第七章 六月十四日 推理劇
「この事件は大きく分けて三つの事件によって構成されています。すなわち、第一の事件である森川景子殺害、第二の事件である浦井祥子殺害、第三の事件である佐田豊音殺害でございます。三人の被害者に直接的なつながりは存在せず、全員が死後に心臓を持ち出されている。ゆえに警察は猟奇的な無差別殺人としてこの事件を捜査しています。犯人は残虐にも心臓を持ち去る理解のできないシリアルキラー。これが警察やマスコミの描いている犯人像でございましょう」
「その言い方だと違うという事ですか?」
暗闇の中を歩きながら千佳が尋ねた。
「いえ、私はあくまでこの事件を中立的な視点から観察したいと考えているだけでございます。さて、そう考えてくるとこの事件における最大の特徴は『犯人が被害者の心臓を持ち去っている』というこの一点に絞られると考えました。ではお聞きしますが、殺人犯が被害者の心臓を持ち去る理由というのは何があるのでございましょうか?」
千佳は首を傾げる。
「理由も何も、シリアルキラーにそんなものがあるんですか?」
「シリアルキラーだからこそ、このような行為には彼らなりの理由があるのでございます。一般的に考えられるとすれば、いわゆるスーベニアと呼ばれる行為でございましょう。被害者の体の一部、もしくは所持品の一部を殺人の記念品として持ち去るというものでございます」
「今回もそれだと?」
「問題はそれでございます。仮にスーベニアをするシリアルキラーが犯人だとしても、意味もなくスーベニアをするとは思えません。スーベニアする物品に関しては、必ず犯人の意思や主張があるはずなのでございます。仮に今回の事件がシリアルキラーの犯行で、心臓持ち出しがスーベニア行為だとすれば、犯人には心臓に対する何らかの思いが存在しなければならないのでございます」
そう言うと、出雲は犯罪論理を整理していく。
「すでに以前一度検証した話ではございますが、一般的な犯罪学において、このようなシリアルキラーは秩序型と無秩序型と呼ばれるものが存在いたします。無秩序型は証拠隠滅も何も考えずに衝動で犯行を繰り返すタイプ。秩序型は証拠隠滅などを考えた計画的な犯行を繰り返すタイプでございます。それぞれのタイプが微妙に入り混じった混合型と呼ばれるものは存在いたしますが、この両者はそもそもが根本から大きく違う存在であり、基本的には相容れないものなのでございます。ゆえに、両者の間ではスーベニアの理由そのものも大きく違うものとなります」
出雲の話に、いつしか千佳は引き込まれつつあった。
「となってくると、こうしたシリアルキラーが連続殺人においてそれぞれの事件でタイプが変遷するなどという事は本来ありえない話なのでございます。例えば一件目が証拠隠滅も何もない無秩序型なのに、二件目がいきなり秩序型になってしまうなどという事は、犯罪心理学的に見てまずありえません。混合型の場合も、発生したすべての事件が混合型の様相を見せるだけで、事件ごとにタイプが変化する事はないのでございます。この件に関して人間の心理というものはたとえシリアルキラーであっても、いえ、むしろシリアルキラーだからこそ一貫するはずでございます。シリアルキラーは、そもそもが自分の主張を表に出すために殺人を起こすのであって、それを変える事はシリアルキラーそのものの存在を否定する事につながるからでございます」
ですが、と出雲は続けた。
「この事件は妙な事に、この一見あり得ない事が起こってしまっているのでございます。まず、一件目の森川景子殺害事件は明らかに秩序型の犯行でございます。遺体はボランティアが行かなければまず発見されないであろう場所に放置されていました。明らかに遺体を隠すための行動であり、これは秩序型の犯行の特徴でございましょう。事実、こちらの事件においてはポケットに入っていた財布こそ見つかっているものの、彼女が持っていたリュックサックなどは一切見つかっておりません。犯人が持ち去ったと考えられますが、これも犯行の証拠を隠す秩序型の犯行の特徴でございます。被害者がどこで殺されたのかをわからなくして犯人の足取りを掴ませない手口といい、犯人は証拠を隠す事に相当慎重になっている事がうかがえるのでございます」
出雲はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ところが、二件目の犯行になるとこれが怪しくなってまいります。二件目の浦井祥子殺害においては、彼女の遺体は発見が容易なこのキャンプ場内に放置されていました。これは遺体を隠すつもりなどなく、むしろ遺体を発見してほしいような犯行形態でございます。どちらかといえば無秩序型でございましょう。遺体を見つけてほしいという願望のために証拠もへったくりもなく遺体を見つけさせるという行為でございますから。他にもこの犯行においては被害者の遺留品は現場に散乱しており、一件目と違って証拠の処理に呆れるほど無頓着になっています。また犯人は、この犯行がきっかけで犯人が山梨側で犯行を行っているという証拠を捜査陣営に提供するという失策もおかし、同時に犯人が自動車を所持しているかもしれないという可能性さえ提示してしまいました。さすがに指紋こそ残してはいないようでございますが、一件目の隙のない証拠隠滅の行動と比べれば、その差は雲泥でございましょう。このようにシリアルキラーという点を基軸にして犯罪学的に見るなら、一件目と二件目は明らかに形態が異なるのでございます」
そこで千佳は、三件目の佐田豊音殺しを思い返していた。
「確か佐田さんの事件は……」
「こちらも無秩序型と言ってもいいかもしれません。遺体は道路から少し森に入った場所で発見され、今回も犯人は被害者が早期に発見される事をそれほど気にしていない様子でございます。また、この事件でも被害者の遺留品はほぼそのまま残されており、さらに彼女の行動から犯行に自動車が使用されたという事実を掲示してしまうという失策を二件目同様に犯してしまっています」
そこで出雲は千佳の方を振り返った。
「いかがでございましょうか。こうしてみると、この三件がシリアルキラーによる犯行だとしてしまうと、犯罪心理学的に辻褄が合わない事がよくわかると思います。そこで私は、ここまで考えた上で、そもそも前提が間違っているのではないかと考えたのでございます。すなわち、これがもし快楽目的のシリアルキラーの犯行でないとすればどうなるか、でございます」
思わぬ推論に千佳は息を飲んだ。
