第二章 六月十八日 容疑者

 その数時間後、東京都から山梨県へと続く県道を一台の車が走っていた。

「西沢さんは昔捜査一課にいたそうですね」

 その車……警視庁の覆面パトカーを運転しながら、蓮は助手席に座る西沢に尋ねた。車は東京を抜け、すでに山梨県下に入っている。西沢は事件に関する書類を見ながら頷いた。

「あぁ。最後にいたのは捜査一課三係……係長は斎藤孝二警部だった。知っているか?」

「えぇ。捜査一課でも優秀な刑事の一人です。私も何度かお世話に。それはそうと、その前は航空警察隊のヘリの操縦士だったとか。随分変わった転身ですね」

「否定はしない。そういう君も、捜査一課出身だったと聞いているが」

「捜査一課十一係です。係長は七瀬町子警部。在籍していたのは一年だけですけど」

「最初からこの捜査本部に合流するつもりで所轄から捜査一課への異動を希望したと聞いている。目的は出雲への復讐か?」

「……否定はしません」

 同じような答えに、西沢がフッと微笑む。

「ほどほどにしておけよ。ここは私情でどうにかなるような部署じゃない。それに、出雲を追い詰める事だけが俺たちの仕事じゃないんだ。出雲によって殺された人間がどんな事件の犯人だったのかを突き止めるのも俺たちの仕事のうち。こっちは復讐心だけではやっていけないぞ」

「御忠告は受け取っておきます」

 固い調子の答えに、西沢は小さく首を振った。

「そろそろ捜査本部の置かれている河口署だ。向こうとの交渉は俺がやる。君はひとまず俺の後ろで見ていてくれ」

「当てはあるんですか?」

「この件は山梨県警の総力を結集した捜査になっているはず。だとすれば……」

 そう言うと、西沢は携帯電話の番号を押した。

「どうも、西沢です。お久しぶりですね。えぇ、七年前に大月市で起こった殺人事件での合同捜査以来です。はい、お忙しいのはわかっていますが……実はある件でお話がありまして。今、私が所属している部署とのかかわりもある事です」

 どうも、県警の捜査関係者の誰かと話をしているらしい。が、しばらくして西沢の表情が変わった。

「何ですって? それは、確かですか? えぇ……わかりました。ひとまず、会いましょう。それでは」

 そう言うと、西沢は電話を切った。

「どうしたんですか? というか、今のは誰なんですか?」

「山梨県警の藤三太郎警部。昔、捜査一課時代に合同捜査で知り合った仲だ。今は『心臓強盗事件』の捜査本部にいる。刑事部の警部だから、彼も出雲の事は知っているはずだ」

「それで、何が?」

 その問いに対し、西沢は深刻そうな表情を浮かべた。

「それが、今回の事件の関係者の一人が問題の十五日……すなわち金曜日の夜から行方不明になっていて、捜査本部が混乱状態になっているらしい。もしかしたら、今週の犠牲者かもしれないってな。今のところ遺体は見つかっていないから、公表は差し控えているらしいが」

「第四の犠牲者って事ですか?」

「いや、そうとも言い切れないかもしれない。今回の件は今までとは形態があまりにも違うそうだ。だからこそ、捜査本部はどう扱うべきか判断しかねている」

「といいますと?」

「行方不明になっているのは日本中央テレビプロデューサーの秋口勝則。第三の犠牲者・佐田豊音の上司に当たる人物で、紛う事なき男性だそうだ」

 西沢がそう言った瞬間、車は河口署の駐車場に滑り込んでいた。


「西沢君、久しぶりだな」

 警察署の裏口から入ると、山梨県警の藤警部が二人を出迎え、そのまま小会議室へと案内してくれた。極秘の話という事で急遽用意したものらしい。西沢が藤に蓮を紹介し、三人は囲むようにして腰を下ろした。

「お茶を出すべきなんだろうが、勘弁してほしい。何しろ、今捜査本部はそれどころではないものでね」

「秋口というプロデューサーが失踪したそうですね」

「あぁ。十六日土曜日の早朝、予定時刻になっても出てこない彼を不審に思った他のクルーが旅館の彼の部屋を確認したところ、姿が消えていたという事だ。荷物なんかもそのまま。失踪から二日が経過しているが未だに見つかっていない。正直、どう考えるべきなのかわからずに困っている」

「今までの犯行はすべて標的が女性だったはずですね」

「あぁ。男性というのは初めてだ。それに、遺体が見つからないというのも解せないし、何より奴は第三の事件の関係者だ。そんな男が消えたという事で、判断しようがなくなっている」

 藤はため息をつくと、改めて西沢を見た。

「まぁ、その話はいったん置いておこう。それで、話というのは何なんだ? 警視庁所属のお前が、どうして山梨県警の事件にしゃしゃり出てきた?」

「……その前に、一つ訂正しておきます。私は今、警視庁の所属ではありません」

 その言葉に、藤は眉をひそめる。

「異動したのか? じゃあ、今はどこに?」

「現在は警察庁刑事局に所属しています。所属部署は……『復讐代行人特別捜査本部』です」

 その言葉に、藤の顔色が変わった。

「何だと?」

「藤警部。私がなぜこの状況でここに来たのか、これでおわかりになられたと思いますが」

「まさか……この件に関してあの『怪物』が動いているというのか?」

 黒井出雲に関しては、世間に与える影響があまりにも強すぎるため、警察内部でもその情報を知る人間は限られている。現状では、各県警上層部と各県警の刑事部所属の警部以上の階級の人間のみがその存在を知る事となっている。藤もそんな数少ない人間の一人であった。

「極秘の情報です。どうも出雲のやつが、被害者遺族の一人から『心臓強盗』に対する復讐の依頼を受けたと思われます。まだ確定的ではありませんが、かなり確実性の高い情報と思ってもらって結構です」

「よりによって……何でこんな時に! これ以上爆弾を抱えている状況ではないというのに……」

 そう言ってから、藤は西沢を見据えた。

「誰が依頼を?」

「現段階では、それを言う事はできません。とにかく、大切なのは一刻も早く奴の犯行を阻止する事です。ですが、先程も言ったように確実性は高いものの現状では確定的ではありません。なので、こうして極秘裏にお知らせするしかないんです」

「何ともはや……」

 藤は思わず頭を抱えてしまった。

「……出雲の動きは?」

「まだわかりません。ですが、奴は十六日の深夜に新宿で一つ大きな仕事を成し遂げています。それが終わった以上、こちらの事件に総力を出せる状況ができつつあると特別捜査本部では見ています。一刻の猶予もありません」

