第九章 六月二十三日 北御殿場基地事件~依頼執行

 思わぬ発言に、扇原は思わず口を開けて唖然とした表情を浮かべていた。

「殺さないって……『心臓強盗』は自分だと証明したのはあんたじゃないか! 現に、自分は彼女の心臓を抜き出して……」

「しかし、殺してはいないはずでございます」

 その言葉に、再びその場が緊張に包まれた。

「何を言って……」

「私の標的はあくまで被害者を直接殺害した人間でございます。扇原様、あなた様は確かに遺体の事後処理を行い、実際に心臓を摘出しました。また、一連の『心臓強盗』事件の発端になったのは、あなた様の行為が原因であるという点は間違いない話でございましょう。あなた様の行為がなければ、秋口勝則などという馬鹿げた模倣犯が現れるはずがなかったのは事実でございますから」

「だったら……」

「ただし」

 出雲は力強い言葉で扇原を遮り宣告する。

「直接彼女を殺害したのは、あくまでも彼女の心臓を貫いた流れ弾を放った自衛官でございます。よって、今回の依頼で私の標的となるのは、その流れ弾を撃った自衛官という事になるのでございます」

「な、何だって……」

「扇原様。あなた様は第3小銃小隊の本部小隊本部隊長でございます。という事は、演習中でも後方での指示がメインで自分から銃を撃つ事は滅多にないはず。つまり、あなた様が問題の流れ弾の主である可能性は非常に低いのでございます。今回の事件において、あなた様はあくまでも事後共犯でございます。そして私のルール上、共犯者で殺害対象になるのは共同正犯と教唆犯のみで事後共犯はこれに当てはまりません」

 出雲はそう言うと一枚の紙……出雲への依頼ルールを定めたあの紙を示し、その一節を指さした。


・第10条

 犯人が共犯である場合、共犯者すべてが依頼遂行対象となる。この場合の共犯関係は刑法における共犯の考えに準拠し、共同正犯(一緒に殺人を犯した)及び正犯と同罪とされる教唆犯(殺人をそそのかした)をその対象とする(例えば殺し屋に殺人を依頼した事件の場合、殺し屋と依頼人の双方が殺害対象となる)。ただし、従犯(直接加担はしなかったが情報や道具などを提供した)、事後共犯(殺人遂行後に共犯関係になった)に関してはその対象外とする。


「つまり、私はまだ、この事件の犯人を暴く義務が存在するのでございます」

 出雲の言葉に、扇原は思わず叫んでいた。

「そんな……そんなの無茶苦茶だ! あの銃弾入り乱れる演習の最中に誰の銃弾が彼女の胸を貫いたかなんて、わかるわけがない! そもそも、自分だって第3小隊の誰かという事しかわかっていないんだぞ」

「というより、君の言った状況が正しいなら、その撃った本人自身、自分が人を撃った事に気が付いていない可能性が高い。それを特定する事など不可能だ」

 玉造も冷静に反論する。だが、出雲の表情は崩れなかった。

「……本当に気付いていなかったのでございましょうか?」

「何だって?」

「いくら流れ弾とはいえ、人を撃ったとなればそれなりの手ごたえはあるはずでございます。確かに明確に撃ったという意識はないかもしれませんが、普段から銃による演習をしている自衛官であるならば、もしかしたら何か変なものを撃ったかもしれない程度の感触はあったと考えるのが筋でございます」

「それは……」

「扇原様!」

 出雲は不意に扇原に呼びかけた。

「あなた様は先程、演習終了後にたまたま遺体を見つけたと仰いました。しかし、それは本当でございましょうか?」

「な、何を言って……」

「そもそもおかしいのでございます。遺体は演習中にも見つからず、演習後にあなたが発見した。しかし、演習中の他の自衛官が見つけられなかったという事は、それなりに見つかりにくいところに倒れていたのでございましょう。実際、これらの遺留品を見つけた場所は、入り組んだ森の奥でかなり見通しの悪い場所でございました。なぜあなたはそこにあった遺体をピンポイントで見つける事ができたのでございますか?」