「先程の考察は、すべて犯人がシリアルキラーだったという前提から派生したものでございます。しかし、それで論理を組み上げていくとどうしても矛盾が生じてしまうのは今話した通りでございます。ならば、これはそもそもの前提がおかしいがゆえの話だと判断する他ございません。論理学で言う背理法というものでございますね。以上から、私は一度この犯行がシリアルキラーではなく、ごく普通の人間が起こした犯行だったらどのような推論が成り立つのかを検証してみる事にしたのでございます。犯人がシリアルキラーではない普通の人間であるのなら、犯行に一貫性などは存在いたしません。一件目は計画的に殺したが、二件目は急な殺人で慌ててしまって証拠が多く残ってしまった、というような事も充分あり得ます。つまり、先程のバラバラな犯行形態も納得できるのでございます。そしてその場合、問題となるのはやはり心臓でございます」
「シリアルキラーでもなんでもない人間が、人を殺した後で心臓を持ち去る理由、ですか?」
そんなものわかるはずがない。犯人がシリアルキラーで、スーペニア目的で心臓を持ち去ったという場合でさえ、その理由はとても理解できないのだ。これが普通の人間が犯人だと考えた場合、そんな理由はますますわけがわからなくなってしまう。
しかし、出雲はひるまなかった。
「心臓を持ち去った目的がスーベニア行為でないとするなら、心臓を持ち去る行為として考えられる事は何でございましょうか。これを言い換えれば、どのような状況が発生した時に、殺人犯は心臓を持ち去ろうと考えるのかという事でございます。可能性として考えられる事はそう多くございませんが、そこにはスーベニアのような常人には理解できない特殊な事情は存在せず、我々がすぐに思い当るような常識的な理屈が存在しなければならないのでございます」
「心臓を持ち去る常識的な理屈、って……何だか矛盾しているような……」
そもそも心臓を持ち去っている時点で常識的とは言い難い。が、出雲は話を続けた。
「少し考えてみました。私が殺人犯だった場合・……というより、実際に私は殺し屋でございますが、私が人を殺した後で被害者の心臓を持ち去るとすればどのようなケースがあるのだろうか、と。スーベニアなどではなく、あくまで常識的な範疇の考え方で、でございます。思い浮かんだのは、まず心臓に何らかの証拠が残ってしまい、それを隠滅するために心臓を奪ったという場合でございます。しかし、三件の犯罪すべてで心臓に証拠が残ってしまうというケースは想像がつかないのでございます。というより、いくらなんでもそんな状況が生じれば、犯人は二度と同じ過ちを繰り返さないはずでございます。要するに三件連続というのはあり得ない話なのでございます」
「一回だけだと心臓に注目が行くから、三件ともそうした、とかはどうですか?」
「いえ、この場合被害者に共通項はございませんから、心臓を摘出してしまうとかえって二件目以降が自分の犯行だとばれてしまうのでございます。それは逆に犯人にとってリスクの増す行為。シリアルキラーでないなら、犯人は犯行に文字通り命を懸けます。無駄な行為やリスクが増える行為は致しません」
「……あれ?」
そこで千佳は違和感に気付いた。
「気づいたようでございますね。そう、犯人がシリアルキラーでないとするなら、わざわざ二件目以降も心臓を摘出して、同一犯に見せかける必要性は皆無なのでございます。むしろ心臓を出さずに別々の事件に見せかけた方が、捜査陣営は混乱いたします。しかし、犯人はシリアルキラーでないにもかかわらず、わざわざ三件の犯行を同一犯だとアピールした。ここでも矛盾が出てしまうのでございます」
「ど、どういう事ですか?」
わけがわからなかった。相反する二つの理論が双方ともに間違っているというのである。だが、出雲はこれに答えを出していた。
「私はもう一つ背理法を使ってみる事と致しました。二つの論理が崩れた以上、何かさらなる前提が間違っているとしか考えられません。ではその前提とは何か? 変化した犯行形態、死体発見をアピールするかのような二件目以降の言動、その他諸々の事情……すべてを考えれば答えはおのずと明らかになります」
その瞬間、千佳はとんでもない可能性に思い当たった。
「まさか……」
「その通り。『この事件が一連の連続殺人事件である』という前提自体が間違いではないのか。具体的には、犯行形態が変化する二件目以降の二件の殺人と、大本となった一件目の殺人の犯人が違うのではないか、というものでございます」
思わぬ話に、千佳は絶句した。
「犯人は二人いたって事ですか!」
「おそらくは。ただし、少なくともこの二人は共犯関係ではございません。また、犯人が三人ですべての事件が別人の犯行であるという可能性は低いでしょう。その上先程の犯行形態の分析から見て、同一の傾向を持つ二件目と三件目が同一犯である事は疑う余地はございません。となれば、この事件には一件目の事件の犯人と、二件目以降の事件の犯人という二者が存在したと考えるべきでございます。そう考えれば、すべてに納得がいくのでございます」
出雲は推理を推し進める。
「さて、そうなると犯人が心臓を取り出した理由にも幅が出てくるのでございます。すべての根幹である一件目の事件の犯人が持ち去った理由はとりあえず置いておきますが、二件目以降の犯人が持ち去った理由として考えられるのは、『一件目の事件に対する模倣』でございます」
「模倣犯、って事ですか?」
「模倣犯なら犯人が被害者の遺体を見つかるようにしたのも納得がいく話でございます。模倣犯は遺体が見つからなければその存在を主張する事ができませんから。さて、模倣犯となってくると次の問題は、『なぜ犯人は一件目の事件を模倣したのか』。そして、『犯人はどうして一件目の犯行をそっくり模倣する事ができたのか』でございます。まず前者についてはどうでございましょうか?」
千佳は慎重に考える。
「二件目以降の犯人がかねてから殺人を計画していて、たまたま起こった心臓強盗事件に便乗した、というのが一番考えられる線ですよね。自分がやる殺人を模倣する事件の犯人に着せて罪を逃れるために」
「確かにそうでございます。実際、模倣犯で一番多い動機はそれでございます」
だとするなら、二件目以降の犯人は一件目の事件が起こったのを知って殺人を計画した事になる。つまり、標的は二件目の浦井祥子であり、となれば犯人も浦井祥子の関係者にいると考えるのが妥当になってくる。出雲の考えでは三件目の佐田豊音も二件目と同一犯という事だが、彼女はマスコミとして事件を調べていた人間である。何か犯人に都合の悪い事を知ってしまい、口封じで殺されたという推測ができなくもない。
そんな推理を頭の中で組み立てた千佳だったが、しかしその直後に当の出雲自身がその推理を否定する。
「しかし、今回の件に関して私はこの考えは当てはまらないと考えます」
「ど、どうしてですか」
