第二章 六月十一日 東

 六月十一日月曜日、山梨県河口湖湖畔。富士五湖の一つであり、『心臓強盗』の暴れている富士樹海のすぐそばにある湖である。捜査本部の置かれている河口署もこの近くにある。普段は観光地としてにぎわいを見せるこの湖であるが、連日の『心臓強盗』事件の影響か心なしか観光客の数も少ない。警察官による巡回も通常以上に厳重なものとなっており、事件の影響は確実に出ているようであった。

 そんな河口湖の湖畔に、この日、一人の男が車に乗って姿を見せた。車種は白のマークⅡ。運転席で車を転がしているのは見た目二十代前後のリクルートスーツを着た男だった。一見すると就活中の大学生に見えなくもないが、その髪は茶髪に染め上げられ、何ともアンバランスな雰囲気を見せている。警邏をする警察官たちはその格好に自然と眉をひそめているが、その正体を知れば皆が皆血相を変えてこの男を逮捕しにかかったに違いない。

 情報屋『東』。出雲をはじめとする裏の世界の数々の大物たちが利用する裏社会トップクラスの情報屋である。その情報収集能力は桁違いで、警察内部や国家機密クラスの極秘情報でさえ難なく手に入れてくるほどといえばその実力の高さがわかるだろうか。

 さて、そんな情報屋『東』がなぜこんな山梨の奥にまでわざわざ自動車に乗ってやって来たのかといえば、もちろん仕事のためである。いや、正確にはある人間から仕事の依頼を受け、詳しい話は現地でしようと言われたが故である。裏社会最高峰の情報屋の東をそこまで手足のように扱える人間などそうそういるものではないが、今回はその数少ない例外であった。

 やがて、車は河口湖の辺りから少し外れ、樹海を走る道路の入口付近に到達する。と、その道路の脇にある寂れたバス停の前に、東の見知った顔……というより今回の依頼者の姿がはっきりと見えた。漆黒のセーラー服と長髪に真っ赤なスカーフ。それに反するような白い肌と、手に持つ黒のキャリーバッグ。そこにいたのは、復讐代行人・黒井出雲その人だった。東は黙ってバス停の前に車を停車させる。

「よう。この俺を運転手扱いとは、随分いい御身分だな」

「今回の依頼には必要な事でございますので」

「そんなに目立つ格好をして、警官連中に見つからなかったのか?」

「私がそんなへまをするとでも?」

「……いや、ねぇな」

 東は自分で自分の問いを否定した。出雲は薄い笑みを浮かべる。

「乗せて頂いてもよろしいですか?」

「好きにしろ。というか、そのつもりで呼んだんだろう」

「では、失礼します」

 そう言うと、出雲はそのまま後部座席へと乗り込んだ。

「で、今回の仕事は?」

「『心臓強盗』に関する警察資料、及び被害者に関する情報一式。取り急ぎ、これを集めて頂きたいのです」

 唐突な出雲の頼みに対し、しかし東は不敵な笑みを浮かべた。

「やっぱりな。富士の樹海に呼ばれた時点で、どうもその事件じゃないかって予感はしていたんだ。だったら話は早い」

 そう言うと、東は助手席に乗せておいたアタッシュケースから、手早く書類の束を渡す。

「お望みの警察の捜査資料だ。こうなると思ってあらかじめ準備をしておいた。被害者の関係者の調査に関してはもう少し時間をくれ」

「……さすが、仕事が早いですね。依頼する前に仕事を終わらせてしまっているとは」

「よく言うぜ。俺がそれを持ってくる事を見越してわざわざこんなところに呼び出したくせに。行くんだろう、その三件の現場へ」

「あなたこそよくおわかりのようでございますね」

「そりゃな。何年の付き合いだよ。ただ、欲を言えば運転手は自分でやってほしかったな。あんたも車くらい運転できるだろう」

「さすがにこの姿で車を運転すれば警察に怪しまれますので。念のためでございます」

「だったらたまには着替えろよ。まぁいい、今回はサービスだ。それじゃ、行くとしようか」

 東はそう吐き捨てると、そのまま車をスタートさせた。

「ここから一番近いのは、最初に殺された森川景子の遺体発見現場だな」

「あなたの調べてきた資料によると……森川景子の死亡推定時刻は遺体発見前日の五月二十四日頃。遺体は死後二十時間から三十時間が経過。死因は不明ではあるものの、心臓を抜かれたのは死後である、という事でございますね」

