第四章 六月二十一日 取材

 二〇〇七年六月二十一日、陸上自衛隊北御殿場駐屯地。

 近年問題になっている周辺諸国との緊張に対処するため御殿場市北部の市街地の外れに新設された駐屯地で、同じく新設された陸上自衛隊第1師団第60普通科連隊が駐屯をしている。駐屯地司令は連隊長でもある一等陸佐が兼任し、約一〇〇〇名が在籍する大規模基地だ。あくまで普通科連隊の基地であるため戦車などは配備されていないが、それでも装甲車など最低限の装備は配備されていた。

 一般的に、陸上自衛隊の普通科連隊は本部管理中隊(本部班、情報小隊、施設作業小隊、通信小隊、衛生小隊、補給小隊)及び四~六個の普通科中隊、重迫撃砲中隊(本部班、四個の重迫撃砲小隊、全身観測班)の三種で構成される。さらに一つの普通科中隊は本部班、三~四の小銃小隊、迫撃砲小隊、対戦車小隊で構成されており、小銃小隊はそれぞれ三名の小隊本部と一隊が七~八名で構成される小銃分隊が三~四隊で構成されている。つまり一つの中隊に小銃担当自衛官は最大一二八名存在するという事になるだろう。

 この日、第60連隊連隊長兼北御殿場駐屯地司令の鶴木義輝一等陸佐は、第60連隊本部管理中隊隊長にして同駐屯地副司令も兼任する鷹沼泰時二等陸佐と自室で話し合っていた。窓の外からは訓練にいそしむ自衛官たちの掛け声が聞こえてきており、その向こうには日本の象徴たる富士山の雄大な姿が映っている。

「取材、ですか?」

「あぁ。日本中央テレビがうちを取材したいとの事だ。すでに上の許可は取ってあるらしく、今朝になって防衛省の方からも通達が来た。そうなると、こちらとしても拒否するわけにはいかない」

 鶴木はそう言ってため息をついた。本音はあまりややこしい事をしたくはないのだろう。

「取材内容は?」

「どこでもいいから部隊に密着取材をしたいそうだ。取材陣が来る時間帯や訓練内容からすると……ちょうど第2普通科中隊第3小銃小隊が訓練をしている時間帯だ。ひとまず、彼らに任せようと思うのだが、どう思うね?」

「玉造二尉の小隊ですか。彼なら取材をされてもボロを出す事もないでしょうが」

 鷹沼は慎重にそう言う。

「とりあえずここに呼んである。もう間もなく来るだろう」

 鶴木がそう言った瞬間、部屋のドアがノックされた。入るように言うと、迷彩服を着た一人の自衛官が入ってきて敬礼をした。

「玉造二等陸尉、参りました!」

「ご苦労。楽にしたまえ」

 鶴木がそう言うと、自衛官……第2普通科中隊第3小銃小隊の小隊長である玉造航太郎二等陸尉は敬礼を解いた。

「来てもらったのは他でもない。実は今日、日本中央テレビが当駐屯地に取材に来ることになっていてね。どこかの部隊に密着取材をしたいとの事なんだが……それを君の部隊に頼めないかと思ってね。どうだね?」

 そう言われて、玉造は一瞬困惑した表情を浮かべたものの、すぐに顔を引き締めてきびきび答えた。

「命令とあらば、もちろん」

「うむ。では、頼めるか。聞いている話では、午後二時頃にやってくるそうだ。対応は君に任せるが、内容は後で私に報告はしてほしい。話は以上だ」

「はっ! 失礼します」

 そう言うと、玉造は再度敬礼して部屋を出て行った。後には鶴木と鷹沼だけが残される。

「テレビの取材を受け入れるとは……自衛隊も変わったものだな」

「まぁ、国民に受け入れられてこその自衛隊ですからね」

 鷹沼の言葉に、鶴木は遠い目で窓の外の富士山を眺めたのだった……。


 午後二時、日本中央テレビのライトバンが、北御殿場駐屯地の正面口へと姿を現した。すでに話は通っているため、ゲートで取材に来た旨を伝えると、そのまま中へ入れてもらえた。指定の場所にライトバンが停まると、後部座席からこの取材のアナウンサー……すなわち矢頼千佳が少し緊張した様子で姿を見せた。