「仮にこの事件があなたの言うような動機によるものだった場合、その真の標的は二件目の浦井祥子という事になります。おあつらえ向きに彼女は富士山への登山の下見を行う予定でした。この考えが正しい場合、犯人はこの機会を狙って犯行を行い、心臓強盗の仕業に見せかけた、という流れになりましょう」
「何か問題でも?」
「最大の問題は、この下見で浦井祥子が一人で富士山に来たのは、あくまで偶然に過ぎなかったという事でございます」
「え……あっ」
千佳もここで自分の考えの矛盾に気が付いたようだ。
「問題の下見は、本来二人で行われる予定のものだったはずでございます。それが一人になったのは、下見当日……すなわち犯行日当日になってもう一人の下見役である高松頼江が風邪で寝込んでしまったがゆえのアクシデントでございます。つまり、もし犯人が事件に便乗して浦井祥子を殺そうとしていたとするなら、犯人は浦井祥子が複数人で行動しているところをわざわざ狙ったという事になるのでございます。いかがでございましょうか、これは少々おかしな行動になって来るとは思いませんか?」
「一人で行く事がわかって、急遽殺人を決行する事を決めた、とか……」
「何度も言うように、それが決まったのは事件当日の朝でございますし、彼女はその事を誰にも伝えていません。知っていたのは当の高松頼江と先輩の都丸達美でございますが、彼女たちには事件時東京にいたというアリバイが成立しています。いずれにせよ、たとえ情報を知れたとしても、そこからいきなり便乗殺人を思い立って実行するというのはあまりにも無謀すぎる話でございます。この状況で犯人が模倣殺人を実行するのは、心理学的にあり得ない話なのでございます」
「じゃあ、一体……」
千佳はわけがわからなくなった。実は三件目の佐田豊音が本当の標的で二件目は本当の狙いを隠すためのカモフラージュかとも考えたが、いくらカモフラージュのためとはいえ犯人が危険を冒して標的よりも先に全く関係のない人間を殺害するとはさすがに考えられない。犯人側としても、何の関係もない二件目で捕まってしまったら何のための殺人なのかわからない事になってしまい、とてもではないが心理的にあり得ない話だった。
「私はこう考えるのでございます。二件目以降の犯人の目的は模倣犯。これは間違いのない話でございましょう。そして、私もこの犯人が一件目に便乗したという事自体は否定いたしません。ただし、その便乗した内容が違うと考えます」
「どういう意味ですか?」
「自分がかねてより計画していた殺人を一件目に便乗して行ったのではなく、一件目の殺人を受けて何かもっと他の理由で殺人を起こす必要に迫られ、結果的に一件目に便乗する形で殺人を行った。そう考えればまだ納得できるのでございます」
何を言われたのか千佳にはさっぱり理解できなかった。
「あの、全く意味が……」
「例えば、この事件が『猟奇的な連続殺人』となった方がメリットのある人間がいたとすればいかがでございましょうか?」
唐突な言葉に、千佳は目を白黒させた。
「メリット?」
「本来、この殺人事件は一件目で終結していたはずでございます。犯人が一件目と二件目以降で違うとするなら、一件目の犯人は最初の事件以降一度も殺人を行っていない事になりますから。しかし、二件目以降が発生する事でこの事件は猟奇連続殺人へと変貌いたしました。それによって得をした人間が必ず存在するはずなのでございます」
「そんな……連続殺人が起こる事でメリットがある人間なんているわけが……」
そう言いかけて、千佳の言葉が止まった。何かとんでもない事に気づいてしまったようである。出雲はそれに気づいていたようだが、あえて無視して自分の推理を進めた。
「可能性があるとするなら、まずは警察関係者でございましょう。この手の事件は大きくなればなるほど、それを解決した時の栄誉も大きくなるものでございます。二件目以降の事件を引き起こした上で第一の事件の犯人を逮捕し、罪を擦り付けて自分は警察内部で評価される、という考えを持つ人間がいたとしても不思議ではございません。とはいえ、これはあまりにも荒唐無稽でございます。もし第一の事件の犯人を捕まえられたとしても、その犯人に二件目以降の事件のアリバイ等があれば話になりません。犯人が警察だとすれば、警察の恐ろしさは犯人自身がわかっているはずでございます。それを承知でこんなリスクの高い犯罪を起こす意味合いがございません。それに、一件目の事件だけでも心臓持ち去りというかなりの話題性はございましたから、これを解決しただけでも評価は上がったはずでございます。つまり、わざわざ連続殺人にする理由がないのでございます。よってこの推理は的外れとしてもいいでしょう。となれば、もう一つの可能性を考える他ございません」
「じゃあ、やっぱり……」
千佳の言葉に、出雲は頷いた。と、同時に不意にその場で足を止める。そこは先日土砂崩れが起きたキャンプ場の中心地だった。
そして、こんな言葉をさらりと発したのである。
「さて、舞台に到着した事でございますし、そろそろ主役にもご登場頂く事と致しましょうか」
「え?」
千佳が聞き返す暇もなかった。出雲はクルリと後ろを振り返ると、闇の中へ向かって呼びかけたのだった。
「そこにいるのでございましょう? あなた様が私たちの後をつけていたの確認済みでございます。潔くこの場に出てきて頂くのが得策かと存じ上げますが」
その言葉に、薄暗い森はしばらくの間無言で答えたが、それから十数秒ほど経ってどこからともなくガサリと小さな音が響いた。
千佳の体が緊張でこわばる。明らかに、誰かが落ち葉を踏みつけた音だった。こんな夜中にこんな場所をうろつく人間などどう考えても異常以外の何者でもない。その音が、ゆっくりと出雲がランプを照らす辺りに近づいてくる。
だが、出雲は少し真剣な表情をしながらも、口調を変える事なくその声に呼びかけた。
「連続殺人である事によってメリットがあり、なおかつ一件目の殺人の詳細を知れる立場の人間……警察でないとするなら、そんな立場の人間は一つしかございません」
そして、出雲はその人物にランプを掲げて答えを告げる。
「事件を調べていたマスコミ関係者、でございます。そうでございますね? 浦井祥子と佐田豊音を殺害した模倣犯……秋口勝則様」
その言葉に、尾行者……否、日本中央テレビプロデューサーの秋口勝則は、ランプの明かりに顔を照らされて、引きつったような顔をこの場にさらけ出していた。
暗闇のキャンプ場の真ん中で、三人の人物が互いに距離を取って対峙している。出雲と千佳、そして突如現れた秋口の三人である。秋口は出雲が前回会った時に来ていた黒っぽい服にグレーのジーパン姿であり、それがまた闇の中に溶け込むような感じで不気味である。三人はしばらくの間、無言で互いを見つめ合っていた。
