第八章 六月二十三日 北御殿場基地事件~最終推理

 武器庫の前……第2普通科中隊第3小銃小隊隊長・玉造航太郎二尉は、静かに目を閉じながら、黙って小銃を膝に乗せた状態でパイプ椅子に座ってその時を待っていた。すでに周囲に銃声などは響いていない。さっきまでの喧騒が嘘のような静けさがその場を支配していた。

 と、そんな静けさの中を、不意に場違いな音が響き渡った。カラカラと何かを引くような音が暗闇の向こうから聞こえる。その瞬間、玉造はカッと目を見開いてその奥を見やった。

 暗闇の奥……そこからゆっくりと現れた人影。それは、キャリーバッグを引く漆黒のセーラー服に身を包んだ一人の女子高生と思しき少女の姿だった。その顔に浮かぶ穏やかな笑みといい、どう考えてもこの場には場違いな人間であるが、アタッシュケースを引く手と反対側の手にぶら下げている一丁の小銃が、彼女こそがこの大混乱の張本人であるという事実を痛いほどに知らしめている。だが、玉造は無言のまま彼女を迎え入れる。一方、少女もそれを心得ているのか、玉造の目の前十メートルほどの場所で歩みを止めると、正面から玉造に対峙した。

 無言で対峙する二人の間を涼しい夜風が吹き抜ける。しばらく二人は目と目で互いを見つめ合っていたが、先に息を吐いたのは少女……復讐代行人・出雲の方だった。

「あなた様が、第3小銃小隊の隊長でございますか?」

 その飴玉を転がすかのような可憐な声に対し、玉造は厳しい表情ながらも小さく頷いた。

「第3小銃小隊隊長……玉造航太郎だ」

 これに対し、出雲は小さく首をかしげると、薄い笑みを浮かべたまま手に持っていた小銃を無造作に放り投げた。カラカラと乾いた音を立てて小銃が二人のちょうど中間地点で停止する。

「黒井出雲、と申します。挨拶ついでに失礼ではございますが、あなた様の部下の方々は、大方排除させて頂きました。その点、ご了承いただきたく存じ上げます」

「……つまり、残っているのは私だけという事か」

 玉造は小銃を握りしめながら相手を睨んだ。

「それで、どうするつもりだ? 私はすでに隊長として覚悟はできている。この場で君と一騎打ちをするというのであれば、喜んで受けるつもりだ」

 だが、これに対して出雲は小さく首を振った。

「いいえ、その必要はございません。邪魔者はほぼすべて排除いたしましたので、あなた様にはこの部隊の隊長として私の話を聞いて頂きます」

「話、だと? 何の話だ?」

「すべてでございます。あなた様の部隊のある人間が犯したある犯罪に関する真相。そのすべてを聞いて頂きます。それこそが、私がこうしてこの基地に乗り込んできた最大の目的でございますので」

 その言葉に、玉造は当惑する他なかった。

「どういう意味だ……一体君は何を言っているんだ?」

「ですから、今からそれを申し上げると言っているのでございます」

 そう言ってから、出雲ははっきりとこう宣言する。

「始めさせて頂きましょう。復讐代行人・黒井出雲による、今回の事件の謎解きでございます」

 もはや誰も抵抗する者がいなくなった自衛隊の駐屯基地で、前代未聞の探偵の謎解きが始まった瞬間だった。


「さて……今から約一ヶ月前、山梨県の富士の樹海で一人の女性の遺体が発見されました。被害者の名前は森川景子。彼女は心臓をくりぬかれた無残な姿で発見されたのでございます。この事件の事はご存じでございますか?」

「……もちろんだ。『心臓強盗事件』だろう」

 話がどこにつながっていくのかわからないまま、玉造は短く答える。

「左様でございます。実は今回、私はさる依頼筋により、この事件の犯人に対する復讐の代行を依頼されたのでございます。ですので、今からお話しさせて頂きますのは、この事件に関する謎解きでございます」