「それは……」

「こうは考えられないでしょうか? 仮に先ほど言ったような違和感があった場合、自衛官はひとまず上司に報告するのが筋でございます。上司としてはそれを確認する義務がございます。もし、遺体を見つけたのがその時だったとすれば……」

「まさか……」

 玉造はバッと扇原の方を向く。扇原は再び顔を俯かせていた。

「扇原様、あなた様は自力で遺体を見つけたのではございません。違和感を覚えた部下の報告で大まかな場所がわかっていたからこそ、位置を特定する事ができたのでございます。その後のあなた様の行動から考えるに、おそらくあなた様は保身のために遺体を見つけた事を『何もなかった』とでも言って本人には伝えていないはずでございます。いずれにせよ、あなた様は誰が彼女を撃ったのかを知っているはずでございます。自白ついでにこの場で教えて頂きたいのでございますが」

「し、知らない! 自分は何も知らない! 殺すなら殺せ!」

 扇原は必死に首を振った。その表情はかたくなで、意地でも言わないと思っているようである。

 だが、出雲はなぜか小さく微笑んだ。

「いいでしょう。教えて頂けないというのなら仕方がございません。別の手を打つと致しましょう」

 思わぬ言葉に、扇原の顔色が変わった。

「何だって……そんなものがあるわけが……」

「今宵、私はこの基地を襲撃いたしました。実は、これ自体が私にとって一つの策だったのでございます。そして、策は見事的中いたしました。私はある切り札を手に入れたのでございます」

「切り札、だと?」

 そう言った瞬間だった。

「その通り、だ」

 突然出雲の後ろ……暗闇の向こうから誰かがゆらりと姿を見せた。その姿を見た瞬間、玉造ら二人の表情が今までで一番の驚愕に歪んだ。

「どうして……どうしてあなたがここにいるんですか」

 その人物の名を玉造が叫ぶ、。

「鶴木連隊長!」

 そこにはこの駐屯地のトップにして第60普通科連隊連隊長……出雲によって排除されたはずの、鶴木義輝一等陸佐が無表情に立っていたのである。

 しかも驚くべき事はそれだけではなかった。出雲は微笑みを崩さないまま鶴木の方を見ると、あろうことか親しげに話し始めたのである。

「状況はどうでございましたか?」

「問題はない。すべてはあんたの計画通りだ」

「お疲れ様でございました」

「報酬はしっかり払ってもらう。あんたの要請とはいえ、基地の部隊を誘導するのは随分大変な仕事だった」

 そんな鶴木の言葉に、玉造たちは絶望的な表情を浮かべる。その発言は、よりにもよって連隊長たる鶴木が出雲と内通していたという事を示す明確な証拠だった。

「連隊長……自分たちを、自衛隊を裏切っていたんですか?」

 すると、鶴木はなぜか穏やかな笑みを浮かべてこう言った。

「裏切り、ね。それは適当な言葉ではないな」

「どういう事ですか?」

「裏切りも何も……私は最初から彼女の味方だよ。ただ、それだけの話だ」

 堂々と言われて、玉造たちはもうどう反応すべきかわからない様子だった。

「そんな……馬鹿な……自衛隊の連隊長が殺し屋の仲間だなんて……」

 だが、これに対して鶴木は不思議な事を言い始めた。

「あぁ、それは間違いだな。正確には、連隊長・鶴木義輝は出雲の仲間ではない」

「何を言って……現に今……」

「それはな……」

 と、突然鶴木の姿が暗闇に消え、次の瞬間、同じ場所から高い声が聞こえた。

「こういう事よ」

 直後、その場に立っていたのはOLめいた格好をした眼鏡の女性だった。呆気にとられている玉造らに対し、出雲は微笑みを浮かべたままこう言った。

「改めて紹介をしましょう。私の仕事上のパートナーで、今回の仕事に関連して鶴木一佐に成り代わって基地に潜入してもらっていた、潜入屋の輪廻さんでございます。そして、これが私の仕込んだ犯人をいぶり出す最大の策でございます」

