第一部 心臓強盗事件

第一章 六月十日 依頼

 二〇〇七年六月十日日曜日、斧木陽太は決然とした表情でその場所を歩いていた。恋人である森川景子が亡くなってから早数週間。すでに葬式を済ませ、警察の事情聴取からも解放されていたが、斧木の心はどこか空虚なままだった。あれだけの事件だったというのに、未だに自分の恋人が殺されたという実感がわかないのである。

 ニュースでは、事件がいまだに継続している事を連日大々的に報道していた。二日前も三件目の殺人が発生し、富士山周辺は一種の恐慌状態に陥っているらしい。マスコミの間では、今回の事件の事を「心臓強盗事件」などと呼んでいるところもあるらしく、特に自局のアナウンサーを惨殺された日本中央テレビは連日連夜特別番組を流し続けている状態だった。

 だが、斧木にとってそうしたマスコミの騒ぎもどこか他の世界の出来事にしか思えなかった。そういう報道を見ても、何だかわざとらしく思えてしまうのである。もちろん、被害者の婚約者であった斧木の元にもマスコミの取材は何度か訪れた。中にはあからさまに斧木の事を疑っているレポーターや、強引に家の敷地に入り込んでコメントを得ようとする不届きな記者さえいた。しかし、斧木はそう言ったマスコミに対するコメントを一切せず、最近では新たな犠牲者が出た事もあってか斧木の元を訪れるマスコミの数も激減していた。

 せっかく開いた医院も事件発生以来臨時休業が続いている。事件の報道で患者数が激減したというのもあるし、何より斧木自身が仕事をする気になれないでいた。働いていた看護師にも暇を出し、斧木自身も精神が不安定という事で、知り合いの精神科医の勧めを受けて犯罪被害者の支援をしている団体の世話になったりもした。だが、この空虚感はどうやっても晴れる事はなかった。

 復讐、という単語が斧木の頭に浮かんだのはある意味必然だったのかもしれない。だが、復讐しようにも相手は凶悪な「心臓強盗」である。いや、別に「心臓強盗」だろうが何だろうが、斧木としては自分の命を懸けて復讐をするつもりではあるが、しかし肝心の「心臓強盗」の正体がわからないのだ。斧木の頭では残念ながらそれを特定する事も出来ず、全くの別人を殺してしまう可能性の方が高い。警察の捜査も暗礁に乗り上げつつあり、このままではいつまでたっても何もできない状態が続くだけだ。

 そんな折、ちょうど二件目の事件の発生で世間が騒然としていた頃。たまたまインターネットで何の気もなしにサイト検索をしていた斧木の目に、その単語が飛び込んできた。

『復讐代行人』

 思わず姿勢を正して画面を見た。それは、未解決事件の犯人に対する復讐のみ引き受けるという稀有な殺し屋に関する都市伝説だった。そのサイトはあくまでその都市伝説上の殺し屋を題材にした小説サイトのようなものだったのだが、何か斧木の琴線に触れるものがあった。斧木はしばらくネット検索を繰り返して情報を集めてみたが、そのうちにどうもこの都市伝説が本物ではないかと考えるようになっていた。

 情報の中には数少ないながらもこの「復讐代行人」に対する依頼方法も記されていた。実際に目の前に復讐の手段を示されて、斧木も少し迷った。だが、それも一瞬の事だった。殺人を依頼する恐怖より、「心臓強盗」に対する復讐心が勝ったのである。もしこの伝説が本当にただの都市伝説にすぎなかったとしても、斧木としては何もしないよりはましだった。

 斧木はさっそく具体的な依頼手順を取る事とした。一般的な本屋にも売られている出雲出版発行の『犯罪学総論』という学術書。色井藻屑なる犯罪学者が著者であるこの学術書の間に挟まれている読者アンケート葉書の裏に対象事件の名前などの必要事項を書き、その上で郵便番号の上三桁を「092」に変更して投函する。これが「復讐代行人」に依頼をするための手続きである。あとは向こうから連絡が入ってくる事になっていた。

 正直、最初は半信半疑だった事も否定はしない。だが投函から数日後、ちょうど三件目の事件が発生したまさにその日、自宅ポストに出雲阿国の絵が描かれた赤い金属のカードが投函された事でその認識は頭から否定された。