そんな中で、最初に発言したのは青い顔をした千佳だった。
「秋口さん、まさかあなたが……」
だが、秋口はそんな千佳に対して慌てたように首を振った。
「何を言ってるんだ! 俺はただ、千佳ちゃんが言いつけを破って旅館から出て行くのを見て、どこに行くのかと慌てて後を追っただけだ。今夜は殺人鬼が出るかもしれないんだぞ! 豊音ちゃんも旅館を勝手に抜け出して殺されたし、心配して当然だろう」
そうまくしたてると、秋口は出雲の方へ向き直った。
「大体、あんたどういうつもりなんだ! うちのアナウンサーを勝手にこんなところに連れ出して、その上俺を犯人扱いするなんて……頭がどうかしているんじゃないか?」
「どうかしているのはあなた様の方だと思うのですが」
秋口の糾弾に対して、出雲は自分のペースを崩さない。
「どういう意味だ?」
「いえいえ、いくらスクープのためとはいえ全く関係ない人間を殺せるあなたの精神状態が、私には理解できないだけでございます」
出雲の言葉に、秋口はさらに何か言おうとするが、千佳の言葉がそれを遮った。
「秋口さん、まさか……この事件を自分のスクープにするためだけに、二件目以降の事件を起こしたんですか?」
事件の核心を突くその言葉に、秋口は動揺したように千佳を見据える。
「ち、千佳ちゃん、君までそんな事を言うのか? 騙されるな! そいつのいう事なんか根拠のない的外れの言い掛かりで……」
「いいえ」
出雲は秋口の言葉をシャットアウトし、推理を再開する。
「秋口様、聞いた話でございますが、あなた様は今他局から移ってきた若手プロデューサーと仕事上の競争状態になっているという事でございますね。あなた様は仕事一筋の人間で、そのせいもあって奥様とも離婚寸前にまで行っていると聞いています。そんなあなたが仕事面でも敗北するわけにはいかないというのは誰にでもわかる話でございます」
「だからどうした!」
「あなた様は第一の事件発生直後から現地入りし、心臓強盗事件の取材に当たりました。しかしすでに起こった事件の取材である上に、大阪から飛んできた都合上、他局よりも出遅れている部分は否めません。要するに、あのまま第一の事件を取材していただけでは大したスクープにはならないのでございますよ。この手の事件捜査で出遅れたマスコミ関係者が確実にスクープを物にできるとすれば、犯人を見つける以外に方法は一つしかございません。すなわち事件が連続殺人となり、そこで他局に先駆けた何かを手に入れる事ができた場合のみでございます」
その言葉に千佳は戦慄した。マスコミ関係者として最もあってはならない話が今まさに飛び出ようとしているからである。
「あなた様にとって、この事件は若手プロデューサーとの決着をつける大きな武器だったのでございましょう。だからこそあなた様はこの事件の報道合戦で何としてもスクープを物にしなければならなかった。しかし、残念ながらあなた様は出遅れてしまわれました。あなた様に警察に先駆けて犯人を特定するだけの能力はございません。第二の事件でも起こらない限り、この事件におけるあなた様の取材は完全に失敗でございます。そうなれば、若手プロデューサーとの差はますます大きく開いてしまう。だから、あなたは禁断の手段を使ったのでございます」
出雲は言葉を突き付ける。
「自分で第二の事件を引き起こし、その発見者となる事で独占スクープにしてしまおうという、狂気の手段でございます」
秋口は顔を真っ赤にしながら出雲の話を聞いていた。
「二件目の遺体発見前日……すなわち五月三十一日、あなた方はこのキャンプ場に取材をする予定でございました。このキャンプ場を経営している第一の事件の発見者・石本春雄様に話を聞くというのがその名目でございます。一方、警察の鑑識報告によれば浦井祥子の死亡推定時刻は彼女が下見のために富士山にやってきたまさに当日、すなわちその前日の五月三十日でございます。すなわち、あなた様は三十日に浦井祥子様を殺害してキャンプ場に放置し、翌三十一日の取材当日に自分たちがこのキャンプ場で遺体を発見できるように仕組んだのでございます。だからこそ、このキャンプ場の遺体は簡単に発見できるようになっていたのでございましょう」
「言い掛かりだ! そんな事をして何の意味が……」
「マスコミ関係者が取材中に新たな遺体を発見したとなれば、これはマスコミ史上に残る大スクープでございます。その時点であなた様はこの事件の取材合戦の先頭に立つ事ができ、なおかつこれ以上ない功績を局に誇る事ができるのでございます」
それが動機だった。なるほど、確かにその場合、ただ遺体を発見したのみならず、この事件が連続殺人であるという事も同時に明らかになるわけだから、スクープの質も大幅に跳ね上がるだろう。
「もちろん、警察も甘くはございません。第一発見者を疑えと言うのが警察の捜査の常套手段でございますから。だからこそあなた様は標的を自分とは一切関係のない行きずりの旅行者にしたのでございます。自分と全く関係のない人間が被害者なら、いくら第一発見者でも警察が疑う事はございませんから。何より、これが連続殺人と判断されさえすれば、第一の事件の際に大坂にいたというアリバイのあるあなたに容疑がかかる事はございません」
出雲はジッと秋口を見つめる。
「本来ならこの計画はうまくいき、あなた様は第二の遺体の発見者として堂々とスクープを報じられる……はずでございました。あの日、予想外の豪雨でキャンプ場が立入禁止にならなければ」
そう、これは神の罰だったのだろうか。問題の五月三十一日、富士山周辺は集中豪雨に見舞われてキャンプ場は全面立ち入り禁止となり、取材は実行できなかったのだ。元々すぐ見つかるようにしておいた遺体である。結局翌日の救助作業中に遺体は発見されてしまい、秋口のスクープは幻になってしまったのである。
「結局、あなた様は無駄な殺人を実行しただけで終わってしまったのでございます。しかも、その際無理をしたために結果的にある人物から怪しまれる事となってしまいました。それが、佐田豊音様だったのでございます」
出雲は容赦なく秋口の悪事を白日の下に晒していく。
「佐田様は自分の伝手から浦井様の関係者と電話で話をする事に成功したのでございますが、その中でその電話の相手が、第一の発見者である石本様のキャンプ場から遺体が出た事を『偶然にしては出来すぎている』とコメントしたのでございます。ですが、佐田様はこの事を別の意味に捉えてしまったのでございます。すなわち、自分たちが取材するはずだったところで遺体が発見された事が『偶然にしては出来すぎている』と。そして、それは偶然にも真実を指し示す勘違いでございました」
出雲は秋口に切り込んでいった。