「それをなぜ私に話す? こんな大騒動まで引き起こして、その話を私にする理由は何だ?」

 玉造の言葉に対し、しかし出雲は微笑みを崩さないまま言う。

「それは、私の話を聞いて頂ければわかる事でございます。ところで、あなた様は私……『復讐代行人』の事はご存じでございますか?」

「……噂程度ならな。少し前に部下がその手の噂話をしているのを聞いた事がある。だが、まさか、本当にいるとは思わなかった。それに、ここまで強いというのも初耳だ」

 玉造は慎重にそう言った。だが、出雲は歌うように言葉を続ける。

「知っているというのであれば話は早うございます。では、私が謎解きをしてどのような行動に出るのかもご存じでございましょう」

「……依頼された事件の犯人を殺すため、だったと思うが」

 玉造の言葉に、出雲は軽く一礼する。

「左様でございます」

「つまり、君がここにいるという事は、君はその『心臓強盗事件』の犯人がここにいると判断した、というわけなのか?」

「物分かりが早くて助かります。そして、今から私がそう判断した理由をお話ししようというわけでございます」

 その言葉に、玉造は出雲を睨みつけた。

「信じられんな」

「嘘ではございません。もし嘘だったら……そうでございますね、その手に持っている銃で私を撃っても構わない、という事ではいかがでございましょうか?」

 これには玉造も眉を動かした。

「本気で言っているのか?」

「もちろんでございます。私にはそれだけの自信がございます」

「……もしやとは思うが、私がその犯人だとでも言うつもりなのか? だからこそ、私にその話を聞かせようとしているとか」

 玉造は挑戦するように尋ねる。が、出雲は微笑みながら答えた。

「さぁ、どうでございましょうか。ともかく、時間もございませんし、そろそろ本題に入らせて頂きたく思うのですが、よろしいでしょうか?」

「……いいだろう。こうして腹の探り合いをしていても始まらん。話してみろ」

「それでは、お言葉に甘えて」

 それを合図に、出雲の推理が始まった。

「早速でございますが、この事件についておさらいをしたいと思います。すでに報道等でご承知の事だとは思いますが、連続三件起こった『心臓強盗事件』のうち、二件目以降に関しては秋口勝則というテレビプロデューサーによる模倣でございます。この男はすでに山梨県警に逮捕されていますが、そこで問題になるのは肝心要の第一の事件……すなわち山岳カメラマンの森川景子殺害事件の犯人が誰なのかという点でございます。私は今回、この件に関する復讐代行を引き受けさせて頂いております」

「……それがどうして自衛隊の駐屯地襲撃につながるんだ?」

 訝しげな表情の玉造に対し、出雲は笑みを崩さないまま続けた。

「本来の事件の被害者が森川景子ただ一人である以上、今までの『山梨県下における連続殺人』という考えそのものを考え直す必要が出てくるのでございます。彼女が宿泊していたのは山梨と静岡の県境付近でございますので、どちらで殺されたとしてもおかしくはございません。そこで、私は彼女が静岡側の御殿場市で殺されたのではないかという前提でこの事件を考えてみたのでございます。被害者の死亡推定日時は五月二十四日前後。その辺りで御殿場市で何かなかったかを調べたところ……自衛隊による東富士演習場での演習が浮かび上がって来たのでございます」

 出雲の指摘に対し、玉造は首を振った。

「偶然かもしれない。それだけで自衛隊が事件に関与しているかもしれないと考えるのは飛躍が過ぎる」

「もちろん、私は直感だけで動くような事は致しません。そこで、実際に演習場に入って調べさせて頂いたのでございます。その結果、演習場の森林地区の一角から、被害者の物と思しき荷物類が実際に発見されたのでございます。そこは、あなた方第3小銃小隊が訓練をしていた場所でございました」

