第六章 六月二十三日 北御殿場基地事件~襲撃

 二〇〇七年六月二十三日金曜日午後十時十三分、静岡県御殿場市陸上自衛隊北御殿場駐屯地。それは、鋭い爆発音とともに始まった。


 最初にそれに気づいたのは、北御殿場駐屯地の入口にある守衛所の前で守衛していた若い自衛官だった。真っ暗な道の向こうから、不意にカラカラと何かが響いてくるのが聞こえたのである。

「何だ?」

 その自衛官は思わず呟いていた。その声に、守衛所の中にいた自衛官たちも顔を出す。全部で三名。それがこの守衛所で夜勤をしていた自衛官の数だった。

「おい、どうした?」

「誰か……近づいてきます!」

 元から住宅街の外れに位置しているこの駐屯地の周囲に明かりはあまりなく、駐屯地のすぐ外は薄ら闇に包まれている。その闇の中から、ぼんやりと人影のようなものがこちらに近づいてくるのが見えるのだ。こんな夜更けにこんな場所に人がいること自体がまずない事である。守衛所の自衛官たちに緊張が走った。

 やがて、その姿が守衛所の明かりに照らされて浮き彫りになる。だが、それを見た瞬間、自衛官たちは思わず拍子抜けをしていた。そこにいたのは、真っ黒なセーラー服を着たどう見ても女子高生にしか見えない少女だったのである。カラカラという音は彼女が引いているキャリーバッグの音だったようだ。

 だが、さすがに自衛官たちは即座に気を引き締めた。そもそも、こんな時間帯にこんな場所に女子高生がキャリーバッグを引いて現れること自体が異常である。とはいえ、相手が相手だけに銃を突きつけるような事をするわけにはいかない。三人が警戒して入口に立ちふさがる中、その少女はなおも駐屯地の入口へと堂々と接近していた。

「止まれ! 止まりなさい!」

 ついにその若い自衛官は大声で彼女を静止した。その瞬間、彼女は入口まで十数メートルの場所で歩みを止める。嵐の前の静けさといわんばかりに、守衛所の前で少女と自衛官たちは緊張状態のまま対峙していた。

「ここは陸上自衛隊の駐屯地だ! 用がないならすぐに帰りなさい!」

「存じ上げております」

 自衛官の緊張した声に、少女からは予想外に可憐な声が発せられた。自衛官たちは一瞬ひるんだが、即座に厳しい声で告げる。

「君は誰だ、名乗りなさい!」

「名前などどうでもよいではございませんか。私はただ、この駐屯地に用があるだけでございます」

 思わぬ返答に、自衛官たちは戸惑いを隠せない。咄嗟に思ったのは、彼女がここに所属する自衛官の親族ではないかという事だった。

「とにかく要件を言いなさい。部外者はここから先に入る事はできない。そもそも今何時だと……」

「まぁ、そうでございましょうね。とはいえ、こんなところで時間を無駄にするわけにはいかないのでございます。大変失礼でございますが、そこを通らせて頂きましょう」

 そう言った直後だった。少女は手に隠し持っていた何かを無造作に守衛所の方へ向かって放り投げた。一瞬自衛官たちも呆気にとられる。

 だが、その物体が……どう見ても鉄パイプ爆弾にしか見えない事を知った瞬間には、すべては終わっていた。

「う、うわぁぁぁっ!」

 自衛官の誰かが反射的に絶叫した直後だった。彼らの数メートル手前に落ちた鉄パイプ爆弾は鋭い閃光と共に炸裂し、守衛所と自衛官三人を吹っ飛ばすと同時に腹の底に響くような轟音と煙を発生させた。

「うっ……」

「がっ……」

 爆発をまともに受けて吹っ飛ばされた自衛官たちが破壊された入口近くで呻きながら転がる中、少女……否、殺し屋・黒井出雲は悠々と駐屯地の敷地内へと足を踏み入れ、彼らの横を平然と通り過ぎた。

「爆薬の量は加減いたしましたので、打ち所が悪くない限り死ぬような事はないはずでございます。私は無駄な殺しをするつもりはございません。さて……」

 そのまま出雲は傍らのキャリーバッグの底を軽く蹴る。と、彼女愛用の銃……女性でも扱えるように村井が特注で違法改造したデザートイーグルが中から飛び出してきた。それを手慣れた手つきでつかんだ直後、騒ぎに気付いた複数の自衛官が何人か飛び出してくる。

 が、出雲はそれを確認するや否や、即座に手に持ったそのマグナム拳銃を立て続けに発砲した。直後、飛び出した自衛官たちが一人残らずその場に倒れ伏し、出雲は素早い動作で銃のマガジンを交換する。

 彼女の放った銃弾は、そのすべてが寸分狂わずに自衛官たちの体に命中していた。ただし、急所はすべて外されていて、自衛官たちは呻き声を上げている。逆にそれが、出雲という怪物の腕の恐ろしさを示す結果につながっていた。

 そんな自衛官たちを平然と見下ろしながら、出雲は背後で燃え上がる守衛所をバックにデザートイーグルをいったん右腰につけておいたホルスターに収めると、倒れている自衛官の誰かが持ってきたと思しき地面に落ちていた小銃を軽く蹴り上げ、それを右手一本でキャッチしながら冷酷に宣言した。

