せば、画面には「
私は迷わず「通話」をタップした。
「もしもし」
『おーう、元気?』
スマホ越しの低い声。
電話先の相手は志津
「お陰様で。河童を捕まえに千葉の方に行ってるって聞きましたが」
『そうなんだけれど、飽きちゃってさ』
随分と無責任な言い分である。
『こっちは悪天候続きでね。河童探そうにも船が出せないから』
「そうですか。それで何か用ですか?」
『随分とつっけんどんな言い方するなぁ。か弱い後輩が一人で呪いの人形の取材に行っているっていうから心配して電話したのに』
「それはどうも」
もっとも元を辿れば、彼がいないから私にお鉢が回って来たのであるが。
「そうだ。見て貰いたい画像があるんですけれど良いですか?」
思う所あって、私は提案した。
志津当人は「霊感などこの世に存在しない」と公言しているが、彼の直感はよく当たるのだ。
『桃子ちゃんのエロ自撮りでも送ってくれるの?』
「それ普通にセクハラですよ。そもそも私の弛んだ身体見ても面白くないでしょ」
『いや普通に見たいけれど』
場違いにキリッとした声。私は何も言わずに受け流し、篠山さんに貰った真理さんとキッカの写真を志津のスマホに転送した。
「受け取りました?」
『おう』
「なにか感じる事とかあります?」
『オッパイがデカい』
即答。
「あのねぇ」
『女の子が抱いているの、なにこれ? 着ぐるみ?』
「え? 着ぐるみ?」
思わず私は聞き返した。
何処からどう見てもキッカは着ぐるみではない。そもそも一リットルのペットボトルサイズであるから何かが入るほどの大きさではないのだ。
しかし「いや」と志津は否定する。
『これたぶん中に何か入ってるぞ』
そんな、聞きたくないような事を口にした。
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