「マスコミ関係者が連続殺人の遺体を発見する事はマスコミ史上に残る大スクープになると先ほど申し上げましたが、そうなる理由は『そんな偶然が起こる事がまずないから』でございます。佐田様は気づいてしまわれたのでございましょう。結果的に起きなかったとはいえ、自分がその『あり得ない偶然』に遭遇しかけていたという事実を。そして、アナウンサーとして優秀だった彼女は即座に気づいたはずでございます。そんな事が起こるのは、何か人為的な作為が動いていた場合のみである、と。その偶然を起こせて、なおかつそれで得をするのは……本来発見者になるはずだった、日本中央テレビのクルーのみでございます」
出雲が佐田豊音の心情を解析していく。
「では、その犯人は誰なのか? 佐田様でない事は佐田様自身がよくわかっていたはずでございましょうし、ADの麦原様は元々が裏方でございますのでスクープが出たところで何かメリットがあるわけではございません。やるだけ無駄なのでございます。また、カメラマンの井ノ坂様は近々栄転の予定があって、わざわざこの段階でこんな危険な事をする必要は皆無でございます。となれば、該当者は一人……秋口様、あなたでございます」
出雲の指摘に、秋口は唇を噛んでいた。
「佐田様は自分にセクハラをした上司を返り討ちにするだけの度胸と正義感の持ち主でございます。そんな彼女がそのまま引っ込んでいるわけがございません。おそらく、あなた様を糾弾したのでございましょう」
「知らんな」
秋口は短く言った。が、その顔がランプの光の下で心なしか青い。
「あなた様は佐田様を口封じする必要に迫られたのでございます。なおかつ、あなた様の頭の中ではさらにその先の恐ろしい考えが浮かんでいたはずでございます。あなた様はすでに浦井殺害に関して当初の目的を果たせないままでいました。殺人を起こしてしまった以上、今さら何もないまま後に引く事はできません。すぐにでも第二の計画に移行する必要があったはずでございます。その上で自局のアナウンサーが殺されたとなれば、日本中央テレビは総力を結集した取材を行うでしょう。そして、その最前線に立つのはあなた様なのでございます。しかも関係者であるあなた方は、佐田豊音殺害に関する特大のスクープを他局に先駆けて手に入れる事ができるのでございます。つまり、佐田豊音を殺害するという事は、あなた様の目的を達成する有力な手段ともなりえるのでございます」
「そんな……」
千佳は絶句する。
「おまけに、すでに二件目の事件を起こしていたため、今回は多少被害者に近くとも、二件目の被害者と関係ないという事から疑われるリスクも低くなるのでございます。そこまで考えて佐田殺しを決行したのではございませんか?」
「だから、知らんと言っている!」
秋口は苛立ったように叫んだ。が、出雲は止まらない。
「あの晩、あなた様は佐田様をこっそりと旅館の外に呼び出したのでございましょう。そして隙を見て殺害した。本当の犯行現場は、おそらくあの旅館の周辺のどこかでございます。殺害後、あなた様は遺体を取材用のバンに乗せて遺体発見現場まで運び込んだのでございましょう。場所は樹海であればどこでもよかったはずでございます。旅館から一定程度離れていて、なるべく道路に近くてちょっと探せば見つかる場所。そこに佐田様を放置し、最後に心臓を摘出して旅館に帰る。非常にシンプルな犯行でございます」
「す、すべて妄想だ! そんな証拠はどこにもない!」
わめく秋口に、出雲は冷ややかな笑みを向ける。
「あなた様が乗ってきた取材用のバンを調べれば、おそらくどこかにルミノール反応が出るはずでございます。死体には心臓以外にこれと言った損傷はございませんでした。となれば、犯人は心臓に対する一撃で被害者を死に至らしめた事になります。おそらく、刃物か何かで刺したのでございましょう。遺体を樹海に運び込むまで刃物を抜かなかったとしても、多少なりの出血はあったはず。バンに全く血がつかなかったとは考えられないのでございます」
「だとしても、俺がやったという証拠にはならない! 仮に血痕が出たとしてもその血が豊音ちゃんのものかどうかはわからないし、もし豊音ちゃんのものだったとしてもそれはバンが犯行に使われたという証明にしかならないはずだ!」
秋口も必死だった。千佳は目の前で繰り広げられる二人の論戦に口を挟めないでいる。一方、出雲はあくまでも冷静だった。
「それでは事件当夜、バンの鍵はどこにあったのでございますか? あのバンはテレビ局の所有物のはずでございますから、その管理は取材の責任者……すなわちあなた様の仕事のはずでございますね」
「それは……」
「あのバンを運転するには必ず鍵が必要でございます。バンを扱えるのがあなた様だけである以上、バンが犯行に使用されたと判明した時点で佐田豊音を殺害したのがあなた様であるのは明白だと考えますが、いかがでございましょう?」
「ま、待ってくれ。確かに鍵を管理しているのは俺だが、あの日、鍵は俺の手元になかったんだ」
秋口は慌てて反論した。
「どういう意味でございましょうか?」
「実はあの日、バンの鍵をうっかり旅館のロビーにあるテーブルの上に置きっぱなしにしてしまってね。朝になってそれに気づいて慌てて取りに行ったが、ちゃんとテーブルの上に置いたままだったからホッとして回収したんだ。だから、あの夜はバンを動かそうと思ったら誰にでもできた事になる。極端な話、豊音ちゃんが運転する事だって……」
「彼女はペーパードライバーでございます。従って彼女が運転したとは考えられません」
佐田豊音が勝手に出て行って勝手に殺されたという方向に持って行こうとする秋口に、出雲はすかさず釘をさす。
「何だっていいよ。とにかく、あの夜は俺じゃなくてもバンを使えたって事だ。理解してもらえたかな」
どう考えても白々しい言い訳にしか聞こえなかった。だが、あの夜問題のテーブルに秋口がカギを忘れていない事を証明する事など今となっては不可能である。それを見越して秋口もこの証言をしているのだろう。
「なるほど、確かにそれなら誰にでも佐田様をバンに乗せる事は可能でございますね」
「だろう。だから俺だけを疑うというのは……」
「では、浦井祥子様の時はどうでございましょうか?」
いったん秋口の主張を認めて油断させておきながら、出雲は即座に次の一手を打った。
「な、何だって?」
「諸々の状況から考えて、犯人は二件目の殺害の際にも車を使っていると思われます。彼女が乗って来た車の発見場所と遺体発見現場であるこのキャンプ場があまりにも離れているからでございます。となれば、犯人の使用した車には、佐田様のみならず浦井様の痕跡も付着している可能性が高いのでございます」
その指摘に、再度秋口の顔に緊張が走る。
「いや、それはだな……」