「狂宴を始めさせて頂きましょう」

 次の瞬間、出雲の手に握られた小銃が火を噴き、周囲の建物の窓ガラスを吹っ飛ばした。


 惨劇が、今、始まった。


 この日、北御殿場駐屯地には総員約一〇〇〇名のうち半数の約五〇〇名が残っていた。幸運だったのは、駐屯地司令の鶴木義輝一等陸佐をはじめとする各中隊長ら基地の幹部陣営が、近日行われる第58連隊との合同訓練に備えて全員残っていた事だった。

「状況を報告したまえ!」

 事案発生から十分後、鶴木一佐は駐屯地のほぼ中心部にある司令室に姿を見せていた。混乱の中で自衛官たちの動きは慌ただしくなっているが、幸い室内には他の幹部陣営の姿がそろっている。

「2213(午後十時十三分)頃、駐屯地入口の守衛所で爆発が発生! すでに周辺にいた自衛官数十名との連絡が不通になっています! また、報告では発砲音のようなものも確認されており、襲撃の可能性が非常に高いと思われます!」

「敵は何者だ?」

「詳細不明! 現場周辺の隊員とは音信不通状態で、おそらく殲滅されたものかと……」

 報告していた自衛官が悔しそうに言う。

「自衛隊の駐屯地を襲撃するなんてどこの馬鹿の仕業だ!」

 本部管理中隊隊長兼駐屯地副司令の鷹沼泰時二等陸佐が苛立ったように言う。その横で難しそうな表情をしているのは、第1普通科中隊隊長・鷲部綱吉三等陸佐、第2普通科中隊隊長・烏屋頼家三等陸佐、第3普通科中隊隊長・雉山家定三等陸佐、第4普通科中隊隊長・鳩原勝元一等陸尉の中隊長四人組と、重迫撃砲中隊長の鷺本道長一等陸尉の計五名だった。この七名が北御殿場駐屯地の幹部陣営となる。

「一佐、反撃の許可を願います! このままでは一方的に殲滅されるだけです」

「駄目だ、状況がわからない現状で発砲は許可できない。我々は警察官とは違うんだぞ!」

 雉山の要請に対し、鶴木は苦渋の様子でそう言った。いくら銃器で武装しているとはいえ、自衛隊は根本的には警察とは違う組織である。当然犯罪者への発砲などは認められていないし、犯罪者の逮捕権も存在していない。よってたとえ自衛隊の基地が襲撃されとしても、現場の独断で犯罪者を殲滅するなどという事は許されないのだ。これが認められるのは政府の閣議で相手が敵国などの軍勢であると判断され、閣議決定で出動命令が発令された時のみである。

 となると、いくら自衛隊でもこのような場合の対処は一般人が行うようなものと同じようなものになってしまう。すなわち警察の介入である。

「すぐに警察に通報! それと防衛省にも報告だ。前線の隊員にはできるだけ犯人を刺激しないよう偵察に専念するように指示! ただし閣議決定で発砲許可が出次第、すぐに攻撃に移れるように準備だけはしておけ」

 だが、その直後通信担当の隊員が絶望的な表情で報告した。

「そ、それが、電話回線が切断されているようで、電話がつながりません! 携帯電話もなぜか圏外になっています!」

「無線も同様につながりません! 襲撃直後はつながっていましたが、何らかの妨害電波が発せられているのか現時点では隊員間の無線連絡も不可能な状態です!」

「ネット回線も全線不通! 外部からの強烈なハッキングが行われている模様です。ネットワークに侵入され、回線設備がすべてダウンしています! 防犯カメラも全く使用できません!」

「なんだと……」

 どうやら状況は予想以上に深刻であるらしい。鶴木の表情が険しくなった。

「つまり、我々は外部への連絡が一切できない状態なのか?」

「ここは住宅街から外れた場所です。ちょっとやそっとの事では住民も気づかないでしょう」

 烏屋が比較的冷静な様子で発言した。想像以上に本格的な襲撃らしい。

「この状況では外部に指示を仰ぐことは不可能です。となれば、もはやこれは現場の判断で動く他ないのでは?」

 鷹沼の言葉に、鶴木は考え込む。その間に他の幹部たちが対策を協議する。

「訓練用のサイレンを鳴らしてはどうだ? 外部に異常は伝えられるかも……」

「さっきも言ったように回線設備がすべてダウンしていますので、サイレンも鳴らなくなっている可能性が高いです」

「では、直接誰かが外に出て……」

「現段階では前線の様子がつかめませんが、入口付近が戦場になっている可能性が高い。それに無線連絡もできない。この状況で誰が基地を脱出できるというんですか?」

 重苦しい沈黙がその場を支配する。やがて鶴木が低い声で指示を出した。

「……とにかく、敵の正体と、各部隊の状況の確認だ。それがわからない限り対処のしようがない。無線が使用できない以上、基地全体に偵察隊を出して直接情報を収集する他ない。それぞれの中隊ごとに情報を集められるか?」

「やってみます」

 それぞれの隊長が重々しく頷く。が、鶴木はさらに険しい表情でこう続けた。

「……私が危惧するのは、前線の隊員たちが我を忘れて発砲してしまっていないかという事だ。現段階では発砲は得策とは言い難い。偵察の際、隊員にそれを徹底してほしい」

「了解」

 混乱状態の中で、基地側も体勢を立て直そうと動き始めていた。


「ぐあっ!」

「がっ!」

 呻き声と共に自衛官たちが倒れていく。そんな中を、出雲は静かな表情のまま悠々と駐屯地の敷地内を歩いていた。手には再びデザートイーグルが握られ、後方には手榴弾で吹っ飛ばされた施設などが火を吹いている。まさに戦場そのものであった。