 その紹介に対し、女性……輪廻は少し不満そうに出雲を見ると、改めて玉造らの方を見やった。一方の玉造たちは、まだショックが収まらないようである。

「鶴木連隊長が……偽者……だと?」

「安心して。私はこの女と違って命を奪うような事はしないから。本物はちゃんと安全なところにいるわ。この仕事が終わり次第無傷で開放する。約束するわ」

「いつから……入れ替わって……」

「そうね、入れ替わったのは十九日くらいから。いきなりこの女から自衛隊の連隊長に化けろって言われて、これでもずいぶん苦労したのよ。まぁ、実際に訓練を行う現役の隊員と違って後方で指揮するのが本業の幹部自衛官だったからまだましだったけど」

 そう言いながら、輪廻は出雲を睨む。

「報酬については後ほど。さて、輪廻さんに一つ確認しておきたい事がございます」

「何?」

「今回の襲撃において、自衛隊側……特に第3小銃小隊は実弾を使って私に発砲をしてきました。このような事は連隊長の命令がなければできないはずでございます。しかし、実際の所はどうだったのでございましょうか? あなたは実弾の発砲を許可したのでございますか?」

 これに対する輪廻の答えは簡単だった。

「いいえ、そんな命令を出した覚えはないわね。というより、あなたからの依頼内容が『絶対に発砲許可を出すな』だったから、それをちゃんと守ったつもりよ。最後の最後に幹部たちだけに発砲許可を出したのが例外だけど、それ以外の一般隊員に私は発砲許可なんか一度も出していないわ」

「何だって……」

 その発言に一番驚いたのは玉造だった。そこで出雲はこう問いかける。

「玉造様、あなた様は確かに鶴木連隊長からの発砲許可命令を聞いたのでございますね?」

「あぁ、確かに聞いた。あれは確か……」

 そこで、玉造の動きが止まった。

「そう、実際には発せられていない実弾発砲命令をあなた方に伝えた人間がいるのでございます。その目的は、明らかに自分を殺しに来た私……つまり復讐代行人たる黒井出雲の息の根を確実に止める事でございましょう。要するに、その人物は私の標的が自分である事……言い換えれば、自分が森川景子を殺害したという事を、明確に自覚していたという事になるのでございます」

「ま、まさか……」

 呻く玉造に対し、出雲は結論を容赦なく叩きこんだ。

「私はその人物が伝令をしているところを襲撃の途中ではっきり見ているのでございます。演習中に森川景子様を誤射で殺害してしまった真犯人……それは今回の襲撃で偽の発砲許可命令を伝令して回った人物……」

 そして、出雲は解答を告げる。

「犯人は、第3小銃小隊第3小銃分隊所属、三竹高菜自衛官でございます」

 扇原の顔色が真っ白になり、玉造の頭に若い女性自衛官の顔が浮かんでいた。


 同時刻、三竹高菜は必死になって基地内を逃げていた。すでに先程まで響き渡っていた銃声は聞こえない。それは、基地内の自衛隊員がほぼすべて無効化されたという事の証明に他ならなかった。

「わざとじゃない……わざとじゃないのよ……あれは事故だったの……こんな事で死にたくない……」

 高菜は逃げながらもそう呟き続けていた。

 三竹高菜の悪夢が始まったのは、今から一ヶ月ほど前、あの東富士演習場での演習からだった。高菜も参加したあの演習……その終盤、雑木林へ向けて小銃を撃っていた高菜は、何の前触れもなく唐突に何とも言えない違和感に襲われた。本来何もいないはずの訓練場の雑木林の向こう。自分の撃った銃弾が、そこで何かに当たったような……そんな感覚である。

