第14話 耳に残る、彼の声。

 私の笑顔が……可愛い?


 「ミ、ミルフォリム様、大丈夫ですか? お顔が真っ赤ですけど?」


 「……」


 キリヤ様が何か言っているのだが、それらが全く耳に入ってこない。いや、入ってきてはいるのだけれども、脳が理解しようとはしてくれないといった感じ。


 「あ、そうだ。お茶を淹れますので、そちらの椅子に、座ってお待ち下さい」


 「ど……どうも」


 辛うじて、”椅子に座ってお待ちください”だけは聞き取れた。とにかく、私は勧められた椅子に向かおうとする……のだけれども。


 なんなのコレ? 一体何が起こっているの?


頭がボーっとするし、なんだかフラついて足取りがおぼつかない。熱にでも浮かされているみたいに、体がふわふわとした感覚に陥る。


 落ち着け、私。ただ、可愛いと言われただけじゃない


 そう、よくお店に来てくれるおじさまやおばさま方が、社交辞令の一つとして言って下さってるのと同じこと。ただのお世辞や挨拶みたいなものだ。


 『ミルフィちゃん! 今日も可愛いねぇ!』


 『ウチの息子にも、こんなに可愛いお嫁さんが来てくれたらいいのにぃ』


 それらと同様の意味で、彼もそう言ってくれただけに違いない。深い意味や他意は無いはず。ただ、それだけ……


 ────なのに、どうしてこんなにも胸がドキドキするの?


 そう言えば、十歳の時に回復剤の調合と出会った時も、胸がとてもドキドキして高鳴っていた。知らなかった草花の調合との出会い。


 あの時も確かに興奮して胸が高鳴ったが、今のこの胸の高鳴りとは全然違う物だと感じる。好奇心でわくわくする感情とは違って、どこか切なくて、胸の奥をキュっと締め付けてくる淡い何か。


 その不思議な感情に、私の心臓は鼓動を強く打ち鳴らす事を止めてはくれない。


 体を通して聞こえてくる、ドクドクと脈打つ音がとてもうるさい。


 「こ、こういう時は、深呼吸よ」


 一度落ち着かせようと、大きく深呼吸をしてみる。


 「すぅー、はぁ~」


 ……足りない、もう一回。


 一度では足りずに、何度も深呼吸を繰り返して、ようやく心が静まってきた……気がする。


 先ほどよりは鼓動の音が幾分か静かになり、辺りの音が自然と耳に入ってくる様になった。お湯が沸騰する音、陶器がぶつかり合う音、お茶の葉をポットに入れる音。そして、着物の擦れる絹の音。


 そんな何気ない音に、私の心は一層、落ち着きを取り戻していく。


 絹が擦れあう音と彼の声。先日、初めて会った時から、私は彼の声がとても気になっていた。すごく落ち着く彼の心地よい声は、何故だか刻まれる様に耳と心に残る。


 胸の内に響いてくる、キリヤ様の低い声。そんな声で可愛いと言われた事に、私は気が動転していたのだと今更になって自覚していた。


 「キリヤ・タチバナ……」


 何とも不思議な気持ちにさせてくれる彼の名前を、静かに声に出してみる。


 すると、一瞬胸がキュッと締め付けられてとても苦しかった。


 だけども、その苦しさをもっと味わいたいと思ってしまう自分がいた。こんなに苦しいのに、もっと、もっと……って、その感覚が欲しくなる。


 この感情は、一体何なのだろう。


 「ミルフォリム様、お茶に砂糖をお使いになれらますか?」


 「え?」


 「甘い砂糖、要りませんか?」


 「あ、いえ。結構です」


 「わかりました」


 キリヤ様はそう返事をして、再びお茶の用意に戻る。そんな彼の動きを、私は自然と目で追ってしまっていた。


 ────彼が、私の婚約者。


 可愛いと言われた一言だけで、私は彼を強く意識していたのだった。

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