 とはいえ、これだけの事をしておいてなんだが、彼女の狙いは自衛隊との戦争ではない。狙いは森川景子を殺害したと思しき、第2普通科中隊第3小銃小隊の中の誰かである。ゆえに、その部隊が展開しているであろう場所に行きつけないと話にならない。

 だが、出雲は焦る様子はなかった。再度キャリーバッグを蹴って取り出したのは無線機のようなものだった。それはこの無線妨害の最中でも使用できるように特殊な改造が施された村井お手製の無線機である。何でも海外では非常に高値で売れるらしく、出雲はこの無線機をかなりの大枚をはたいて購入していたのだった。そして、相手は現在この基地に潜入している人物……潜入屋・輪廻につながっていた。

「……そうでございますか。わかりました」

 出雲は短く通信を終えると、そのままその無線機をバッグに戻す。

 と、それとほぼ同時に血相を変えた数名の自衛隊員が出雲の目の前に姿を見せた。その手には小銃が握られていて、どう見ても発砲制限などというものを守っているようには見えない。

「投降しろ!」

 先頭の自衛官が叫ぶが、出雲は黙ったまま素早く手近な建物の陰に隠れる事で答えとした。直後、自衛官の絶叫が響く。

「撃て! 撃ち殺せ!」

 次の瞬間、小銃による銃撃が出雲の隠れている建物のコンクリートに襲い掛かった。その陰で、出雲は笑みを浮かべらながらもやや呆れ気味に首を振っていた。

「これで私が死ねばそれはそれで問題になるでしょうに……この程度の騒ぎで平常心を失うとはまだまだでございますね」

 そう呟くと、出雲は手元の拳銃を確認すると、そのまま建物の陰から飛び出した。

「なっ!」

「遅うございます」

 直後、五発の銃声がほぼ同時に鳴り響き、目の前で銃を構えていた隊員たちが一人残らず地面に倒れ伏した。出雲はそのままの勢いで地面を一回転すると、立膝で起き上がると同時に素早くマガジンを地面に排出し、どこからともなく取り出した別のマガジンをセットして拳銃を倒れた自衛隊員たちの方へと両手で構えた。この間、わずか三秒の早業である。

「殺さずに制圧するというのはなかなか骨が折れるものでございますね」

 そう呟きながら出雲は構えを解いて銃をホルスターに収めると、先程の物陰に置きっぱなしになっていたキャリーバッグを手に取って、そのまま呻き声をあげて地面に転がる隊員たちをかき分けてゆっくりと基地の奥へと進んでいく。

「さて……そろそろ上層部も本腰を入れてくる頃合いでございますね。ここからが本番でございますか」

 そう言いながら、出雲はキャリーバッグの底を蹴り、飛び出してきた手榴弾をキャッチすると慣れた様子でピンを口で抜いた。

「さて皆様。早く反撃しないと、このまま終わってしまいますよ」

 挑発するような言葉を発すると、そのまま手榴弾を手近な建物の方へ投げる。直後、鋭い爆音が響き、建物の一角が吹っ飛んで中にいた何人かの隊員が呻きながら倒れた。

「く、くそっ! 化け物め!」

 咄嗟に爆発を逃れた隊員が建物の中から拳銃を向けるが、出雲はそれを見るや否や無造作に左手を素早く横に振って何かを投げた。

「ぐっ!」

 次の瞬間、隊員の肩に一本のナイフが突き刺さり、隊員は銃を落としてその場にうずくまった。出雲はそれを見ると即座にその隊員に接近し、そのままキャリーバッグを振り回して相手の体に叩き込んだ。こんなものを叩き込まれてはひとたまりもなく、隊員は意識を失って倒れる。

「心配せずともこの程度で人は死にません。人というのは意外に丈夫でございます」

 そう言いながら周囲を見渡す。そこは廊下のような場所で、電気は消えている。出雲はしばらくその闇の奥を見ていたが、やがておもむろに足元に転がっていた先程の隊員の拳銃を蹴り飛ばした。拳銃は壁に跳ね返ってそのまま出雲の手に収まり、出雲はそれを無造作に廊下の奥へと向けて容赦なく引き金を引く。立て続けに銃声が響き、そのうち数発が天井のスプリンクラーに命中して水をまき散らした。弾を全弾撃ち尽くすと、出雲はそのままその拳銃を廊下の奥へと投げ捨て、キャリーバッグを蹴って何かを取り出す。

「歯応えのない事でございます」

 出雲は一歩引くと、キャッチした物体……スタンガンをそのままスプリンクラーによってできた水たまりへと無造作に投げ込んだ。

 バチッという嫌な音が響き、同時に暗闇の向こうで複数の何かが倒れる音がする。出雲は笑みを浮かべながらデザートイーグルを取り出すと、水たまりに落ちたスタンガンを撃って機能を停止させ、そのまま濡れるのもお構いなしに廊下の奥へと進んでいく。

「大した電圧ではございません。私に勝つ自信がないのなら立ちふさがらない事をお勧めいたします」

 出雲の言葉を聞く者はどこにもいなかった。


「報告! 現在侵入者は4号隊舎に侵入し、内部を移動中の模様!」

 基地の一番奥、グラウンドから少し奥に入った場所にある武器庫前。第2普通科中隊第3小銃小隊の隊員たちは、何とか全員がいったんこの場所に集合する事ができていた。とはいえ、基地の反対側の入口方面では銃声や爆音が響いており、事態が容易ならぬ事は誰の目にも明らかであった。