 最初は高菜も気のせいだと思っていた。自衛官である高菜でも、実際に何か生きているものに銃弾を当てたという経験はない。第一、訓練中の演習場に誰かがいるわけがない。万一何かに当たっとしても、動物か何かだろう。

 一度はそう思った高菜だったが、しかし思い返してみると、別の事に気が付いた。大量の銃弾が飛び交い、大音量の銃声が響き渡る訓練場。あの時は気づかなかったが、あの違和感の直後、雑木林の奥から小さな悲鳴のようなものがかすかに聞こえたような気が……。

 ……人を撃ったかもしれない。その背筋が凍るような予感に、演習中にもかかわらず高菜は思わず小銃を獲り落としそうになった。が、根拠のない思い付きで訓練を止めるわけにもいかず、結局訓練終了後に思い切って部隊のナンバー2である小隊本部隊長の扇原二尉にこの違和感を打ち明けるにとどまった。

 扇原は訝しげな表情をしながらも、確認すると約束してくれた。そして訓練翌日、そのような人間は訓練場のどこにも見当たらなかったという返事をもらい、改めて安心したのだ。同じ日に山梨の富士樹海で見つかった遺体が、まさか自分が撃ち殺した遺体だなどという事は、この時は想像すらしていなかったのである。

 だが……違和感は消えなかった。日が経つごとに自分の中であの時の感触が生々しく蘇る一方だった。何かがおかしい。そう思った高菜はいてもたってもいられなくなり、演習から二週間ほどして一日だけ休暇を取った。その頃にはすでに富士樹海では三人目の犠牲者が出ており、マスコミは「心臓強盗」と騒いでいた。

 高菜が向かったのは東富士演習場だった。夜中に演習場に忍び込むと、あの日自分が小銃を撃っていた雑木林の辺りを改めて調べた。そして……そこで見つけてしまった。地面に埋められているリュックサックと、そのリュックサックに付着した血痕を。

 明らかにそれは隠してあった。それどころか、リュックサックの中から見つけた名刺に書かれていた名前に高菜は見覚えがあった。『森川景子』。確かそれは、富士樹海で起こっている『心臓強盗事件』の最初の被害者として派手に報道されていた女性だったはずだ。そんな彼女の私物がどうしてこんな場所にあるのか……。そんな疑問を浮かべたその瞬間、高菜はあの事件が演習の翌日に発生したという事実を思い出して戦慄した。

「まさか……」

 その時点ですべてを悟った高菜は、翌日駐屯地に帰投後、扇原に詰め寄った。遺体は明らかに動かされていた。自分はもちろんそんな事をした覚えなどない。となればそれができるのはあの違和感を申告した扇原以外にあり得ないからだ。

 扇原は最初こそ否定していたが、しばらく問い詰めるとついに扇原は彼女の遺体を富士樹海に捨てた事を認めた。当然、現在進行形で発生している連続殺人事件も彼の仕業かと疑ったが、扇原は自分がしたのは遺体を捨てた事だけだとしてそちらは否定した。扇原いわく、どうやら模倣犯があの連続殺人を引き起こしているらしいという事だった。

 そして、最後に扇原はこう言ったのだ。

「ここまで来たら君も共犯だ。そもそも君が誤射をしなければこんな事にならなかったんだぞ!」

「でも……」

「事がここまで来たら、正直に話したところで間違いなく自衛隊は解雇されるだろうし、事故とはいえ下手をすれば刑事事件だ。君だって自衛隊を追い出されたくはないだろう。そうなりたくなかったら、黙っておく事だ!」

 高菜は扇原が保身のためにこのような事をしでかした事をすでに感じていた。が、今となっては高菜にそれを批判する事などできない。扇原の言うように黙っておく事しかできなかったのである。

 ……やがてしばらくすると、山梨県警が模倣殺人を繰り返していた男を逮捕したというニュースが飛び込んできた。事の真相に気付いて以来、高菜は山梨で頻発する事件については常にアンテナを張っていた。そして、その模倣犯が瀕死の重傷で逮捕されたらしいという事実を知ったのである。