「万が一、問題のバンから浦井様の痕跡が見つかったらいかがいたしましょうか? まさかとは思いますが、その日もバンの鍵をロビーに置き忘れたというあまりにも都合の良すぎる言い訳をなさるつもりでございますか?」
秋口は唇を噛んだ。下手な嘘をついたがために逆に窮地に追い込まれてしまっているのである。とはいえ、ここで諦めるつもりは全くないようだ。
「そんなのは妄想だ。そもそもまだ俺のバンにそんな痕跡があるかどうかはわかっていない。調査ができていないこの段階では、そんなものは何の証拠にもならないはずだ! 違うか?」
「確かにそうでございますね」
出雲は不気味なほどあっさり頷いた。その言葉に、秋口はかえって不安を感じたようだった。
「ず、随分あっさりと認めるんだな」
「事実でございますから、否定しても意味がございません。ならば、別の観点から攻めるだけでございます」
そう言うと、出雲は笑みを全く崩さないままさらに秋口への追及を強める。
「改めてこの事件を振り返ってみると、犯人は一件目の犯行を模倣するために心臓を抜き取る作業をしているはずでございます。となれば、当然犯人は返り血を浴びたはずで、着ていた衣服にも血が付着したはずでございます。さて、仮に犯人が秋口様だと考えた場合、彼にはこの返り血がついた衣服を処分する余裕があったのでございましょうか?」
「え、あぁっ!」
千佳が声を上げた。そんなものがあるわけがない。秋口は取材のためにここにいるのだから、一度も帰宅をしていない。つまり持ってきている衣服には限りがあり、処分できるような余分な衣服を所持していない事になる。この取材は数週間にも及んでいるので、その間に彼の着ている服のバリエーションが少なくなればいくらなんでも気づかれてしまう。
「で、でも、秋口さんの服には血なんて……」
「そう。秋口様の服に血はついているようには見えません。ならば考えられる可能性は二つでございます。服を洗濯して血を洗い流し何食わぬ顔で着ているのか、あるいは犯行時だけは彼が所持している物以外の服を着ていて、犯行後に同じく血を洗い流して元の場所に戻しておいたのか」
出雲はジッと秋口を見つめる。
「まず後者の可能性でございますが、取材中であるこの状況下で秋口様が自由に使える他人の服など限られています。他のスタッフの服を拝借するわけにもいきませんし、それだけのために服屋で服を買うわけにもいきません。その行為そのものが怪しまれてしまいますから。ですが、可能性のある衣服が一つございます」
出雲は千佳に向き直った。
「矢頼様、あのバンには雨天時の取材のために雨合羽が積んであるのではございませんか?」
「は、はい確かに。現場によっては傘が差せない事もありますから……まさか、その雨合羽を?」
「犯人が返り血を浴びないようにするために使える衣服はそれ以外考えられません。おまけに雨合羽となれば防水加工がなされているはずでございます。あまり知られてはいませんが、防水加工タイプの衣類についた血痕は、洗い流しさえすればルミノール反応が出ないか、出てもわずかしか出ない事があるのでございます。つまり、この手の雨合羽は返り血対策としてはもってこいのものであるはずなのでございます」
だが、出雲はここで首を振った。
「しかし、この場合疑問が生じます。それは、被害者がいずれも心臓を一撃されて殺害されてしまっている……すなわち全く抵抗していないという事でございます。これは被害者が相手を信用していた事の表れでございますが、雨も降っていないのに雨合羽を着ている相手を信用する事が果たしてできるのでございましょうか?」
「……無理です」
千佳は首を振った。どう考えても怪しすぎる。しかも相手は初対面のはずだった浦井祥子や、二件目の犯行に疑問を感じていた佐田豊音なのだ。そんな彼女たちが雨も降っていないのに雨合羽を着た人間を信用するとは思えない。
「私も同感でございます。以上の考察から、私は犯人が普段着で犯行に臨み、犯行後にその衣服を丹念に洗ったと考えるしかないと結論付けます。いきなり警察からルミノール検査をされるわけでもないのでございますから、元々疑われる立場にいない犯人としてはそれでも問題はないはずでございます。もちろん、白い服に血がついたらそう簡単には落ちませんから、どちらかといえば色の濃い服という条件は付きますが。例えば、秋口様が今着ているような服でございますね」
その言葉に、千佳は息を飲んだ。と、その直後、出雲は手に持っていたキャリーバッグの底を軽く蹴る。同時にキャリーバッグの上部から何かスプレー缶のようなものが飛び出し、それを手慣れた様子でキャッチした出雲は、おもむろにその中身を秋口目がけて噴射した。
「な、何をする!」
「ご安心を。人体に害のあるものではございません。ただのルミノール試薬でございます」
次の瞬間、千佳は思わず小さい悲鳴を上げた。
ルミノール……血液中のヘモグロビンに反応して青い発光現象を引き起こす物質であり、その効果は拭き取った血液にさえ反応する。そして今、樹海の暗闇の中で、ルミノール試薬を吹きかけられた秋口の衣服が、不気味な血飛沫状の青い発光を発していたのだ。それはある意味幻想的で、同時に不気味で恐ろしい光景だった。
「決定的でございますね。あなたが犯人ではないというのであれば、その衣服についたルミノール反応について納得のいく説明をお願いいたします。もっとも、事がここに至ってはそんな事は不可能でございますが」
秋口は答えなかった。ただその場にうつむいて、悔しそうに唇を噛みしめている。こんなものを着ているのを見られてしまってはもはや言い逃れ不可能。それは自分がよく分かっているのだろう。一方、千佳は青白く発光し続ける彼の衣服を見ながらやや呆然としている。
「秋口さん、やっぱりスクープのために……」
「……他にどんな理由があるというんだ」
と、秋口が急に押し殺したような声で言った。それが、この秋口勝則という殺人者が罪を認めた瞬間だった。
「俺は今まで仕事にすべてをささげてきた。それ以外の何もかもを犠牲にしてここに立っているんだ。千佳ちゃん、君みたいなパッと出の人間と違って、俺たち裏方は長年の積み重ねが大切なんだ。それだけの苦労を重ねてきたのに、いきなり横からしゃしゃり出てきたあんな若造にすべてを台無しにされてたまるか!」
「だからって……」
「大阪からここに駆けつけてきたときには完全に他局から出遅れていた! このまま取材したところでどうしようもないのは目に見えていた! あの若造の嘲るような顔が頭の中にこびりついて離れなかった! 君にこの気持ちがわかるはずがない! わかってたまるか!」
秋口の目は完全に血走っていた。それは、千佳が今まで見た事のない秋口の素顔だった。