 第3小銃小隊隊長・玉造航太郎二尉が緊張した声で集まった部下たちに告げる。

「事態は一刻を争う。現状、謎の怪電波の発生に伴い無線機器は一切使用ができない状態だ。すなわち、一度前線に出たら連絡手段は皆無となるに等しい。各分隊はその事を頭に叩き込んで行動をしてほしい。単独行動は厳禁とし、分隊ごとの行動を心掛けよ。我々第3小銃小隊はこの武器庫前を前線拠点とする。何か想定外の事があれば即座に撤収し、こちらへ報告をするように」

 その後、四つある各小銃分隊の隊長たちが一歩前に出て玉造から指示を受ける。

「第1分隊と第2分隊は最前線となっている4号隊舎へ向かい、前線部隊の補助に当たれ! 第3分隊は4号隊舎近辺の索敵及び支援活動。第4分隊はここで待機とし、状況いかんでいつでも出動できるように!」

「了解!」

 その直後、第3小銃小隊第1小銃分隊隊長・宮古明人陸曹長と、第2小銃分隊隊長・大戸均陸曹長の号令で、配下の自衛官合計十二名が威勢よく前に出た。第1小銃小隊のメンバーは隊長の宮古陸曹長以下、佐々木原佑平一等陸曹、伊奈町孝義二等陸曹、橋添辰巳二等陸曹、佐敷幸次郎二等陸曹、本郷太平三等陸曹、東浦守也三等陸曹の計七名。第2小銃小隊のメンバーは、隊長の大戸陸曹長以下、日和佐直弘一等陸曹、榛名英達一等陸曹、小出久勝二等陸曹、多賀元康二等陸曹、北郷種次三等陸曹、串木貞彦三等陸曹の同じく七名である。

「これより我々は前線に向かう! 全員、覚悟はいいな? 行くぞ!」

 その瞬間、合計十四人の増援部隊が、最前線となっている4号隊舎へと前進していった。


 その頃、4号隊舎は不気味な静けさに包まれていた。誰もいない真っ暗な廊下に、カラカラというキャスター音だけが響き渡っている。その音の主……黒井出雲は、まるで暗闇に溶け込むようにして堂々と廊下を歩き続けていた。

 もはや上層部が徹底指示している発砲制限などあってないようなものだった。隊員たちは突然の奇襲と無線の混乱、そして容赦なく発砲してくる出雲に我を忘れ、出雲に向けた発砲を繰り返していた。もっとも、誰一人として出雲に当てる事などできておらず、4号隊舎はすでに反撃する者がいなくなりつつあった。

 隊舎とは要するに基地に所属する自衛官たちの居住区である。結婚前の自衛官たちは基本的に隊舎に住む事となり、結婚後は駐屯地外の官舎に住む事が可能となる。そのため各部屋にはベッドなどの生活用品が並べられているが、今はどの部屋にも動く人間の姿はない。

 だが、そんな中でも意味ありげにドアが閉じている部屋がいくつか点在していた。出雲は笑みを崩さないままそうした部屋を一つ一つ確認していき、同時にスタングレネードを中に投げ込んでドアを閉める。伏兵が潜んでいるかもしれない事への対策である。一定時間ごとにスタングレネードの破裂音と強烈な閃光が隊舎に響くが、反応する人間はいない。

「手榴弾でないだけありがたいと思う事でございます。さて……そろそろ反撃が来る頃合いでございますか」

 そう言いながら、出雲は不意に立ち止まって廊下の奥の暗闇を睨みつけた。と、闇にまぎれてうごめく影がちらほら見える。

「……これは面白うございますね」

 出雲はそう言うと、いつもの薄目を開いて凄惨な笑みを浮かべると、そちらの方へ近づきながら呟いた。

「いいでしょう。存分にお相手いたしましょうか。倒せるものなら倒してくださいませ」

 自衛隊と出雲……いよいよ、本格的な死闘が始まろうとしていた。


 宮古陸曹長と大戸陸曹長率いる第2普通科中隊第3小銃小隊第1・第2小銃分隊は、4号隊舎に突入した直後に、廊下を堂々と歩いてくる出雲の姿を視認していた。

「なめやがって……」

 宮古はそう言いながらも、慎重に相手の様子を窺い続ける。ここで闇雲に突っ込んで行ってもどうにもならないのは前線の隊員たちがすでに身をもって証明している。

「宮古陸曹、どうしますか? 無策で突っ込むのは危険すぎますが」

「……この先の廊下にバリケードを作れ。静かに、かつ慎重にな。これ以上、奴の好き勝手にさせるわけにはいかない。ここで何としても奴を食い止める」

 そう指示を出してから、宮古は近くの壁の陰に隠れると、大戸と顔を突き付けて今後の方針を確認する。

「とにかく、ここは足止めに徹すべきだ。奴の目的が何なのかはわからないが、下手に勝負をかけるよりもここに奴を釘づけにして、その間に応援を待つのが最善の手だろう」

「概ね同感だが、発砲制限があるのが痛い。せめて、発砲許可さえあれば……」

 大戸がそう言って悔しそうにしていた、その時だった。

「う、うわぁっ!」

 突然、廊下に絶叫が響き、二人の隊長は反射的にそちらを見た。そこには、予想外の光景が広がっていた。

「なっ……」

 そこには大戸の部下の一人である北郷三等陸曹が、何もない空間でまるで磁石に引きずられるように廊下の奥へと引きずられていく姿があった。思わぬ事態に、北郷は小銃を振り回しながら狂ったように叫び声をあげるが、彼の体は足の方から闇の奥へと消えていく。