「……となると、捜査方針を根本的に考え直す必要があるかもしれないな」

 藤はそう言って考え込んでしまった。

「というと?」

「事にあの『黒井出雲』が絡んでいるとなると……今回の秋口失踪に奴が関与している可能性が浮上する」

 その言葉に、西沢の表情も変わった。

「秋口の失踪が出雲の仕業だと?」

「わからない。西沢君はどう思う? 専門家なんだろう?」

「そうですね……奴が関わっているとするなら、失踪から今に至るまで遺体が見つかっていないというのは不自然です。奴は標的を仕留めた事を依頼人と警察に示すために、必ず遺体を発見させます。その際、犯行を示す合図として出雲阿国のカードを傍らに置くはず。そうした遺体は見つかっていませんよね?」

「あぁ。カード付きの遺体が見つかっていたら真っ先にそっちの捜査本部に連絡を入れる規則になっている」

「それに、奴は人殺しではありますが、基本的に必要最低限の殺ししかしません。つまり、奴が誰かを殺したのだとすれば、その人物が事件の犯人だという事です。そこで質問ですが、その秋口というプロデューサーが今回の一件の犯人である可能性は?」

 これに対し、藤は首を振った後で答える。

「ないな。奴は一件目の事件の際に大阪にいた。これは第三の事件の際にアリバイの確認をしている」

「だとするなら、奴がそのプロデューサーを殺す動機がなくなってしまいます。とはいえ、このタイミングですから彼の失踪が事件と全く無関係だとも言えませんが……」

 何とも微妙な話である。二人は深く考え込んでしまった。

「いずれにせよ、我々としてはこちらで本格的に捜査をしたい。そのために、県内での捜査権を頂きたいのですが」

「……ひとまず、この件は上に伝える。事が事だ。上層部も君たちの捜査権を認めるだろう。それでいいか?」

「もちろんです。おそらく、上層部にはうちの本部長から直に連絡が行くはず。我々はあくまで先発部隊です」

「そうか……。いずれにせよ、奴が絡んでいるとなれば捜査の早急な立て直しが急務だ。一度失礼する。警部以上の面子で対策を協議しないとな……」

 そう言うと、藤は部屋を後にした。後には西沢らだけが残される。

「これで山梨県警に対する義理は果たした。県警の許可が出次第、俺たちも動くぞ」

「はい」

 西沢の言葉に、蓮は決然とした表情で頷いていた。


「復讐……代行人、だと……」

 河口署の署長室。藤の報告に対し、緊急招集された幹部陣営……県警刑事部長や県警捜査一課長、河口署署長といった面々の血の気が引いていた。それほどに、復讐代行人の名前は警察上層部の間では恐れられている名前だった。

「最悪だ……。この状況で奴に出て来られるなんて……」

「誰かはわかりませんが、被害者遺族に対する監視を緩めるべきではなかったですね。どの被害者も遺族のアリバイは確定していたので、そちらに対する監視は排除していたのですが……」

 だが、今さら過去の事を悔やんでもどうしよもない。問題はこの後の対策をどうするのかである。とはいえ、ここまで大事になると現場としてはどうしても県警本部長と警察庁との折衷待ちになってしまう。この中では一番偉い県警刑事部長でさえ、うかつに動く事は出来ない状態だった。

「本部長にこの事は?」

「すでに連絡を。今頃警察庁の刑事局長と協議をしているはずです。それで、特別捜査本部から来た二人についてはどうしますか?」

「状況が状況だ。受け入れざるを得ないだろう。専門職抜きでこの状況はあまりにもきつすぎる」

 と、そこで署長席の電話が鳴った。河口署署長が取り、何度か頷いた後で刑事部長に差し出す。受け取った刑事部長はしばらく何事かをやり取りしていたが、やがて大きく息を吐いて受話器を下ろした。

「本部長からだ。本件に関し、警察庁の特別捜査本部との情報共有を密にせよとの事だ。例の二人に関しては、表向き警視庁からのオブザーバーという形で処理する。被害者は全員東京在住だから、問題はあるまい。それと……」

 刑事部長はそこで当惑気味にこう言い添えた。

「もうすぐ、県警の警備部長がこちらに来る」

「え?」

 何を言われたのかわからなかった。この件でなぜ警備部の部長が出てくるのかがわからなかったからだ。

「なぜ警備部長が?」

「わからん。が、どうもこの件に関して情報がある、という事だ」

 そこで藤は一瞬考え込んだ。

「確か、今の県警警備部長は……」

 それに対し、答えたのは捜査一課長だった。

「都丸達義警視正、だ」

 今日は六月十八日……あの出雲と都丸達美との約束期限、その四日間が終了した日付である。


 それから三十分後、河口署の署長室に山梨県警警備部長・都丸達義警視正が姿を見せていた。事態の急変に、小会議室から西沢と蓮も呼び出されている。都丸は厳しい表情で来客用のソファに座ると、その場にいる面々の顔を見渡した。

「急な話で申し訳なかったね。だが、どうしても君たちに伝えなければならない事ができた。状況次第では、この一件の捜査にも大きく影響するだろう」

「一体何があったんですか?」

 河口署署長が緊張した様子で尋ねる。それに対し、都丸は厳しい表情を崩さないまま話し始めた。

「話というのは他ならない。私の娘の事だ」

「娘さん、ですか?」

「あぁ。都丸達美。明正大学文学部の三年生で、山岳部の部長をしている」

「明正大学の山岳部……。ちょっと待ってください! 確か二件目の被害者・浦井祥子がそこの所属だったはずでは?」

 藤が緊張した様子で尋ねる。

「あぁ、そうだ。この事を捜査本部は知っていたかね?」

「い、いえ。同行予定だった高松頼江には話を聞きましたが、無差別殺人だと踏んでいた事もあって当日同行予定のなかった他のメンバーまではそこまで詳しく調べていません」

 捜査一課長が汗を拭きながらそう言った。都丸もその言葉に深く頷く。

「あぁ。私もそう思っていたから君たちにこの事を言うような事はしなかった。娘と事件は関係ないと思っていたからね。だが、そうも言っていられなくなった」

「何があったんですか?」

「……復讐代行人が娘に接触した。四日前だ」

 その一言に、その場の空気が張り詰めた。

「確かですか?」

「今朝、娘から連絡を受けた。四日前、都内にある剣道教室の道場に現れ、朝練にやってきた娘を剣道の試合で打ち負かして、話を聞き出したらしい。内容は、娘と三件目の被害者・佐田豊音との関係だ」

「ま、待ってください! 何でそこで佐田豊音の名前が出てくるんですか?」

 藤の問いに対し、都丸は苦々しい顔で答えた。

「それが、私も今朝娘から聞いて初めて知ったんだが……佐田豊音は娘の通う剣道教室に時々顔を出していて、娘とは顔見知りだったらしい。こっちに単身赴任していた私は知らなかったが……」

「何ですって……それじゃあ、娘さんは浦井祥子と佐田豊音、その双方につながりがあったという事なんですか?」

「そうだ。そして三件目の事件が起こる四日前、佐田豊音は娘に対して電話で事件の取材をしていた。県警警備部長の娘であり、なおかつ二件目の被害者の同じサークルの先輩である娘は、佐田豊音にとっては絶好の取材対象だったというわけだ。もっとも、私は娘に事件の情報は一切知らせていないから、捜査本部の情報が漏れていたという可能性はない」

