天命の赤光

秋日和

第1話 赤

 明かりが消えた部屋。

 真っ暗な空間に一人。

 少し前まで、この家には他にあと二人。

 父と母が……父さんと母さんが住んでいた。

 俺を愛してくれる二人が生きていた。

 俺に命を、名前をくれた二人が生きていた。


 両親は戦場ジャーナリストだった。

 戦場に赴き現地の状況を、危険だって顧みずに歴史に埋もれさせてはいけないと使命を持って日々邁進していた。

 世界中を飛び回り、家にいた時間はたしかに少なかったかもしれない。

 それでも二人は俺のことをいつも気にかけ、世話を焼いてくれていた。

 親と子の何気ない関係が、たとえ国境を跨いでいても築かれていたんだ。


 生死の境がそれを分つまでは。


 知らせを聞いたのは大使館からの便りだった。

 日本では表向きにメディアでは公表されていない戦場。

 そこで二人は戦争に巻き込まれて死んだ。

 諸外国の関係を鑑み、日本から死者が出ている情報は却って戦争を大きくさせかねるとして二人の死は極秘に取り扱われた。

 当然遺体が送られてくることもなく、葬式も行われない。

 親族の、それも二親等までの狭い狭い範囲に、ただ二人が死んだという情報をまとめた書類が届けられただけだった。


 バサバサっと、紙が机から落ちる。

 神道しんどう瑠朱るか様。

 記された名を見て、父さんと母さんの声が頭の中でこだまする。

 伸ばした手は支えが効かず、体を起こす気力も理由も既に全くないようだ。

 もう何日食事をとっていないだろう……10は超えているか。

 水を最後に飲んだ日も覚えていない。

 今目を閉じたら、きっと俺は死ぬだろう。

 床に散乱した書類を今にも閉じそうな目で見つめる。


 俺の死は、一体どう扱われるのだろうか。

 両親の死が俺の死と共々世間に発覚し世界が歪に変わるのだろうか。

 それとも再び事実は隠され、死因すら捻じ曲げられたりするのだろうか。

 どちらにせよもう俺には関係のないことだ。

 この腐りきった世界のことなんて、どうあっても愛せやしない。


 直後、俺が最後の未練を断ち切って意識を投げ出そうとしたその瞬間。

 赤い鮮烈な光が、どこから発せられたものかも分からないまま目に突き刺さる。

 まぶたが閉じることはなく、その光を浴び続けた。

 死ぬ間際の夢か、幻か。

 生きているのか死んでいるのか分からないその状態で、俺の意識はプツリと切れた。


 ………。

 …瞬きほどの一瞬の出来事だったような、永久の時を彷徨ったかのような。

 どれくらいの時間が経ったのか、それは分からないが目が覚めた。

 自分の身に起こったことに動揺し頭を押さえる。

 体を起こすことが出来た。

 明らかにおかしい。

 少なくとも動ける状態じゃないはず……。

 筋肉なんてとっくに生きるためのエネルギーに変換されて、脳だってまともに働かない…そのはずだった。

 思考がどんどん加速し痛みを覚えるようになる。

 それはどこからだと手で探れば、顔の左側から刺すような鋭い痛みがする。

 左目の辺りを頭を押さえていた手で覆い、力を込める。

 ……なんだ…一体何が起こっているんだ……?