 そう言うと、出雲は傍らのキャリーバッグを軽く蹴った。そこから発見したリュックサックや撮影道具などの遺留品が飛び出し、玉造の前に落ちる。これにはさすがに玉造の表情も険しくなった。

「つまり、その被害者はあの演習当日に東富士演習場で殺された、と」

「論理的に考えればそうなってしまうのでございます。となれば、その犯人が当日演習に参加していた自衛隊員であると推理するのも、妥当な話でございましょう」

 そう言ってから、出雲はさらに推理を続けた。

「さて、そうなってくると一つ問題が浮かんでくるのでございます」

「問題、だと?」

「そうでございます。すなわち、被害者が御殿場市の東富士演習場で殺害されたのだとすれば、なぜ遺体が山梨県の富士樹海で見つかったのか、という点でございます」

 玉造は眉をひそめた。

「それは……その推理が正しいとするなら、山梨県側に遺体を放置する事で事件が御殿場とは関係ないように見せかけるため、と言ったところじゃないか? 山梨県警が捜査を担当する事になった場合、管轄の違いから御殿場に手を出す事は差し控えるはずだろうしな」

「えぇ、意図としてはその辺りが妥当でございましょう。ですが、私が疑問視するのは意図ではなく手段でございます」

「手段?」

「要するに、『東富士演習場で殺害された被害者の遺体を、どうやって富士樹海まで運んだのか』というこの点でございます」

 その言葉に、玉造は戸惑ったような表情を浮かべた。

「そんな事……車で運べば簡単だろう。もちろん、途中で怪しまれないようにするという条件は付くはずだが」

「私もそう思います。犯行現場が東富士演習場で発見場所が樹海だとした場合、その運搬手段は車以外に考えられないのでございます。その点を否定するつもりはございません」

 ただし、と出雲は言い添えた。

「犯人が自衛官である場合、この『車で遺体を移動させた』という条件には大きな壁が立ちはだかるのでございます」

「壁、だと?」

「状況から考えて、事件は演習の真っただ中に起こったと思われます。もちろん、そんな状況で遺体を移動するなどできませんので、運んだのは演習の後……具体的には当日の夜という事になってくるでしょう」

「それがどうした?」

「根本的な話でございます。駐屯地所属の自衛隊員が、そんな時間に人目を盗んで遺体を運ぶなどという事ができるかという事でございます」

「……あっ」

 そこで初めて、玉造はある矛盾に気付く事になった。出雲が正解を述べる。

「そもそも自衛隊員というものは、一般的に駐屯地内の隊舎で生活する事が義務付けられているものでございます。つまり、通常の人間と違って夜中に誰一人気付かれる事なくどこかに出かけるなどという事が根本的にできない職業なのでございます。もちろん、そんな状況でございますので自身の車を基地内に所持するなどという事もできません。つまり、犯人が自衛官だとすれば、夜中に車で遺体を捨てに行くという事は、事実上不可能なのです。それをしようと思えば、それ以前に完全警備の自衛隊の駐屯地から脱出しなければならないのでございますから」

 玉造は唇を噛みしめた。そして、同時にその矛盾の解決法も頭に浮かんでいた。

「だが、その条件にはいくつかの例外がある。君はそう言いたいのか?」

「その通りでございます。自衛隊員は駐屯地内の隊舎での生活を義務付けられ、基本的には自由になる時間帯は存在しない。しかし、この規則には例外がございます。すなわち……」

「休暇を取って一時的に駐屯地から出ている場合。それと、その隊員が結婚して家庭を持っている場合だ」

 玉造が答えた。出雲は頷き、推理を続ける。

「自衛隊において、既婚者は隊舎を出る事が許可され、駐屯地外に住居を構える事が可能となります。当然、自分の自動車を所持する事も可能となる。すなわち、既婚者であるならば夜中に遺体を捨てに行く事が可能になるのでございます。もちろん、玉造様の仰る通り休暇中の人間も駐屯地の外に出られますが、遺体の運搬は死亡当日……すなわち演習当日の事でございます。事件は演習中に起こっていますから、休暇を取っている人間ではそもそも事件に関与しようがありません。よって休暇中の人間に関しては除外しても問題はないでしょう」