「そうだ。ついでに言えば、遺体には運んだ痕跡が見られるらしい。だから、実際の犯行現場は別だろうぜ」

「具体的にはどの辺だと考えられるのでございますか?」

「それを考えるのはあんたの仕事だろう。俺は情報を提供するだけ。それをどう料理するかはあんたの仕事であって、俺は知った事ではない」

「そうでございましたね」

 出雲はそれ以上追及する事なく、改めて自分の考えを述べた。

「しかし、遺体を移動した以上は少なくとも遺体発見現場近くという可能性は低いと思われます。だとするなら、犯人は何らかの移動手段……例えば自動車なりを持っている可能性がございます。その点も今後関係者を調べる際に注意して頂ければと思いますが」

「あー、はいはい。考慮しておくぜ」

 いい加減な返事をしてはいるが、東の頭に今の話はしっかりインプットされているはずである。この点に関し、出雲は東に対して信頼を置いていた。

「二件目の被害者である浦井祥子も、やはり死亡推定時刻は発見の前日である五月三十一日で、遺体発見の二十時間から三十時間前。死因も不明で、心臓は死後にくり抜かれている、という事で間違いございませんね?」

「そこに書いてある通りだ。俺の調査に間違いはねぇよ」

「三件目の佐田豊音はやや特殊でございますね。宿泊していた旅館で最後に目撃されたのが前日、すなわち六月七日の午後十時頃。そのまま姿を消して、翌日の六月八日の正午頃に警邏中の警察官によって遺体が発見された、と」

「警察の捜査では、被害者がいつ旅館を出たのかもわかっていないらしい。閉めてあったはずの裏口のドアが開いていたから、そこから出たと考えているみたいだけどな」

「ならば、少なくともこの三件目の佐田豊音に関しては、自分から旅館を抜け出したという事になるのでございますね」

「らしいな」

 東は必要以上に踏み込もうとしない。それが情報屋としての彼のスタンスだ。

「佐田豊音の泊まっていた旅館と遺体発見現場までの距離はどうなっているのでございますか?」

「泊まっていたのは河口湖畔にある旅館。そこから遺体発見現場までは車を使っても三十分はかかる。夜中だった事もあるし、車がないとまずそこまで移動できない。だが、彼女が自分で運転した可能性は低いな。免許証こそ持っているが、俺の調べだと佐田豊音はペーパードライバーだ。免許を取って以来一度も運転した様子はないし、もちろんマイカーも持っていない。第一、彼女が車を運転していたとするなら付近に乗り捨てられた車がないとおかしいが、警察の調べでは現場周辺にそれらしき車は確認できなかった」

「ではタクシーはどうでございますか?」

「こちらも警察が調べているが、それらしいタクシーはないな。というより、さすがに夜中に樹海に行けなんて言われたら、タクシー側から乗車拒否をするだろう。どう考えても自殺志願者以外の何者でもないし、こんな事件が起こっているんだからなおさらだ」

「なるほど。だとするならば、やはり佐田豊音は旅館を脱出した後、犯人の車で遺体発見現場まで運ばれたと考えるべきでございましょう。つまり、犯人は佐田豊音が自動車に乗るほど親しい人物となりますね」

「……あんたの考えだと、やっぱり取っ掛かりは三番目の事件か?」

「その通りでございます。このような連続殺人事件の場合、他のケースと違う部分のある案件がキーポイントになる事が多いのでございます。何より、この佐田豊音の事案は他の二件と違って死亡直前までの被害者の行動がある程度把握できていますから、情報量も他の二件に比べて多いのでございます」

 そう言ってから出雲は再び笑みを浮かべる。

「もっとも、これは警察も同じ条件でございましょうが」

「あぁ。警察もあんたと同じような考えで動いている」

「では、ここから先は時間との勝負でございますね」

 そう言う出雲に対し、東は心配そうにこう言った。

「だがなぁ、あんたこの一件以外にも、今、別の依頼を受けていただろう。そっちはいいのか? 確か、新宿の会社で起こった自殺に見せかけた連続殺人の調査だったか」

「あちらに関してはすでにある程度目星がついております。後は証拠をそろえるだけでございますが……これに関しては輪廻さんに動いてもらおうと思っています」

「ついに使うか。あの『潜入屋』を」

 東が息を飲む。『輪廻』とは、最近になって裏社会に入ってきた『潜入屋』という職業の人物である。仕事の内容は、依頼人の要請に従って標的の近くの人間と入れ替わり、その優れた変装技術と演技力で標的の情報を収集するという潜入に特化したものである。その実力の高さは出雲も認めており、そろそろ彼女が仕事で使うのではないかと東は予測していたのだ。