『拝啓 斧木陽太様

 先日斧木陽太様が申し込みをなされた調査依頼に関し、当方で慎重に審議を行いました結果、ご依頼についてのお話をぜひとも聞かせて頂きたいという事になりました。つきましては、面談を行いたいと考える次第でございますので、以下の指示に従って面談にお越し頂けるよう、お願いいたします。なお、指定された時間・場所に面談にお越し頂けなかった場合、ご依頼は無効とさせて頂きますので、ご了承ください。

・日時……二〇〇七年六月十日日曜日正午。

・持ち物……当案内状をご持参ください。

・内容……当該時刻に地下鉄日比谷線北千住駅を発車する中目黒行の前方三両目にご乗車して頂いた上で、そのまま待機してください。

 以後につきましては当日御指示いたします。なお、当日尾行など違反行為が見られた場合は、それ相応の対応をさせて頂きますのでご注意ください。 敬具』


 カードにはそのように書かれていた。それを見た瞬間、斧木はすべてを覚悟した。世間が何と言おうが、もはや斧木にはこの「復讐代行人」にすがる以外に道は残されていなかったのである。

 そして二日後の指定日当日、斧木はカードを握りしめると、指示通り北千住駅へと向かった。約束通りの電車に乗ったはいいがそれらしき接触はなく、結局斧木は終点の中目黒駅まで地下鉄に揺られる事になった。何がどうなっているのかわからず慌てて中目黒駅でカードを確認してみたのだが、そこで斧木は顔色を変える事になった。

 赤色だったはずのカードが、いつの間にか黄色に変化していたのだ。そして、その裏に書かれている文面もいつの間にか大きく変わっていた。


『拝啓 斧木陽太様

 この度は面談においで頂き真にありがとうございます。厳重なる審査の結果、斧木様に警察の尾行等がない事を確かに確認いたしましたので、正式に直接面談を行いたいと考えています。つきましては、この案内状をお持ちの上、十四時までに日比谷線秋葉原駅で下車した後、ホームの一番端にある『作業員通路』と書かれた扉の前までお立ち寄り頂けますようにお願いいたします。その後、お手持ちの黄色カードをドア横にある隙間に差し込み、そのまま中にお進みください。以後の指示はそこにて行わせて頂きます。なお、指定時刻までにお越しいただけない場合、そのカードではドアを開けられなくなりますのでご注意ください。それでは、斧木様にお会いできる事を心より楽しみにしています。 敬具』


 斧木は咄嗟に辺りを見渡した。電車の中でいつの間にかカードをすり替えられた。それは理解できたのだが、いつやられたのか全く思い出せない。とにかく、ここまで来たら指示に従うしかなかった。

 それから数十分後、斧木は中目黒駅からちょうど入線してきた地下鉄で引き返し、指示通り日比谷線秋葉原駅のホームに降り立った。多くの人が行顔秋葉原駅のホームであるが、斧木はそんな人の流れに逆らうようにホームの一番奥へと向かう。そこには、確かに『作業員通路』と書かれた一枚の金属の扉が取り付けられてあった。

 パッと見た感じはこうした地下鉄にありがちな地味な作業用のドアである。だが、斧木にとってはそのドアがどこか冥界へと続く入口であるように思えてならなかった。しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて意を決してドアの周囲を調べ始める。と、ドアノブの横の壁に、一見するとひび割れにしか見えない小さな隙間があるのが確認できた。

 斧木は緊張しながら、ポケットから黄色のカードを取り出すとその隙間に差し込んだ。少し差し込んだだけでは反応がなく、カード全体が隙間の中に吸い込まれたその瞬間、カチッと音がしてドアノブの鍵が外れた。もちろん隙間に刺さったカードを抜く事はもはやできない。斧木はいったん深呼吸をすると、周囲を見回して誰もいない事を確認した上で、そっとドアノブを握ってドアを開けた。

 中は薄暗い闇だった。恐る恐る中に入ってドアを閉めると、その瞬間に再びカチッと音がする。慌ててドアノブをひねるが、鍵がかかってしまっているようだ。引き返せないという事らしい。

 改めて先を見ると、ようやく目も暗闇に慣れてきたようで、何となく何があるかがわかるようになっていた。どうやらここはコンクリート造りの細長い通路のような場所らしい。斧木の頭に、都市伝説サイトか何かで見た東京の地下鉄の秘密の通路の話が頭をよぎった。

 と、その通路の真ん中に何かが落ちているのが見える。拾ってみると、それは出雲阿国の絵が描かれた青色のカードと、一本の懐中電灯だった。懐中電灯でカードを照らすと、そこには新たな指示が書かれている。


