第25話 ワガママ聖女 後編

 一陣の風が、私の頬を吹き抜けていった。


 サイドアップで纏めていた髪が解けて乱れ、数本の赤毛が宙を舞い視界から消えていく。


 そして間を置かずに、右側頭部と頬にピリピリとした鋭い痛みが走った。


 「風の魔法……」


 過ぎ去っていく風と共に、私は精霊の匂いを感じ取った。まるで森の中に居る様な、青々とした木々や葉の香りが、辺りに漂っている。


 「きゃぁぁぁぁぁ!」


 それを見て驚いた数人の女性たちが、大きな悲鳴を上げる。それをキッカケに会場中がどよめき立った。


 「ミルフォリム様!」


 アシュガ様が心配する様に大声で私の名前を叫んだと同時に、二人の騎士様がマリィの行動を咎めていた。


 「マ、マリィ様! さすがにやりすぎです!」


 「普通さぁ、姉上様に向かって魔法を撃つ?」


 「フン、うっさいわね。あんた達は黙ってなさいよ」


 だが妹は二人の言葉に聞く耳など持たず、すぐに私へと視線を戻した。


 「さてと、次はどこを切り刻んで欲しいの? 教えて、姉様」


 自分の唇に指を当てながら、マリィは私のことを挑発するに問い掛けてくる。そんな彼女を、私はジッと見つめ返した。


 魔法を撃ってきた事自体は、怖くなどなかった。


 ただ、ここまで善悪の区別がつかない子に育っていたとは思わなくて、すごく残念だった。私には与えられなかった恵まれた力を、むやみに人を傷つけたり、自身の欲心の為に使う妹の心がどうしようもなく悲しくて、そして憐れでしょうがなかった。


 「なんなのよ、その目は。気に入らないわね」


 苛立った妹の言葉に対して、私は無言で返した。


 「まぁ、いいわ。そんなことより、とっても貧相ね」


 「え?」


 「ドレスよ、あなたが着ているその真っ赤なドレス。何の飾り付けもない、ただ赤いだけの粗末な代物。いくら庶民が着るにしても、貧乏くさすぎ過ぎて涙が出てきちゃうわよ」


 マリィは自分の手で口元を隠しながら、クスクスと笑っている。


 「このドレスは、キリヤくんが初めて私にプレゼントしてくれたものよ。それを、侮辱する事は絶対に許さない」


 「へぇ~、キリヤくんねぇ。あれでしょ? 光の騎士、キリヤ・タチバナ。陛下が拾ってきた、どこの誰とも知れない汚れた雑種。あいつもバカ真面目な堅物で、しょうもない男よね」


 なにやら私の頭の中で、カチンという音がした気がする。


 「取り消して。彼への侮辱の言葉、すべて取り消しなさい」


 「取り消せ? 誰に向かって言ってるのよ、この恥さらし。いいこと? 私は神とでも言うべき存在の聖女様なのよ? 本当なら、何の力も持たないあなた如きが話しかけていい存在じゃないんだから。もっと敬意を払って口をききなさい」


 「そんな御託は結構です。いいから、彼への侮辱の言葉を全て取り消しなさい」


 「この恥さらしが。私様に命令するな」


 「取り消しなさい」


 「ホンっト頭に来るなぁ! いい加減にしてよ! あんたみたいな出来損ないは、あんな何の爵位も持たない惨めで、低劣で、ゴミ以下の男がとってもお似合いよ!」


 「マリィ! あなたこそいい加減にしなさい!」


 「あ~もうっ! ピィピィと、うっさい!」


 マリィは怒りに任せて、左手を勢いよく振り下ろした。


 すると、再び私の体を鋭い風が吹き抜けていくのと同時に、着ていたドレスを腹部の辺りからスカートの裾までバッサリと切り裂かれていた。


 小さな赤い切れ端が、ヒラヒラと木の葉の様に舞いながら床へと落ちる。


 「あっ……」


 ドレスが大きく裂かれた部分に視線を落として、私は言葉を詰まらせた。


 「なに黙ってんの? アハハ! そんなやっすいドレスが破れただけで、そんなにショックなことだったの? アッハハハハハハハハハ! 笑えるわ! 滑稽ね! だったら、下等な雑種があんたにプレゼントしたって言う、その真っ赤なドレス。女騎士の代わりにボロボロにしてあげるわよ!」


 マリィは嗤いながら、再び左手を上げて振り下ろしてきた。三度、鋭い風が私をすり抜けて、ドレスを切り裂いていた。


 「や、やめて! これ以上はもうやめて!」


 私はドレスを庇う様に両手で体を抱え込みながら、その場に座りこんだ。


 「キャッハハハハハハ! 情けな~い! あれだけ私に偉そうに説教したクセに、泣きそうな声でやめて、やめてって、ホント情けないわね!」


 妹は勝ち誇ったかのように、私を罵倒しながら笑い続ける。


 私の目からは、涙が次々と溢れ出してきていた。初めて彼が私にくれた物、それを守ることが出来なかった自分が情けなくて、悔しくて、涙が溢れて止まらない。


 もし、私が本当の聖女だったのなら。もし、お父様の様に魔法を使えたのなら。


 そしたら、大切なドレスをこんな無残な姿にしなくて済んだはず。


 (ごめんなさい、キリヤくん。あなたから貰ったドレス。ボロボロにしちゃった。本当に、本当にごめんなさい)


 自分の無力さを呪った涙は、床へと落ちて真っ赤な絨毯に染み込んでいった。


 「ガイナバルト、シュバルツ。その女を立たせなさい」


 「え? マリィ様……なにを?」


 「今ここで、その女のドレスを全部、切り刻んでやるのよ」


 「えぇ~、マリィ様ぁ。すでにやりすぎなのに、そこまでするのは」


 「いいから、早く両脇から支えて立たせなさい。この出来損ないに、人生で最大の恥をかかせてやるわ」


 絨毯を見つめる私の耳に、妹の憎しみが籠った声が聞こえてくる。


 「私に逆らったらどうなるか教えてあげる。二度と表を歩けない様にしてやるわ」


 これ以上、ドレスを切り裂かれる訳にはいかない。でも、何の力も持たない今の私では、妹に対して抵抗するどころか何もできない。


 ただ、泣きながらうずくまる事しか出来ないでいた。


 (女神様。どうして、どうして私には、戦う力を与えてくれなかったの? 私にも、少しぐらい守れる力をくれたって……!)


 と、そう心の中で叫んだその時、破れたスカートの中から”ちりん”と音を鳴らしながら何かが這い出てきた。


 「ニャウン」


 「え……?」


 涙で滲んだ視界の向こう。漆黒の毛を纏ったモフモフのアルメリアが、予想もしていなかった場所から姿を見せた。


 「ア、アルメリア! なんで? どうしてここに!?」


 驚き戸惑う私の背中から、大好きな人の声が聞こえてきた。


 「その子が、俺に知らせてくれたんだ。急いでここに向かえって」


 彼声がする方へと、私は振り返る。


 「キ、キリヤくん……?」


 私の瞳では、声の主を捉える事が出来ない。溢れ出る涙で世界が歪んでしまって、何も見えなかったから。


 「ごめん、フォリィ。遅くなってしまった」


 涙で彼の顔を認識出来なかったけど、ベルガモットとチェリーブロッサムの香りが、私の愛する人だと言う事を教えてくれていた。

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