「要するに、自衛隊員が犯人なら、遺体を運んだのは既婚者という事になるのか」

 玉造はやや青ざめた表情でその事実を確認した。だが、出雲はさらにこう続ける。

「条件はもう一つございます。いくら自由に動けるとはいえ、夜中にそんな不審な行動をしたら家族が気付かないはずがございません。となれば、そのような不審な行動をとったとしても問題ない人間が犯人の条件という事になってくるでしょう。具体的には家族がいない一人暮らしの人間が妥当でございましょうね」

 その言葉に、玉造は首を捻った。

「それこそ矛盾をしているだろう。犯人は既婚者の自衛官と言ったのは君のはず。その自衛官が一人暮らしというのはおかしな話だ」

「もちろん、本来であればそのはずでございます。ただし、それにも例外規定があるのでございます。円満な家庭を持っておられる玉造様にはわかりにくい話かも知れませんが」

「どういう意味だ?」

 出雲は人差し指を立てて答えた。

「離婚もしくは死別、でございます」

「っ!」

「つまり、一度結婚した自衛官が何らかの理由で離婚や死別をした場合、その自衛官は隊舎に戻る事なく今まで通りの生活を送る事ができるのでございます。もちろん、家族が留守である隙を狙ったとも考えられますが、家族のいる自衛隊員に関してこちらが調べた結果、一部の家族が外出していたケースは何人かいたものの、事件当時その自衛隊員以外の家族全員が外出していた人間は第3小銃小隊では確認されませんでした。これにより、遺体を運んだ人間の条件が確定いたします」

 出雲はすっと薄目を開けて玉造を見据える。

「すなわち、第3小銃小隊所属で、一度は結婚しているものの現在は離婚もしくは死別して一人暮らしの人間であり、なおかつ自家用車を所持している人間でございます。そして、これに該当する人間は、小隊の中でたった一人しか存在しないのでございます」

 そう言うと、出雲は突然声を張り上げて周囲の暗闇に呼びかけた。

「聞いているのでございましょう! こそこそと隠れていないで、この場に姿を見せてはどうでございましょうか! 森川景子様の遺体を富士樹海に運んだ張本人の……」

 その直後、出雲は鋭い声で告げた。

「第3小銃小隊小隊本部隊長……扇原良之助二等陸尉様!」

 その声が響いた直後、近くの建物の陰からよろめくように人影が飛び出し、そのまま出雲の前に姿を見せた。

 驚愕の表情に歪む玉造の前で出雲と相対するその人影……それはまさしく、第3小隊の事実上の副官として信頼していたはずの、扇原二等陸尉のやつれはてた姿だったのである。


「何で……何で自分だと……」

 かすれるような声で尋ねる扇原に対し、出雲は涼しい表情で答えた。

「まず、第3小銃小隊の中で既婚者であるという条件に合致するのは、玉造、扇原、林沼、松北、宮古、佐々木原、大戸、日和佐、貝本、平内、一松、木造の十二名。しかし、このうち離婚もしくは死別という条件に当てはまるのは、奥様と離婚されている扇原様と日和佐様、それに事故で奥様と死別されている木造様の三名となります。この中で日和佐様はが起きた東富士演習場での訓練当日休暇を取って大阪にいましたので、先程も申し上げましたように事件の犯人たる条件に当てはまりません。さらに、木造様は事故の後悔から仕事以外で自動車を運転しておらず、自家用車も所持していないと考えられます。なぜなら問題の事故で自家用車は大破しており、それ以降自動車を運転しないと決めたなら自家用車を買う事はあり得ないからです。以上より、条件に合致するのは、第3小銃小隊の中でも扇原様、あなた一人である事が確定するのでございます」