 今までになかった新情報に、誰もが緊張した顔で顔を見合わせている。

「娘さんは何でその情報を我々に知らせなかったんですか」

 西沢が問いかけると、都丸は申し訳なさそうな表情で答えた。

「この状況でそんな事がばれると、自分に疑いが向いて県警警備部長の私にも影響が出てしまうかもと考えたらしい。また、もしかしたら自分のした会話が佐田豊音の死の原因かもしれないと思って、罪悪感も感じていたようだ」

「だから、その事実を隠していた。私たちはもちろん、父親である部長にも」

「そうらしい。だが、四日前に出雲が現れ、奴は娘からすべてを聞き出してしまった。今から、娘がその時話した事を話す。これをどう判断するかは君たち次第だが、同じ情報をすでに出雲が握っている事は留意してくれ」

 そう言うと、都丸は四日前に達美が出雲に話した事柄……すなわち、生前の佐田豊音と都丸達美との間で交わされた会話について淡々と話した。それが終わると、その場の誰もが厳しい表情を浮かべていた。

「佐田豊音は、都丸達美との会話の中で、二件目の事件に関して何か気づいていた。今の話を聞くとそう思えますね」

 西沢の言葉に、全員が重々しく頷いた。刑事部長が重い口調で告げる。

「問題は何に気付いたのかだ。何よりこの会話の事実はすでに出雲もつかんでいる。となれば、出雲が何かアクションを起こしていてもおかしくない」

「もしかして……それが秋口プロデューサーの失踪という事では?」

 藤の言葉に、別の意味での緊張が走った。

「娘さんはどうして今日になってこの事を?」

「出雲に脅されたそうだ。十八日になるまでは警察に知らせるな。でないと命の保証はできない、と」

「逆に言えば、奴は今日になるまで……つまり、都丸達美が父親を通じて我々に接触するまでにすべてを終わらせるだけの自信があったという事になります。となれば、事がすでに終わっている可能性が高い」

 西沢の言葉に、刑事部長が苛立ったように告げた。

「だが今の所、秋口プロデューサーに限らず誰の遺体も見つかっていない。出雲ならそれはあり得ないはずだろう」

「えぇ。奴は自分の標的の遺体は必ず発見させます。そうでないと依頼を遂行した事を依頼人に示せないからです」

「何がどうなっているんだ……出雲は何を考えている」

 捜査一課長の言葉に、誰もが黙り込んでしまった。

「いずれにせよ、私たちが知らないところで、出雲に先手を打たれているのは間違いなさそうですね」

 蓮の言葉に、重苦しい空気がその場を支配したのだった……。


「最後のは辛辣だったな」

「事実を言っただけです。出雲との戦いに、回りくどいやり方は必要ありません」

「まぁ、そうだが」

 西沢と蓮は河口署の入口へと向かっていた。正式に捜査協力が締結され、ここから先は二人も自由に動く事はできる。もちろん出雲を知る幹部以外にこの事をばらすわけにはいかないので、表向きは警視庁からのオブザーバーという形になっている

「当面の問題は、その消えた秋口というプロデューサーだな。彼の失踪は自発的なものなのか、あるいは第三者によるものなのか。第三者によるものだとして、その相手は心臓強盗本人なのか、それとも出雲の仕業なのか。はたまた、実は秋口自身が犯人なのか。いくらでも考えられるが、君はどう思う?」

「……情報が少なすぎます。何とも言えません」

 蓮は慎重にそう答えた。

「ほぉ、意外に冷静だな。激情だけで動いているってわけでもないようだ」

「激情で動いて出雲に勝てない事は、痛いほどよくわかっていますから。もちろん出雲の事は憎いですけど、だからこそ冷静にならないと」

「それがわかっているならいい。さて、どうしたものかな」

「その都丸警備部長の娘さんについては?」

「東京で佐野警部たちが動いているからそっちは問題ない。となると、こっちがやるべきなのは……」

「秋口プロデューサーの調査、ですね」

「違いない。とにかく、一度彼のクルーに接触してみよう。聞けば、三番目の被害者もそのクルーのアナウンサーだったらしいしな」

 聞いた話だと、秋口の失踪後、彼らは宿泊中の旅館で待機状態なままであるらしい。ひとまず西沢たちはその旅館へ向かった。フロントに呼び出してもらうと、しばらくして疲れた様子の三人組が顔を見せた。

「もう、話す事はないんだけどなぁ」

 先頭に立つ大柄な男がそう不満を言った。カメラマンの井ノ坂竜三である。その後ろには、ADの麦原律と、佐田豊音の死後に呼ばれた矢頼千佳アナウンサーの姿も見える。もはや、クルーの中で残っているのはこの三人だけになってしまっていた。

「改めて話を聞きたいと思いまして」

「秋口さんの行方ならわからないよ。急にいなくなってこっちも困っているんだ。そのせいでまともに取材もできないままここに缶詰めだしな」

「あの……あなた方は? 今までの刑事さんたちとは違うようですけど」

 千佳の問いに対し、西沢は頭を下げた。

「失礼、警察庁刑事局の西沢と言います。こっちは尼子蓮君」

「警察庁? 何でそんなところが?」

 井ノ坂が胡散臭そうに言う。通常、警察庁は全体の監督を行う部署で、個別の捜査に介入するなどという事態はよほどのことがない限りは行われない。これに対し、西沢はあらかじめ用意しておいた言葉を告げる。

「この一件、日本の治安行政に大きな影響が出るかもしれないと、警察庁もかなり深刻にとらえていましてね。我々もオブザーバーとして参加させているのですよ」

「はぁ……そんなものですか」

 納得できない風ではあったが、井ノ坂は渋々と言った風に頷いた。一方、千佳はなぜかジッと二人の方を見つめている。

「何か?」

「あ、いえ。今まで警察庁の方には会った事がなかったので」

 千佳は慌てた風に取り繕う。

「そうですか。では、改めて秋口さんの失踪した時の様子を教えてもらえますか?」

「どうって……朝になっても出てこなかったからここにいる全員で部屋に行ったら、鍵が開けっ放しで誰もいなかったんだ。そのまま帰ってこないし、こりゃ何かあったと思って警察に通報した。そうだったよな?」