「だから、あなたは更なる連続殺人を演出し、その発見者としてスクープをもぎ取ろうとした」
出雲は淡々と確認する。秋口は顔を引きつらせながらわめく。
「あぁ、そうだ。取材の合間に適当なハイカー……浦井祥子とかいったあの女に声をかけて隙を見て殺したよ。遺体は次の日に取材で来るはずだったこのキャンプ場に運び込んでおいた。あの忌まわしい豪雨さえなかったら、今頃俺はスクープをもぎ取れたはずなのに!」
「計画というものは必ずどこかで予定外が起こるものでございます。そんな事もわからなくなっていましたか」
出雲の皮肉にも、秋口は動じた様子はない。
「聞いたような口を叩くな! お前みたいな小娘に何がわかる!」
「わかりませんし、わかりたくもございません。私が興味あるのは、事件の事だけでございます。あなた様は浦井祥子様を殺害した。あなた様はうまくやったつもりでございましたでしょうが、しかしそれに疑問を持つお方が現れた。それが佐田豊音様だった」
「豊音ちゃんはあそこで遺体が見つかった事に疑問を持っていたようだった。まだ俺が犯人という事に気づいてはいなかったが、それがばれるのも時間の問題だった。そんな事がばれたら俺は破滅だ。やるしかなかったんだ」
「なんて、身勝手な……」
千佳はそう言うのが精一杯である。
「旅館の外に呼び出してそこで殺害。その後遺体をバンで発見場所まで運んだ、という事でよろしゅうございますね?」
「あぁ、そうだよ! 何もかもあんたが推理した通りだ! 邪魔者も消せてスクープも俺の物……一石二鳥の計画だったのに、お前のせいで全部台無しじゃないか! どう責任を取ってくれるっていうんだ!」
「狂ってる……秋口さん、あなたって人は……」
千佳の言葉に、秋口は引きつったような笑みを浮かべた。
「そうだな、俺はもう狂っているのかもしれないな。だが、その事について後悔はないさ。……そんなわけで、これが俺のやったすべてだが、満足したか?」
秋口は少し自嘲めいた口調でそう締めくくった。千佳は何も言えず、出雲も何も言わない。重苦しい沈黙だけがその場を支配する。
が、その沈黙も長くは続かなかった。
「……それで、これからどうなさるおつもりですか? こうして真相をお話になったという事は、このまま観念するおつもりという事でございますか?」
唐突に出雲がそんな問いを発する。が、それに対して、秋口は引きつった笑みを浮かべながらこう告げた。
「観念? そんなわけないだろう。今日は前回の事件から一週間……世間の皆様も第四の犯行を心待ちにしている頃合いだ。これが何を意味しているのか……ここまで言い当てたあんたならわかるはずだよな」
そう言うや否や、突然秋口が動いた。不意に千佳につかみかかると、彼女が抵抗する間もなく何かを喉元に突き付けたのだ。
「ヒッ!」
一瞬遅れて千佳が悲鳴を上げ、出雲は無言でそれを見つめる。一方、秋口は千佳の後ろに回って、焦点の狂った視線を出雲に向けた。
「まぁ、あれだ。あんたらには明日のニュースのスクープになってもらおうというわけだ。そのためにこんな茶番に付き合ったんだから……覚悟してもらうぞ」
千佳の喉元にどこで手に入れたのか大ぶりのサバイバルナイフを突きつけながら、秋口は楽しそうな表情で出雲に宣告した。その瞬間、千佳は自分に対する秋口の明らかな殺意を、無意識に感じ取っていたのだった。
事態は一変していた。真っ暗な樹海のキャンプ場で、秋口が千佳を人質にして出雲に対峙していた。が、出雲は全く動じる様子もなく秋口を見つめている。
「……何のつもりでございますか?」
「言った通りだよ。あんたにはここで死んでもらう。ちょうど標的がいなくて困っていたところだったんだ。こんな事に首を突っ込んだ以上、こうなる覚悟くらいあったんだろう? 若者の過ちっていうのは悲劇を生む事があるんだ。冥途でもそれを覚えておくといいさ」
すっかり開き直ったように言う秋口に対し、出雲は淡々と問いかける。
「自分のしている事がわかっているのでございますか? 私はともかく、ここで矢頼様を殺したら、いくら警察でもあなた方に目をつけるのは確実でございます。同じテレビ局の女子アナが連続して殺害されたという偶然を、警察が見逃すはずがございません」
「馬鹿だねぇ、俺がその事を考えていないとでも思ったのか? 今ここで死ぬのはあんた一人だけだ。千佳ちゃんはこのまま俺の共犯者になってもらう」
思わぬ話に、千佳は思わず身震いした。
「ど、どういう事ですか? 私、あなたの共犯になんか……」
「千佳ちゃん、君の意思は関係ないんだよ。ほら」
そう言うと、秋口はサバイバルナイフを持っていない方の手でポケットから何かを取り出すと、それを千佳に握らせた。それは、一回り小さい小型のナイフだった。
「な、何を……」
「ま、あれだ……そいつで、そこのお嬢ちゃんを殺してくれるか?」
さらりと言われて、千佳は戦慄した。
「そ、そんな……そんな事……」
「嫌なら別にいいんだ。ただ、その場合は残念だけど千佳ちゃんにはここで死んでもらわないといけない。警察がうるさいかもしれないけど……ま、なるようになるさ」
せせら笑いながら秋口は千佳の首筋をサバイバルナイフでつついて、出雲を殺すように促す。千佳は、出雲に真相を暴かれた事で、秋口の精神がもう戻れないところに行ってしまった事を悟っていた。
「で、でもどうして……」
「どうして? だってあの子は第一の事件の被害者の関係者なんだろ? 確か名前は大和日名子って言ったっけ? 彼女が死ねば、警察は第一の被害者の近辺に共通項があると考えるはず。だが、俺は第一の事件には無関係だ。つまり、俺は容疑から離れた場所に行く事ができるんだ。いや、俺がマスコミを主導してそうなるように持って行ってやる!」
「あ……」
千佳は思わずそう声を上げていた。もっとも、その声には秋口の狡猾な考えに戦慄したという意味の他に、彼が未だに彼女の正体を大和日名子だと信じている事に対する驚きも含まれていた。
「脅されていたとはいえ矢頼様が私を殺せば、矢頼様が秋口様を告発するような事態もなくなる。無理やりにでも共犯に引き込めると、そういう意味でございますか?」
出雲はあくまでも冷静である。一方、秋口はますますヒートアップしているようだった。
「そうだ! せいぜいこんな事態を招いた自分の頭の良さを嘆け! 心配せずとも、明日の朝にはあんたの名前は全国区だ! 『心臓強盗』第四の被害者としてな!」
「……それは困った話でございますね」
と、出雲は普段と変わらない様子でそんな言葉を発した。その態度に、さすがの秋口も少し不安に思ったようだ。
「どうしたんだ? 何でそんなに冷静でいられる? 怖くないのか?」
「怖いも何も……ここまで思惑通りに動いて頂けると、怖さを通り越して滑稽でさえございます」