「い、いやだぁ、助けてくれぇ! あぁっ!」

 直後、闇の奥からドンッ、ドンッ、と立て続けに銃声が響き、北郷の悲鳴がピタリとやんだ。後には不気味な静寂だけが残る。

「何だ、今のは! まさか、超能力だとでも言うのか?」

「馬鹿な……。そんなわけがないだろう。こいつは……」

 直後だった、暗闇の奥からヒュンヒュンと何か空気を切るような音が響き、続けて壁やバリケードにパシッ、パシッっと何かがぶつかる音がした。それを聞いた瞬間、宮古はそのとんでもない武器の正体を悟って鋭く叫んだ。

「いかん……気を付けろ! こいつは、ワイヤーだ!」

 次の瞬間、今度はバリケードの奥にいた宮古の部下の橋添二等陸曹が突然上下さかさまになってその場で宙吊りになった。この闇の中では橋添が宙に浮かんでいるようにしか見えないが、目を凝らしてよく見ると、彼の足首に細いピアノ線のようなものが巻き付き、そのピアノ線が頭上のパイプを通して出雲のいるであろう闇の奥へ伸びているのが見て取れた。まるで人間を標的にした釣りである。

「た、隊長! 助けて……」

 橋添が叫ぶ。いくら百戦錬磨の自衛官とはいえこんなイレギュラーな攻められ方まで想定していないのだから仕方がないだろう。が、それは闇の奥にいる襲撃者に自分がここにいると全力でお知らせしているようなものだった。

「馬鹿! 叫ぶな!」

 宮古が小声でそう叫んだが時すでに遅し。直後、再度闇の奥から銃声が響き、宙吊り状態の橋添の手足から血が吹き出した。

「ガッ……」

 橋添が呻き声をあげて失神する。と、それを確認したのか足に絡みついていたワイヤーがほどけ、橋添はその場に落下した。ワイヤーはヒュンという音ともに再び闇の奥へと消える。

「橋添!」

「ううっ……」

 近くの隊員が体をゆすると、橋添は呻き声をあげる。どうやら的確に致命傷を外しているようだ。が、逆に言えば、片手でワイヤーを操作しながら、かなりの距離から的確に急所を外して撃っているわけで、それだけでも相手が只者ではない事はよくわかる。

「どうやら向こうは殺す気はないようだが……逆に言えば殺さない限りでは何でもするつもりらしい。厄介な相手だぞ」

「まさかワイヤーとは……。フックショットか何かか?」

「どっちにしても一筋縄ではいかないぞ」

 と、そこへ誰かがバリケードの中へと駆け込んできた。見ると、支援活動に入っている第3小銃分隊の三竹高菜三等陸曹だった。

「伝令です! 先程、鶴木一佐より指令がありました!」

「司令は何と?」

 宮古の問いに対し、三竹は事態を動かす発言をした。

「非常事態につき、侵入者に対する発砲を許可する。これが上層部の判断であります!」

「よし……三竹はこのまま後援部隊に状況報告を頼む」

「了解です!」

 三竹は再びその場を脱出していく。それを見届けると、宮古は鋭く叫んだ。

「聞いた通りだ! 本案件に関して侵入者に対する正式に発砲が許可された! よって、これより我々は侵入者に対する射撃による反撃を行う! なお、侵入者は銃器、爆薬、ワイヤー等で武装している! また、先遣隊の報告から近接戦闘に置いても注意するようにとの報告がある! 各々、最大限の注意をもって当たれ!」

 続いて、大戸が叫んだ。

「各自、付け剣! これより我らは戦闘態勢に入る! 目標は奴をこの場に釘付けにする事だ! 一歩たりともこの建物から出すな!」

「了解!」

 隊員たちは小銃にナイフを取り付けてバリケードの間から廊下の奥を狙う。そして、タイミングを見計らって宮古が叫んだ。

「よし……今だ、撃て!」

 次の瞬間、隊員たちの小銃が火を吹き、廊下に弾幕が張られる。自衛隊対出雲……両者の戦いが第二段階に入った瞬間だった。


 出雲は壁に隠れて弾幕を避けながら、何か思案気に考えていた。その傍らには先程ワイヤーで引き寄せて銃撃した北郷が呻き声を上げながらうずくまっている。手足を撃っただけなので致命傷ではないはずだが、いずれにせよ戦闘はもう不可能だろう。

 出雲は何気なくセーラー服の右袖をさする。そこにはブレスレットに偽装した一種のワイヤー発射装置のようなものが仕込まれていた。元々は主に標的を絞殺する際などに使用する暗殺道具だがワイヤーの長さは最大十五メートルほどまで伸ばす事ができ、さっきやったように遠距離の相手に巻き付けて引きずったり吊し上げたり、さらにはワイヤーそのもので鞭のように攻撃も可能という優れものだ。もちろん、ここまで自由自在に操るには出雲自身もかなりの訓練をしているが、今では出雲の常備アイテムとして重宝している。