「は、はい」

 千佳が青ざめた表情でそう言い、律は無言で頷く。

「部屋の様子はどうでしたか?」

「普通に整理してあったよ。俺の予想だけど、あれは誰かに連れ去られたって感じじゃなくて、どういう理由かはわからないけど、自分で出て行ったんだと思う」

「自分で出て行った、ですか。そうなると移動手段が問題だが……確か、ここでの足のための車があったはずですよね」

「あぁ、バンがある。でも、ちゃんと駐車場に停めてあったよ。キーは秋口さんが管理していたけど、それもちゃんと秋口さんの部屋の机の上に置きっぱなしだったし」

「出て行ったのにバンは使っていない、か」

 何とも違和感の残る話だった。

「秋口さんが出て行くような予兆は?」

「いや、そんなもの全く。だから戸惑っているんだよ。あの夜一体何があったのやら」

「あなた方はその時は?」

「寝てたよ。それが普通だろう。そうだよな?」

「え、えぇ。私もそうです。連日の取材で疲れていましたし」

「私も」

 井ノ坂の言葉に、千佳と律も同調する。

「そうですか……わかりました。貴重なお時間、どうも」

 西沢はそう言って頭を下げた。それに対し、井ノ坂は不満そうに言う。

「警察の捜査はどうなっているんだよ。そっちこそ、秋口さんの行方について何かわかっていないのか?」

「我々は今日到着したばかりでしてね。心配せずとも、県警が鋭意捜査中ですよ」

「随分いい加減なんだな。秋口さんが死んでいるかもしれないっていうのに」

「遺体が見つかっていない以上、希望は捨てない事です。では」

 西沢はそう言うと、そのまま旅館を後にした。蓮も後に続く。

「あれでよかったんですか?」

 蓮が少し問い詰めるように言う。

「あれでって?」

「もっと締め上げるべきだったのでは?」

「現状、あれ以上の情報は引き出せないと判断した。それに、収穫がなかったわけじゃない」

「と言うと?」

「……君は気づかなかったか?」

 そう問われて、蓮は厳しい表情を浮かべる。

「どういう意味ですか?」

「こればかりは経験だな。何だかんだ、俺も斎藤警部の所でかなり鍛えられたからな」

 そう言うと、西沢は端的に言った。

「目だよ」

「目?」

「事件当夜のアリバイを聞いたときだ。井ノ坂が後ろの二人に問いかけたとき……アナウンサーの矢頼千佳の視線が一瞬泳いだ。あれは咄嗟の事で一瞬素で答えそうになって、慌てて別の言い訳を言った時に出る反応だ。本来とは別の事を無理やり答えようとするからああいう反応になる」

「つまり、矢頼千佳が何かを隠していると?」

「証拠はない。あくまで俺の勘だ。ただ、こういう勘っていうのはよく当たるんだ」

「けど、矢頼千佳は第三の事件……つまり佐田豊音が殺された後で現場入りしていたはず。そんな彼女が事件に関係しているなんて……」

「その辺はわからない。が、相手はあの出雲だ。何かとんでもない事を仕組んでいても不思議じゃない」

 西沢は旅館を振り返って告げる。

「ひとまず、秋口プロデューサーと矢頼アナウンサー……この二人の事を調べてみる必要はあるな。東京に連絡しよう」

 その言葉に、蓮は小さく頷いたのだった。


 同じ頃、旅館の中では解放された三人が元の部屋へ戻るところだった。

「まったく、散々だな。完全に容疑者扱いじゃねぇか」

 井ノ坂はそう吐き捨てる。律は無言のままなので、仕方なく千佳がそれを慰めた。

「仕方がありませんよ。私だって、自分が警察だったら疑うと思いますし……」

「それはそうなんだが……そう言う千佳ちゃんも災難だね。ピンチヒッターでやってきてこれじゃあ、割に合わないだろう」

「まぁ……そうなんですけど……」

 そうこうしているうちに、千佳の部屋の前に到着する。

「それじゃあ、何かあったら言ってくれ。もうしばらく缶詰は続きそうだしな」

「はい。それじゃあ」

 そういうと、千佳は自室に入ってほっと息を吐いた。そして、そのまま一瞬周囲を確認すると、何を思ったか携帯電話を取り出して写真フォルダを呼び出す。それは、千佳が今まで持っていた携帯電話とは別のものだった。

「今のは……やっぱり……」

 そこにはいくつかの写真が保存されていたが、そこに写っていたのは、あろう事か特捜本部に所属する佐野ら刑事の顔写真だった。もちろん、西沢や蓮の写真もその中には含まれている。そして、その写真にはメモが添付されていた。

『復讐代行人特別捜査本部構成メンバー一覧。この写真のメンバーが一人でも現れた場合、必ずこちらに連絡を入れる事。折り返し指示いたします。なお、この電話は盗聴その他の小細工ができないように細工した特別製のものです。私への連絡は必ずこの携帯を使用し、万が一押収されそうになった場合はあらかじめ指定した番号を押して内部データを削除するように。出雲』

 千佳は恐る恐る窓に近づくと、閉めてあったカーテンの隙間からこっそり外を覗く。その視線の先には、ジッと旅館の方を見上げながら何かを話しているさっきの刑事たちの姿があった。

「もう……後戻りはできないんだよね」

 千佳はそう呟くと、あの夜出雲に渡された携帯電話の番号を押し、出雲に連絡を取ったのだった……。


 同時刻、東京。都丸達美の住むマンションの一室で、特別捜査本部からやってきた内田元義警部と日吉鬼一郎巡査部長が都丸達美に対する尋問を行っていた。

「では、広木剣道場に現れる前にも、奴は明正大学山岳部の部室に現れていたという事だね?」

 内田が静かに尋ねると、達美は小さく頷いた。さすがに今回は敬語である。

「はい。その時は『大和日名子』を名乗っていましたが」

「大和日名子……奴がよく使う偽名だ」

 内田と日吉は頷き合う。

「その時は何を?」

「祥子ちゃんが殺された時の事を聞かれました。でも、ほとんど頼江ちゃんに聞いている風でしたけど」

「……話を戻しますが、広木剣道場で、君は奴と戦ったんだね?」

「はい。剣道の三本勝負を向こうが持ち掛けてきました。相手は二刀流用の短い竹刀でしたけど、私は完敗でした。あの状況では、私は彼女の質問に答えるしかなかった」

「そうか……」

 内田は少し踏み込んだ質問をした。

「聞いている限りだと、奴は佐田豊音と広木剣道場……というより君との関係を知った上で君に会いに行ったようだ。その事実をどこで知ったかは?」

「さぁ、私にはわかりません。いきなりだったもので」

「では、君が広木剣道場で剣道の指導をしていた事を知っていた人間は?」

「それは多いと思います。以前、テレビの取材を受けた事もありますし」

「取材?」

 そこで内田は何かに引っかかったようだった。

「取材と言うのは?」

「地元の剣道場の特集だったと思います。取材したのは日本中央テレビです」

「それは佐田豊音のテレビ局だよな?」

 内田と対照的な感じで日吉が無遠慮に聞く。が、達美は首を振った。

「残念ですけど、取材したのは佐田さんじゃありません。それだったらさすがに忘れません。佐田さんと関係ないところでたまたま別の取材が重なっただけです」

「その時、取材をした相手の名前は?」

「さぁ……よく覚えていません。名前は名乗ったはずなんですけど、私は稽古に集中していたから」

「では、秋口勝則、井ノ坂竜三、麦原律、矢頼千佳。この中に聞き覚えのある名前は?」

 内田は心臓強盗事件絡みの日本中央テレビの関係者の名前を告げた。と、最後の名前に達美は反応した。

「矢頼……そうだ、確かそんな名前でした。新人っぽいアナウンサーで……」

「矢頼千佳か……」

 内田は難しい表情を浮かべる。一番事件と関係なさそうな人間と認識していたので、名前が出てきた事に少なからず驚いていたのだ。

「って事は、少なくとも矢頼千佳は都丸達美が広木剣道場にいた事を知っていたわけって事だな」

「……調べるしかないな」

 日吉の言葉に内田は頷いた。


「警部、矢頼千佳について一通り調べました」

 それから少しして、警察庁の復讐代行人特別捜査本部の部屋に、山梨にいる西沢と蓮以外のメンバーが集まっていた。内容は、西沢と内田の双方からの報告で浮上した矢頼千佳に関する事である。代表して野々宮が佐野に報告をしていた。

