第2話 命の価値

 突然視界の外から何かが迫ってくるように感じた…いや、見えた。

 赤い光が情報として脳に入り込んでくる。

 例えれば球体のような、そんな物が飛んでくると、

「火の玉…!?」

 顔を向けて直に見るとそれは紛う事なき火の玉だった。

 俺が恐怖して目を閉じるよりも早く、オーランドは抜刀し軽々と両断した。

 人を抱えているというのに……俺の常識が悉く通用しない。

 切り捨てた火球は左右に分かれ飛び散り爆発した。

 生じた火花が飛び火し、それは次々と連なる建物に燃え移っていく。

「……!…助けないと!」

 燃え広がる眼前の景色に、崩れていく家屋の数々に押し潰される人々を想像して身を乗り出す。

「落ち着け!誰もいない所を選んだ!」

「誰もいないって……」

 屈強な力で抱え直され、俺の言葉に面食らったような表情をしている。

 考えてみればさっきから此処ら一帯おかしいことばかりだ。

 住居の一つ一つや整備された街並みを確認することはできるのに、人が住んでいるという気配がまるで無い。

 オーランドの言い方は、この街にはそもそも民間人がいないような……。

『どうしてこんなところに人が……』

 出会った時もそんな事を…。


「捕まってろ!一気に行くぞ!」

 意識を引き戻すような鋭い声。

 反射で身体にしがみつくと、爆音と共に地が砕かれ熱風が肌にまとわりつく。

 火球の勢いが突然激しくなり、振り落とされないように掴む腕に力を込める。

 オーランドは易々と壁を蹴り上がり、人の五倍ほどの高さを空いた片手で角を掴み引き上げる。

「誘い込んだ俺が言うのも悪いが、お前らはまた今度だ」

 懐から一際怪しく光る小さな何か。

 それを取り出すとオーランドは下にいる集団に向け、

「使うのは初めてなんだ。目離すなよ」

 オーランドは栓を抜こうとし、俺は咄嗟にその手を掴んで止める。

 彼にとっては手を添えているくらいの力しかないんだろうが、それでも止まってくれた。

「まぁ見てな。……あ、いややっぱ見ない方がいい」

「やっぱりそれって……」

 爆発物……手榴弾のようなものだろうか。

「君は優しいな」

 仕方のない事なんだと分かり、俺は手の力を緩めてこれからの起こる事から目を背ける。

 オーランドは俺を抱え直し、片手が塞がりながらも手榴弾の栓を口で噛んで引き抜いて下に投げつける。


 目をぎゅっと瞑り、硬い胸に顔を押し当てる。

 カンッと金属が跳ねる音がして瞬間、目を開けているのかと錯覚する程瞼の向こう側から光を感じた。

 閃光弾……!?

「…あんな奴らでも、同じ人の命か」

 オーランドはそう呟き、壁を飛び降りとうとう街を脱出する事に成功したみたいだ。

 その呟きの意味、この世界で生きるという事は……恐らく…。


 しばらく走り続けてどれ程の時間が経ったか。

 人っ子一人いないが顔も知らない誰かが歩き踏み固められた道を外れて、木々に囲まれた隠れられそうな場所でオーランドは一息ついた。

「……君の名前は?どうしてあんな所にいたんだ?」

 ………。

 いつかは聞かれると思っていたが、さてどうすればいいのだろうか。

「…んー。だんまりか。その左目の事も聞きたかったんだけどな」

 はっ、と思い出して左目を押さえる。

 まだ世界は赤く見えるままで、それが自然に感じるようになってきてしまった。

 だけどさっきより少しだけ痛みも色味も和らいだような…?


 長身のオーランドは少しだけ屈み、俺に視線を合わせる。

「ちょっと手、退けてくれないか?」

 拒んでも仕方なさそうで、言われた通り手を退けるとオーランドは食い入るように顔を近づける。

 まつ毛が触れてもおかしくない距離で俺の目を観察されるも、俺もやる事がなくてオーランドの目を見て気づいたのは…。

 ……真っ直ぐな目だ、この人。

「そうか…もしかして記憶が……?」

 ……………え…?

「特殊な加護を持った人たちを攫っているとは聞いていたが、まさか俺を追うために連れて来られたのか?」

「あ……あぁ…」

 なんて言うのが正解なんだ。

 それと加護……特殊な加護って一体…?