「扇原二尉……君が遺体を運んだというのか?」

 玉造が尋ねると、扇原は顔を青ざめさせながらも激しく首を振った。

「ち、違います! こんなのは単なる出鱈目です! 自分は何も……」

「では、今から改めてこの事件がどのようなものであり、扇原様が事件当日どのような行動に出たのかを推理させて頂きます」

 出雲は扇原の言葉を無視して推理を進めにかかった。こうなれば話を聞く他ない。二人はいったん口論を注視して出雲の言葉に耳を傾けた。

「さて、今回の事件を端的にまとめると『演習場に侵入していた被害者が演習中に自衛官によって殺害された』というものでございます。この前提はまず覆らないものとして考えましょう。その上ででございますが、今回の事件は果たして意図的に引き起こされたものだったのでございましょうか?」

「どういう意味だ?」

 玉造が扇原の代わりに質問する。出雲はそれを受けて順に説明を開始した。

「まず、ここに所属する自衛官と被害者の森川景子様の間に個人的なつながりは一切ございません。私も何度も調べましたが、どれだけ調べても結果は白でございました。つまり、森川様と自衛官の間に動機の起こりようがないのでございます。また、森川様が演習場に侵入したのは偶然でございますし、その時に運悪く演習が行われたのも偶然でございます。意図的な犯行だとすれば、あまりにも偶然が多すぎるのでございます。これだけ偶然が重なった状態で突発的に意図的な犯行を行う事はまずありえません。こうした状況から推測すると、私はこの事件が意図的な犯行である可能性が低いように思えてくるのでございます。むしろ、今回の事件は意図的なものではなく、自衛官側に動機が存在しない犯罪……言うなれば限りなく事故に近いものだったのではないか。それが私の結論でございます」

「事故、だと?」

 思わぬ話に玉造はやや拍子抜けする。だが、出雲は真面目だった。

「そう考えるとすべてに説明がつくのでございます。事件が事故なら、両者に接点や動機がない事、事件の構図が偶然の上に成り立っている事にも説明がつくからです。その上で一番考えられる状況としては、写真を撮影するために無断で演習場に侵入していた被害者の森川景子様が、予定外の演習に巻き込まれて流れ弾なりに当たって人知れずに死んでしまった、と言ったところが妥当でございましょう。一通り考えましたが、演習中の自衛官が演習場に不法侵入した一般人を動機もなく殺害してしまう状況は他に考えられません。『心臓強盗』などとたいそうな名前がついていますが、その実態は単に演習中の流れ弾で不法侵入者が死んでしまった事故に近いものだった。これが私の考える今回の事件……猟奇殺人件と恐れられた『心臓強盗事件』の構図でございます」

 猟奇殺人ではなく単なる事故……それが出雲の出した答えだった。誰もが『心臓強盗』という強烈なインパクトのある名前に騙されていた。それがこの事件の本質だというのである。

 そして、唖然としている玉造を尻目に、出雲は扇原の方へ顔を向けた。

「これだけなら、この事件はそこまで難しい話ではなかったはずなのでございます。ですが、本来単純だったこの事件がここまで複雑化してしまったのは、すべてはそこにいる扇原様の細工によるものでございます」

「な、何を……」

「扇原様、あなたはおそらく東富士演習場での訓練の最中に、森の中で倒れている森川様の遺体を見つけたのでございます。本当の死因が訓練中の流れ弾によるものだったとすれば、それは遺体を見れば明らかでございます。あなた様は遺体を見た瞬間に、何が起こってしまったのかを瞬時に理解してしまったのでございましょう。そして、それは扇原様にとって非常に都合の悪い話だったのでございます」