「大学時代に当時の恋人に殺されかけて九死に一生を得た経験があり、それがアナウンサーになるきっかけになったようです。犯人は現在も服役中。しかし、出雲とのつながりは現時点では確認されていません」

「それなんだけどよ、念のため心臓強盗事件の遺族関係者に話を聞いてみたんだが、その中の何人かに出雲が接触した形跡があった。全部『大和日名子』を名乗っていたようだがな。で、だ。一人目の被害者・森川景子の先輩に大垣仁という編集者がいるんだが、こいつが出雲と一緒に日本中央テレビ本社まで行った事を認めた。しかもこれは、出雲が都丸達美に接触する前日の話だ」

 日吉が険しい口調で言う。佐野の表情も厳しくなった。

「確かか?」

「あぁ。勝手について来たらしいけどな」

「それで、当日の事について調べてみたところ、問題の矢頼千佳がこの日に限って山梨の現場から所用で本社に一時帰還していた事がわかった。偶然にしてはできすぎているようにも感じるが……」

 内田が後を受けて報告する。

「局内で出雲と矢頼千佳が接触した可能性があるか」

「その次の日に、出雲が広木剣道場に足を踏み入れている事を考えると、そこで矢頼千佳が都丸達美と佐田豊音の関係性を出雲に話したと考えるのが筋でしょうねぇ」

 鷹司がゆっくりとした口調で推測を述べる。

「問題はその後だな。矢頼千佳が単にその時出雲が接触しただけの証人に過ぎないのか、それともそれ以上の何かがあるのか……」

 佐野は考え込みながら、一度話題を変換した。

「消えた秋口プロデューサーに関してはどうだ?」

「局で話を聞いてきたが、仕事一辺倒の仕事人間だな。そのせいで家庭も崩壊寸前らしいぜ。あと、最近になって他局から移ってきた若手敏腕プロデューサーがいて、そいつと功績を奪い合っていたっていう証言も出た。今回の事件の報道は、秋口にとってはチャンスだったらしいな」

 日吉がスラスラと答える。

「なのに、自局のアナウンサーを殺され、自身も行方不明か。一応聞くが、アリバイは?」

「一件目の事件の時に大阪で別の取材をしていたというアリバイがあります。犯行は不可能です」

 野々宮が間髪入れずに答えた。

「アリバイありか。だが……何かが引っ掛かる」

「警部はどう思います? 秋口は殺されていると?」

「少なくとも出雲の仕業なら遺体が出ないのはおかしい。だが、このタイミングで失踪して出雲が全く関与していないとも思えない。微妙なところだな……鷹司さんの意見は?」

「出雲が絡んでいるのは間違いないと思いますねぇ。この秋口失踪の件はどう考えても今までの心臓強盗の犯行形態からは大きく外れてしまっています。被害者は男性で、しかも遺体が見つかっていない。これは今までの心臓強盗の犯行形態とは大きく違う部分です」

「じゃあ、心臓強盗の仕業じゃないって事かよ。でも、だったら本物の心臓強盗はどこで何をしているんだ? 律儀に一週間後ごとに犯行を起こしてきたあの殺人鬼が今回に限って何もしないっていうのは納得がいかねぇ」

 日吉の言葉に、鷹司はあくまで落ち着いた口調で答えた。

「さぁ、そこまではわかりませんねぇ。我々が秋口失踪にとらわれ過ぎているせいで遺体を発見できていないのか、あるいは犯人に抜き差しならぬ何かが起こって犯行を行えなくなったのか……まぁ、そんなところだとは思いますが」

「どうにも煮え切れねぇ話だな」

 日吉がいらついたような声を出した。

「とにかく、何となくだが嫌な予感がする。秋口と矢頼千佳、この二人の事について引き続き調べてくれ。どんな形であれ、しばらくしたら事件が動く予感がする。それに備えろ」

「了解」

 佐野の言葉に、全員が重々しく頷いたのだった。


 その夜、東京都新宿区。その一角にある廃ビルの中にある薄暗い部屋の中で、出雲が誰かと電話で話をしていた。その姿は部屋の暗闇に溶け込み、パッと見た感じで入るのかいないのかわからないくらいである。

「そうでございますか。やはり特捜が動き始めましたか」

『どうするんですか? 向こうは私を疑っているみたいでしたけど』

 電話の相手はアナウンサーの矢頼千佳だった。先日の件で、千佳はすでに出雲の協力者として動いている状況である。その千佳は、調査のために静岡を中心に動いている出雲に代わって河口署の捜査本部の動向を監視する役割を担っていた。

「問題はございません。この辺りは想定済みの話でございます。矢頼様は、引き続きそちらの捜査本部の様子を監視しておいてください。何かやって頂きたい事ができましたら、その都度こちらから連絡いたしますので」

『でも、秋口さんが行方不明になって、さすがに捜査本部も私たちの事を怪しんでいます。思うように動けません』

「大丈夫でございます。その点に関しては明日にでも解決する見通しでございます。こちらもこちらで考えていますので」

 意味深な事を言われて電話の向こうで千佳が戸惑ったような声を出す。

『どういう意味ですか?』

「明日になればわかります。ひとまず、それに対してはあなたはあなたの考えで行動して頂ければ結構です。ご安心ください。協力者になった以上、私はあなたを見捨てる事は致しません。それでは、また連絡いたします」

 そう言って出雲は電話を切る。静岡で調査中の出雲がわざわざ東京まで出てきている理由。その理由の一つが、今まさに部屋にの片隅で出雲の様子を見ていた。

「いい協力者ができたもんだな。何かあった時に俺も使わせてほしいくらいだぜ」

 情報屋の東が、そう言って笑いながら出雲の傍に近づく。一方、出雲は穏やかな笑みを浮かべながらそれに答える。

「無駄口はそれくらいにして、報告をお願いいたします。私も、すぐにでも御殿場に戻る必要がございますので」

「へいへい」

 東はそう言うと、ビジネス鞄の中から何かを取り出した。

「あんたの依頼通り、第60普通科連隊第2普通科中隊第3小銃小隊のメンバー全員の情報を調べた。だが、いくら小隊とはいえやはり人数が多い。トップである小銃小隊隊長、小銃小隊本部に所属する三名、そこに一隊七名前後の小銃分隊が四部隊で、合計三十二名が在籍している。仮にこの中に犯人がいたとしても、そいつを見つけるのは骨だぞ」