 何がどうなっているのかわからず当惑していた頃、突然日本中央テレビ所属の矢頼千佳というアナウンサーが取材のために駐屯地を訪れ、第3小銃小隊に密着取材した。話を聞いていると彼女は山梨の事件を取材していて、逮捕された模倣犯は彼女の上司だったという。そのため現場を外されてこちらの取材に回されたという事らしいのだが、その彼女が何気ない口調でこんな事を告げたのだった。

 いわく、「心臓強盗事件」で模倣犯を警察に突き出したのは「復讐代行人」という警察が極秘にしている殺し屋で、そいつは今も第一の事件の犯人を捜しまわっているらしい、と。

 他のメンバーは笑い話のように扱っていたが、実際に森川景子を殺した犯人である高菜からしてみれば笑いごとですまない話だった。後にネットで調べてみると、この殺し屋はネット上ではかなり有名な存在らしい。高菜は戦慄した。

 そんなところにこの襲撃である。高菜は襲撃を受けた時点で、相手が復讐代行人である事、そしてその標的が自分である事を即座に感じ取っていた。

 このままでは殺されてしまう。だが、それを高菜は受け入れられなかった。確かに自分は人を殺したが、故意があった話ではないし、本来なら隠すつもりもなかった。扇原が勝手な事をしてこんな事になっているのである。そもそも、元はといえば被害者が演習中にあんな場所にいる方が悪いのである。そんな事故に近いこの状況で命まで奪われるなどという事は、高菜にとってはどう考えても容認できなかった。

 そして、高菜はある考えを思いついた。いくら相手が殺し屋とはいえ、自衛隊一個連隊相手に勝つ事は無理だろう。ならば、いっそここで逆に自衛隊をうまく誘導して、どさくさに紛れて相手を消してしまう事は出来ないか……。

 彼女が伝令の立場を利用して密かに第3小銃小隊を抜け出し、出てもいない発砲許可命令を各隊に伝えて混戦に持ち込んだのは、ある意味必然ともいえる話だったのである。


「……もはや、証拠を出すまでもない事でございましょう。この部隊の中で、襲撃者である私が所詮都市伝説の一つでしかない復讐代行人であると即座に見抜き、そして積極的に殺そうと策をめぐらせた隊員がいる。事前に『復讐代行人が「心臓強盗事件」の犯人を狙っている』という情報を知っていた以上、このような行動に出た時点でそれは自分が犯人だと自白しているようなものでございます。そして、実際にそのような行動に出た人物……三竹高菜様こそが、森川景子殺害事件の真犯人なのでございます」

 出雲の言葉に、玉造は唇を噛みしめながらこう呟いた。

「つまり……この襲撃その物が、君自身をおとりにした、犯人をあぶり出すための壮大な罠だったという事か……」

「その通りでございます」

「馬鹿な……。犯人を暴くためにこんな壮大な罠を張るやつなんて聞いた事がない。第一、これは実銃で武装している自衛隊に勝てる事が前提になっている作戦だ。下手をすれば君自身の命が危険だったはずだろうに」

「そこは賭けでございましたが、それだけに大枚をはたいてそれ相応の準備はさせて頂きました。そして現に、目的は達成できたのでございます」

 出雲は涼しい表情で何でもないように言った。一方、玉造はさらに苦々しい表情で尋ねる。

「今思えば、先日の密着取材の際にアナウンサーが君の噂を流した事も、罠の一環か?」

「もちろんでございます。私の事を知らなければ、この罠は発動いたしませんから。すでに輪廻さんが鶴木様としてこの基地に潜入していましたので、あなた方の部隊に取材をぶつけるのは楽でございました」