 その状態のまま周囲を見渡すと、見知った景色は一寸も広がっていなかった。

 住宅街……とでも呼べばいいのだろうか。

 現代の建築技術とは違った家が連なり、自分を囲んでいる。

 立ち上がり空を見上げると綺麗な満月が浮かんでいた。

 ………静かだ。

 まるで世界から俺以外の生き物が全て消え去ってしまったかのように物音一つしない。

 頬を撫でる風が建物の隙間を吹き抜いていく。


 不意に誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。

 金属が弾かれたような音も響き、怒号のような鋭い叫び声も耳を刺す。

 全く状況が理解できない。

 どこからか来る脅威に怯えながら建物の壁に背中を押し当てて息を潜める。

 壁沿いに移動し、一つ隣の通りを確認しようと顔を覗かせると、タイミング悪く走ってきた人と盛大にぶつかった。

「っ……!」

 勢いを殺せず尻もちをつき、見上げる形でぶつかった相手を見る。

 見たところ年齢は30から40くらいだろうか。

 バランスの取れた筋肉質な体躯の男で、険しい顔はしているがこんな時だからそうしてるのか、転んでいる俺に手を差し伸べてくれている。

 普段は優しい人なのだろうか。

 見たことのない服装だ、少なくとも日本では。

 帯刀していて、腰の剣と背中にもう一振り。

 この男の出現でさらに今の状況が分からなくなった。

「どうしてこんなところに人が……」

 男の言葉は驚くことに日本語だった。

 はっきりと聞き取ることができ、俺を掴んで引き上げるのと同時に不思議そうな声音で呟く。


 俺が立ち上がり顔が近くなった時、目の前の男はその目を見開きひどく驚いている表情に変わる。

「君……その左目は!?」

「え?目?」

 目の事を言われて、はてと周辺を手で摩る。

 左目…らしいけど……。

 さっきの痛みはまだ引いてない。

 それと関係があるとしたら、自分の目は一体今どうなっているのか。

 違和感に徐々に慣れてきて、世界にそのままの意味の通り色付いているような。

 右目を閉じて見える世界は不思議な色を宿していた。

「……赤い………?」

 人の姿がくっきりと浮かび上がるように赤い色で補正されている。

 よく見ると男の背中にある剣も真っ赤に発色していて、確認できる世界が右目と左目で悉く異なっている。

「赤いってそれは君の……」

 男は俺の顔に手を伸ばし、それがあまりにも急だったから危険を感じて身を引く。

 でも男の手を改めて見れば、それは正しく言えば動いてなどいなかった。

 …今この目で見たのは…幻……?

「人が…来てる?すごい人数……」

 また見える。

 数十人と見えるような……。

「そうか……」

 そうか…って……?


「悪いが君を連れて行く」

 驚いて黙ってしまうと、そうこうしているうちに身体を抱えられてしまう。

 何か言おうとするも言葉が詰まって上手く声に出来ない。

「ここは危ないから、な?」

 そう言って俺を肩に抱え、笑みを作って俺と目を見合わせる。

 男は顔を前に戻すと、俺から見える背中側の景色が滅茶苦茶な速さで移り変わる。

 抱えられて走っている事に俺自身が遅れて気づき、だんだんとその異様な状況に恐怖を感じ始めていた。

 これが男一人を抱えて出せるスピードか……?


 しばらく走り何が何やら。

 水の流れる音、川……いや街なら水路か?

 男は余裕そうな表情で踏み切り、川向こうへと跳躍……。

「嘘……」

「舌噛むなよ」

 慌てて口を閉じ、着地の衝撃に備える。

 が、想像した程の衝撃はいつまで経ってもやってこない。

 いつの間にか男の足は地に着いており、さっきまで居た対岸がぐんぐんと離れていく。

 強靭な脚の筋肉か、はたまたそれ以外に理由があるのか、男は相も変わらず易々と街を駆ける。

 身体は痛まないのか?

 俺に微塵も重さを感じていないのか?

 この男は一体何なんだ……?

「助けてくれたんですか…?」

 ふと声に出たのは、そんな優先順位がバグったような混乱している事をまた自覚する質問だった。

 こんな時にご丁寧に敬語が出てくるのも冷静な箇所がバグったままだ。

 男は笑みを絶やす事なく俺に安心して欲しいというように、

「あぁ。まぁまだ助けている途中だけどな」

 そんなどこか余裕のある言い回しで現状を教えてくれた。

「人に見つかったら…いや……。今って追われているんですか…?」

 とてもこのスピードに着いてくるような奴が当たり前にいたら怖すぎるが、せめてこの男が走る理由を知りたい。

 急ぎじゃなければ降ろして欲しい。

「さっきまでは別に見つかってもよかったんだが、今は事情が変わったからな」

 事情…って?