「都合の悪い、だと?」

 玉造が警戒しながらも尋ねる。

「言うまでもございません。非は無断で演習場に侵入していた森川様の方にあるとはいえ、自衛隊が訓練中に一般人を誤って射殺してしまったなどという事が世間にばれてしまえば、前代未聞の大不祥事となる事は自明でございます。遺体の発見場所から考えて第3小銃小隊がこれに関与しているのは明白。そうなれば、その小隊を指揮している尉官クラスの自衛官は軒並み処分対象となるでしょう。特に、近々昇進の話が出ていたという扇原様にとっては、この一件はあまりにも致命的すぎる話でございます。扇原様にとって、それは避けたい事態だったのでございます」

「そ、そんな事は……」

 扇原は何とか取り繕おうとするが、出雲は止まらない。

「ゆえに、あなた様は保身のために遺体を隠してしまう事を決断したのでございます。幸い、遺体の事を知っているのは自分だけでございますから、遺体さえうまく処理してしまえば事件そのものを隠蔽する事は可能でございます。そこであなた様はひとまず遺体を埋めるなりして隠し、訓練が終了して勤務時間が終了した時点で自宅に帰宅。そのまま自家用車を運転して演習場に向かったのでございます。知っての通り、訓練時間外であるならば演習場に侵入すること自体はそう難しい話ではございません。あなた様は隠しておいた遺体を自家用車に乗せ、そのまま山梨側へ向かった。この辺りならば山梨の樹海は遺体を捨てるのに絶好の場所でございますし、万が一見つかったとしても管轄は山梨県警。静岡の自衛隊に嫌疑がかかる可能性は皆無でございます」

「ちょ、ちょっと待て!」

 扇原が慌てて反論を挟んだ。

「何でございましょうか?」

「黙って聞いていれば好き勝手な事を……。マスコミの報道では件の事件は『心臓強盗』……つまり遺体の心臓を抜き取られていたそうじゃないか。だが、今の流れでは犯人が心臓を抜き取る理由など一切存在しない。これをどう説明するつもりだ? もちろん、自分には心臓集めなどと言う猟奇的な趣味は一切ない!」

「確かに……それはそうだ」

 玉造はそう呟いて考え込む。だが、出雲は涼しい表情でこう言った。

「おっしゃることはごもっともでございます。犯人がなぜ被害者の心臓を強奪するなどという事を行ったのか……言われるまでもなく。これはこの事件における最大の謎でございましょう。二件目以降の犯人である秋口勝則が心臓を奪ったのは単なる第一の事件の模倣でございました。では、その第一の事件の犯人が心臓を奪った目的とは何なんなのか? 実は、これは事件の様相が今まで推理したもの……すなわち事件が演習中の流れ弾による事故であると仮定をするのであるのならば、簡単に説明がつく話なのでございます」

「何?」

 玉造の表情が険しくなる。出雲は顔を真っ青にしている扇原を見ながら、こう続けた。

「先程の推察が正しいのであれば、森川様の死因は演習時の流れ弾による射殺でございます。では、森川様は具体的にどこを撃たれたのでございましょうか?」

「どこ、だと?」

「物はあくまで流れ弾でございますし、本人も避けようとする仕草は取るでしょう。つまり、何発も当たるようなものではございません。だとするなら、問題の流れ弾はたった一発で森川様の命を奪ったと考えられます。となれば、その命中場所はどこか? 考えられるとすれば頭でございますが、遺体の頭部に外傷らしきものは見当たりませんでした。そうなれば残るは一つ……」

「……心臓、だな」

 玉造の言葉に、出雲は頷いた。

「おそらく、森川様は左胸を撃たれてしまったのでございましょう。さて、それを前提にした上で問題でございます。問題の流れ弾はどう考えても意図的に狙って撃たれたものではございませんし、距離の計算等もしていなかったはずでございます。となれば、弾の威力そのものが正常に機能せずに命中した可能性がございます。具体的には……弾が貫通せずに体内にとどまってしまった、といった具合でございますね」

