第25話:リアルタイム執筆が終了しました

 死に場所に辿り着いた。

 僕たちが死ぬのは、支笏湖というらしい。

 彼女の話を聞く限りでは——。


 子供の頃に家族全員でキャンプをした思い出の土地だと。

 深度は360メートルにまで及び、国内では二番目。

 日本最北端に位置する不凍湖なんだとさ。


「本当に死ぬんだな、僕たちは」

「今更怖くなった?」

「怖くはないよ、捺月と一緒ならさ」

「私と死んだら、キミも一躍有名人だね」


 星座橋捺月は口元を歪めながら。


「あのアイドルが最後に選んだ男だって」


 ブーブー。

 電話の通知音が鳴り響く。


「見なくていいの?」

「大丈夫だよ、母親からだと思うから」

「帰りを待つ人がいるんだね、灰瓦礫くんには」

「明日からは待つ側になるけどね」


 死後の世界があればの話だけど。


「捺月はさ、遺書とか書いた?」

「書いたよ」

「誰に書いたの?」

「全世界に向けて」

「規模が広い遺書だね」

「アイドル業界の闇を描いた告発文だけどね」


 彼女は笑った。


「罰ゲームを覚えてるかな?」

「捺月が何でも言うことを聞くことだっけ?」

「逆ね、逆。私が言うことを、キミが聞くんだよ」


 彼女と話した内容を忘れるはずがない。

 嫌なことを全て忘れて、彼女との思い出を記憶するよ。


「お願いを聞いてくれる?」

「内容次第かな」

「私の最後を全世界に発信してくれないかな?」

「……発信する?」

「うん。今から星座橋捺月のラストライブを行うからさ」


 月が水面に映る支笏湖が、星座橋㮈月の特設ステージ。

 先程まで何もなかった場所なのに。

 星座橋㮈月というアイドルが立つだけで、舞台へと変化する。

 スポットライトがないのに、月明かりと星々の光が彼女を照らすのだ。


 突如始まったゲリラライブであった。

 それでも、視聴者がガンガンと増えていく。

 フォロワー数1000万人を超える大人気アイドル様は違う。


 星座橋捺月は雪が似合う。

 雪が降り積もっているのに。

 自然が生み出した舞台で、彼女は軽やかなステップを刻むのだ。


 胡蝶のように舞う姿は——。

 あまりにも美しかった。

 空から舞い降りる雪が、彼女の美しさを際立たせるのだ。


 圧倒的な演技の数々に、僕は呼吸さえも上手く取れなかった。

 ただ、彼女から頼まれた仕事だけはやり遂げた。

 彼女の勇姿を、後世に語り継ぐために。


 完璧なアカペラ。

 リズム感覚。音程感覚。

 透き通った美声。

 マイクなしで歌い切る声量。

 足場が悪い中、踊る脚力と体力。

 この舞台を成功に収める度胸。

 どれを取っても、超一流のアイドルだ。


「じゃあね。みんな、バイバイ!!」


 カメラに近づいて、星座橋捺月は言った。

 瞳には涙が浮かび、声は上擦っていた。

 それでも、彼女はこの世界で一番の幸せ者だというような笑みで。


 欺くして。

 星座橋捺月の地元で行った伝説のライブは幕を閉じた。

 酷く息を切らしながら。


「今日はさ、ありがとうね」


 感謝されるようなことは何もしていない。

 ただ、僕は彼女に付き合っただけなのに。

 むしろ、楽しかったぐらいだ。

 今日を何度も繰り返したいと思うほどに。


「灰瓦礫くんはさ、本当にやり残したことないの?」


 やり残したことか。

 あると言えばあるし、ないと言えばない。


「今日一日私に付き合ってくれたから、一つだけ何でも聞いてあげる」


 何でもか。

 何でも。

 嬉しい提案だ。


「と言っても、自殺はやめようとかはなしだよ」

「分かってるよ。それぐらい。僕は空気が読めない奴じゃない」


 一つだけ。

 何でも聞いてあげるか。

 邪な気持ちがないと言えば、嘘である。

 どうせ死ぬんだと割り切れば、キスぐらいは許されるかも。

 でも——僕が選んだのは。


「僕と約束してくれないか?」

「約束? 何を?」

「もしも死ねなかったら生きてみないか?」

「面白いことを言うね、灰瓦礫くんは」