「それは私の仕事でございます。とにかく、リストを見せてくださいませ」

「……わかった」

 東が分厚いファイルを手渡す。そこには、容疑者三十二名全員の名前と簡単な概要がずらりと並んでいたのである。



  第60普通科連隊第2普通科中隊第3小銃小隊メンバーリスト


 小隊長

◎、玉造航太郎(たまつくりこうたろう)

 小隊長、二等陸尉。四十歳。東京都出身。妻と子供二人、両親との六人家族。厳格かつ公平な性格で、部下からもかなり慕われている。昇進の話が何度か出ているが、現場に残りたい本人の希望もあって保留中。釣りが趣味で県内の釣り愛好家組合の組長を務めており、休日には仲間と駿河湾に釣りに出かける事が多い。


 小隊本部

◎、扇原良之助(おおぎはらりょうのすけ)

 小隊本部隊長、二等陸尉。三十九歳。茨城県出身。三年前に離婚し、現在は一人暮らし。事実上の第3小銃小隊の副官で、玉造の右腕的存在。仕事は非常に有能で、つい最近も玉造同様に昇進の話が出ている。趣味はドライブで、元妻とは大学時代にツーリングで知り合った仲。

◎、林沼吉道(はやしぬまよしみち)

 三等陸尉。四十五歳。大阪府出身。妻と子供三人の五人家族。第3小銃小隊では最年長のベテラン自衛官で、隊内の若手からは「沼さん」と呼ばれている。剣道六段の猛者で、御殿場市内の剣道教室で指導者も務める。阪神大震災当時は神戸の駐屯地に所属しており、震災による修羅場を身を持って経験した。

◎、松北健人(まつきたけんと)

 陸曹長。三十五歳。和歌山県出身。妻との二人暮らしだが、現在妻が妊娠三ヶ月目。大学時代はテニス部に所属し、全国大会に出動した経験もある。現在でも休日になると地元のテニスサークルで汗を流す事が多い。二年前にそのテニスサークルにいた女性をめぐって浮気騒動が起こった事があるが、誤解だと判明し事なきを得ている。


 第1小銃分隊

◎、宮古昭人(みやこあきひと)

 第1小銃分隊隊長、陸曹長。三十六歳。長崎県出身。妻と子供一人の三人家族。五島列島の漁師の家の次男として生まれ、実家は兄が継いでいる。自身も少年時代に漁の手伝いをしていた事もあり泳ぎが達者。小隊長の玉造とは上官と部下の関係であると同時に、プライベートでは釣り仲間でもあり、家族ぐるみの付き合いがある。

◎、佐々木原佑平(ささきはらゆうへい)

 一等陸曹。三十二歳。京都府出身。妻と二人暮らしだが、その妻も元自衛官で、現在は予備自衛官に登録されている。父親は京都府議会議員だが、現在はやや没交渉気味。小学生時代にに身代金目的で誘拐された事があるが、この時は警察の捜査により無事保護。犯人は懲役十年の実刑判決を受け、現在は出所して九州で働いている。

◎、伊奈町孝義(いなまちたかよし)

 二等陸曹。三十歳。大阪出身。独身、ただし商社勤務の恋人あり。現在ニューヨーク在住の恋人とは遠距離恋愛を送る。高校時代は野球部のピッチャーで甲子園出場経験もあるが三回戦で敗退。大学進学後も野球を続けるが怪我で途中引退し、その後卒業後に自衛官に志願した。休日には地元の少年野球チームのコーチをしている。

◎、橋添辰巳(はしぞえたつみ)

 二等陸曹。三十一歳。鹿児島県出身。大学時代は人力飛行部に所属し、毎年琵琶湖で開催される鳥人コンテスト長距離部門のパイロットとして当時の最高飛行記録を樹立した経験あり。卒業後に自衛官に志願。長年付き合っていた恋人がいたが、自衛官となって時間がすれ違うようになったことから一年前に破局している。

◎、佐敷幸次郎(さしきこうじろう)

 二等陸曹。二十九歳。愛知県出身。父親も自衛官で、その影響を受けて大学卒業後に自衛隊に入隊。祖父も沖縄戦を生き抜いた帝国陸軍の軍人であり、生粋の軍人家系の人間である。軍人一家の出身らしく非常に真面目かつ固い性格で、冗談が通じない人間と同僚自衛官からは評価されている。

◎、本郷大平(ほんごうたいへい)

 三等陸曹。二十八歳。埼玉県出身。父親は小さな会社を経営していたが、彼が大学二年の時にこの会社が倒産して実家が破産。成績は良かったものの金銭的事情から大学を中退し、自衛官に志願して破産した両親を助ける道を選んだ。大学時代に付き合っていた恋人がいたが、彼が大学を中退した事により自動的に関係が解消されている。

◎、東浦守也(ひがしうらもりや)

 三等陸曹。二十六歳。新潟県出身。高校卒業後は進学もせずにいわゆるニート生活が続いていたが、見かねた両親に雷を落とされて就職活動をはじめ、何の因果か自衛隊に入隊する事になった。非常に面倒くさがりな性格で、同僚自衛官からもこの性格でよく自衛官を続けられるものだと言われている。当然恋人はいない。


 第2小銃分隊

◎、大戸均(おおとひとし)

 第2小銃分隊隊長、陸曹長。山梨県出身。三十九歳。妻と子供一人の三人家族。やや交戦的な性格で、彼の指揮する第2小銃分隊は訓練などでも先頭を切って突入していく傾向が強い。一方で子煩悩でもあり、一人娘を猫かわいがりしている様子。趣味はゴルフで、休日などは友人らとプレーしている。

◎、日和佐直弘(ひわさなおひろ)

 一等陸曹。三十八歳。石川県出身。妻とは三年前に離婚。しかしよりを戻そうとしており、事件当日は休暇を取って妻のいる大阪で話し合いをしていた。新潟県中越地震の際の救助活動で土砂崩れに巻き込まれた当時十二歳の少女を発見し救助。この功績から表彰をされている。趣味は将棋。

◎、榛名英達(はるなひでたつ)

 一等陸曹。三十五歳。熊本県出身。高校卒業後に自衛隊に入隊し、順調にキャリアを積み上げた後、七年前から制服組として防衛省に出向。二年前に現場に復帰した。感情をほとんど表に出さずに淡々と任務をこなす事から「マシーン」のあだ名を持っている。防衛省出向組ではあるが新設された連隊に配属されただけあって実力は確か。出向中に知り合った防衛省官僚の恋人がいる。