「こちらに関しては近々輪廻さんに潜入を依頼し、証拠がそろい次第先にこちらの仕事を片付けてしまうつもりでございます。それが済み次第、本格的にこちらの案件に取り掛かりましょう。新宿の案件に関してはすでに真相はわかっておりますので、おそらくその処理は諸々を含めても一週間もかからないはずでございます」

「そうかよ。にしても、人気者はつらいねぇ。一度に二つの案件を同時に処理する殺し屋なんて聞いた事がねぇよ。まぁ、俺は儲けさせてもらっているから文句を言う筋合いはないけどな」

 そんな話をしているうちに、車は第一現場近くに到着した。車を路肩に寄せて停めると、出雲が車から外に出てきて、道路の横に鬱蒼と生い茂る樹海の奥を見つめる。よく見ると林の奥にかすかに『KEEP OUT』の文字が書かれたテープが見えるが、人の気配はない。

「この奥でございますか?」

「あぁ。樹海パトロールのボランティアの老人二人が発見者だ。まぁ、普通に考えれば見つかりにくい場所である事に間違いはない。警察の調書では、二人が遺体を見つけたのも偶然らしく、状況から考えれば見つからなくても不思議ではなかったというのが二人の弁だ」

「つまり、この一件に関しては犯人も多少は遺体を隠すつもりだった、と考えるべきでございましょうか」

「何か引っかかるのか?」

 出雲は小さく頷いた。

「犯罪心理学的に考えるのであれば、こうした猟奇殺人事件において遺体の心臓を持ち去るという行為には、心臓を犯罪の記念にしているという側面がございます。専門用語的にはスーベニア(記念品)と言うようでございますが、このスーベニアには自分の犯罪を思い出すための空想の材料として持ち帰る無秩序型殺人の場合と、殺人の成功を誇示するためのトロフィーとして持ち帰る秩序型殺人の場合に分かれるそうでございます。いずれにせよ、犯人にとっては見せしめでございますね。しかし、だとするならば遺体を見つからないようにこんな場所に隠すのは矛盾した行動でございます。見せしめである以上、この手の犯人は遺体をわかりやすい場所に放置するか、あるいは遺体の処理に無頓着になるはずでございますから」

「まぁ、確かにそうだよな。普通この手の犯罪は劇場型になりやすいし、実際、二件目以降はそうなっている節もある。だが、少なくとも一件目の段階で犯人にそんな意図はなかったって事か」

「そう考えるのが筋でございましょう」

「しかし、殺し屋が犯罪心理学を語るかねぇ。さすがに犯罪者だけあって、犯人の心理がよくわかるって事か?」

「お互いさまでございます」

 東は肩をすくめる。その横で、出雲は現場をじっと見つめと、そのまま黙祷をした。仕事前に必ず現場を訪れて被害者の冥福を祈る。これが出雲の普段からのやり方である。

「……行きましょう」

「もういいのか?」

「この周辺はすでに警察が徹底的に捜査しているはずでございます。後で先程あなたから頂いた書類を読めば済む話でございましょう。私は日本の警察の捜査能力そのものは評価しておりますから」

「そうかい」

「では、次の現場にお願いします」

 二人は車に乗り、今度は無言のまま第二の現場であるキャンプ場へ向かう。出雲は車内で改めて書類を読み返しているようだった。

 キャンプ場に到着したのは、それから十五分ほど後の話だった。事件から数週間経過しているが、土砂崩れの影響もあってか入口の前に車止めが置かれ、現在でも立入禁止になっているらしい。

「この現場は土砂崩れで地面の底に埋もれてしまったという事でございますね」

「あぁ。避難作業中のレスキュー隊員が偶然遺体を見つけた。とはいえ、遺体発見現場はキャンプ場から少し森に入ったところで、第一の現場に比べてもまだ見つけやすい場所だったらしい。樹海と違ってキャンプ場という人の出入りが多い場所である事もあって、遅かれ早かれ見つかっていたのは間違いないというのが警察の判断だ」

「こちらの遺体も殺害現場から移動されたと考えるべきでございますか?」

「警察はそう判断している。と言うのも、被害者の浦井祥子の目的は来月の富士山登山に先立つ下見と樹海へのバードウォッチングで、このキャンプ場には用がないはずだからだ。彼女が自発的にこのキャンプ場に来るとは思えない。だから、他の場所で殺害された後で運び込まれた可能性が高いとされている」

