5.研究成果について

 研究から得られた結果について,以下に記す.


 あらゆる研究が,何の成果もない,そう思われていたが,それは事実ではない.この論文では,事実について,きちんと書き記していきたいと思う.


 薬は完成している.世界中で唯一,私の私的研究所である当ラボにおいてのみ,カミが生える実験結果が得られている.これは事実だ.世界中の研究機関が,同一の実験結果を出すことができないのは,間違ったアプローチをしているからに他ならない.

 正しいアプローチは,「カミが生えた新しい人類に原因を求めること」ではなく,「カミが失われた理由から逆算すること」である.薬の成分によって失われたカミは,同じく薬によって,復活する可能性がある.そして,今や,この臨床実験を行っている我がラボのみ,カミが生えているのだ.

 先日まで,ラボでは,その薬のネーミングを,何にするかで何度も会議を繰り返していた.「スグハエール」,「ケガハエール」,「大草原不可避」,「ケガボボボーボボーボボー」辺りが有力候補となった.しかし,この薬が世間に公表されることも,出回ることもない.

 薬は完成している.ラボに参加している5名の研究員たちは,男女の性別も年齢も関係なく,薬の作用によって,若い芽が畑の土からひょこひょこ生えてくるように,ちらほらと生えてきていた.しかし,ラボは完全に孤立した空間として稼働していたので,その彼らの姿は部外者の誰の目にも触れるものではなかった.研究上の秘密を守る観点から,ネットワークも遮断し,外部と連絡を取る手段もなく,研究成果が外に漏れることはなかった.また,人類の期待を裏切るわけにはいかないとの論調から,研究結果が確実なものになるまでは,公表はできないというのが一応の統一見解だった.

 なぜ,そういう取り決めになったのかといえば,奇妙なことに,同じ薬を用いても,生えてこない人がいたからだ.薬は完全ではない.だからこそ,公表には至ることができない.

 どうしても生えてこない人.それは,私だ.

 私こそが,実験に関わった中でたった一人,どうしてもカミが生えてこない人だった.

 私という存在が,薬を不完全なものとする根拠だった.そして,世間は,すでにカミのないカミの失われた生活を,当たり前のものとして生活し始めている.それならば,薬を用いても,どうしても生えてこない人間のためにこそ,この薬は封印されるべきだと思っている.

 それが,そもそも,毛が生えなくなるウイルスを作成して世界中にばらまいた,私の責任だ.

 薬を作るなら,原因からアプローチする.その通り.人体から毛を根こそぎ奪ってしまうウイルスを開発したのは,誰あろうこの私だ.私自身の体内で発見抽出されたHAGE因子はそのまま,体毛=カミを失わせる効果を持っていた.そもそも,私の身体には,一本の毛も生えてはいないのだ.

 拡散するのは簡単だった.国際空港便の発着場である空港に行き,出発ロビーでウイルスをばらまいただけ.世界中の人々が行き交う国際空港であればこそウイルスの保持者が世界中にばらまいてくれる.決行日は,今から10年前.頭髪なき我が頭.私の中の昏い情念が生んだ,傑作ウイルスだ.おかげで,世界中で,私のことをカミがないだのHAGEだのと罵る人間もいなくなった.

 私を,いや,私だけではなくこの宇宙に生きとし生ける生命体を評価するのであれば,頭皮の表面を覆う毛髪如きではなく,その頭蓋骨で守られた中身で判断しろ.それが,自分自身で開発した薬に対する,私が持っていた最大限にして唯一の,正当化の思いである.(注13)

 このまま毛のない世界が推移していくのであれば,男女問わず,誰もカミのあるなしなんかで差別される事なく,平和でいられる.それなのに,ああ,それなのに,薬は完成してしまった.毛は生えた.私に生えなくとも,カミは生えてしまった.しかし,こんな薬は存在してはならない.せっかく,世界はカミを失ったことで,カミのあるなしなんかで区別されるような息苦しい世界から解放されたのだ.こんな危険な薬が世の中に存在することなど,伝えていくわけにはいかない.

 幸いにして,製法は,私しか知らない.あらゆる化学式は,私の,カミには覆われていないが,大きくて優秀な頭脳の中に詰め込まれている.他人よりほんの少しだけ大きな,この頭に.そして,私はこんな不完全な薬が世に出ることを望んでいない.

 もう生えないのであれば,もう生きられない.この薬の製法と共に,このまま死ぬ覚悟だ.

 さらば,ラグナロク.

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