休日出勤
朝何気なしにつけているテレビから流れてくるニュース番組は、いつもと違いバラエティ色が強いように感じた。
電気シェーバーをこまめに動かしいつもより念入りに髭を剃りながら、今日この後の予定を頭に浮かべていた。
いつもなら平日の仕事で疲れ切って寝ている土曜日の朝、僕は休日出勤するために平日と同じ時間に目を覚ました。
月曜日の商談に向けて作っていた資料作り、昨日終電まで頑張れば出来上がりそうだったが、無理することなく土曜日に休日出勤して作ることにした。
今月の残業時間はとっくに残業時間20時間を超えている。仕事量は変わらないのに長時間労働を是正したい会社の意向で、これ以上申告すると管理不足で井上課長に迷惑がかかってしまうのでどっちみちサービス残業なので気にしない。
それに休日出勤にはお楽しみが待っている。
いつもより少し遅めの9時半に出社すると、すでにカギは開いており誰か来ているようだった。
ドアを開けると、課長と立川沙織がコーヒー片手に仲良く話していた。
「おはようございます、遅れてすみません」
「いいのよ。10時の約束でしょ。早めに来てコーヒー飲んでいただけだから、生野さんもいる?」
僕が頷くと課長はコーヒーポットからコーヒーを淹れてくれた。
「さて、今日はどれにしようかな?」
沙織が嬉しそうに誰も使っていない右端のロッカーを開けた。
そこには、事務制服やワンピースなど僕の女装用の服がかけてあった。
沙織にも女装がバレて以来、残業時や休日出勤時に制服以外の女性服を着るようになった。
制服以外にもかわいい服を着るとテンションが上がり、良い仕事ができるような気がしてくる。
「先週買ったばかりのこれ着てみようか?」
先週3人で買いものに行ったとき購入した薄いピンクのワンピースを、沙織が嬉しそうに取り出した。
コーヒーを飲み終えた僕はワンピースを受け取るとスーツを脱ぎ、3人だけいる静かなオフィス内で着替え始めた。
二人は今日履いてきた僕の水色の下着を見て、ニンマリとしている。
女性の前で着替えることに抵抗はあったが、課長は「女の子同士気にすることはないよ」と言うし、沙織もトイレで着替えてくると言って逃げよとする僕を、「トイレで着替えると床に服がつくでしょ。ダメよそれは!」と最初に止められた。
女子にとって、トイレの床に服が着くのは死を意味するらしい。ロングスカートで用を足すときどうするのと聞いたら、「下げるんじゃなくて上げるんだよ」と教えてくれた。
脱いだスーツをロッカーに直し、ワンピースの背中のファスナーを開け足を通した。薄いピンクの生地に袖口や裾に赤い糸のステッチがアクセントになっていてかわいい。
背中のファスナーをあげようとするが、手が届かずうまくいかない。苦戦している僕をみかねた沙織が手伝ってくれた。
腰についている共布のリボンベルトを結んでいると、課長からストップがかかった。
「リボンの結び方ちがうね。それだと蝶々結びだよ」
「蝶々結びとリボン結びって違うんですか?」
「そうだよ。知らなかったの?女の子になるためには、いっぱい勉強しないとね。教え甲斐がありそうね」
「大丈夫、私たちが一つ一つ教えてあげるから」
課長は逆だと難しいと言って、背後に回って僕の背中越しにリボンを結んでくれた。憧れの課長と距離が縮まり、僕の心臓は激しく波打った。
「あら、だめよ。女の子がこんなところ大きくしちゃ」
課長が僕の股間を撫でるように触った。恥ずかしがる僕を見て、沙織は笑っている。
「メイクするから座って」
すでに下地用のクリームをもっている課長の前の椅子に座った。
課長は僕にクリームを塗りながら、つぶやいた。
「ちゃんと、スキンケアもしてるみたいね」
先月初めてメイクをしてもらった時に、女の子になるんだったらきちんとスキンケアをするようにと言われ、毎日お風呂上りに化粧水と乳液を塗るようになった。
メイクを進めていく課長の真剣なまなざしに心が奪われる。
課長に見惚れている間にめいくが終わり、沙織が手渡してきたウィッグをかぶる。
「かわいいよ。似合ってる」
鏡で自分の姿を見てみる。課長と沙織は褒めてくれたが、それはお世辞とわかっている。肩幅だったりあごの角ばりだったりと、どうしても消せない男性の部分が残っている。