『拝啓 斧木陽太様

 本通路の到着、確かに確認いたしました。これより面談に際しての手順及び注意事項を申し上げます。これ以降はこのカードの書かれている通りにこの通路をお進みください。指示通りに進んで頂くと開けた場所に出ますので、そこで顔合わせを行いたいと存じます。

 なお、万一会場到着から十分以内に誰も姿を見せない場合は、残念ながら何らかの理由で契約不成立になったという事ですので、この案内状をその場に残した上でそのままお帰りください。帰宅方法は別途お知らせいたします。また、この指示に反して会場到着から十分以内に勝手に帰宅した場合、契約辞退、もしくは契約違反となる場合がございますのでご注意ください。この際、極めて悪質な契約違反が認められた場合は処分対象となる場合もございます。

 このカードの指示通りに進めば、通常十分以内に会場まで到達できるはずです。万一、この通路侵入から二十分以内に会場へお越しいただけなかった場合は、残念ながら契約無効となりますのでご注意ください。その場合は、改めて帰宅ルートを指示いたします。

 それでは、斧木様とお会いできるのを楽しみにしております。 敬具』


 もう斧木は迷わなかった。黙って懐中電灯を通路の先に向けると、そのままカードの記述を頼りに通路を進み始めたのだった。


 それから十分、斧木はカードを片手に通路の奥深くへと踏み込んでいた。通路はまるで迷路のように入り組んでおり、懐中電灯の光だけが頼りなので、今となってはどこをどう歩いているのか斧木自身にもわからなくなっていた。このカードの記述が正しいのなら、そろそろその面談会場とやらに到着してもいいはずである。

「……これで、このカードの記述は最後、か」

 そう呟きながら、斧木は手前の角を左に曲がる。一瞬、何とも言えない緊張が走った。

「ここは……」

 角を曲がった先、そこには行き止まりで、小部屋ともいうべき場所であった。部屋の大きさは縦横十メートル前後だろうか。備品は何一つ置かれておらず、殺風景な光景が広がっている。

「ここなの、か?」

 何にせよ、カードの道標がここまでで、なおかつ行き止まりである以上はここで待機する他ない。カードによれば、ここに着いてから十分以内に何事も起こらなければ、その時点で依頼は失敗という事になる。静かな地下室の中で、緊迫した時間だけが過ぎていく。

 それから数分後、そろそろ斧木の緊張の糸が切れそうになっていた時……その瞬間は訪れた。


「お待たせいたしました」


 何の気配も、ましてや人が近づく前兆もなかった。にもかかわらず、その声は斧木の真後ろ……今まさに自分がやって来た通路の方から響き渡った。斧木は思わず飛び上がりそうになりながら、反射的に振り返って懐中電灯を向ける。


 そこに、真っ黒なセーラー服を着込んだ高校生くらいの少女……都市伝説の殺し屋、『復讐代行人』が静かに立っていた。


「あなたが……」

「斧木陽太様、でございますね。初めまして。私が『復讐代行人』こと、黒井出雲と申します。この度はこのようなところまでご足労頂き、誠にありがとうございます」

 飴玉を転がすような可憐な声に反する馬鹿丁寧な敬語。開いているのかよくわからない薄目。そして、この闇の中に溶け込むような黒いセーラー服と膝下まで伸びる漆黒の長髪に、それとコントラストをなすように真っ赤なスカーフ。手には同じく漆黒のキャリーバッグが引かれていて、そこにもシンボルなのか出雲阿国の絵が描かれている。表情こそにこやかに微笑んでいるが、その現実離れした何とも言えない異様な容姿に、斧木は思わず息を飲んでその場にたたずんでいた。

「早速でございますが、ただ今よりご依頼いただきました復讐要請に対する依頼受理手続きを行わせて頂きます。私のルールに関してはある程度御存じという事でよろしいでしょうか?」

「……あぁ、ネットに転がっていた情報ぐらいだけど」

 斧木はその雰囲気に気後れしそうになりながらもなんとか言葉を繋いでいた。

「そうでございますか。ですが、それでも一応私のルールについてご理解いただきたく思いますので、まずはこちらをご覧ください」

 そう言うと、出雲はどこからともなく一枚の紙を取り出して、それを斧木の方に向かって無造作に空中を滑らせた。斧木が慌ててそれを受け取ると、その紙の表紙にはこう書かれていた。

『復讐代行人依頼規則』

 それは、出雲が定めた『復讐代行人』に関するルールをまとめた一覧表のようなものであった。

「私のルールをより理解して頂くために最近始めたシステムでございます。依頼の度に最初から何度も説明するのも非効率でございますので、このようにさせて頂きました。どうぞ一度目をお通しください。それをもって、私の依頼ルールを了承したとして話を進めさせて頂きたく思います」