「……何?」
聞き捨てならない事を言われて、秋口の顔に警戒心が戻る。一方、出雲は笑みを浮かべて大きく手を広げた。
「少しは冷静に考えてはいかがでしょうか? すべての真相がわかっている人間が、どうしてわざわざこんな『襲ってください』と言わんばかりの場所で推理を披露しなければならないのでございましょうか? むしろ、そちらにこそ罠があると、あなた様は思わなかったのでございますか?」
「な、何だと?」
緊張した様子を見せる秋口に対し、出雲は可憐な声で真相を告げる。
「私の推理によれば、模倣犯である犯人は誰を標的にするかという事に関して特に基準を定めておりません。となれば、このままでは誰が新たな被害者になってもおかしくない事になります。いくら真相が明らかになっても、犯人に新たな犯行を起こさせてしまっては話になりません。真相を暴く前に、まずはあなた様の注意を強引にこちらに向けて、関係のない第三者が殺害される事を防ぐ必要がございました。そこで、矢頼様にご協力を頂いたのでございます」
「わ、私?」
千佳が目を白黒させて尋ねる。本人も何が何やらわからない様子だ。
「第三者に対する無用な犯行を阻止するのに手っ取り早い方法は、私自身が標的になる事でございます。私であれば、あなた様に対してうまく対処できる自信がございますから。しかし、単に私がうろついているだけでは私が必ず標的になるとは限りません。が、犯行の矢先に矢頼様が急に旅館を出て行ったとなればいかがでございましょうか? 先の佐田様の事もございますし、あなた様は必ず矢頼様の後をつけるはずでございます。そこに私がいて、矢頼様に何かを話していたとなれば……あなた様の標的は必ず私に向くはずでございます。先日佐田様を殺した以上、矢頼様を殺害する事は極力避けるはずでございますし、何より第一次の事件の被害者であると公言していた私の突然の登場は、あなた様にとっても渡りの船であるはずでございます」
「きょ、協力って、その事だったんですか」
そこまで聞いて、ようやく千佳は出雲がなぜ自分を協力者にしたのかを理解する事になった。すべては出雲が自身を標的にして秋口をおびき出すための工作だったのである。
「そして、あなた様はまさに私の思った通りに動きました。犯行のためにわざわざ今までの犯行の際に着ていた服を着て、こうして決定的な証拠を私たちにお見せ頂くというサービスまでして頂きました。これは一応、お礼を言っておく必要があるかもしれませんね。私の罠に付き合って頂いて、ありがとうございます」
「ふ、ふざけるな! 何が罠だ! あんた、今の状況がわかっているのか? こっちには人質がいるんだぞ! たかだか高校生に過ぎないあんたに何かができるわけもないし、あんたが何かしたら千佳ちゃんの命は……」
「あなた様こそ状況が理解できているのでございますか? 矢頼様は私の協力者でございます。そして、私は協力者に危害を加えようとする人間を許す事はございません」
その瞬間、出雲の背後からどす黒い殺気のようなものがあふれるのを千佳は見て取っていた。が、背後の秋口は全く気づいていない。
「最後に一つ言わせて頂きましょう。あなた様最大の敗因、それは、私が何者であるのかを見誤った事でございます」
「は? あんた何を言って……」
その次の瞬間だった。
ドンッ、と腹の底に響くような音がキャンプ場に響き渡り、千佳の後ろで秋口が悲鳴と共にサバイバルナイフを放り出した。
「こういう事でございます」
自由になった千佳が見ると、出雲の手には千佳にとっては信じられないものが握られていた。
日本ではまず目にする事がないであろう武器……拳銃である。
そこには左手にランプを持った出雲がいつの間に取り出したのかオートマチック式の拳銃を右手一本で構えており、その銃口からかすかに煙が立ち上っていた。慌てて後ろを見ると、秋口が呻き声を上げながら右手を押さえて地面を転がっている。どうやらナイフを握っていた右手を寸分の狂いなく撃ったらしい。出雲はランプを地面に下ろすと、そのまま銃を構えてゆっくりと千佳の方へと近づいていく。
「け、拳銃だと……そんな……そんな馬鹿なっ!」
秋口が恐怖に満ちた表情で絶叫した。出雲の正体を知っている千佳もどう反応していいのかわからず呆然としている。まさかこの局面でいきなり拳銃などというものが出てくるとは思っていなかったのだ。が、千佳の場合は出雲が「復讐代行人」だという事をすぐに思い出し、ならばこの程度の武装は当然とすぐに思考を立て直していた。
わけがわからないのは秋口であろう。銃器などというものが一般的でないこの国で、今から殺そうとしていた一見か弱そうに見せる女子高生が、突然躊躇なく拳銃で発砲してきたのだからその驚きは察するに余りある。この時点で、秋口はようやくこの少女が只者ではない事を悟ったようだが、それはもう時すでに遅しと言えるものだった。
「もう少し抵抗して頂けると思っていたのでございますが……何とも肩透かしでございますね。所詮はただの模倣犯……主義も主張も持たないくだらない道化という事でございましょうか」
出雲はそうため息をつきながら秋口の傍に近づくと、無造作に連続して引き金を引いた。ドンッ、ドンッ、と音が響くと同時に秋口が悲鳴を上げる。弾は秋口の手足を貫き、もはや自由に動けない状態にまで追い込んでいた。ただし、わざとそうしているのか致命傷は与えている様子はない。
「ぐ、ぐわぁっ!」
「さすがにもうわかっているとは思いますが……私は第一の被害者とは一切関係ございません。大和日名子という名前も偽名でございます。すべてはこのため……事件の真相を明らかにするための芝居でございます」
そう言いながら、出雲は拳銃の弾倉を素早く入れ替えてスライドを引き、即座に秋口に突き付ける。形成は完全に逆転していた。千佳は見るのがつらいのか、秋口の方からそっと目をそらす。
「矢頼様、今後の事についてはこの後でお話ししたく思います。よろしいですか?」
「……好きにしてください」
千佳はそう言ってそのまま後ろの方へと下がっていった。一方、秋口の顔はすっかり青ざめている。
「何なんだ……お前は一体、何なんだ!」
秋口が絶望に満ちた声で叫ぶ。が、出雲は首を傾げてこう答えるだけだった。
「あなた様のような人間に名乗る名前などございません。とりあえず、この茶番はここで幕引きとさせて頂きましょう。お覚悟くださいませ」
「や、やめろぉぉぉっ!」
秋口が絶叫した直後、暗闇の中で立て続けに銃声が響き渡った。
それが、この「心臓強盗」事件の第一幕の終了を告げる合図となったのだった。
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