「それに関しては私も同感でございますね。ちなみに、彼女はどうやってここまで?」

「自動車だ。元々山登りが趣味だった事だった事もあってか、彼女は自家用車を持っていた」

「その自動車はどこに?」

「今の時期は封鎖されている山梨側の富士山登山道、いわゆる吉田口の入口付近に放置されているのが見つかった。ここからはやや離れた場所だ。ちなみに、彼女の動向に関しては、下見に出発する前日の五月二十九日に大学の山岳部部室で目撃されたのが最後になる。彼女自身はアパートで独り暮らしをしていて、下見も一人で来ていた事から、その後の彼女の動きはわかっていないそうだ。警察は今、全力でこの期間の彼女の動向を追っている」

「そうでございますか」

 そう言うと、出雲はここでも静かに目を閉じて黙祷した。

「ここでいいのか? あんたなら、こんな入口じゃなくて現場近くまで行く事もできるはずだ」

「充分でございましょう。何かあればまた来ればいいだけでございます。では、次が最後でございますね」

 再び二人は車に乗り込み、第三の現場を目指す。

「最後は佐田豊音の遺体発見現場だな」

「発見者はこの資料によれば警邏中の警察官だそうでございますね」

「あぁ。樹海の中ではあったもののかなり道路に近い場所に放置されていたらしくてな。比較的簡単に発見されたらしいぜ」

「日本中央テレビのアナウンサー、だとか」

「最初の森川景子殺害の直後から現地入りしている。中央テレビ入社は三年前で、大学時代はミス・キャンパスにもなった事があるらしい。それでいながら高校時代剣道をしていて剣道三段の有段者でもあったそうだ。自分が被害者になるなんて思ってもいなかった口だろうな」

 それからしばらくして問題の現場に到着する。今度は道路からでもはっきりと『KEEP OUT』のテープがはっきりと林の中に見えた。事件からまだ三日しか経過していないため、さすがに見張りの警官や少数のマスコミ関係者の姿が見える。二人は現場から少し離れたところに車を停め、その周辺の様子を車に乗ったまま見つめた。

「一件目の事件に比べると随分道路に近いですね」

「どう見ても隠す事を考えてねぇな。その点ではあんたがさっき言ったスーベニアをする殺人鬼の行動に近くなっている。あんたの理論を使うなら、時間が経つほどその傾向が強くなったって事か」

 出雲はそんな東の軽口に応えず、黙って後部座席から森の中を見据えていた。

「さすがにこれ以上停車していると不審がられる。出すぜ」

「えぇ」

 その直前、出雲は車内から黙祷する。それを見計らうと、東は車をUターンさせてもと来た道を戻り始めた。

「ところで、被害者三人の共通点は何か見つかったのでございますか?」

「まだだ。強いて言うなら、浦井祥子と佐田豊音が同じ明正大学の出身というくらいだが、学部やサークルが違う上に、明正大学はマンモス大学だからその程度の偶然は普通にあるだろうというのが警察の判断だ。詳しい三人の経歴に関しては資料の末尾に書いておいたから後で読んでおいてくれ」

「わかりました。最後に一つ、警察は未だに誰も有力容疑者を見つけられていないのでございますか? この捜査本部の規模を考えれば、そういう人間が一人くらいいてもおかしくないはずでございますが」

「……一応、一人疑っている奴はいるようだ。あくまで一応、だが」

 東はそう言うと運転しながら別の書類を出雲に手渡した。どうも切り出さなかったら出雲との報酬交渉道具に使うつもりだったようである。

「蛭田磯夫。河口湖近くに住んでいる自動車整備工だが、実はこいつ、一年ほど前に東京で三番目の被害者になった佐田豊音のストーカー容疑で厳重注意を受けている。その後実家のある山梨に引っ込んで自動車修理工場で働いているらしい」

「佐田豊音に関しては動機があるという事でございますか?」

「逆に言えば、現時点ではそれだけだ。だからこそ警察も手が出せないでいる。ま、言ってしまえばこの程度のやつが最有力容疑者になるほど捜査本部も行き詰っているって話だ。興味があれば調べてもいいんじゃないか?」

 そう言った瞬間、車は最初に出雲がいたバス停の前に到着した。東は車を停めると後ろを振り返った。

「さて、ここから先は報酬の話だ。これだけ色々情報を提供したんだ。それなりの額はもらうが、構わないな?」

「……警察の資料に関しての報酬はすぐにでも振り込ませて頂きます。それから、最初に申し上げましたように被害者の関係者に関する情報を大至急調べてください。それに関する報酬は別途お支払いします」