「来ちゃった……」

 千佳はそう呟いて駐屯地を見回す。

 結局、昨日になって千佳は山梨から帰京する事になり、その後出雲の指示通りこの北御殿場駐屯地の取材を希望し、それが実現する事になっていた。元々上層部としても最近作られたこの駐屯地への取材は一度やっておきたかったらしく、比較的簡単に認められたのである。ただ、出雲がどんな意図を持ってここの取材を指示したのかについては、千佳自身よくわかっていない状態だった。とにかく、今は出雲の指示通りに動くしかない。

 と、しばらくして駐屯地の奥からいかにもベテランといった風の見た目四十代半ばと思しき自衛官が姿を現した。

「日本中央テレビの方ですか?」

「そうです」

「ようこそ北御殿場駐屯地へ。自分は第2普通科中隊第3小銃小隊小隊本部所属の林沼吉道三等陸尉であります。本日の案内を担当させて頂きます」

「あ、よろしくお願いします。日本中央テレビの矢頼千佳です。こっちがカメラマンの成原さん」

 その言葉に、今回の取材で同行する事になった日本中央テレビカメラマンの成原高彦は無言でぺこりと頭を下げた。三十代半ばの無精髭を生やした職人タイプのカメラマンで、必要最低限の事しか喋らない仕事人といった風の人物である。が、腕は間違いなく局内でも一流で、上層部からも信頼されている人間だった。

「こちらこそよろしく。では、早速案内しますが、機密上の理由から、撮影は我々が許可したところでのみ行ってください」

「わかりました」

 もとよりその事はアポイントメントを取った時点で防衛省側からも忠告されていた事だった。というより、出雲自身も「多分そうなるだろうが特に問題ない」と言っており、どうやら取材を通じた駐屯地内部の情報収集が目的ではないようだった。千佳が成原に合図すると、成原は無言のままカメラを下ろす。それを見て、林沼も二人を駐屯地の奥へと案内し始めた。

「本日の予定ですが、この後第3小銃小隊の訓練の様子をお見せいたします。もちろん、見せられる部分のみにはなりますが、基本的に自由に撮影していただいて結構です。その後、隊員へのインタビューの時間を二十分程度取らせて頂きます」

 そんな事を話しているうちに、いくつか建物の並んでいる地区を過ぎ……林沼に聞くと、ここは隊員たちが生活する隊舎との事だった……そこからもうしばらく行ったところで開けた運動場へと出た。すでにそこには第3小銃小隊の隊員たちが集合して整列しており、その先頭で小銃小隊隊長の玉造が何やら指示を出しているのが見える。

「隊長、お連れしました」

 林沼が敬礼しながらそう言うと、玉造が振り返って頷いた。

「ご苦労。では、これより訓練を開始する。本日は日本中央テレビの取材が入っているが、気にする事なく通常通りの訓練を心がけるように!」

「はっ!」

 隊員たちがきびきびと敬礼する。

「では、訓練始め!」

 玉造のその言葉と同時に、訓練が開始される。目の前で繰り広げられる普段目にしないような自衛隊員たちの訓練の様子に千佳は最初息を飲んでいたが、すぐに自分の仕事を思い出して、カメラの前で予定通りリポートを始めていく。時折わからない事もあったが、脇で控えている林沼に聞けば、話して大丈夫な範囲であれば親切に答えてもらえるようだった。

 そうこうしているうちに一時間半ほどが経過し、そこで一度訓練は休息に入ったようだった。千佳はひとまずリポートがうまくいった事に安堵したが、すぐに隊員たちへのインタビューが待っている。そして、このインタビューが千佳にとっては問題だった。

 これまでの出雲の傾向を考えれば、隊員たちと直接接触できるこのインタビューで事件に関する事を色々聞き出せという指示が出そうなものなのだが、意外にも出雲が出した指示はインタビューに関しては千佳に任せるというものだった。それどころか、下手に怪しまれないよう、インタビューで事件の事は出来るだけ口に出すなと言う真逆の指示さえ出ている始末である。出雲が自分に何をさせたいのかはいまだにわからないままだが、何にしてもそう言われている以上、千佳は林沼たちに呼ばれた何人かの隊員たちに対して当たり障りのない質問をぶつけ続けるしかなかったのである。もっとも、隊員たちの方も必要最低限の事しか話さず、双方がそんな調子なのでインタビューは比較的スムーズに終了し、早くも取材は終了となった。

