第11話 ベルガモットの香り

 「ごゆっくり、どうぞ」


 日差しで銀色に輝いたトレイでお茶を運んできた女性は、軽く会釈するとそのまま店内の奥へと消えていった。


 「執務の合間によく来るのですが、ここの紅茶、とても美味しいんですよ」


 アシュガ様は運ばれてきたばかりのティーカップを掴むと、そのまま口元へと運んだ。取っ手を掴んだ彼女の指は、自己中心的な考えや言動からは想像できない程に、細く、そして美しかった。


 「それで、本日はどの様なご用向きで、キリヤ殿に会いに来られたのですか?」


 アシュガ様は紅茶の香りを楽しむと、カップの縁へと唇をつける。


 「えっと、ですね。その、先日お会いした際に、大変失礼な態度をとってしまったので、そのことを彼に謝罪したいと思いまして」


 やや濃い目のオレンジ色のお茶から、湯気と共に立ち昇るフルーティーな香り。その香りに誘われて、私もティーカップを掴むと口元へと運んだ。


 「あ、ベルガモット」


 「ええ、私の大好きな香りなのです」


 その香りを十分に楽しんだ後、お茶を一口含む。すると、ベルガモットの香りが口いっぱいに広がっていった。


 「柑橘系の香りが、とても爽やかで美味しいですね」


 「ふふっ、さすがはミルフォリム様。香りに、とても御詳しい」


 「え?」


 「ポーションと香水のお店を経営されている」


 初めて会ったはずのアシュガ様は、私の事をよく知っている様だった。


 「ご存じだったのですか?」


 「実は先日、キリヤ殿に無理やりにお供させてもらい、お店の前にて待機しておりました」


 彼女の答えに、私は目を細める。


 「……アシュガ様は、お人が悪いのですね」


 「いやいや。あのキリヤ殿の婚約者様が、幼少より御病気で床に伏せておられる聖女ミルフォリム様だと聞けば、一度はお会いしてみたいと言うもの」


 人々の目から遠ざける為に、私は”幼い頃より病気で伏せている”と言う事にされていた。その為、神殿からあまり出ることもなかった。


 まぁ実際は病気でも何でもなく、右手に聖痕がなかっただけなのだが。


 「病気で伏せていると言うのは、父が勝手に触れ回っているだけです」


 「まぁ、何にせよ。内より囁いてくる好奇心には勝てなかった、だけですよ」


 果たして本当にそれだけだろうか。


 私は彼女の言う事を、いまいち信じられないでいた。


 ずっと接していて思うのだけど、この方は何と言うか、人としての底が全く見えてこない。捉えどころのない飄々とした態度と、いちいち芝居じみて感じる発言や立ち振る舞いが、得体の知れない人物像をより際立たせている。


 笑顔で本心を隠す道化師ピエロの様だと、そう感じていた。


 「そこまで知っておられるなら、今日伺った件もすでにお分かりでしょうに」


 「はて、キリヤ殿に向かって大声で喚き散らした事ですか?」


 「ご存じではないですか」


 「まぁ、多少は」


 この人の瞳から感じ取った得体の知れない恐怖は、間違いではなかった。


 全ての事情を知った上で、私を貶めようとしているのか。はたまた、からかって面白がっているだけなのだろうか。いずれにしても、彼女とこれ以上の話をするのは、私にとって不利益だと言う事だけはよく分かった。


 「アシュガ様。案内して頂けると言うお話でしたが、もう結構です。私、一人でキリヤ様の元に向かおうと思います」


 そう言って席を立とうとした私の右手の甲を、彼女は静かに指差した。


 「聖痕、ないのですね?」


 「人に指差すとは、失礼ではありませんか?」


 「失礼? いやいや、王国民を騙そうとする、聖女ほどではありませんよ」


 私への皮肉を込めた言葉を言い放ち、彼女はニッと笑った。


 「あなたにも、皆様にもどう思われようと結構です。故に、弁解するつもりもありません。どうぞ、お好きな様に」


 「……ふ~ん」


 私は財布から銀貨を取り出すと、お茶代としてテーブルへと置いた。


 「では、私はこれで」


 「なるほど。ただのお人形じゃ無いってワケだ」


 「……それは、どう言った意味でしょうか?」


 そう聞き返した私から、アシュガ様は視線を外さずに席から立ち上がると、右手を胸に当てて、軽く頭を下げた。


 「いえ、大変失礼しました、ミルフォリム様。数々の御無礼、平にご容赦頂きたく存じます」


 「なにをいまさら……」


 そこまで口にして私は思い止まった。


 王と民を守る誇り高き騎士が、公衆の面前で簡単に頭を下げて謝罪するなど、普通あってはならないこと。それほどまでに彼女は、私に対して誠意をもって謝罪している。故に、この謝罪を受け入れないのは、あまりに傲慢ではないだろうかと考えた。


 もちろん、彼女に好き放題に言われて思う所が無いワケではない。ただ、彼女なりに何か考えがあっての事だろうとは理解出来た。


 例えそれが、私に敵対する理由であったとしてもだ。


 「いえ、わかりました。アシュガ様、あなた様の謝罪を受け入れます」


 「フフッ、さすがはミルフォリム様。本当にお優しい方だ」


 頭を上げたアシュガ様はテーブルに金貨を置くと、来た道を手で指し示した。


 「それでは参りましょうか、ミルフォリム・エルドラン様。わたくし、アシュガ・エドガーが、キリヤ・タチバナの元へとご案内させて頂きます」

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