「了解。それじゃ、俺はここで失礼するぜ」

 その言葉に出雲は無言で頷くと、ゆっくり車を降りた。

「今回も仕事がうまく行く事を祈ってる。じゃあな」

 そのまま車は走り去っていく。出雲はしばらくそれを見送っていたが、やがて一度背後にそびえる富士の山を軽く見据えた後、そのままキャリーバッグを引きながら街の方へ歩いて行った。カラカラと言うキャスターの音だけが、森の中へと不気味に響き渡っていた。


 同時刻、山梨県警河口警察署の捜査本部には重苦しい空気が漂っていた。

 すでに三人の犠牲者が出ながら捜査はほとんど進展していない。捜査の行方に暗雲が広がりつつあった。

「これだけ派手な事をしておきながら手掛かり一つ浮かばないとはどういう事なんだ」

 本部長が苛立った様子で問う。刑事たちは気まずそうに互いを見やるが誰も答えない。仕方がないので藤が立ち上がって近況を報告した。

「目撃者が皆無な上に、三件すべてにおいて被害者側の行動もはっきりしません。現場が夜の樹海ではそれも無理はない話ですが……だとしても手がかりが少なすぎます」

「泣き言は聞きたくない。それで、今後の方針はどうするつもりだ。このまま第四の犯行を許すわけにはいかないぞ」

 その言葉に、捜査本部の空気がさらに重くなった。そう、このままいけば、また新たな犯行が発生してしまう可能性がある。警察として、もうこれ以上の犯行を許すわけにはいかなかった。

「すでに県警として最高ランクの警戒をしているが、防ぎきれるかどうかは微妙なところだ。樹海や富士五湖周辺にやって来る女性全員を見張るわけにもいかない。となれば、もはや犯人を逮捕する以外にこの一件を解決する道はない」

「それは重々承知しています」

「にもかかわらず捜査に何の進展もないとはどういう事なんだ!」

 本部長が怒りをぶつける。ここのところの捜査会議はこれの繰り返しになりつつあった。

「最大の問題は、犯人はともかく、被害者の動きが判然としない点にあります。このため、犯行がどのような状況で行われたのか、また実際の犯行現場がどこなのかもはっきりしない状況です」

「つまり、犯人というより被害者の方に捜査を停滞させる要因があるという事か」

「もちろん本人たちも悪気があっての行動ではないはずですが、結果的にはそうなっています」

 藤は改めて被害者三名に関する情報を確認し始めた。

「最初の被害者である森川景子ですが、新潟県の出身で大学入学を機に上京。東京の東城大学文学部に在籍し、在籍中に写真研究会に所属。卒業後に一年ほど『現代深層』という週刊誌のカメラマンとして出版社に在籍した後、フリーのカメラマンに転身しています。その後は色々な写真を撮り続けていたようですが、現在は山岳カメラマンとしての名声が非常に高いですね」

「両親は三年前に事故死しているという事だったな」

「はい。現在の恋人である斧木陽太とは二年越しの交際で、近々結婚する予定だったという事です。私生活も順調で、殺されるような人間ではないというのが周囲の一致した判断でした。そんな彼女ですが、すでに述べたように五月二十二日に富士山周辺の景色を撮るために自宅を出発。その日は篭坂峠近くの『マウント』に宿泊していますが、翌日早朝、すなわち二十三日の朝に『マウント』を出てから樹海で遺体になって発見されるまでの二日間の足取りが全く分かりません。殺害されたのは二十四日と思われますが、現時点でも本来の殺害現場がどこなのか、それすら判然としていない状況です」

「遺体は移動されていたと考えていいんだな?」

「それは確かです。したがって、犯人が自動車を所持しているのはまず間違いないかと」

「二件目の被害者は?」

 藤は説明を再開する。

「二件目の被害者の浦井祥子は明正大学経済学部二年生。岩手県出身で、二年前に大学入学のために上京。大学では山岳部に所属し、七月に行われるはずだった富士登山の下見及び趣味のバードウォッチングのためにこの地を訪れています。が、一人暮らしだった事もあって、出発前日の五月二十九日に大学の部室で目撃されたのを最後に、それ以降から遺体発見の六月一日までの足取りが一切不明です」