 矢頼千佳は協力者としての役割をきっちりとこなしていた。

「どこまでもすべてが計算ずくか。改めて末恐ろしいな……」

 玉造としてはそう言って息をつくしかなかった。一方、扇原は完全に顔を俯かせてしまっている。

「とはいえ、だとするならこの勝負は君の負けではないかね。君はまだ、犯人の三竹君を殺せていないはずだ。すでに殺しているなら、こんなところで延々と話をしているはずがないだろうからな。三竹君が逃げ延びてしまえば、君の努力も無駄になるのではないのかね?」

「確かに、私はまだ三竹高菜様に対する依頼の執行を成せてはおりません。ですが……それも時間の問題でございます」

「何?」

 その時だった。突然駐屯地の入口の方でズンッと地に響くような音がした。出雲は涼しい表情でそれを聞いている。

「……何をした?」

「簡単でございます。自衛隊の総力をもってしても私が殺せないとわかれば、三竹様の次にとる行動は逃亡でございます。とはいえ、ここは閉ざされた自衛隊の駐屯地。ならば、彼女が逃げる道筋を予想した上で、あらかじめ罠を張っておく事くらい何でもない事でございます。釈迦に説法かもしれませんが、罠というものは、二重、三重に仕込んでおくものでございますよ」

 出雲は何でもない風に言う。

「だが、出入口に行く経路は一つではないはずだ」

「ですから、狙った場所に誘導できるように襲撃経路を調整していました。相手はできるだけ私との接触を避けようとするはず。ならば、それを見越して戦場の場所を調整すれば、相手を特定の経路に追い込む事は可能でございます」

「君は……元々の罠だけじゃなく、そこまで考えて今回の襲撃をしたというのか!」

 もはや玉造には目の前にいる少女が怪物にしか見えなかった。戦場での実力もさることながら、その頭の回転の速さが尋常ではない。探偵と殺し屋……本来両立しえない二つの存在を両立させている彼女の根源を垣間見た気がした。

「さて、話は以上でございます。ここであなた様に真相をお話ししたのは、犯人が罠にはまるまでの時間稼ぎという点以上に、あなた様ならこの話を正しく上に伝えてくださると考えたからでございます。ここまで事を大きくしてしまった以上、普段通りの標的との対決のテープ録音だけでは真相が正しく公表されるか不安でございますのでね。下手な隠蔽をされては私のやった事に意味がなくなってしまいます。それに……あなた様なら、この状況を冷静に分析する事ができるはずでございましょう」

 玉造は押し黙った。それはつまり、玉造にこれ以上の抵抗をするなと宣告しているのと同等の発言だった。実際、玉造はもはや体がボロボロでまともな抵抗も難しい状況であり、それ以前にこの出雲という少女に反抗する意思がなくなっている事に気が付いていた。

 と、出雲はどこからともなくマイクロチップを取り出して玉造に放り投げた。

「今までの会話を録音してございます。佐野という刑事に渡して頂ければ万事うまくやってくださるでしょう。本来なら依頼人に送付するものでございますが、今回は特例でございます。これだけの事態に発展してしまった以上、依頼人逮捕前にあらかじめ事件の真相を知っておかねば政府や警察上層部も対応しきれないでしょうし、それは私も本意ではございません。扇原様も、よもや玉造様からそのチップを奪おうとは思いますまい」

 その言葉に、扇原は肩を震わせる。出雲はクスリと笑うと、丁寧に頭を下げた。

「では、これにて。そうでございますね……あと三十分ほどは動かないでいただきましょうか。その頃にはすべてが終わっているはずでございますから」

 そう言うと、出雲はそのまま玉造らに背を向けて暗闇の中に消えようとする。気付くと、一緒にいたはずの輪廻の姿もない。すでに一足先に撤収したようだ。玉造たちはその場に取り残されそうになる。

 が、それを許さない者が一人いた。

「い、出雲ぉっ! 畜生ォォォォォッ!」

 扇原が絶叫すると、玉造が制止する間もなく、自動小銃を出雲に向けた。そのまま引き金を引こうとし……

 ドンッ、という音ともに、扇原の右肩に穴が開いた。呻き声を上げうずくまる扇原の向こうで、出雲が振り向きざまにマグナム拳銃を抜いて素早く撃ち抜いた格好で先程までと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべていた。