それでも僕の心は天にも昇る気持ちだった。
ロング丈のフレアスカートがフワリと揺れる感覚が面白くて、つい何回も回ってしまう。
タイトスカートの今スカートを履いているんだという束縛感も好きだが、フレアスカートのフワッとして風通しの良い感じも気持ちいい。
「ほら、翔ちゃん、浮かれてないで仕事するよ」
残業や休日出勤のたびに一緒に僕の女装を楽しんでいた沙織は、いつしか女の子に着替えた僕を「翔ちゃん」と呼ぶようになった。
休日出勤という緊張感のなさから仕事しながらも関係ない話題で話が盛り上がってしまったが、もともと大した作業量ではなかったのでお昼過ぎには仕事は終わってしまった。
仕事は終わったけど着替えるのが惜しい僕は、ダラダラと急ぎではない仕事を続けていた。
沙織が時計を見て、あわてて課長に話しかけた。
「課長、そろそろ1時ですよ」
「あら、大変。立川さん、タクシー呼んでくれる?」
話しぶりからすると何か用事があるようだ。あとは一人で女の子を楽しもうと思っていた僕は、出勤途中に買ってきたおにぎりを食べ始めようとした。
「ほら、翔ちゃんもおにぎり食べてないで、出かける準備して」
「出かけるって、どこに?」
「それは、ついてからのお楽しみってことで、バッグ持ってないでしょ。私の使ってないの持ってきたから、これ使って」
沙織は真っ赤なバッグを僕の机に置いた。荷物と言っても財布とスマホぐらいしかないが、ワンピースにはそれをいれるポケットがついていない。
「タクシー着たみたいよ。下に降りよ」
課長の言葉にあわててセキュリティシステムを起動させてオフィスを出た。
タクシーはお洒落な外観のカフェの前で止まった。
女装したまま外の世界に初めてでる僕は、下を向きながら沙織たちの後ろをついて行った。
お店に入るとお店のスタッフがにこやかな笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「予約していた、立川ですけど」
「2階にどうぞ。お連れ様はすでにお見えです」
入り口横の階段から2階へと上がる。他のお客さんに僕の姿を見られずほっとしていた僕に、沙織が声をかけた。
「ロング丈のスカートで階段上がるときは、裾を踏まないように少し持ち上げるの」
沙織に言われて裾を少し持ち上げた。たしかに駅の階段などで長いスカートを履いている女性が同じようにしているのを見たことがある。
なんでしているのか不明だったが、そういう意味だったことを初めて知った。
2階は貸し切り用の個室になっているようで、3つほどドアが並んでいた。
沙織は真ん中のドアを開けると、にぎやかな声が聞こえてきた。
「お待たせ」
沙織と課長に続いて僕も部屋に入ると、そこには同じ営業部の女子社員3名がすでに着ていた。
「噂通り、かわいい」
「そのワンピースも似合ってる」
僕を見るなり褒めてくれるが、突然のことに僕は呆然と立ちすくした。
「サプライズでごめんね。前もっていうと断られそうだったから、内緒にしてたの」
課長が申し訳なさそうに謝ってくれた。
「生野さんいつも楽しそうにしてたから、平日でも女の子として働いたほうが良いのかなと思って。それで先に女子社員だけでも知らせておいたほうが、味方が増えていいでしょ」
「平日の仕事って、僕、たまに着替えるだけでもいいんですけど」
「僕じゃなくて私でしょ。いいから、遠慮しなくって、女の子になりたいんでしょ。まあ、座りなよ」
沙織が横の開いている席をトントンと叩いた。
トランスジェンダーとちがって女の子になりたい訳ではなく、女の子の服を着るのが好きなだけなんだが、とても言い出せる雰囲気ではない。
「ねぇ、ねぇ、いつから女の子になりたいと思ったの?」
「やっぱり、男の人が好きなの?」
興味津々の女子社員から質問を次々に浴びせられる。
質問にしどろもどろになりながらも答えるうちに、女の子として受け入れてもらえるのなら、それもそれで楽しいと思えるようになってきた。
下着女装から始まった、僕の女の子への道はまだ始まったばかりのようだ。
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