04.10:偶然の罠

 高い天井から垂れ下がった照明が大きく揺れ、暗い通路が迫る灯りで点滅する。

 床も壁も肉のようなものがこびり付いていて、ロビーと違い生暖かい。

 前に二人の人影が見える。

 レアールとバツだ。

 レアールがバツのズボンを掴み込んだまましゃがんでいて、バツはその場を動けずにいる。

 バツがこちらを向いた。


「二人とも大丈夫?」

「……おれたち入口から出ていいかな」


 バツの後ろでレアールは青ざめた顔をしながら目を瞑り、しきりに頷いてる。


「いいんじゃないかな、出た後はクロ次第なとこあるけど」

「だよね。とにかく行こ、レアールちゃん。レアールちゃんは最初から目を瞑ってたって言えば大丈夫だろうし」


 入口へ一歩ずつ進むバツに、レアールは張り付いたままゆっくりとついていった。

 私とハクトはそれを見守る。


「ハクトは平気ですか?」

「平気だよ。……にしても何で僕には敬語なの」

「それは、敬語でないと恥ずかしいからです」


 咄嗟にそんな言葉が出る。

 ハクトは黙って俯くと、先へ歩いていく。

 これは……間違えてしまったか?

 確かに敬語は違和感あるし、私は仲良くなりたいのにどうして距離を作るような真似をしてしまったのだろう。


 でも……ハクトは私の何に期待して、好意を抱いているのやら。

 そんなことを悩みながらハクトの後ろを歩くと、足元がネチネチ音を立てるし足が少しずつ重たくなる。

 見ると、指の形をした赤い肉塊が靴に触れてきていた。


 私は叫べず、ハクトに目を向け足元を指差す。

 ハクトは気付かずにトボトボ歩いている。

 それを見て寂しさを感じると共に、なぜだか落ち着いた。

 所詮これは作り物だし……。

 足を上げると指が千切れて靴にくっつく。

 ……いいや、ネチネチ音も気になるしやっぱり落ち着かない!

 

「尾長さんはさ、クロさんの言いなりになってないし。自分ってものがしっかりしてて。そういうとこ、僕は好きだよ」


 不意にハクトが話しかけてくる。

 

「わ、私はしっかりしていませんよ、例えば……」

「例えば?」


 何だか強い口調だ。

 なぜだ、なぜ恐怖体験がすぐ足元にあるという状況で会話に集中できるのだ。


「干し魚の匂いに釣られて悪い人に誘拐されかけたりとか、イヌハッカがたくさん生えてるとこに近付いてしばらく正気を失ったりとかあ!」

「それは仕方ないんじゃないかな、ネコ獣人なんだし」

「それもそうですね……」


 ハクトが振り向き、私の顔を見て赤面する。


「ごめん、困らせるようなこと聞いて」

「いいです」


 ハクトが向き直ると突然、壁から肉が伸びて頬を舐められる。

 みんなここで叫んでいたのだろうか。

 動悸がしてきた。

 ゆっくり会話できる場所じゃないのに。

 ハクトが図太過ぎる、この状況を全く気にしてる様子はない。


「ハクトくん、壁に気を付けてください」


 再び振り向いたハクトの顔は、唾液のようなもので頬がベトベトしていた。


「……壁? 不気味だけど大丈夫だよ」


 ハクトは前を向いて、どんどん進んでいく。

 ついてくのがしんどい。


 ……正面から凄い勢いで突撃してくる犬のホログラム。

 頭上から垂れてくるねっとりとした暖かい液。

 それらに苦しみながら進んで行く。


 しばらくして、真っ直ぐ続いていたはずの道に光が見えてきた。


 出口から出た私の体には足に例の指が付いていたり、頬に唾液やらが付いていたりはしないものの、服は汗でじっとりと湿ってしまっている。


「……あれ、みんなは?」


 ハクトがそう言って辺りを見渡す。

 置いてかれたのだろう、おおよそクロの仕業だ。

 私はもう既にハクトとの二人きりを満喫した、勘弁してほしい。

 

「何かあったのかも。ハクトくん、とりあえず少し休みましょう」


 ハクトはこちらを見て固唾を呑んだ。

 お化け屋敷では驚いてなかったのに、汗だくの私を見て驚いているらしい。


「そうだね、とりあえずあそこにある自販機で水買ってくる。日陰で休んでて」

「あ、お代渡しておきます」

「いいよ。そんなに高くないし」

「ダメです、私のせいでこうなったのですから。これでハクトさんの分も買ってください」


 私はポーチから財布を取り出して、ハクトにお金を渡す。

 ハクトはお金を受け取ると、「じゃあ」と言って自販機へと向かう。

 お化け屋敷のロビーにあった長椅子に座る。

 とても涼しいけど、少しクラクラしてきた。


 少しして、ハクトが二本のペットボトルを抱え、お釣りを手に握り戻ってくる。


「お待たせ」


  ハクトからペットボトルとお釣りを受け取る。

 ボトルの中身は水みたいだ。

 お釣りをポーチの中に入れて閉じ、ボトルの蓋を指で握って捻る。

 少し緩んでいたようですぐに開いた。

 ……お化け屋敷の中では私のことをまるで気にしていなかったのに、気が利くではないか。


 ペットボトルを口に付け、水を飲む。

 ……少し変な味がするような。

 まあ、汗かいてるし気のせいだろう。


「ハクトくん。ありがとね」

「ああ……うん、まあ気にしないで」

「ごめん。……ちょっと休ませてください」


 ……何だかボーっとしてきて、私はベンチの上で横になる。


『ワープ』


 朧げながらに、そう聞こえたような気がした。

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