「言ったはずでございます。動くな、と」

 そう言うと、出雲は薄目を開けてゾッとするような微笑みを浮かべながら、まだ煙の出ているマグナムをスッと扇原に向ける。

「何もしないのならば放っておくつもりでございましたが……危害を加えるというのであれば話が別でございます。規約により殺しは致しませんが、それなりの覚悟はして頂きましょうか」

 直後、玉造が思わず顔をそむける中、マグナムから連射された弾が急所を外しながら扇原の体を貫いた。その瞬間、玉造の抵抗する意思は完全に潰されてしまったのだった。


 駐屯地の入口から百メートルほど離れた場所にある空き地。三竹高菜はそこに倒れていた。その右足はふっ飛ばされ、もはや地面でうごめく事しかできない。

「そんな……地雷だなんて……」

 あと少しで逃げられる……そんな高菜の希望を木っ端微塵に打ち砕いたのは、地面に埋められていた地雷だった。まさか基地内にそんなものまで仕掛けられているとは思わず、高菜はあっさりと出雲の罠に引っかかってしまったのだ。

 もっとも、人を殺すほどの火薬ではなかったらしく、足首から下が吹っ飛ばされる程度で済んではいる。が、この状況ではそれで完全に詰みだった。

「死にたくない……死にたくない! パパ、ママ、助けて!」

 高菜は必至にその場から離れようとしているが、もはやどうしようもない状況だった。その顔は恥も外聞もなく泣き崩れており、無駄だとわかっていてもこの後訪れるであろう死から逃れようと必死だった。

 だが、その努力もついに費える。

 カラカラカラ……完全に静まり返った基地の暗闇の向こうから、何かを引きずるような音が聞こえてくる。そして、高菜にとってそれは死神の足音に他ならなかった。

「ヒッ!」

 高菜はその場で息を詰まらせた。倒れたまま振り返ると、そこには黒いキャリーバッグを引いた漆黒のセーラー服の少女がにっこりと微笑みながら立っていた。

「三竹高菜様、でございますね。復讐代行人・黒井出雲でございます。私がなぜここにいるのかは……あなた様が一番よくおわかりでございますね? ここに至っては、もはや一から説明するまでもないと思うのでございますが」

 出雲は深々と一礼しながら馬鹿丁寧に挨拶する。そして、高菜はもはやそれに対して取り繕う余裕などなかった。もうすべてがばれていると判断して、必死に言い訳をまくしたてる。

「違う……違うの! 私は殺そうと思って殺したわけじゃない! あれは事故だったの! そんな事で復讐されるなんて、そんなのおかしい……」

「ならば、なぜ真相がわかった時点で警察なりに正直に話さなかったのでございますか?」

 出雲の鋭い指摘が高菜の主張を叩き潰した。

「なんでって……」

「なるほど、事故だったというのは事実でございましょう。では、なぜそれがわかった時点ですべてを明らかにしようと思わなかったのでございますか? 少なくともそうすれば事件の真相は明るみに出て、依頼人が私に依頼するなどという事態は起こらなかったはずでございます」

「そ、それは……」

「そもそも、私は『未解決の殺人事件の犯人に対する復讐』をする殺し屋でございます。そのポリシーは厳格に守りますので、たとえ依頼受諾後でも、私が真相に到達するまでに警察などが先に逮捕したり、犯人が自首なりしたりした場合はその時点で依頼を打ち切ります。私がこうしてあなた様の前に立っている時点で、たとえ事故であったとはいえあなた様が事件の真相を明らかにされないために黙っていたという事になるのでございます」