「さて、いよいよ向こうも発砲をしてきたようでございますね。しかし……ここまでは計画通りでございます」

 そう言うと、出雲は先程の無線機を取り出して潜入中の輪廻に連絡を取った。

「出雲です」

『輪廻よ。そっちは?』

「計画通りでございます。自衛隊による発砲が始まりました」

『そう……。こっちは問題なしよ。あなたの言われた通りにやってる』

「ならば決まりでございますね」

『自衛隊もかわいそうね。あなたの計略にはまっている事も知らないで……』

 謎めいた輪廻の言葉に、出雲は軽く微笑む。

「それでは、申し訳ございませんが、引き続き頼んだ仕事をよろしくお願いします。宴はまだ始まったばかりでございますので」

『もちろんよ。依頼された仕事はちゃんとする。たとえ、それがあなたでもね。もちろん、あなたが死んだらその時点で依頼中止になるけど』

「私がこの程度で死ぬとお思いでございますか?」

『……ないわね。残念だけど。それじゃあ』

 通信が切れる。出雲は小さく息を吐きながらチラリとバリケードの方を見た。ここからバリケードまでおよそ十メートル。ただ、激しい弾幕はやむ気配を見せない。

「私を釘付けにするつもりでございますか。発砲許可があっても、私を殺すこと自体にはまだためらいがあるという事でございましょう。とはいえ、私もこんなところでとどまるつもりはございません」

 そう言うと、出雲は手に持った拳銃のマガジンを素早く入れ替えた。

「突破させて頂きましょう」

 直後、出雲は少し身を乗り出してバリケードの方を見て小さく笑うと、立て続けに拳銃を発砲した。

「グアッ!」

「グッ!」

「ガッ!」

 と、バリケードの向こうからそんな声が聞こえてくる。全弾撃ち尽くして再びマガジンを素早く交換しながら出雲は告げる。

「銃撃は結構でございますが……そんなに立て続けに撃ち続けていると、銃口の光で位置が丸わかりなのをお忘れなく。とはいえ、このままではジリ貧でございますね」

 そう言うと、出雲はすばやく右手を振った。と、同時に袖口からワイヤーが飛び出し、バリケードの方へ飛んでいく。

「少々手荒な事をさせて頂きましょうか」

 と、ワイヤーに手ごたえがあった。即座に出雲はそのワイヤーを引く。

「ひ、わ、わぁぁぁっ!」

 そんな叫び声とともに、バリケードの向こうからワイヤーに引っかかった隊員が引きずり出されてくる。出雲はその隊員をバリケードと出雲のちょうど中間の位置で解放すると、間髪入れずに左手に持った拳銃でその隊員の手足を撃った。

「ぐ……」

 その隊員はその場でうずくまる。その瞬間、バリケードの向こうから声が上がった。

「ま、待て! 撃ち方やめ!」

 途端に銃撃が止まり、同時に弾幕も消滅する。間に味方がいる状態で発砲する事は出来ないし、もちろん手榴弾などの使用も不可能になる。それを狙っての行動だった。

「さて、どうなさいますか? 弾幕による封鎖が不可能となれば、次に出る手段はおそらく……」

 その言葉が終わらぬうちに、何人かの隊員が銃剣を構えながらバリケードを飛び出してくる。背後のバリケードにも何人か残っていて、すぐに発砲できる体勢を整えているようだ。

「直接制圧、でございますか。まぁ、よろしいでしょう」

 そう言うと、出雲は足元のキャリーバッグを軽く蹴った。すると、そこから何かが飛び出してくる。それを空中で受け止めると、出雲は少し不敵気味に笑った。

「お相手させて頂きます」

 その手には一本の刀……都丸達美との勝負に使った竹刀の様なまがい物ではない、正真正銘本物の小太刀が握られていた。


 今、この場に展開している第1小銃小隊と第2小銃小隊の合計人数は十四名。しかし、一連の攻防戦で、すでにその人数は大きく減りつつあった。最初の段階でいきなり橋添と北郷がワイヤー攻撃により離脱。次いで相手方からの反撃銃撃によって佐々木原一等陸曹、東浦三等陸曹、榛名一等陸曹の三名が負傷し、さらにワイヤーによって強制的に引きずり出された佐敷二等陸曹がバリケードの前で呻き声を挙げている。この時点で第1小銃分隊は宮古を含めわずか三名。第2小銃分隊は大戸を含めて五名にまで数が減っていた。もはや、バリケードに立てこもって相手を釘付けにする作戦は練り直しを迫られつつある。

「俺らの部隊が前衛に出て奴の直接静圧に当たる。それしかないだろう」

 大戸がそう提案したのは、佐敷がバリケードから引きずり出されて弾幕を張る事ができなくなったその瞬間だった。

「すでに宮古の部隊は残り三人しかいないから、奴を封じ込めるには俺の部隊が行くしかない。宮古はバリケードから俺らのバックアップを頼む」

「……致し方ないな。今は議論をしている場合じゃない。頼んだぞ」

 さすがに決断は一瞬だった。その瞬間、大戸の合図で銃剣をつけた小銃を構えた第2小銃小隊の残りメンバー五人が、大戸を先頭にバリケードから飛び出して慎重に前に進み始めた。背後のバリケードからは第1小銃小隊の宮古、伊奈町、本郷の三名が緊張した様子で小銃を構え、何かあればすぐに発砲できる体制を整えている。

 大戸たち五人はワイヤーによる攻撃に警戒しながら、一歩一歩慎重に前に進んでいく。動きがない以上、この先に相手がいるのは間違いない。隊員たちの顔に汗が伝い、先程とは打って変わった静けさが広がる中、何とも言えない緊張感がその場に張りつめる。