「逃げ出してきて俺に運良く見つかったというところか。尚更放ってはおけないな」

 姿勢を元に戻してオーランドは悩ましげに腕を組んだ。


 ぽんっと何か閃いたように手を打ち、それからよしと意気込んで彼はこちらを向く。

「今日から俺が君の親になろう。パパって呼んでいいぞ?」

 パパ……。

「だっ、誰が!?」

 図星を突かれたと勝手に感じて変に大きな声を出してしまった。

 想像してしまった自分を責めたい。

「ははっ。なんだ元気そうじゃないか。腹は空いてないか?何でも言ってくれていいんだぞ?」

 鏡は無くても自分の顔が赤くなっている事は分かる。

 恥ずかしくて熱を持って破裂しそうだ。

「パパって呼んでくれたらそれはそれで嬉しいけど、まぁ好きなように呼んでくれよ」

 ガシガシ大きな手で撫でられて、完全に子供扱いだ。

 こう扱われてしまうと、背伸びしたくなるのが子供心である。

 撫でる手から逃れて睨んでみても、状況が状況でオーランドは動じず笑うのみだが。

「一緒に行こう。世界を見れば自分が何者か分かるかもしれないぞ?」

 世界の事、自分の事、そしてこの左目の事も。


 オーランドからしてみれば、俺は何処かから誘拐された可哀想な子だと思うのが普通なのだろう。

 だけど俺は前の世界で……日本のあの家の中で、俺という一人の人物は確実に死んだんだ。

 この世界で生まれ直した…生き返った、どちらの表現が正しいか分からないがその認識は間違っていないと思う。

 身体は同じ、左目を除いて。

 この赤い目を与えた誰かが俺をこの世界に連れてきた……それは考え過ぎだろうか。


 目の前には手を取られるのを待つのみと微動だにしない男らしい手の平。

 差し出された手は撫でられた感触と同じように、分厚く、大きく……握ってみれば硬く、暖かく、そして何より安心できた。

 その安心が、俺の言葉を引き出す。

「…オーランド……さん……」

「ゆっくりで、いいからな」

 握り返された温度は俺の緊張を解きほぐす力を持っていて、俺は悔しいような恥ずかしいような何とも表現し難い感情で一杯になる。

 精一杯背伸びをしても、カッコつけようとしても、やはり大人の前ではどうあれ見抜かれてしまうみたいだ。


 俺は、この人を信じてみようと思う。

 まだ子供である自分が成長する事ができる、それを促すであろう人についていく。

 色々言葉を紡いでみても、結局俺は子供だから。

瑠朱るか……」

 右も左も分からないこの世界で、巡り逢えた事にはきっと意味がある。

 いつか見た夢の続きも、この人が見せてくれると信じて。

 親の背中に、子供は憧れるものだから。

 その夢を初めて見せてくれた人はもう側にいないけれど。

 父さん、母さん……この名前があれば二人の事、絶対忘れないから。

 子供だから、まだ俺……愛を恵んで欲しい、優しくされたい、夢を教えてもらいたい。

 夢を…見ていたい。

 甘え足りない非力な子供だ。

「ルカって……名前…」

 だからさ。

「名前……だから」

 俺行くよ、オーランドさんと。

 世界の平和を知りたいんだ。

 人が導き出す答えなら、どの世界だって共通していると思うんだ。

 その答えを…いつか父さんと母さんに……。

「そうかルカか!良い名前だ」

 瞬間、赤で埋め尽くされた世界に光がさす。

 僅かに白んでそして戻る。

 一瞬の朱の色が、俺の目に焼き付いて離れなかった。


 そっか………そうだよ良い名前なんだ。

 この名前が大好きなんだよ。

 …だから……だから!

 俺はまた…この名前で生きたい……!


 しゃがみ込んで溢れ出そうな言葉を押し殺す。

 楽しかった事も、悲しかった事も、全部抱えて生きていく。

 この名前に全てを込めて。

「お、おい!大丈夫か!どこか痛むか?」


 手が濡れている。

 オーランドさんは決して離す事はしなかった。

 涙が溢れて、止まらなかった。


『瑠朱、行ってらっしゃい』

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