第15話 バタークッキーとベルガモット

 五分、いや十分は経っただろうか。


 キリヤ様がお茶を準備して下さっている間、ずっと彼の姿を見つめていた。その時間は長い様で、とても短く感じた。


 「お待たせいたしました。ミルフォリム様」


 「あ、ありがとう、ございます」


 テーブルに置かれた青を基調とした花柄のティーカップとソーサー。そのカップに注がれた淹れたての紅茶は、白い湯気を立ち昇らせていた。


 「あれ、この香り……」


 「あ、お嫌いでしたか?」


 「いえ、そうではなくて。このお茶、ベルガモットのフレーバーなのですね」


 「はい、その通りです」


 「えっと、実は、その、好きな香りでしたから……つい」


 「そうですか、それは良かったです。私もベルガモットは大好きな香りでして、いつも執務の合間に楽しんでいるんですよ」


 嬉しそうに口元を綻ばせるキリヤ様に、私は少し作った笑顔で返す。


 ベルガモットのフレーバーティー。


 つい先ほど、カフェテラスで堪能したばかりの香りだったから、思わず反応してしまっていた。その香りは、彼の大好きな香り。そして、アシュガ様の大好きな香り。


 さっきのカフェでの出来事って、つまり……


 「ミルフォリム様、焼き菓子はいかがですか?」


 「え?」


 いつの間にか、目の前に甘く香ばしい匂いのするクッキーが置かれていた。


 四角や丸の形をしたクッキーたちが、真っ白な大皿に盛りつけられている。コゲの見当たらない見事な焼き具合から見るに、どこか有名なお菓子店の物だろうかと想像していた。


 「良ければ召し上がってください。部下が焼いたものですが、味は保証します。とても、美味しいですよ」


 「部下の方が……ですか?」


 予想もしなかった答え。


 「ええ、お菓子作りが趣味な奴がいまして。今日の訓練の為にと、夜中に起きて張り切って作って来たらしいのです」


 「騎士様が、日も昇らぬ内からお菓子作り……」


 中々の意外性に、私は少し吹き出してしまっていた。


 立派な体躯の騎士様が、鎧ではなくエプロン姿でクッキーを焼かれていたのかと想像するだけで、なんとも愛らしくて、それが可笑しかったから。


 「ふふっ。立派な騎士様が、なんて可愛らしい。ふふふっ」


 「多分、あなた様の想像されている通りだと思います。体は人一倍大きいのに、心根は人の二倍優しい奴なのです。騎士なんかより、パティシエをやっていれば良かっただろうにと常々思います」


 「そうなのですね。一度、その方にお会いしてみたいです」


 私は想像の中の騎士様にお礼を述べつつ、綺麗に整えられた丸型のクッキーを手に取った。


 「それでは、いただきます」


 バターの香りをふんわり纏ったクッキーをひとかじりする。


 サクサクと小気味の良い歯触りとほろほろと溶けていく食感。それと同時に、上品で控えめな甘さが口の中いっぱいに広がり、濃厚なバターの香りに幸せを感じた。


 「美味しい……」


 「良かった。”今日のは会心の一作なんです”と、彼が言っていましたから」


 「かなりの手応えだったのですね。本当に、素晴らしいバタークッキーです。このサクホロ感を出す為に、恐らく卵は卵黄のみ。それに小麦やバター、あと砂糖も、御自身で選び抜かれた物を使って一工夫されているに違いないと思われます。驚きました……これは、材料のことをしっかりと理解している方の仕事です」


 「ハハハッ。一口でそこまで分析されるとは、さすがはミルフォリム様です」


 彼の言葉に、先ほどの失態を思いだす。


 「あ、私ったらまた余計な事を……」


 「いやいや。今の言葉を奴が聞けば、涙を流して喜びますよ」


 「うぅ、気を付けないと」


 恥ずかしさを紛らわせるために、私はカップを手に取り、温かい紅茶を口に含んだ。ベルガモットの爽やか香りが、クッキーの甘さと失態の恥ずかしさを、綺麗に洗い流してくれた。

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