主任の秘密 その2
「主任、そこに座っててください。今、コーヒー淹れるんで」
「ありがとう」
電気ケトルでお湯を沸かし、ドリップコーヒーをセットしたマグカップに注いだ。
「主任、ミルクか砂糖いれます?」
「ミルクだけお願い」
些細なことだけど憧れの主任とコーヒーの好みが同じというだけで、嬉しく感じてしまう。
「はい、お待たせです」
コーヒーをもってリビングに戻ると、主任は正座で座っていた。背筋もきちんと伸びていて、座っているだけでも気品を感じてしまう。
「主任、正座じゃなくて、もっとくつろいでくださいよ」
「ありがとう、でも正座の方が慣れているし、楽なの」
コーヒーを置いた後、私はいわゆる女の子座りでローテブルを挟んで主任の前に座った。
「コーヒー、美味しい」
「お口にあって良かったです。主任って、肌もきれいですよね。化粧水とか乳液とか何使ってます?」
「特に特別なものじゃないよ、ドラッグストアで売っている……」
美容やコスメの話題は、女子トークの鉄板ネタだ。まずは話を盛り上げてから、本題に切り込むことにした。
「主任みたいに美人なのに、彼氏いないなんて信じられないです。ひょっとして、女の子の方が好きだったりします?」
「恋愛について深く考えたことなかったけど、そうかもね」
ヨシッ、心の中でガッツポーズをとる。女性が恋愛対象というなら、私にもチャンスがある。
私が浮かれているのとは対照的に、主任はコーヒーを一口飲んだ後、今まで浮かべていた笑顔を消していつもの仕事モードの表情に戻り、深刻な口調で話し始めた。
「松野さんと話すのが楽しくてさ、部屋まで着ちゃったけど、着ておいて言うのもなんだけど……」
主任はそこで言葉を区切り、少しの間沈黙した。
「実はね、私、男なんだよ。ごめん、松野さん私のこと女性と思い込んでいたみたいで言い出せず、ごめんね」
「えっ、嘘!?へんな冗談はやめてくださいよ」
主任は下を向いて申し訳なさそうな表情を見せている。その様子からすると、嘘や冗談ではなさそうだ。
「それって、トランスジェンダーということですか?」
「それとは、ちょっと違うかな。男だけど、ただかわいい服着てきれいになりたいだけで、手術とか考えたことないし」
心まで女性というわけではないようだ。だから彼氏もいないし、女性が恋愛対象のようだ。
「会社の他の人たちは知ってるんですか?」
「5年前からスカート履いて働くようになったから、それ以前から働いている人は知ってると思うよ。毎日スーツ着て仕事するのも苦痛に感じてきて、思い切ってスカート履いて出社してけど、意外と何も言われず普通にみんな接してくれたから、それからずっとそのままスカートで履いて働いてるの」
繊細な内容でアウティングの問題もあるので、みんなあえて触れずにいたようだ。
それでもこの2年間、主任のこと男だなんて思いもしなかった。
それぐらい、主任は普通の女性以上に女っぽかった。
主任の下の名前も「空」だから女性と思っていたけど、男としてもあり得る名前だ。
「ごめん、付き合ってもいない男女が一緒に部屋に居てはいけないね。私帰るね」
「あっ、待ってください」
主任がカバンを持って帰ろうころを、立ちふさがるように前に出た。
「私、主任のことが好きです」
「そう言ってくれて嬉しいけど、さっきも言ったけど私、男だよ」
「それ聞いて余計に主任のこと好きになりました。これで、問題なく付き合えるじゃないですか」
「付き合うって?こんな、女装好きな……」
主任が言い終わる前に、ローテーブルの横にあったベッドに主任を押し倒した。
間近でみる主任の顔が美しくきれいで、我慢できずに唇を重ねた。
主任も観念したのか、素直に私の愛を受け入れてくれた。
「主任って、ネコなんですね」
「うん、自分でも知らなかったけどネコの方があってるみたい」
タチとネコ、それぞれ立場を入れ替えて愛を確かめ合ったあと、賢者タイムでまどろむ主任に話しかけた。
普段は力強く頼りになる主任が甘えてくるのが、かわいい。
「一生、彼女も彼氏もできないと思ってたけど、松野さんありがとう」
「主任、『松野さん』じゃなくて、綾香って呼んでくださいよ」
「だったら綾香も、主任はやめてよ」
「わかったよ、空」
二人抱き合い、再び唇を重ねた。
―——数か月後
「松野さん、最近変わったね」
「そうですか」
課長の問いかけに否定はしたものの、主任と付き合うようになってたしかに私に変化があった。
服にもメイクにも気を使うようになったし、主任に勧められたこともあって髪型も思い切ってパーマをかけてみた。
主任によって私の女性としての魅力が引き出されて、自分でも驚くほど女の子っぽくなった気がする。
「彼氏でもできたのか?」
「課長、そういうのセクハラですよ」
交際費の領収書の確認に営業部に行っていた主任が戻ってきて、課長の軽口を制してくれた。
「あら、笹野主任と松野さんのスカートって、色違い?」
となりのデスクの総務の田中さんが、私と主任が色違いのプリーツスカートを履いていることに気付いたみたいだ。
「そうだよ、この前一緒に買い物に行ってお揃いで買ったの」
「松野さんと笹野主任、仲がいいね」
まだ主任と私が付き合っていることは会社のみんなには内緒だ。
私と主任を目を合わせて、一瞬だけお互いに含み笑いの笑みを浮かべた。
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