 と、その時だった。

「そんなに警戒されずとも、そちらがそのおつもりならこちらから向かわせて頂きます」

 そんな可憐な声と共に、数メートル先の壁の陰からゆったりした足取りで誰かが出てきた。その場の全員が咄嗟に銃口を向ける。が、その姿を見て一瞬誰もが戸惑った。

「お、女の子?」

 初めて暗闇の向こうからその姿を見せたセーラー服姿の少女……黒井出雲に、自衛官たちの思考が一瞬停止する。が、そこはさすがに自衛官だけあって回復するのも素早かった。

「ひるむな! どんな姿だろうと、奴が怪物なのは先程の戦闘で証明済みだ! 気を抜くんじゃない!」

 大戸の叫びに、その場に緊張が支配する。が、それだけの銃口に晒されながらも、出雲は微笑みを浮かべながらマイペースに言葉を紡ぐ。

「どうもここの自衛隊員の方々は随分とせっかちでいらっしゃるようでございます。まぁ、その方が私にとっても都合がよろしいのでございますが……」

「わけのわからんことを言うな! 黙って両手を頭の上に置け! 貴様には射殺許可が出ている!」

「……おやおや、いつから日本の自衛隊はそこまで物騒になったのでございましょうか。日本の将来が思いやられますね」

 まるで挑発するような物言いに、その場の全員が怒りを押し殺す。ここで挑発に乗れば相手の思うつぼになる。その程度の事はさすがに自衛官たちも学習しつつあった。大戸は怒気を殺して最後通告を突きつける。

「これが最後だ。両手を頭の上にあげてひざまずけ。従わなければ射殺も辞さない」

「……そう急がれなくとも、お相手は存分にして差し上げますよ」

 そう言うや否や、出雲は後ろ手に組んでいた手をゆっくり前に持ってきた。その手に握られている物を見て、隊員たちが再びゾッとする。その右手にはどう見ても本物の小太刀が、左手にはマグナム拳銃が握られていた。前代未聞……小太刀と拳銃による二刀流とでも言うべき姿である。どう見てもおとなしく投降するような姿ではない。

「小太刀、だと……」

「太刀だとケースに入りませんし、何より片手で扱う事がでないのでございます。ゆえに、こうして拳銃と組み合わせる事ができる小太刀の方が私にとっては有用なだけでございますよ」

「本気か……本気で我々とやり合うつもりなのか!」

 その言葉に、出雲はもはやおぞましささえ感じられる微笑みで答えた。

「射殺も辞さないと申されるのございますのであれば、それも結構でございます。ですが……その場合、こちらも命の保証は出来かねますがゆえ、お覚悟くださいませ」

 最後の静かなドスの利いた声に、隊員たちが思わず後ずさる。が、その瞬間、大戸が叫んだ。

「ひ、ひるむな! 攻撃開始! 撃てぇ! あんな即席の二刀流に負けるな!」

 直後、我に返った隊員たちが一斉に小銃の引き金を引こうとする。が、それよりも早く出雲が動いた。

「二刀流? いいえ」

 その瞬間、出雲は瞬時に身をかがめて小太刀を横一文字に振る。すると、ヒュンという音ともに突然大戸たちが何かに足元をすくわれてその場ですっ転んだ。

「うわっ!」

 発砲直前に転ばされ、大戸たちの体勢が崩れる。その瞬間を狙って、出雲は小太刀を大きく右手一本で振りかぶりながら告げた。

「何かの漫画ではございませんが……これは三刀流でございます」

 そう言われて、大戸の顔色が変わった。出雲が小太刀を握っている右手首……彼女が小太刀を振るたびに、そこから目に見えない何かが発射されているのが直感的にわかったのだ。

「くそっ、こいつ、ワイヤーを……」

 そう、出雲は右手で小太刀を振ると同時に右手首からワイヤーを発射し、小太刀の動きに合わせる形で目に見えないワイヤーを鞭のように操っているのだ。それは、小太刀と拳銃、そしてワイヤーによる前代未聞の三位一体の「三刀流」だった。

「こ、こんな無茶苦茶な!」

 今まで見た事もない戦法に、隊員たちが浮足立つ。その瞬間を出雲は逃さなかった。小太刀を振りかぶりながら床を蹴って隊員の一人……多賀二等陸曹の間合いに潜り込むと、容赦なく上から小太刀を振り下ろす。多賀は反射的にそれを小銃で受け止めたが、間髪入れずに出雲はそのまま小太刀を小銃に沿って横に滑らせながらワイヤーを発射すると同時に、左手に持っていた拳銃の銃弾を多賀に叩き込んだ。多賀が呻き声を上げて倒れ、さらに発射されたワイヤーが奥のバリケードでバックアップをしていた宮古隊の本郷三等陸曹の手に引っかかる。出雲は呻き声を上げる多賀を蹴り倒すと、即座に手首を切り返して右手の小太刀を左下に振ってワイヤーを手元に引き寄せた。

「うわぁぁぁ!」

 バリケードから本郷が引っ張り出されて大戸たちの方へと飛んでいく。大戸たちは咄嗟に反応しようとするが、出雲が左腕の拳銃を数発足元に撃って牽制したため一瞬その動きが止まる。その一瞬が命取りで、後方からワイヤーに引っ張られて吹っ飛んできた本郷が床から起き上がろうとしていた串木三等陸曹の背中にまともにぶつかった。