◎、小出久勝(こいでひさかつ)

 二等陸曹。三十歳。神奈川県出身。大学卒業後に出版社に入社するも、同僚の女性との仲が破局した事から職場にいづらくなって退職。その後自衛隊に入隊した。部隊のムードメーカーのような存在だが、射撃成績は隊内トップクラス。出版社「講英館」の少女漫画部門の編集者をしている妹がいる。

◎、多賀元康(たがもとやす)

 二等陸曹。二十七歳。秋田県出身。農家の生まれで、当初は実家の農家を手伝っていたが、収入不足に陥った事から実家を助けるために自衛隊に入隊した。独身で彼女等は確認できず。ダイビングが趣味で、休日は駿河湾によく潜りに行っている。

◎、北郷種次(ほくごうたねつぐ)

 三等陸曹。二十七歳。福岡県出身。福岡中央大学で経済学を学ぶが就活に失敗してなし崩し的に大学院に進学。修了時に再度就職活動を行い、片っ端からあらゆる職種を受けた中で自衛隊の内定をもらった事から入隊。任務自体は真面目に取り組んでいるが、素の性格はかなりいい加減というのが大学時代の友人の評価。大学時代からの恋人がいる。

◎、串木貞彦(くしきさだひこ)

 三等陸曹。二十五歳。山口県出身。地元の高校卒業後に浪人生となり、二浪したものの目標とする大学に合格できず、最終的に金銭的な問題もあって進学を諦めて自衛隊に入隊。そこで頭角を現し始める。結局大学に合格できなかった事から実家とは険悪な状態で、事実上の音信不通になっている。恋人なども確認できない。


 第3小銃分隊

◎、貝本勇二(かいもとゆうじ)

 第3小銃分隊隊長、陸曹長。四十二歳。東京都出身。妻と小学六年生の娘との三人暮らし。思慮深く慎重な性格で、部隊内からの人望はかなり厚い。二十一年前の日航機御巣鷹山墜落事故の際に救助現場に派遣され、救助活動を行った経験あり。その後も雲仙岳噴火、阪神大震災など数々の災害現場を経験しているベテラン。

◎、登呂平太郎(とろへいたろう)

 一等陸曹。三十八歳。岐阜県出身。独身。元タクシー運転手で、そこから自衛隊に転職したという経歴を持つ。高校時代は暴走族のメンバーだったが、親友だったメンバーの一人がバイクで事故死したのをきっかけに改心した様子。隊内でも有数のドライビングテクニックを持つ。

◎、布施栄弥(ふせえいや)

 二等陸曹。三十四歳。北海道出身。基地の街と呼ばれる千歳市の出身で、幼少期から自衛官に対するあこがれを抱きながら育つ。高校卒業後自衛隊に入隊し、以降は結婚する事もなく自衛隊一筋で過ごし続けている。レンジャー徽章持ちの猛者で、新千歳、習志野などの駐屯地を経た後に新設された北御殿場駐屯地に異動。部隊の切り込み隊長役。

◎、平内高正(ひらないたかまさ)

 二等陸曹。三十一歳。静岡県出身。妻と二人暮らし。高校時代はサッカー部のエースストライカーとして活躍し、大学卒業後に一時プロリーグに所属するも成績を残せず数年で引退。その後自衛官に志願した。今でもサッカーへの情熱は失われておらず、休暇を取るとサッカーの試合を見に行っている事が多い。

◎、三竹高菜(みたけたかな)

 三等陸曹。二十八歳。京都府出身。京都の名門私立大学・京安大学法学部に在籍していた秀才。だが、大学二年の時に強姦魔に襲われていたところを通りかかった自衛官に助けられ、それがきっかけで卒業と同時に自衛官に志願したという経歴を持つ。大学三年時にシドニーへの留学経験あり。隊内随一の語学力を持つ。京都市役所勤務の恋人がいる。

◎、泉北猛(せんぼくたけし)

 三等陸曹。二十四歳。青森県出身。当初は消防士になりたかったようだが短大卒業後に受けた試験に落ち、第二希望で受験していた自衛官採用試験には合格していたためそのまま自衛隊へ入隊となった。幼いころ火災現場から救助された経験があり、人を助ける事に理想を抱いている良くも悪くも青い性格。

◎、崎戸信秀(さきとのぶひで)

 三等陸曹。二十四歳。静岡県出身。十代の頃からいわゆる軍事オタクで、大学時代はサバイバルゲームに熱中。そのまま念願かなって自衛隊への入隊が実現した。サバイバルゲームで鍛えていただけあって射撃の腕などは確かだが、最近は自分の知識と現実とのギャップで悩んでいる事も多いとの事。


 第4小銃分隊

◎、一松春哉(いちまつはるや)

 第4小銃分隊隊長、陸曹長。四十一歳。群馬県出身。妻と両親、高校生一年の双子姉妹の六人家族。数年前にイラクのサマーワへの派遣経験あり。また、一九九三年にはPKO協力法による自衛隊の初の海外派遣にも参加。カンボジアでの地雷撤去作業に従事している。

◎、木造長秀(きづくりながひで)

 一等陸曹。三十八歳。長野県出身。結婚していたが、三年前に自身の運転する車が東名高速で酒気帯び運転のトラックに追突され、その事故で妻子を亡くす。以降は仕事以外で車の運転をする事はなく、飲酒運転撲滅の運動に協力している。趣味は登山で、大学時代は山岳部に所属して日本各地の山を制覇していた。

◎、有松信頼(ありまつのぶより)

 一等陸曹三十五歳。高知県出身。高校時代にインターハイ柔道全国大会で三位。大学でも全国上位クラスの成績を残し、卒業後に自衛隊に入隊。現在でもその柔道を基本とする体術の腕は衰えておらず、自衛隊内部の体術の教官を務める。身長一九〇センチの巨漢。

◎、野迫川良子(のせがわりょうこ)

 二等陸曹。三十歳。広島県出身。高校時代は手の付けられない不良だったが、そこから一念発起して自衛官になったという経歴の持ち主。女性ながらかなり好戦的な性格で、自衛官任官後、休暇中に街で絡んできた不良グループを一人で返り討ちにしたという逸話を残す。ただし、その性格が災いして今に至るまで恋人無し。

◎、名立斗真(なだちとうま)

 二等陸曹。三十歳。大阪府出身。幼少期は子役として活動するが、その後芽が出ずに若くして芸能界を引退。高校卒業後にそれまでとは正反対の自衛官の道を選ぶ。優男風の甘いマスクをしていて女性にもてるが、今の所恋人関係になった人間は存在しない様子。姉に女優の名立真苗(まだちまなえ)がいる。

◎、石内定昌(いしうちさだまさ)