「ちょっと気になったが、そういう大学のサークル活動の下見と言うのは一人で行くものなのか?」

 本部長の問いに、藤は首を振った。

「実は、この下見は本来同じ部の人間と二人で行くはずだったんです。高松頼江という同じ経済学部の友人で、彼女も山岳部に所属しバードウォッチングが趣味だったそうです。ところが、下見出発の当日に風邪をこじらせてしまって同行する事ができなくなり、結果的に被害者が一人だけで行く事になったそうです。これ関しては医療機関に確認して本当の風邪だった事を確認済みです」

「つまり、彼女が一人旅になったのは偶然だと?」

「そうです。なお、出発当日の朝、高松は浦井祥子の携帯に電話をして、一緒に行けない事を謝罪しています。今のところ、これが確認される中で最後の被害者の痕跡です」

「電話の内容は?」

「どうやら出発直前だったようで、会話そのものはいくつかの確認事項だけだったとか。正直、あまり参考にはならないかと」

 本部長は唸った。

「三件目のアナウンサーはどうだ?」

「佐田豊音は茨城県出身。明正大学社会学部を三年前に卒業した後、日本中央テレビにアナウンサーとして採用。今回の事件の報道のために、森川景子殺害直後に現地入りしています。そして、彼女は遺体発見前夜の夜に自分から宿を抜け出した疑いが強くなっています。被害者は六月七日の午後十時頃に気分が悪いと言って宿の自室に引っ込み、以降の消息がわかっていません。確かなのは、それから十五時間後の翌日午後一時に樹海で遺体になって発見されたという事実です」

「誰もかれもが死の直前の行動が一切わからないわけか……」

「ただ、問題は佐田豊音の遺体発見現場までは彼女を自動車で運ぶ必要があるという点です。もし、その際彼女がまだ生きていたとするなら犯人はこの状況下で彼女を警戒なく車に乗せる事が可能な人物。もし死体になって運ばれたとするなら、犯人は彼女の泊まっていた河口湖畔の宿周辺にいた人物という事になります」

「無理やり乗せられた可能性は?」

「これは他の遺体にも言える事ですが、佐田豊音の遺体には抵抗の痕跡はありませんでした。いずれの場合も、無警戒でいるところをいきなり殺されたと考えるべきでしょう」

「なるほど。で、それに関する捜査結果は?」

 藤は首を振った。

「残念ながら、これと言って……」

「結局、何もわかっていないという事か」

 その言葉に、誰も言葉を発する事ができなかった。

「ただ、前回報告したように、佐田豊音に関しては気になる人物がいる事も確かです」

「あぁ、あの元ストーカーだったか。名前は確か……」

「蛭田磯夫です。河口湖近くに在住の自動車整備工。元ストーカーが事件現場近くにいたというのは気になる話です」

「だが、その男は一件目と二件目の被害者とのつながりがないんだろう? だったら偶然じゃないのか?」

 そう言われると反論できなくなってしまう。

「……とにかく、時間がない。少しでも手がかりを見つける事だ。正直、こんな会議をしている時間が惜しい。以上、解散」

 本部長の言葉に、刑事たちが慌てて飛び出していく。手掛かりがなくて焦っているのは彼らも同じだった。藤も小さくため息をつきながら自分の席を立ち上がろうとする。

「あの、少しよろしいですか?」

 と、不意に声がかけられた。振り返ると、河口署刑事課の刑事の一人が藤の近くに立っていた。

「どうした?」

「これは関係がないとは思うんですが……ついさっき、気になる事がありまして」

 その刑事は少し当惑した様子でそう言った。

「この際何でもかまわない。何だ?」

「実は、つい一時間ほど前に第三の遺体発見現場近くで不審な車両が目撃されたそうです。現場近くで一時停車した後、すぐに引き返したそうですが……」

「マスコミか?」

「いえ、そんな感じではなかったと警備の警官から報告がありました。白のマークⅡだそうです。念のためナンバーを照会してみましたが……どうも偽造ナンバーのようでして」

 藤は眉をひそめた。

「偽造ナンバーのマークⅡが第三の現場近くにいた、か。運転手は?」

「そこまでは遠過ぎてわからなかったようです。どう考えますか?」

「……一応、その偽造ナンバーの出所を調べておいてくれ。あくまで一応、だが」

 藤としてもどう判断していいのかわからないので、そう指示する他なかった。

「とにかく、今できる事を片っ端からやっていく他ない。行くぞ」

「はっ!」

 藤の言葉に、刑事はそう返事するとそのまま部屋を出て行き、藤もその後に続いた。

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