「…どうしてですか?」

「君がいる」

 そう言うと男は更に加速する。

 振り下ろされないように強くしがみつく事も考えたが、その必要は無いと言うように男の抱える手に力がより加わる。

 その手は……どこか懐かしいように感じた。

 温もり、感触、この距離の近さが、この目で見た過去に重なって………。


 はっ、と面影を重ねてしまっている自分を恥じて首を振る。

 別に声も匂いも、体格だって…そもそも顔も似ていない。

 どうしてそんな事を考えたんだ…俺は。

 命を投げ出す事を考えていた、ついさっきまでは。

 生きる事をやめようとしていたはずなのに、こんな有り得ない事の連続で頭がおかしくなってしまったのだろうか。

 今だって俺に関わらないでくれとこの人の助けを拒否すれば、まだ知って少しばかりしか時間は過ぎていないがこの人はあまり無理強いはしない…そんな予感がする。

 そう考えているから、あとは行動に移すだけなのに……それをしない自分は死にたいという選択から真っ向にある行動をし続けている。

 俺の中から……死への願望が消えつつあるのかもしれない。

「とりあえずこの街から出ようと思う。って言ってもこの辺りは詳しいわけじゃないから苦労しそうだが……」

 少々ばつが悪そうに表情を崩しながら自信無さげに溢す。

 今はこの人が俺の生きる理由……。

 …夢……これは夢なのだろうか。

 最早そうだと言ってくれた方が納得できるかもしれない。

 もしもこれが夢ならば、神様はどうしてこんなものを見せるのだろう。

 父と母がいない世界で生きろとでも言いたいのか。


 そんなの……あんまりじゃないか。

 受け入れたくない……だって俺はまだ…。

 …子供だ……子供なんだ。

 受け入れられるほど強くない、まだ育ち切っていない未熟な俺は……たとえどんな世界でも俺のままだ。

「……!止まって…!」

「どうした?」

 辺りを警戒しなから速度を緩めると、男は俺の顔を覗き込む。

 それから不安そうに表情を歪め、

「やっぱりその左目……」

「このまま進むと誰かいる……ように見える…。自分でも上手く説明出来ないけど、そう見えるんです」

 論理的じゃない、証拠を持ち出す事も出来ないその説明で話を聞いてくれるか分からない。

 止まってくれた男は深く息を吸って、目を閉じる。

「……よし。どこへ行こうか?」

 一切の曇りのない眼で、優しく問いかけてくれた。

 その瞳に吸い込まれるように、自らに起きた何もかもを話してしまいそうになる。

「……あの月の方に」

 ぐっとこらえて、目に見える情報をそのまま伝える。

「もうかなり囲まれてる…けど、この方角が一番人が少ないように見えるんです」

「じゃあそこを突っ切ろう」


 そう言うや否や俺を抱えている腕に再び力を込めて、男はまた人の力を遥かに超えているスピードまで加速した。

 この目に見えた人の姿はやがて幾許の時間もなく、男の目でも確認できるほどに近づいてきて、

「あれか………」

 一切速度を緩めることなく家屋の屋根に飛び移り、空を翔るように月下に影を作る。

 地上にいる人々はこちらを見上げ、ある人は口を開き慌ただしくこう叫んだ。

「奴だ!オーランドだ!」

 オーランド……。


 心の中で繰り返した呟きが外に漏れて聞こえてしまったか、一瞬こちらを見た男は、

「そういえば名乗ってすらいなかったな…」

 申し訳なさそうに表情を歪め、すぐに一息を入れて先を見つめるとゆっくりとその口を動かした。

「オーランド・バド・グラーフ。世界を救うと宣う愚かな大バカ者よ」

 男は輝きに満ち溢れたその爛々とした目を開く。

 誰だって……世界の平和を願う時は同じ表情をする。

 俺にまた夢を見るその顔を見せてくれてありがとうと、今はただ静かに身体を預ける。


 まだ何も知らないこの世界に降り立って……いや、それは父と母を失ってから初めて得た安らぎだった。

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