「グッ」

「ゲッ」

 ぶつかった二人がその場に絡み合ったように倒れ、出雲は即座に拳銃を二人に向けて残りの銃弾をすべて発砲する。そして、拳銃が弾切れになるやそれを素早くホルスターにしまい、すかさず小太刀を振ってワイヤーを操ると、今度は床に転がっていた串木の小銃のトリガーにそれをひっかけて手元に引っ張り込んだ。直後、トリガーが引かれて、その小銃はワイヤーによって宙を舞いながら瞬間的に周囲に無差別の銃撃を行った。

「うぉっ!」

 バババババと銃弾が壁にぶつかる音が響き、出雲はそんな中で自分向かって飛んできた小銃を左手でキャッチすると、そのまま大戸の方へと銃口を向ける。今の銃撃により、大戸隊の残る隊員だった日和佐一等陸曹、小出二等陸曹の両名もその場にうずくまっており、この場で無事なのは宮古・大戸の両隊長と宮古隊の伊奈町二等陸曹の計三名だけとなっていた。

「そんな……馬鹿な……」

 わずか数秒のうちに何もできないままほとんど全滅に追い込まれてしまったというこの状況に、大戸は銃口を突き付けられながらも呆然とする他なかった。廊下には彼の部下たちが呻き声を挙げながら転がっている。

「自衛隊が銃剣を取り付けた小銃による近接格闘の訓練をしている事は私も知っています。この戦闘方法の特徴は、銃剣での勝負がつかないとなれば……つまり近接戦で勝てないとなれば即座に銃撃に切り替えて相手を倒せるという点にございます。万が一小銃が近接戦で壊されてもサブの拳銃を抜いて応戦すれば問題ない。さて……自衛隊に単身喧嘩を売ろうとしていたこの私が、この自衛隊お得意の戦法に対して何の対策もしていなかったと、本気で思われたのでございますか?」

「なん……だと?」

「これを防ぐ方法は三つ。近接格闘に持ち込んだが最後、相手がかなわないと判断する前に勝負の蹴りをつけてしまう事、相手が撃ちたくても撃てない状況に追い込む事、若しくは肝心の小銃を使用不可能にしてしまう事でございます。どうやら、見事にはまったようでございますね」

 出雲はそう言うと、容赦なく小銃の引き金を引いた。弾は大戸の足に命中し、大戸は小銃を落としながら呻き声を上げてその場に崩れ落ちる。この瞬間、大戸率いる第2小銃小隊は隊員全員が壊滅した。その気絶した大戸の前に持っていた小銃を無造作に投げ捨てると、出雲はその視線をバリケードの向こうに控える宮古たちに向けた。

「さて……残るはあなた方だけでございますが、いかがなさいますか?」

「っ!」

 宮古は歯ぎしりした。勝てるわけがない。それが宮古のこの場における判断だった。少なくとも、こんな怪物相手に二人だけで相手をしようなどというのは無謀以外の何物でもない。出雲と睨み合いを続けながら、宮古は決断した。

「……撤退だ! いったんこの場から離れろ! 体勢を立て直す!」

 その瞬間、宮古とただ一人残った部下の伊奈町は小銃を構えながら近くの非常口から隊舎の外へと飛び出した。出雲は首をかしげるようにそれを見ていたが、おもむろに小太刀を左腰にぶら下げておいた鞘に納め、ホルスターから拳銃を取り出して素早くマガジンを交換すると、隠しておいたキャリーバッグを引きずりながらそのまま悠々とバリケードを乗り越えて同じく非常口から隊舎の外に出た。そこには必死に逃げていく先程の二人の姿も見える。

「……体勢を立て直すとおっしゃいましたが……私にはそれを待つ理由など存在しません」

 そう言うと、出雲は無造作に拳銃を構え、そのまま一発引き金を引いた。その瞬間、五十メートルほど先を逃げていた二人のうち一人がその場に崩れ落ちる。残った一人は慌てて物陰に隠れるが、出雲の目からは逃れられない。

「さて、どうさせて頂きましょうか……」

 出雲がそう言ってもう一人に拳銃を発砲しようとした……まさにその瞬間だった。

 近くの路地から突然大きな物音がして、何かが飛び出してきた。反射的に出雲はそちらへ銃を向け……そして、面白そうに笑った。

「何ともまぁ……こんなものまで持ち出してきましたか……」

 そこには一台の重装備車両……平たく言うのであれば「装甲車」が、出雲にその銃口をしっかりと向けていた。どうやら、後方支援に回っていた第3小銃小隊の増援らしい。その装甲車の上から、何人かの隊員がこちらを牽制しながら逃げようとしていた隊員に叫ぶ。

「宮古隊長、ここは俺らに任せて逃げてください!」

 その言葉に、隠れていた人影が今度こそその場から姿を消す。どうやら、最後に残ったのは宮古だったらしい。

「降伏しろ! いくらお前でも、こいつには勝てまい!」

 装甲車の銃口が向けられている中、出雲は不敵な笑みを浮かべた。そして、こんな状況にもかかわらず傲然と叫ぶ。

「ようございます。倒せるものなら倒してご覧くださいませ」

 そう言うや否や、出雲は手近な倉庫の中へと飛び込んだ。次の瞬間、怒りに燃える装甲車の銃口が火を噴き、その倉庫の壁が吹っ飛ぶ。

 事態は、さらに混迷を極めようとしていた……。

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