第5話
「と、その前に……洋服でも購入しようか」
ホテルや洋服の言葉を立て続けに言われ、僕は困ってしまう。
しかし、星座橋捺月の中では、思惑通りに進んでいるらしい。
僕の腕を掴むと、彼女は颯爽と歩き出した。推しのアイドルに引っ張られて、東京の街を歩くというのはさぞかし楽しいのは事実だけどさ。
「どうして洋服を買うの?」
「どうせ死ぬんだったら正装で死にたくない?」
「どうせ死ぬなら、僕はどんな服でもいいと思うけど」
「これでも私は芸能人だからね。それでキミは私と死を共にする共犯者なんだよ。奢ってあげるから、今日はビシッと決めて一緒に死のう」
僕は一般人で、星座橋㮈月は芸能人で。
価値観が違うのは当たり前だけど、星座橋㮈月は理想のアイドル像を死んだあとでさえ考えているようだ。確かに、死んだときにダサい服を着て死んだとか、一緒に死んだ男の方はボロボロの擦り切れた服を着ていたなんて知られたら、大人気アイドル様の顔に泥を塗ることになってしまう。
「うむうむ、似合う似合う。細身のキミなら何でも合うね!!」
星座橋捺月に連れて行かれたのは、僕が知らないブランドの洋服専門店。数々のお店を回って、試着を何度も試された。僕を着せ替え人形みたいな扱いをしているのではと思ったまである。
で、現在、六軒目を回ったところで、僕は星座橋捺月が選んだ服に着替え終え、彼女に出来栄えを見てもらっているわけである。
「もう僕……少し疲れてきたんだけど」
「え〜。男なのに体力ないってどうするんだ。これからなのに〜」
「運動は嫌いだし。インドア派だから……うん」
「なよなよ系男子ってわけですか。で、どれが一番気に入った?」
「僕が選ぶの? てっきり、選んでくれると思ってたのに」
「母親に服を選んでもらうマザコン息子みたいだね」
図星だった。服選びは毎回母親と一緒に行っている。
僕自身、洋服へのこだわりは皆無なので、母親に選んでもらっている。
でも、それって何かおかしなことなのかと不思議に思ってしまう。
「ちなみにさ、捺月さんはどれがいいと思う?」
「さんは要らないよ、捺月でいいからね」
前置きでそう言うと、星座橋捺月はう〜むと顔を顰めて。
「一番最初に行ったお店の服も良かったし、二番目のアレも、あぁ〜でも三番目も捨てがたいし……あああああぁ〜、でも、今着てる服もいいッ!!」
ファッションセンス皆無というか、ファッションに興味がない僕にとって、星座橋㮈月の感覚は分からない。洋服なんてものは着心地が良くて、長持ちするものを選べばいいと思っているからだ。
流石は芸能人というか、女の子だなと改めて痛感してしまうね。
「もうさ、全部購入しちゃう?」
「…………それは申し訳ないです」
「と言っても、私たち今日死ぬんだよ。お金の心配ならご無用だぜ」
「で、でも……」
「なら、自分で選びなよ。キミが一番良いと思ったものをさ」
「えっ…………」
洋服選びなんて、僕はしたことがなかった。
母親が選んでくれた服を購入して、今まで着る日々を送っていたから。
そうすることで、母親は喜んでくれたから。
「今、着てる服にするよ」
試着室の鏡に映し出される自分の姿は、一段と輝いて見えた。
ウール素材の灰色スーツに、中には白色のワイシャツ。
と言っても、カジュアルなスーツなので、バッチリ決めているわけではない。それでも清潔感と高級感が漂い、地味な僕でもカッコよく見える。
ネクタイは苦手なので僕は外しているが、街中で見かければ立派な大人に見えなくもない。これで僕も社会人への仲間入りが果たせるだろう。
「了解。ならば、この服を二枚ずつ購入しよう」
「どうして二枚も?」
「ホテルに行くまでの用と、ホテルから自殺する場所へ向かう用に」
「わざわざそこまでしなくても……」
「ううん、しないとダメだよ。何が起きるか分からないからね」
試着した服をそのまま着て帰る。
そんな経験をしたことがない僕だが、星座橋捺月は手慣れていた。
同じ服を二枚ずつ、それも全身コーデを買う人間を見て、店員さんは不思議な表情をしている。僕だって、違和感があるし。
「それじゃあ、次は私に付き合ってもらうよ」
僕の買い物が終わると、お次は星座橋㮈月の正装購入になった。
