4.ラグナロクへの科学的アプローチ

 さて.我々科学者は,このラグナロク現象を,手をこまねいて見ていたわけではない.

 この章では,研究経過を述べていきたいと思う.

 現象の発生から3年後,一人の赤ん坊が生まれた.すでに世界中でカミを失った生活がこのまま続くのだろうという諦めが広がっており,その間に生まれた子どもたちは,生まれながらにして失うべきカミを持たない新人類として誕生していた.(通称New Human AGE=略称NH―AGE)それが当たり前になっていた新しい時代に,彼が生まれた.

 生まれながらにして,黒々として柔らかく,キューティクルに包まれた美しいカミを持つ赤ん坊.そのことが既に異常事態であると認識していた人々は,大いに騒いだ.妊婦と乳児が入院する病院にマスコミが押し寄せ,医学者及び科学者が,研究のために母体もろとも研究対象として接した.生まれたばかりの乳児と母親の姿が容赦なくマス・ネットワークに垂れ流され,その乳児のふさふさのカミを,世界中の好奇の目にさらした.もちろん,世界中の人々からの羨望のまなざしが浴びせられたわけだが,その頃には既に,カミがあることの方が違和感を覚える,という人もそれなりの数いた.

 いずれにせよ,乳児は,地球人類の救世主になる可能性を秘めていた.母親及び家族の了承を,世論が後押しする形でなんとか取り付け,DNA研究が進められた.連日,カミそのものに加え,唾液や血液,皮脂細胞など,貴重なサンプルとして採取,入れ替わり立ち替わり,様々な分野からの検査が行われた.

 しかし,研究は遅々として進まず,誕生から5年.連日の検査にも関わらず,何の成果も得られなかった.世界中の人々から,落胆の声が大きく聞こえ始め,乳児は幼児になり,落胆どころか諦めの声すらも小さくなった頃,5歳の誕生日を迎える前に,奇跡と言われた子どもから,全てのカミが失われた.なぜふさふさの状態で生まれたのか,誰にも理由がはっきり分からない中,「奇跡の子」ではなく,「ただの突然変異体」として,事務的に処理されるに至った.「ハゲるときはハゲる!」というかつての医師の言葉が,結局は現実になったのである.(注12)

 何の成果も出すことができず,しかしかろうじて細々と研究を続けていた政府機関も,結果は全て同じだった.どれほどDNAを解析し,復活細胞を用いた実験でも,あらゆる細胞に分化させることができる万能細胞ですら,毛生えをさせることはできない.

「モウ生えませぇん」

 それが研究機関から報告された,最後の結論だった.投げた.人類は手詰まりになった.

 カミが失われ,10年の月日が失われた.人類は,カミをなくし,カミがないままに生きていくことを余儀なくされた.モウ元の生活には戻らない.戻れない.それが,世界を覆い尽くす諦観であった.

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