「そんな……だって……扇原隊長が……」

「そんなものは何の言い訳にもなりません。本気で命が助かりたいと思っていたのであれば、少なくとも矢頼様の取材で復讐代行人の話題を聞いた時点で真相を告白すべきだったのでございます。そのための時間はございましたし、私もできればそうあってほしいとわざと襲撃までに時間を置かせて頂きました。しかしあなた様はそれをせず、あろう事か自衛隊を使って私を殺そうとなさりました。その時点で、あなた様に何かを言う権利はないのでございます。自分の身を守ろうとした時点で、あなた様も扇原様と同じなのでございます」

「違う! だ、大体あなたは殺し屋である以前に探偵なんでしょ! 探偵だったら、私よりもすべての原因を作った扇原隊長を裁くべきじゃない! なのに、扇原隊長を殺さないで私を殺すなんて……殺し屋としては正しくても、探偵としての正義には反するじゃない! あなたそれでもいいの! 自分で自分を否定するなんて、そんなのまともじゃない!」

 高菜は必死だった。思わずそんな事を叫んでしまい、恐る恐る出雲を見やる。出雲は黙ったままだ。これはもしかして心に届いたかと、一瞬高菜は希望を抱く。

 だが……

「私が……正義でございますか?」

 その瞬間、出雲が豹変した。


「フフフ……アハハハハハハッ!」


 今まで冷静な態度を崩さないでいた出雲が、突然大きく両手を広げて狂笑とも思える笑い声を上げたのだ。それは、今まで誰も見た事がない出雲の姿だった。

「な、何がおかしいの!」

「いえ、失礼いたしました。しかしこれは、これは……随分と甘い事をおっしゃられるようでございますね」

 そう言うと、出雲は今まで見た事がないような凄惨な笑みを浮かべ、マグナム拳銃の銃口をスッと高菜に向けながらはっきりとこう告げた。


「何を勘違いされているのかはわかりませんが……探偵が必ず正義でなければならないなどというくだらないルールが、この世のどこに存在するというのでございますか?」


 それは、世の探偵に関する概念を完膚なきまでに打ち崩す発言だった。呆然とする高菜を前にして、出雲は言葉を続ける。

「私は自分の事を正義であるなどと未だかつて思った事はございません。世間様の基準に照らし合わせるならば、私は徹頭徹尾悪の人間でございます。私の考えは誰も理解できないでございましょうし、理解して頂きたくもございません。ですが、正真正銘の悪だからこそ存在できる探偵というものも、この世には存在するのでございます。残念ながら、でございますが」

「何を言って……」

「言ったはずでございます。私の考えを理解する必要はない、と。肝心なのは、私がどのような状況であっても、あなた方が『悪』と呼ぶ私の理念を覆す事はないという事でございます。たとえ相手がどのような存在であっても、その信念は覆る事はございません。私はただ、未解決事件の犯人を暴き、そして何の感情も持たず容赦なく殺害するだけでございます」

 そして押し殺した声で断言する。

「それがこの私……『復讐代行人』黒井出雲の存在する意味でございます」

 その瞬間、高菜はこの少女が自分とは根本的に何か違う存在であると認識せざるを得なかった。そしてそれは、この場に説得の余地などという甘いものが存在しない事を認めなければならない事を意味していた。

「さて、名残惜しゅうございますが、そろそろこのくだらない狂宴も終幕とさせて頂きたく思います。お覚悟はよろしゅうございますか?」

「い、いや! 助けて! 誰かぁっ!」

 高菜は手に持っていた小銃の銃口を出雲に向けようとする。が、その前に出雲はしっかりとした表情で最終宣告を告げた。

「私、『復讐代行人』黒井出雲は、依頼人・斧木陽太氏より受諾した依頼に基づき、慎重な調査の結果、森川景子殺害事件の犯人を陸上自衛隊第1師団第60連隊第2普通科中隊第3小銃小隊第3小銃分隊の三竹高菜であると断定し、今ここに契約に従って犯人への復讐を遂行いたします」

「やめてぇぇぇぇぇっ!」

 高菜が絶叫しながら小銃の引き金を引こうとしたその直前……


 ドンッ、と一発の鋭い銃声が駐屯地に響き渡った。

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