覚悟をしていたとは言え、女性専用の洋服店に入るのは抵抗がある。
近場で待っておくと異議申し立てをしたところで、彼女が聞く耳を持つはずがなく、僕は荷物持ち兼彼女の共犯者として付き添うのであった。
「あぁ〜購入した購入したぁ〜。さぁ〜て、ホテルに向かいますか」
僕の前方を歩く星座橋㮈月は、軽やかなステップだ。
返って、僕は大量の袋を持って、彼女の後を追いかけている。
星座橋㮈月は行く先々のお店で、洋服を大量購入したのだ。
「星座橋さんってさ、浪費癖があるんだねぇ〜」
「星座橋じゃなくて、捺月でしょ?」
指摘されて、僕は言い直した。
すると、彼女はニッコリ笑顔で返答してくれた。
「浪費癖があるとは思わないんだけどねぇ〜。ただ、今日で全部終わりだから、お金を消費しようと思ってるだけだよ」
「あの世にお金は持っていけないからね」
「そうそう。だからさ、稼いだお金はパァーと使っちゃおうってわけ」
「使ったところで、洋服を全部着るとは思えないんだけど」
正論を吐いてみると、星座橋㮈月は唇を尖らせ、僕のほっぺたをつまんできた。ぐにゃりと曲がった口の僕を見て、少しでも笑みを漏らして。
「勘が良い子供は嫌いだよ、お姉さんは」
「………………」
「うふふ、冗談冗談。でもさ、最後の服は慎重に選びたいんだよ。後から、やっぱりアレにすれば良かったぁ〜って後悔したくないからさ」
◇◆◇◆◇◆
ラブホテルというのを、皆様はご存知だろうか。
僕とは縁も所縁もない。そう思っていた場所に初めて入った感想は、意外と未成年でも簡単に入れてしまうんだなだった。
店内へと入ったあと、フロントで精算機械をポチポチとするのみ。
経験済みの僕の愛すべきアイドル——星座橋㮈月は手慣れた様子で、てきぱきと操作を終わらせ、部屋のカードキーを取り出した。
「さぁ、行こう。こっち」
聖なる日と言えど、昼間と夕方の中間帯は、客足も少ないようで、僕たちは誰一人として他の客に出会わずに、部屋へと入ることができた。
個室の内装は薄暗いピンク光で満ち溢れていた。
広さはビジネスホテル二個分と言ったぐらいだが、お風呂やベッドの大きさは格別で、流石はラブホテルと思ったまである。
ともあれ、お客様を心配してか、既に暑すぎるほどに暖房が入っていた。荷物を置いた僕は上着を脱ぎ、部屋の壁へとスーツを掛けた。
「どっちからシャワーに入る? 私? それともキミ?」
突然の質問に絶句してしまう。
本日、僕は自殺しに来たのだ。
女の子と一線を超えるために来たわけではない。
故に、心の準備ができていないのであった。
「もしかして一緒に入るのが良かった?」
「…………本当に僕たちはするの? こんなところで」
「逆にやらないの? ここまで来て。大好きなんだよね、私のこと」
「す、好きだけど……そ、その僕は……こ〜いうのはよくない気が」
常識人振って戸惑う僕に、星座橋捺月は容赦がない。
「千秋くんってさ、童貞?」
「……ええと、そ、それは、そ、その……」
「そっか。童貞なんだ。それじゃあ、ちょっと怖いよね」
星座橋捺月はそう呟き、僕の元へと歩み寄ってきた。
甘い柑橘系の香りが漂ってくる。密閉された空間だからこそ、狂おしいほどに分かってしまう。これが、星座橋捺月の匂いだと。
「触るね、キミのこと」
それから僕の顔へと白い手で摩り、彼女は笑みを浮かべて。
「キスも初めて……?」
「……初めてです」
「なら、まずはキスから始めてみよっか」
僕の有無など関係ない。
僕が大好きな最強のアイドル——星座橋捺月は、冴えないオタクである僕の唇を躊躇うこともなく奪ってきた。呼吸を忘れるほどの熱いキスだ。
生まれて初めての経験で、僕はベロを右往左往することもできず、ただ星座橋捺月に吸い尽くされるのであった。
ベロとベロの単純接触だけだというのに、脳内物質がブシューブシューと何度も発射しているのが分かる。股間部分も若干だが、我慢汁が飛び出し、星座橋捺月の中へと入りたいと疼いてしまっている。
「キミのファーストキス、ごちそうさまでした♡」
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