「ありがとうございました!」

 取材が終了し、千佳は取材に協力してくれた隊員たちに頭を下げる。だが、実は千佳の仕事はここからが本番だった。出雲が出した指示……それはむしろこの取材終了の場面からが正念場だったのである。

 千佳は内心で緊張しながらも、あえてさりげない風にこう言葉を続ける。

「あの、至らないところがあったらすみませんでした。私、まだ新人で、取材経験もそこまでないもので……。本格的な一人での取材はこれが最初なんです。現についこの間まで山梨の方に取材に行っていたんですけど、うまくいかなくてこっちに回されちゃって……」

 その言葉に、話を聞いていた何人かの自衛官が反応した。すでに取材が終了している事もあって、カメラで撮影されていた時よりも少し空気が和やかになっている。代表して案内担当の林沼がこれに応じた。

「山梨ですか。何の取材だったんですか?」

「えっと、今話題になっている例の心臓強盗事件の取材です。ご存知ですか?」

「もちろん。近くで起こっている事件ですから。でも、確か最近のニュースだと、後の二件は模倣犯だったようですが」

 林沼が答え、何人かがそれに頷く。さすがに近場だけあって知らない人間はあまりいないようだった。それを確認すると、千佳は勇気を振り絞って一世一代の大芝居を打つ。

「えぇ、そうなんです。その逮捕された模倣犯というのがその……取材をしていた私の上司だったんです」

「ほぉ、そうだったんですか?」

「あ、もちろん私は事件とは全く関係ありません。私が取材に入ったのは第三の事件が起こった後ですから。でも、当然上はいい顔をしなくて、私は取材から外されてしまいました。でも、その混乱の中で変な噂も聞いたんです」

「噂、ですか?」

「はい。何でも、この事件に『復讐代行人』とかいう都市伝説上の殺し屋が関わっているっていう話で、模倣犯だった私の上司を警察に突き出したのはそいつだって。しかもそいつは執念深い殺し屋で、最初の事件の犯人を今でも捜し続けているって話なんですが……考えてみればそんな都市伝説みたいな殺し屋がいるわけないですよね。多分、混乱の中で出てきた悪質なデマだと思います。気にしないでください」

 そう言ってわざとらしくため息をつくと、表面上慌てたようにして頭を下げる。

「あ、すみません! 個人的な話をしてしまって! えっと、改めて今日はありがとうございました」

「いえいえ、こちらとしても国民の皆さんに我々の仕事を知ってもらえるいい機会でしたから。隊員一堂、放送を楽しみにしていますよ」

 林沼がそう言う中、隊員たちはジッとその光景を見つめていたのだった……。


 その夜、都内にあるマンション。その一室で、矢頼千佳はどこかに電話をかけていた。ここは千佳の自室である。

「言われたようにやりました。出雲さん」

『……そうでございますか。ありがとうございます』

 電話の相手は出雲だった。千佳はホッとしたように息を吐くと、改めて出雲に問いかける。

「でも、これでよかったんですか? あなたが何を考えているのかは知らないけど、わざわざ自衛隊に自分の存在を知らせるような事をして……多分、あれで部隊の全員があなたが事件にかかわっている事を知ったと思いますけど」

『考えがあっての事でございます。まぁ、一つの宣戦布告のようなものだと思っていただければ結構です』

「はぁ」

 その後、出雲は少し真剣な声で告げた。

『ひとまず、これで今回の一件における矢頼様の役割は終わりでございます。既定の報酬はお支払いしますので、これからしばらくは事件から離れていてください。約束通り解決後の事件の報道に関しては矢頼様にメリットがあるようこちらも善処いたします。予定では、一週間以内に決着がつくはずでございます』

「わ、わかりました」

『では、これで。次に何かあるときにはこちらから連絡いたします。それでは、今後ともよろしくお願いいたします』

 電話が切れる。千佳は電話をしまうと、窓から東京の夜景を見やった。

「これからどうなるんだろう……」

 目の前に広がる明るい東京の夜景の中で、暗闇が密かに動き出そうとしていた。

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