 捺月は笑った。

 僕が言うことがあまりにもバカバカしいからだ。


「不凍湖といっても、冷たいよ。それに深いし。絶対に助からないよ」

「あぁーそうだね。だから、もしもの話だよ」

「いいよ。約束。でも本当にそれでいいの?」

「あぁ。ただ守ってもらうよ、生きてたらの話だけどさ」


 生きてたら。

 そんな話は無理かもしれない。

 100%助かる見込みなどない。ていうか、死ぬ確率が高い。

 それにも関わらず、僕は生きている気がした。明日も明後日も。

 理由はない。ただ何となく、野生の勘に過ぎないけれど。


「それじゃあ、行こっか。伝説になるために」


 捺月は手を差し伸ばしてきた。

 戸惑うことなく、僕はその手を取る。

 お互いに絶対離さないと固く握り合う。


「今更だけど死ぬ必要はないんだよ、灰瓦礫くんはさ」


 死ぬ必要。死ぬ理由。

 死ぬ覚悟があるのかと言われれば、中途半端だ。

 それでも——。


「僕はさ、生きる理由もないんだよ。君がいない世界なんて」


 だからさ、と呟いてから。


「もしも二人とも生きていたら、僕が捺月を幸せにしてもいいかな?」

「新手のプロポーズ? 今から死ぬのに?」


 笑っているのか、それとも呆れているのか、微妙な反応だ。


「生きる理由が欲しいだけ。もしも死ねなかったときのさ」

「淫乱で枕営業しちゃう猫被りな女の子だよ、私は」

「たった一日だったけど……僕は楽しかったんだ。今日が最高に」


 僕は捺月に——星座橋捺月に惚れてしまったのだ。

 出会った瞬間に。出会った瞬間から既に。

 理屈などない。時間なんて関係ない。

 僕は彼女が好きだ。その感情は留まることを知らない。


「もしも生きてたら責任を取るってことなんだよね、なら証明して」

「証明?」

「うん。信じられないもん」


 照れているのか、捺月は顔を俯かせる。

 視界が暗いせいで、照れているのかは全然分からない。

 でも、手元を擦り合わせている姿を見れば分かる。


「私みたいなダメな子を本当に幸せにしてくれるか」


 普通の女の子と同じく、彼女は照れているのだ。


「分かった。今の僕にはこんなことしかできないけど」


 僕は捺月の両肩に手を置いた。

 それからゆっくりと近付いて、唇を重ねてみた。

 ドラマのワンシーンみたいにはできなかった。

 下手くそで、不出来で、僕らしいと言えば、僕らしいけれど、それにしても、カッコ悪いキスだった。生まれて初めてだから許して欲しいけど。


「……本当にヘタッピだね。君のキスは」


 捺月はからかってくる。

 でも、ほんのりとだが、顔色に赤みがあるように思える。


「証明しろと言ったのはそっちだろ?」

「……せ、責任取ってよね。もしも生きてたら」


 いや、と涙を流しつつ、捺月は目尻を擦って。


「あの世があっても絶対に責任取ってもらうからね!」

「あぁ。約束するよ、僕はいつだって捺月の側に居るよ」


 再度、手を繋ぎ合う。

 恋人同士の握り方。

 ドキドキは止まらない。

 心臓はバクバクと鳴り響いている。

 一歩ずつ進むにつれて、死ぬ近付いていると思ってしまう。

 怖さはそれほどない。もう死など怖くない。捺月が居るのならば。


「私に死ぬ勇気を与えてくれてありがとうね、灰瓦礫くん」


 白い肌。まつ毛が長くて大きな瞳。柔らかい唇。

 誰が見ても惚れてしまいそうなほどに洗練された横顔。

 もう僕は完全に虜になってしまっている。


「僕に生きる理由を与えてくれてありがとう、捺月」


 僕たちは覚悟を決め、湖へと入る。

 徐々に奪われる体温。鈍っていく感覚。

 それでもお互いに握る手を決して離さない。


——完結——

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冴えないオタクが推しのアイドルと心中する話 平日黒髪お姉さん @ruto7

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