第3話

◇◆◇◆◇◆


 僕が星座橋㮈月を認知したのは、僕が一番辛かった時期。

 つまりは、僕が高校入学してから一ヶ月も経たない頃だろう。

 同情を求めているわけではないが、僕は昔から気が弱く、事あるごとに、何かと不良に目を付けられる日々を送っていた。

 進学校に通えば、不良は居なくて、もっとマシな生活を送れるはず。

 そう信じ切っていただけに、今回もダメだと分かったときは辛かった。


『なぁ、オレたちってさ、友達だよな?』


 友達同盟と言われて、お金を奪い取られた。


『はぁ? お金渡せないの? さっさと持ってこいよ!!』


 渡さなければ、理不尽な暴力を振るわれた。

 母子家庭に住む僕にとって、月数万円のお布施は厳しかった。

 バイトをして稼ごうにも、学校側が禁止していたからだ。

 故に、親の財布からこっそりとお金を抜き取り、悪魔にも見える不良集団へと手渡していたわけだ。だが、しかし、そんなのすぐにバレる。


『ちーくん、お母さんの財布からお金取ってるよね?』


 正直に話すのはできなかった。自分がイジメられていると、家族にバレたくなかったのだ。見栄っ張りな僕は欲しくもないゲーム機や漫画を購入するために使ったと言い張り、母親からの言及に耐えるのであった。


 しかし、それでも、僕はお金を取り続けることをやめられなかった。

 やめてしまえば非条理な暴力を振るわれ、痛い目に合うから。

 そんなことが続くうちに、とある日、母親が涙ながらに言ってきた。


『ごめんね……貧乏で。この家が貧乏でごめんなさい』


 こんなことを言わせたくなかった。

 貧乏だと思ったことはあったけど、僕はその生活を気に入っていた。

 築数十年が経過し、劣化した木製アパートだったけれど。

 上の階に住む住人が歩くだけで軋む家だったけれど。

 ないない尽くしの生活だったけれど、それでも楽しんでいたのだ。

 だからこそ、無性に悲しかった。だからこそ、無性に苦しかった。

 母子家庭で育った僕にとって、母親だけが唯一の家族で、僕が守るべき存在だったからだ。そんな女性を泣かせてしまったことが辛かった。


 悲劇はまだ終わらない。


 僕の愛おしい女性は、売春行為に及んでいた。

 本人に直接聞いたことがないので、詳しくは分からない。

 けれど、将来的に息子が大学へ進学するときに使うお金を工面するためだと、僕の母親と行為に及んだ薄汚いおっさんに聞いたことがある。


 全ては僕を幸せにするため。

 お金さえあれば、僕が少しでも幸せになると勘違いしたのだろう。

 結果、僕の愛すべき人は、真夜中に家を出たあと、近くの電柱に寄り掛かり、偶然通りかかった男たちと行為に及んでいたのであった。


 その事実を知ったのは、僕の母親と一線を越えたと名乗るクラスメイトが現れたときだ。彼はさぞかし僕の母親が気持ちよくしてくれたのか、僕に聞かせてくれた。その話を聞き、僕の心はグチャグチャになった。


『ちーくんは心配しなくてもいいんだよ。お母さんがどうにかするから』


 母親は若い頃に僕を産んだ。17歳の夏と聞いたことがある。

 高校を中退した彼女は、十代後半から二十代前半という最も女性として輝く期間を、僕の為に尽くしてくれたのだ。

 好きでもない男に体を許して、その男に寄生することでお金を受け取って。

 幼い僕を育てるために。自分の息子を育てるために。

 否、僕が彼女の貴重な時間を奪ったと言ってもいい。

 僕さえ生まれなければ、母親はもっと違う人生を歩めたかもしれない。


 そう思った瞬間、この世から消えてやろうと決意した。

 大好きな母親がこれ以上苦しまずに生きられるように。

 僕という鎖に縛られた彼女に翼を与え、どこへでも行けるように。


◇◆◇◆◇◆


「欺くして、僕はこの世から一度消えようと決意して自殺を試みようとしたんだ。首吊り自殺だよ。家庭でも手軽にできる死に方を選定した。天井に縄を縛り付けたから、残るは首を輪っかに入れて一歩踏み出すだけだった。でも、僕は踏み出すことができなかったんだ。星座橋さんのせいで」


