ある夫婦の女装
カミングアウト~牛島紘太~
妻の小百合が夕飯の片付け終え、リビングの椅子に腰かけた。
食器を洗っている最中に着信のあったラインを読みながら、笑みをこぼしている。
牛島紘太は小百合が上機嫌なのを確認して声をかけた。
「小百合、コーヒー飲む?」
「ありがとう、お願い」
キッチンで紘太はエスプレッソマシンを操作してコーヒーを二人分入れると、リビングに戻った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、紘太さん美味しいよ」
一口飲んだ小百合はカプチーノの泡を唇につけたまま笑顔で微笑んだ。
紘太も一口コーヒーを飲み、その苦みを味わいながら覚悟を決めカップを置いた。
「なあ、小百合。ちょっと話がある」
「えっ、紘太さん、何そんなにあらたまって」
紘太の真剣な表情を見て、小百合も先ほどまでの笑みは消え真剣な表情になった。
「あの、その……。ごめん、小百合、本当は結婚する前に言うべきだったと思うけど、俺には女装趣味があるんだ」
小百合は紘太の突然のカミングアウトに驚き、言葉をなくしたまま視線はまだ湯気が立ち上るコーヒーカップを見つめていた。
◇ ◇ ◇
いつからスカートが履きたいと思い始めたかは覚えていない。ただ小学生のころ、女子の履いているスカートを自分も着てみたいという衝動を抑えられなくなり、両親が出かけて留守の間に母親のスカートをこっそり履いて興奮したのは覚えている。
初めて女装してスカートをはいた時、まず裏地のツルっとした感触に心地よさを覚え、左右に体を回してみるとスカートがフワッと揺れ、その動きに心が躍るようだった。
太ももが直接触れ合う感触は新鮮でちょっと気持ち悪くも感じたが、それはまるで異なる世界に足を踏み入れたような喜びと、自分を自由に表現する新たな一歩を踏み出した興奮が入り混じった瞬間だった。
すっかりスカートの魅力に取りつかれた紘太は、家族の目を盗んではスカートを履き続けた。
中学に上がりお小遣いが増えたのを機に、自分でスカートを買うことにした。
友達に見つからないように、遠く離れた隣町の古着屋まで自転車を30分以上漕いでいった。
他の客の視線が気になりながらも、ピンクのミニスカートと白のロングスカートを一着ずつ選び、ウェストがゴムだから多分大丈夫だろうと試着もせずにレジへと向かった。
やる気のないアルバイトの店員が事務的に何も不審がられず会計をすますと、期待に胸を躍らせながら自宅へと帰った。
スカートを買ってからは、親には「勉強に集中したいから部屋に入ってこないで」と言って、毎晩のようにスカートに着替え勉強した。
日曜日も遊びに行かず部屋にこもり、スカートを履きながら勉強し続けたこともあって、難関大学に現役で合格することができた。
大学に入ると女装の沼にさらにはまっていき、バイトして稼いだお金で服や化粧品、ウィッグなど女装の道具を買い、彼女を作る暇もなくネット動画でメイクの仕方は女装してバレないコツを覚えていった。
社会人になってから平日は一流商社のサラリーマンとしてあわただしく働き、休日は女装してストレスを発散する、充実した女装ライフを送っていた。
そんな時、会社の同僚から紹介されたのが小百合だった。
「初めまして。大迫小百合です」
にっこりと微笑みながら自己紹介する彼女に、一目ぼれしてしまった。
白のリボンタイのブラウスにピンクのカーディガンを合わせ、上品な黒の膝丈スカートを履いていた彼女は、まさに自分が理想とする女性像そのものだった。
順調に交際がスタートし交際を重ねる中でも、女装は続けていた。
彼女が着ている服を参考にしながら服を選び、時にはさりげなく聞き出した彼女の好きなブランドのお店に行って、彼女と同じスカートを買うこともあった。
好きな人と同じ服を着る。身も心も一つになれたよう錯覚に陥り、味わったことのない興奮に思わずスカートを汚しそうになってしまった。
交際開始から1年が経ちそろそろというタイミングで、夜景がきれいに見えるホテル最上階のレストランでプロポーズをしたのは3か月前のことだった。
結婚が決まると彼女の住んでいるマンションの更新が近かったこともあり、すぐに新居を探し同居生活が始まった。
幸せの絶頂かと思ったが、女装できないというのは意外とストレスだった。
女装したい欲望に耐えきれなくなった僕は、意を決して彼女にカミングアウトすることにした。
◇ ◇ ◇
実際には数秒だったのかもしれないが、僕には長く永遠に感じた沈黙を経て、彼女の顔にはコーヒーを一口飲むと優しい笑みが戻っていた。
「謝らなくてもいいよ。悪いことしたわけじゃないんだから。びっくりしたよ、急に真面目な顔で謝られたから、実は隠し子がいたとか、会社を首になったとか思っちゃったじゃない」
「ごめん、それじゃ……」
「その女装の服、どうしてるの?捨てちゃった?」
「いや、捨てようと思ったけど捨てれなくて実家に置いてある」
「とってきてよ。紘太さんの女装姿みたいし。コーヒーお代わり淹れようか?あとお茶菓子にクッキーもいる?」
僕が頷くと彼女は席を立ち、嬉しそうな笑顔を浮かべたままキッチンへと向かっていった。
「キモい、変態」とか「私と女装、どっちとるの?」などと修羅場になることを想像していただけに、あっさり受け入れられ拍子抜けだった。
「怒ったり、泣いたり、『やめて』って言わないんだね」
お代わりのコーヒーとクッキーを持ってきた小百合に尋ねた。
「やめてって言っても、やめられるものじゃないでしょ。隠れたところでコソコソやられるより、一緒にやった方がいいでしょ」
「まあ、そうだけど」
「確認しておくけど、好きなのは女装だけで性自認は男だよね?」
「せい、じにん!?」
耳慣れない単語に聞き返すと、したり顔の小百合が優しく教えてくれた。
「自分で感じている性別ってことよ。ニューハーフの人みたいに、心も女性で男性が好きって訳じゃないでしょ」
「そうだけど」
「なら、何の問題もないじゃない」
「小百合、愛してるよ」
小百合の寛容さに思わず言葉が漏れてしまった。その日の夜、いつもより激しく愛し合った。
◇ ◇ ◇
―——カミングアウトから1か月後
僕らは二人で買い物に来ていた。
「お揃いのスカートって、ちょっと恥ずかしいね」
「いいじゃない、ペアルックみたいで」
久しぶりの女装外出には緊張している僕を、片方だけ口角を上げた小百合が揶揄うように言った。
お店でスカートを選びながら、小百合が訪ねてきた。
「ところで、結婚式どうする?」
「どうするって何が?」
「紘太さんもウェディングドレス着る?着てみたいでしょ。この前私がドレス選びしてた時、羨ましそうにしてたでしょ」
確かに先週ドレス選びに付き合った時、きれいなドレスが着られる小百合を嫉妬と羨望がまじった視線でみていた。
「さすがに結婚式では無理だけど、写真だけも撮らない?男性でもドレス着られるところ、探せばあるでしょ」
「小百合、ありがとう」
「あっ、このスカートかわいい、お揃いで買わない?」
プリーツスカートを僕に見せながら小百合が微笑んだ。カミングアウトして隠し事がなくなり、僕のことを完全に理解してくれた小百合のことがますます好きになった。
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