 三等陸曹。二十六歳。千葉県出身。小学生の時乗っていた観光バスが高速道路で事故を起こして彼を除く家族全員が死亡。以降は孤児院に引き取られ、高校卒業後に孤児院を出ると同時に自衛隊に入隊した。非常に寡黙な性格で、他の隊員とも話す事はあまりない。仕事を淡々とこなすタイプで、その人付き合いの悪さゆえに恋人なども確認できず。

◎、宝木勝美(たからぎかつみ)

 三等陸曹。二十五歳。東京都出身。都内有数の名門お嬢様学校である光蘭女学院高等部に通っていたが、高校卒業後に何を思ったのか自衛隊に入隊し周囲を驚かせる。動機は今に至るも不明。郵便局勤務の恋人を確認。趣味は写生で、高校時代に描いた絵がコンクールで入賞した事もある。



 ……初見の人間が思わずクラリときそうな分量である。推理小説でもここまで大量の容疑者の名前が一気に出てくるものはそうあるまい。

「一応言っておくと、それぞれの家庭事情なんかも調べてみたが、被害者の森川景子とかかわりがありそうな人間はその三十二人の中にはいなかった。念のため、他の部隊の連中にも調査範囲を伸ばしてはいるが、ヒットしそうな奴は皆無だ。それでもあんたはこいつらを調べるつもりなのか?」

 東の言葉に対し、しかし出雲は一向にひるむ様子もなく、データを一枚一枚真剣な表情でチェックしている。しばらくすると、一息ついてファイルを閉じ、しっかりと頷いた。

「もちろんでございます。それよりも、今しがた全員の家庭状況を調べたと仰られましたね?」

「あぁ」

「では、これらの隊員の家族の中で、事件当日に一日どこかに出かけていたというような人間はいましたでしょうか? もっと言えば、本人を除く家族全員が出かけていたというようなケースは?」

 思わぬ質問に東は少し首を傾げたが、考えるだけ無駄だと思ったのか簡潔に答えた。

「いない事はないが……家族全員が出かけていたというケースはないな」

「そうでございますか」

「何か意味があるのか?」

「さぁ、そこまであなたに言う必要はございません」

 出雲ははぐらかすように言い、東は小さく肩をすくめる。

「まぁ、そうだな。俺は情報を提供するだけの存在だ。で、これからどうする? せっかく新宿に来た事だし、俺はこのまま檸檬の姉さんの店に飲みに行くつもりだが」

 その問いに対し、出雲は薄く微笑んでこう答えた。

「そうでございますね……もう一人のあなたにでも会ってこようかと思います」

「は? 何だそれ?」

「意味はすぐにでもわかるはずでございます。では、またお会いしましょう」

 そう言うと、呆気にとられている東を残して、出雲は街の闇の中へと消えていった。


 それから数時間後、東京・新宿の裏町。

 真夜中の新宿の裏路地を東はゆっくりと歩いていた。ただし、その表情は先程と違ってなぜか厳しく、まるで何かを待っているかのような歩き方である。

 そんな東の目の前に、不意に闇の中から現れるようにして誰かが道をさえぎった。

「お見事でございますね」

 人影……黒井出雲は、相変わらずの口調でそう東に呼びかけた。東は黙って出雲を見据えている。何とも言えない張り詰めた空気がその場を支配する。

「言動、声、癖……私が見ても、東さん本人でございます。前回の新宿の一件といい、よくここまで技術を高めたものでございますね」

「……あなたにだけは言われたくないわ」

 そう言った瞬間、『東』の姿はそこにはなく、いつの間にか「潜入屋」……『輪廻』がそこに立っていた。前回の新宿の依頼が終わり、現時点で出雲のとの契約関係は解消されている状態である。

「前回の仕事の依頼料はご確認して頂けましたか?」

「金払いだけはいいのね」

「依頼のためであるなら、私はどれだけの出費もいとわない事にしています」

「……それで、今度は何? 私をこんなところで待ち伏せなんかして」

 輪廻は髪を軽くかき上げながら尋ねた。出雲はすっと一枚の新聞記事を差し出し、輪廻は黙ってそれを受け取って読む。

「……富士樹海の『心臓強盗』の記事ね」

「ご存知でしたか」

「東さんほどじゃないけど、私も情報屋の端くれだし」

「その『心臓強盗』の最初の被害者の恋人から依頼を受けまして、今回この『心臓強盗』を標的とした仕事をする事になりました。そこで、輪廻さんにも少々お付き合い願えないかと。もちろん、これは正式な依頼でございますので、依頼料は振り込ませて頂きますが」

「……相手が凶悪な連続殺人鬼でも、一切ためらいなし。さすがね」

 輪廻はそう呟くと、こう言った。

「わかったわ。依頼、受けましょう」

「ありがとうございます」

「ただし、私のルールについては理解しているという前提よ。つまり……」

「輪廻さんがやるのはあくまで『潜入』と『情報収集』、それに『工作』だけ。標的そのものに対する『殺害』や『傷害』などは依頼外、でございますね」

 出雲が輪廻の定めた「潜入屋」としてのルールを暗唱する。輪廻は頷いた。

「人を殺さない。それがうかつにあなたに手を出して、この世界で生きていく事になった私が最後に守るべき、最低限のルールだと思っているから。それに……」

 そう言うと、輪廻は不意に出雲の近くまで近づき、ポケットから出した拳銃を突きつけた。輪廻の突然の言動に対しても、出雲は特に反応する様子はない。

「私は、まだ表の社会に戻る事を諦めていない。私が最初に殺すのは、あなただと決めている。今の私じゃ無理だけど……いつか必ず。でも、それができるまでは、『潜入屋』として全力を尽くすつもりよ。何にしても、私に対して気を抜かない事ね」

「……それがあなた自身の取り決めならば、私が口を出すべき事ではございません。しかし、ベレッタM92とは……檸檬さんのお下がりでございますか?」

「えぇ。自分には、もういらないからって。私も、そんなに使うつもりはないけど」

 そう言うと、輪廻は静かに拳銃をしまった。今ここで撃っても、出雲を殺せない事はよくわかっているようだった。

「依頼を受けた以上は、全力を尽くすわ。詳細を教えて」

 そのまましばらく何やら話した後、二人は裏道の奥へと歩いていく。

「……なるほど、つまり、私がこっちで散々苦労している間に、あなたはそっちの調査を片手間でやっていたわけね」

「そういう事になりますが、それは置いておきましょう。いずれにせよ、新宿の一件が終わった事により、私もこちらの案件に全力を注ぐことができます。それに……今までの調査で概ね容疑者の候補を絞る事はできました」

「でも、あの事件が連続殺人じゃなくて模倣犯だったとはね。しかも、自衛隊まで関係してくるなんて。そこはさすがというか何というか……」

「そこで、あなたに潜入して頂きたい場所がございます。ここまでの話の流れを聞けば、あなたにもわかるはずでございますが」

「……まさか」

 厳しい表情を浮かべて眼鏡のブリッジに指をやる輪廻に対し、出雲はすました表情で爆弾発言を投げつけた。

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