 今にも死のうと思っていた僕を救ってくれたのは——。

 テレビの画面に映るトップアイドル星座橋捺月だった。

 彼女が歌って踊る姿に心を奪われた僕は生きようと思ったのだ。


「もう少しだけ星座橋さんが生きてる世界を生きてみようって」


 この世の全ての悪を浄化してしまいそうなほどの満面な笑みに。


「星座橋捺月が生きる世界だからこそ、僕は生きてみようと思ったんだ。他の誰かじゃダメなんだ。だからさ、アイドル失格なんて言わないでよ。僕にとって、星座橋さんは最強のアイドルで、金輪際現れないんだ!」


 興奮して声を荒げる僕に対して、星座橋さんは驚くほどに冷静だった。

 腕を組んだ状態で、ジィーと僕の方を見て、指先を下へと向けて。


「とりあえずさ、灰瓦礫くん。座りたまえ」


 言われて気付いたのだが、ここは家ではない。店内である。

 それも、赤と黄がトレードマークのバーガーチェーン店。

 つまりは、僕たち以外にも客がいるのは当たり前で……。


「…………ご、ごめん」


 周囲の目線を奪っていた。というか、凝視されてるまである。

 気持ち悪いオタクが星座橋捺月の愛を語っている。

 そんな勘違いをされてそうで兎に角怖い。ネット上にアップされないか心配だ。


「正直な話、私はキミの超弩級なクソ重過去話には興味ない。他人の身の上話なんて聞いても、はいはい辛かったね、はいはい苦しかったね、と思うだけで、それ以上の感情を呼び起こさない」


 ただ、と呟いてから、星座橋捺月は口元を僅かに歪ませて。


「ありがとうね、こんな空っぽなアイドルを愛してくれて」


 空っぽなアイドル。

 その言葉は聞き捨てならないと思い、俺がもう一度口を開いた瞬間。


「さぁさぁ、灰瓦礫くん。好きなものを頼みたまえ。私の奢りだぞ〜!」


◇◆◇◆◇◆


「アイドルに奢られて食べるバーガーはどうだい? 格別かい?」


 モバイルオーダーというのは凄いものだった。

 スマホで注文するだけで、店員さんがわざわざ頼んだ人の元へと届けに来てくれるのだ。営業スマイルを忘れずにしてくれるのも素晴らしい。


「いつもと同じです……でも、この味も最後なんだと思うと変な感じ」


 僕はビッグマックセットを、星座橋さんは単品でチキンバーガーを数個とコーラを頼んでいる。僕が頼んだポテトを黙々と食べる姿も愛らしい。

 まぁ、そのために、Lサイズに変更しておいたんだけどさ。

 そもそも論、星座橋さんの奢りなので、彼女が食べても文句は言えない。


「もしかしてさ、千秋くん。キミはまだ死ぬのを躊躇ってる系?」

「躊躇う気はないですよ。僕は死にますよ、確実にね」


 自宅に遺書を書き残して、出てきたのだ。

 わざわざ大金を使って、ここまで来たのだ。

 引き返すことなんてできない。僕は死んでやる。


「星座橋さんはどうなんですか? 死ぬんですか?」


 星座橋捺月を見ている限り、今日死ぬ人間には見えない。

 笑顔が愛らしく、毎日を楽しんでいるようにしか見えないのだ。

 だからこそ、僕は戸惑ってしまうのだ。本当に死ぬのかと。


「ちょっと待った、千秋くん。捺月ナツキでいいよ。捺月ナツキでさ、呼び方」

「名前で呼ぶのは彼氏彼女っぽい気がするんですけど……」

「今更、何を言ってるんだい、千秋くん」


 残っていたチキンバーガーを喉に通したあと、星座橋捺月はコーラを飲んだ。ストローでチョビチョビという感じの飲み方だけど。

 あと、流石は芸能人と言うべきか、人目を気にして、黒色マスクを顎に掛けた状態である。それにしても、隙間から覗く肌は純白である。


「キミはもう特別だよ。私にとって」

「特別……? どうして僕が?」

「それはね、キミが共犯者だから」

「共犯者?」

「そう。自殺はイケナイことだから。私たちは共犯者」


 自殺はイケナイことか。

 それが分かっているのにも関わらず。

 どうして彼女は死のうとしているんだ。


「キミはさ、本当に死ぬの?」


 僕はもう一度同じ質問を繰り返した。

 先程は答えてくれなかったから。

 星座橋捺月は、悩むこともなく、あっさりと答えてくれた。


「うん。死ぬよ、私は。今日キミと一緒にね」


 満面の笑み。

 自分が死ぬことを喜んでいるように。

 今日という日を待ち望んでいたかのように。

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