第7話
連絡があった施設に行った。熊本の、老人ホーム。
そこの職員さんが、連絡をくれた視聴者だった。入居者の一人が、「おてもヤンキー」という言葉を、楽しそうに話していたという。
入居者の名前は、山茶花たきび。
ベッドに、寝たきりの90歳の女性がいた。身寄りはない。もう、そろそろ……ということだった。普段、あまり起きることはないらしい。先日、ふと目を覚ましたとき、「おてもヤンキー」の話をしてくれたという。夢の中で、自分は金髪ギャルのヤンキーなんだけど、隣に住むろくでなしのキモオタを調教して、一人前にした、と。たまに、そうやって、別人になった夢の話をしてくれるらしい。
そっと、ベッドの横に座る。女性が目を覚ました。女性は、豊年万作の姿だったが、それが僕だと認識した。
「ごめんね、こんな死ぬ間際のおばあちゃんで」
「転移者だったんですね」
「おてもヤンキーよ」がはは、と笑う。
「ここが熊本なら、あなたはおてもヤンキー」
銀杏さん改め、たきびさんと、しばらく話をした。
宿主だった並木銀杏さんは、声優やアイドルに憧れて、専門学校に通ったり、養成所へ行った。しかし、鳴かず飛ばずで、なんとなく舞台女優になった。いくつかの舞台に出て、そこで、何人かの男と付き合った。プロデューサー、マネージャー、タレント、様々な男たちと、付き合っては別れを繰り返した。みんな、本気じゃなかった。ただ、肉体的な欲望を満たすための相手としてしか、付き合いがなかった。そのうち、23歳の時、18歳と偽ってアイドルとしてデビューしたときは、やっと花開くかと思われたが、アイドルグループが即解散。するとすぐに、事務所が、仕事を取ってきた。女優の仕事だった。
【元アイドルがAVデビュー! 18歳清純派!】
要するに、AVデビューさせるための前条件として、アイドル活動をさせ、「元アイドル」という肩書きを付けただけだった。3年間活動し、あっさりと身バレで引退。実家の両親から、烈火の如く怒られ絶縁された。残ったのは、整形手術の料金、身体目当ての男たち、一度の堕胎、挙げ句返しきれない額の借金。
生きる意志をなくした。ロープを買い、マンションで首を吊ろうとしたとき、銀杏さんの中に、たきびさんが転移した。
まさにその瞬間、隣室で、ドタバタ騒ぐ声が聞こえたのが、僕=柿沼三郎太だった。
「死にたくないと思う人間が、死にたい人間の中に入る。あたしは、それが転移だと思ってる」
たきびさんは、そう言った。
「今まで出逢った女性の誰よりも、あなたはステキだ」
「お世辞かい。嬉しいよ」がははと笑った。
「あんたと出会って、満足しちゃったんだね。生きる意志をもう一度持ったのかも知れない」それは、銀杏さんの話だったのか、たきびさんのことだったのか。
死にたくないと思っていた人が、死んでもいいって思えたら、どうなるんだろうね。
たきびさんが呟いたその言葉を、僕は、聞こえない振りをした。
「行かないで」ぽつりと言葉が出た。
「ずっと、生きたいって思ってた。だから、今はけっこう満足」
死にたいと思う人の中に転移する。そして、宿主が生きる意志を取り戻したら、精神は肉体を離れる。それが、転移。
「あんた、あんとき、ちゃんと身体を洗ってきてくれたでしょ。人間なんて、そういう当たり前の日々の行いが大事なの」手を握った。小さくてしわくちゃの、キレイな手だった。
「あんた、いい男よ」
「行かないで」まるで、初めて転移を意識した時みたいに。僕はすがりついた。泣いた。
がはは、と笑われた。
「わしゃ死なんよ。あと100年は生きるばい」
あまりにも、当たり前にそう言われた。やりたいことがあるという。
「タバコ吸って、酒飲んで、そうだ。あんたに、ちゃんと抱いてもらわんといかん」
約束した。まず飲みに行こう。何がいい?
「酒。焼酎もいいけど、甘くて甘くてたまらないお酒があっとよ。ぐいっと飲み干したい」
銘柄を訊いた。「美少年」熊本のお酒の名前を言ったのか、単純に美男子が好きなのか。
「明日にしよう。今日はもう眠かけん」
がはは、と笑ってごまかされた。
翌日、あっさり死んだ。
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