第10話:リアルタイム執筆が始まりました②

 大都会東京のクリスマスイブは、陽気な雰囲気に包まれていた。

 彼氏彼女と思わしき男女が睦まじく手を握り合ったり、腕を組んでいたり、一目も気にせずにキスに夢中だったりしているのだ。無駄な装飾を施されたツリーが設置され、ライトアップしている。


 まだ時刻は午後五時。それなのに、空は暗いので変な気分になる。

 僕が住む地域は、九州地方の片田舎。日本内では南部方面に位置する。

 普段ならば、まだ橙色の夕陽が見えている時間帯だというのに。


「二人で歩いてたら恋人だと勘違いされるかな?」


 僕の隣を歩く星座橋捺月が愉快げな声でそう言う。


「恋人じゃなくて、お姫様と犬みたいな感じじゃないですか?」

「……犬って。灰瓦礫くんって捻くれてるよね」

「事実を述べただけだよ」

「まぁ、私はそ〜いうところ好きだけどね」

「………………」

「何? 今のでマジ照れしてるの? オタクって可愛い生き物だねぇ」


 星座橋捺月は「ぷっ」と吹き出して笑う。その後、口元に手を当て、ケラケラと笑みを絶やすことがない。ベッドの上でもドSならば、普段もドSらしい。


「灰瓦礫くんはさ、手を繋ぎたい?」

「えっ……?」

「大好きな推しのアイドル様の手を握りたくないの? むぎゅむぎゅって」

「僕みたいな存在が握ったら、星座橋捺月という可憐なアイドルは——」


 穢れてしまう。汚れてしまう。

 そう続けようとした僕の口に、この世で一番可愛い彼女は人差し指を押し当てる。言葉を失う僕に、彼女は不敵な笑みを漏らしながら。


「キミはもうそんなアイドル様に中出しを決めちゃったんだよ」


 あ、そうだった。

 僕と彼女はカラダの関係を持ったのだ。持ってしまったのだ。

 それにも関わらず、僕は何を戸惑っているのだろうか。

 彼女に触れたら、穢れてしまうと思う考えはしなくていいんだ。

 僕に会うから——彼女はもう既に汚れきっていたのだから。


 社会の荒波に揉まれて。


 それにさ、と呟きながら、星座橋捺月は僕の耳元で囁いてくる。


「人前で私の名前は禁止だよ。バレたらどうするの?」


 星座橋捺月は、今をときめく現役アイドルなのだ。

 マスクとサングラスを付けているが、芸能人オーラは隠し切れていないのだ。

 街を歩く人々から視線を浴びるが、彼女は一切応えることはない。

 というか、人々も「可愛い子がいるな」と思う程度で、それ以上追求することをしないのだ。大都会東京ならば、それが当たり前の光景なのだろうか。


「……ご、ごめん」

「別に謝ってほしくて言ったわけじゃないんだけどなぁ〜」

「な……なら、どうすればいいの?」

「自分で考えなよ。自分にできることはなんだろってさ」


 女の子というのは、無理難題を突き付けてくるようだ。

 僕はどんな行動を取ればいいのか、さっぱり分からなかった。

 女の子が喜ぶ行動を取ればいい。それも、星座橋捺月が喜ぶことを。

 果たして、どうすればいいのか——。


「残念〜。タイムアップですぅ〜。灰瓦礫くんは失格だよ」

「失格?」

「うん。時間のかけすぎ。だから、キミには罰ゲームだよ」

「罰ゲーム……? 突然そんなことを言われても」

「簡単なことだから気にしないで。私の言うことを何でも聞くって約束してくれればいいだけだから」


 何でも聞くって約束をすればいい。

 それが、簡単なこととは到底思えない。

 だが、それで愛しのアイドル様が喜ぶのなら、安いものだ。


「うん。分かった。僕に何でも言ってよ」


 ありがとう。

 星座橋捺月はそう優しく呟き、僕の手を握ってきた。

 街行く恋人が握り合うように、僕たちもお互いの手のひらを合わせて、指と指を絡めて手を繋ぐ。それだけで心が満たされる気がした。


「こういうときはありがとうございますと言えばいいんですかね?」

「素直にそういえばいいんだよ、灰瓦礫くん」


 淡い雪が降り注ぐ。肌に触れると、その雪は溶け、まるで何もなかったかのような感覚になる。僕の存在もそんなものなのだろう。この世界に何の影響も与えることもできずに、散っていくのだから。

 そんな折、聞き慣れないメロディが響いた。僕はスマホの電源を切っている。

 なので、必然的に連絡が入るわけがない。そもそも、電源が入っていたとしても、僕に連絡を送ってくる人なんて、誰もいないことだろう。


 というわけで——。


「……着信鳴ってるけどいいの?」

「うん。大丈夫だよ。マネージャーからだと思うから」

「……出たほうがいい気がするんだけど?」

「今日、私たちは死ぬんだよ。仕事のことなんて忘れようよ」


 余計な一言を言ってしまったな。

 仕事の話なんて、誰もしたくないはずだ。

 僕だって、今だけは学校の話なんてされたくないし。

 生きている間にわざわざ嫌なことを考える暇はないよな。

 それなのに、また僕は余計なことを……。


「今日はね、元々クリスマスイベントがあったんだよ」


 自己嫌悪に陥る僕に、彼女はそう呟いた。


「日本武道館でライブがね。思い入れのあるライブだったんだけどね」

「うん。知ってる。クリスマスライブがあるって告知を見たよ」

「そっか。知ってたんだ」


 今をときめくトップアイドルは微笑む。


「本当私って悪いアイドルだよ。メンバーもファンからも逃げ出してきちゃった」


 今にも涙を流しそうなほどに、彼女の横顔は辛そうだった。

 アイドルとしての生活は楽しかったのかもしれない。

 アイドルとして生きる道は幸せだったのかもしれない。

 それでも、彼女はそんな人生に終止符を打つことを決めたのだ。


「行かなくていいの?」


 無粋な質問だ。

 でも、聞かざるを得なかった。

 もしも彼女が行きたいと答えれば、僕はどんな手段を使ってでも連れていく。

 そう心に誓っていたことだろう。だが、彼女が選んだ結論は——。


「いいんだよ、別に。今から死ぬ私が立つべき場所じゃないからさ」


 人生は選択の連続だ。

 外部の人間が口出しすることは許されない。

 その人が必死に考えて導き出した答えならば、それは絶対に正しいのだ。

 星座橋捺月は満面の笑みを浮かべて。


「私にとってはさ、1万人のファンよりも、たった1人の共犯者キミのほうが価値があるのかもね」

「光栄だよ。僕がその一人に選ばれるなんてね」

「まぁ、誰でも良かったんだけどね。……ただ、キミが可愛いから手を出しちゃった」

「手を出した?」

「うん、童貞で死んじゃうのは可哀想でしょ? それにさ、私もエッチなことは大好きなんだよね。あはっ。エッチが大好きなアイドルなんて、本当失格だね。清純派アイドルで売ってるのに」


 理想と現実は違う。

 僕がテレビの画面上で見ていた彼女は、完璧なアイドルだった。

 だが、実際にこうして直接出会い、彼女の心の内側を1ミリ単位ぐらいは知っただけの存在に過ぎない僕はいう。


「僕の中では満点だよ、星座橋捺月というアイドルは」

「……バカじゃないの? トップアイドルの私を口説いてるの?」

「口説いてるつもりはないんだけど……」

「あぁ〜もう無自覚系かよ。キミさ、女たらしの才能があるよ、絶対に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る