「体内に……おい、ちょっと待て。それじゃあ、まさか……」

 ようやく玉造も事の重大さに気付いたようだった。出雲は涼しい表情で続ける。

「そもそもここは銃刀法という法律が適用されている日本。凶器が銃器だとわかった時点でその犯人の対象は限られてしまいます。いくら山梨側に遺体を放置しても、死因が射殺だと判明した時点で自衛隊が疑いの対象になってしまう可能性はないとは言えません。さらに、体内に弾丸が残っているとなれば、銃弾の線条痕から銃そのものが特定される事にもつながりかねません。万が一を考えれば、扇原様が取る手段は一つでございます。すなわち、弾丸を心臓ごとくり抜いて持ち去ってしまうという手法でございます」

 出雲は顔色が青を通り越して土気色になっている扇原に容赦なく宣告した。

「つまり、今回扇原様が森川様の遺体から心臓を取り出した動機はただ一つ。遺体から弾丸を抜き出し、同時に死因が射殺であるという事実を隠蔽してしまうため、という事でございます。遺体から心臓が抜き出されていたとなれば、どうしても猟奇的な側面ばかりに目がいって、まさか死因が射殺であるなどとはいくら警察でも思い浮かばないはずでございますからね。こうして考えてみれば……『心臓強盗』の行為は猟奇的どころか非常に現実的な理由だったわけでございます」

「何という事だ……」

 玉造は厳しい表情で扇原を見た。自分の部下が、そんな残虐な行為に手を染めていたなど、考えたくもないのだろう。だが、ここまでくれば扇原も必死だった。

「しょ、証拠は! 私がそれをやったという証拠は……」

「ございます」

 出雲はピシャリと反論を封じた。扇原はヒックと喉を鳴らす。

「遺体を運んだとなれば、あなた様の自家用車にはそれなりの痕跡は残っているはずでございましょう。もちろん洗浄はされたとは思いますが、完璧に証拠を隠滅する事は不可能でございます。おそらく、遺体を隠していた東富士演習場や遺体遺棄場所である樹海の土、若しくは被害者の血痕や毛髪が残っているかもしれません。それらが絶対にないという自信はございますか?」

「そ、それは……」

「最大の証拠は摘出した心臓でございましょう。物が物だけにその辺に捨てるわけにもいきませんし、万が一にも見つかってはなりませんから海に捨てたり地面に埋めたりするのも不安が残る。かといって、燃やしてしまおうにもその行為自体が怪しまれてしまいますし、遠くに捨てようにも自衛官には旅行先等を報告する義務がございますから、怪しい行動は筒抜けになってしまいます。何よりこの犯行自体突発的で、後処理の準備もしていなかった可能性が高い。となれば……どうする事もできずにまだ自宅に持っていると考えるのが妥当でございましょう。自宅を調べれば、それが出てくる可能性は極めて高いはずでございます」

「……どうなんだ?」

 玉造の言葉に、扇原は完全に顔を引きつらせて手に持つ小銃をガタガタ震わせていた。それだけで充分だった。

「まだ証拠がお望みでございましたら、いくらでも申し上げましょう。例えば……」

「もういい! もう、やめてくれ! 充分だ!」

 不意に、出雲を遮るようにして扇原が絶叫した。出雲は沈黙し、その場を後味の悪い静けさが支配する。

「扇原二尉……君は……」

「……は……ははっ」

 扇原は疲れた様子で小さく笑うと、泣き笑いの表情で出雲に顔を向けた。

「そうだ……自分が彼女の遺体を樹海に運んで……心臓をえぐり取った。これで満足か?」

 それは、事実上の自白だった。玉造は目を閉じて漆黒の天を仰ぎ、出雲は黙ってそれを聞いていた。

「何があったんだ。説明したまえ、扇原二尉!」

「あの日……自分は演習が終了して隊員たちが帰還した後で演習地となった森の辺りを念のために確認していました。隊長ならご存知のようにいつもやっている事だったのですが……そこで自分は、森の中で倒れている女性の遺体を見つけてしまったのです。どう見ても死んでいるのは明らかで、近づいてよく見てみると、彼女の心臓の辺りに小さな穴が開いていて、そこから血が流れ出していました。正直、一瞬目の前が真っ暗になりました。状況的に訓練中に発生した流れ弾が彼女に命中してしまったのは明白でした。そこの女が言うように、自分は昇進を控えていますし、万が一にもこんな事はばれてはいけないと思ったんです。幸い、遺体の事を知っているのは自分一人だけでした」

「だから……隠したというのか!」

 玉造の叱責に、扇原は小さく頷く。

「彼女の言うように、一度遺体や荷物をその場に埋めて隠して、夜になって掘り返して樹海まで運ぶことにしたんです。荷物に関しては、身元がばれるのは困るのでその場に埋めておきました。カメラのフィルムは抜いて、電源の入っていなかった携帯電話も破壊しておきました。ただ、自分も気が動転していて、遺体のポケットに入っていた財布の事を見過ごしてしまっていたんです。てっきり、リュックに一緒に入れてあるものだと思ってしまって……」

 だからこそ、発見後遺体の身元がすぐにばれてしまったのだろう。

「とにかく、自分は自家用車で遺体を山梨県の樹海に運んで、そこで彼女の遺体を捨てました。ただ、銃弾は心臓で止まったままだったので、万が一発見された時の事を考えるとこのままにしておくわけにもいかず、それで持っていたサバイバルナイフを使って……」

「馬鹿野郎っ……」

 玉造はそう言って辛そうに首を振る。

「自分だってそんな事はしたくありませんでした! でも、そうするしかなかったんです! そうしないと自分の……自衛隊の破滅ですから!」

「……森川様の心臓はどこにあるのでございますか?」

 出雲のその問いに、扇原はすっかり観念したように答える。

「あんたの推理通り、捨てるに捨てられなくてな……。あれほど処分に困るものはないとつくづく実感させられたよ」

「御託は結構。どこでございますか?」

「……自分の自宅の床下に埋めてある。機会があれば処分しようと思っていた。……以上が、あの日自分がやった事だ」

 扇原はすべてを話し切ると小銃を落としてその場に座り込んでしまった。玉造は辛そうな表情でそれを見ている。

「何て事だ……」

「言っておくが、事件があんな連続殺人に発展してしまうなんて、自分は全く想像もしていなかった。二件目の犯行が起きたときは正直肝をつぶした。自分が作り出した『心臓強盗』という名の亡霊が勝手に暴れ始めた……そう思ったものだ。だが、自分はそれを言うわけにはいかなかった。それは信じてほしい」

 出雲は黙ってそれを聞いているだけだった。扇原は覚悟を決めたように一瞬天を見上げると、やがて出雲にこう尋ねた。

「それで、どうするつもりだ?」

「どう、とは?」

「あんたが復讐代行人だって事はさっきそこで隊長との話を聞いて知っている。自分の記憶だと、復讐代行人は犯人を暴いた後、その犯人を殺害するはず。第一の事件を引き起こした元凶は自分だ。なら、自分を殺すのが道理だろう」

 扇原はそう言うと目を閉じて唇を噛んだ。

「一発でやってくれ。自分も男だ。じたばたしたくない」

「二尉……」

「隊長、すべては自分の責任です。ここは自分がすべてを引き受けます」

 その言葉に、玉造は目を閉じて部下の命が散る瞬間を耐えようとしている。すべてが終わったかに思えた。


 だが、出雲が次に発した言葉に、二人は再び度肝を抜かれる事になった。

「……私は、あなたを殺すつもりはございません。なぜなら、犯人は別にいるからでございます」

 事件はまだ終わっていない……出雲の推理は、むしろここからが佳境だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る