 そう言われて、斧木は改めてそのルールに目を通した。

 それはまるで法律の条文のようになっており、内容は以下のようなものだった。



『復讐代行人依頼規則』

・第1条

 本規則は殺し屋『復讐代行人』への依頼及びその他雑則に関して規定したものであり、この規則は依頼終了時まで依頼人及び『復讐代行人』本人を拘束する。

・第2条

 本規則は状況に応じて『復讐代行人』の判断により条文が追加されるものとする。ただし、条文追加以前に行われた行為で条文に該当する事例に関しては、これを遡及して適用する事はない。

・第3条

 本規則における『依頼』は『未解決の殺人事件の真犯人への復讐』を基本とし、それ以外の依頼は受け付けない。ゆえに、殺人事件以外の事件の犯人に対する復讐依頼は不可能である。ただし、『殺人の疑いの強い行方不明事件』については状況いかんによっては受け付ける。

・第4条

 本規則でいう殺人は法律上の『殺人』とは違い、『第三者の行為により死者が発生した事件』全般を指す。ゆえに状況いかんによっては、過失致死や保護責任者遺棄罪なども依頼対象となりうる(例えば『轢き逃げ』は法律的に言うと業務上過失致死もしくは危険運転致死傷で厳密には殺人ではないが、『第三者の行為で死者が発生している』ため『殺人』の一環として依頼を受け付ける)。

・第5条

 本規則は『未解決の殺人事件』が依頼対象とするが、その際『犯人が判明していない』事を前提条件とし、例えば指名手配中の殺人犯など『犯人は判明しているが解決していない事件』の殺害依頼は受け付けない。ただし、例えば指名手配そのものが間違っている疑いのあるなどの場合は仮契約とし、調査の結果真犯人が明らかになった際は改めて正式に依頼を受け付ける。

・第6条

 犯人が警察に逮捕されている、もしくは裁判にかけられている事件に対する依頼は一切受け付けない。同様に服役中の犯人や、すでに出所した犯人に対する依頼も不可能とする。ただし、冤罪の疑いのある事件に関しては仮契約とし、調査の結果冤罪が発覚した場合は正式に依頼を受け付ける。

・第7条

 裁判の結果、冤罪による無罪判決が出た場合は『未解決事件』と判断して依頼を受け付ける。この場合、調査の結果冤罪になった人物が犯人だと判明した場合も、『未解決事件の犯人』として容赦なく依頼を遂行する。

・第8条

 依頼受諾後から依頼遂行までの間に警察が犯人を逮捕した場合、もしくは犯人が自首をした場合は、その時点で依頼を打ち切って依頼料を全額返還する。ただし、警察の逮捕した犯人が冤罪の疑いが強い場合は引き続き依頼を続行する。また、依頼打ち切りになるのはあくまで依頼受諾後に警察に逮捕された場合のみであり、依頼受諾後に指名手配されたとしても、依頼受諾時に未解決だったことを理由に依頼打ち切りは行われない。あくまで『依頼受諾時に犯人が不明だったかどうか』を重視するものとする。

・第9条

 第6条及び第8条は、依頼事件に関する逮捕若しくは自首の際のみに適用が検討されるものとし、依頼受諾前、または依頼受諾後に犯人が警察に逮捕されていたとしても、逮捕事由が依頼事件と無関係の事件だった場合(別件逮捕や殺人以外での微罪での逮捕など)は容赦なく依頼遂行対象となる。

・第10条

 犯人が共犯である場合、共犯者すべてが依頼遂行対象となる。この場合の共犯関係は刑法における共犯の考えに準拠し、共同正犯(一緒に殺人を犯した)及び正犯と同罪とされる教唆犯(殺人をそそのかした)をその対象とする(例えば殺し屋に殺人を依頼した事件の場合、殺し屋と依頼人の双方が殺害対象となる)。ただし、従犯(直接加担はしなかったが情報や道具などを提供した)、事後共犯(殺人遂行後に共犯関係になった)に関してはその対象外とする。

・第11条

 共犯による殺人において、一部の犯人が依頼時に判明していたとしても、この場合は『全体として未解決』であるため、判明している犯人も含めて逮捕されていないすべての犯人が殺害対象となり、全員が逮捕若しくは自首しない限り依頼は中止されない。この条文は、第5条の『依頼受諾時に犯人が判明している場合は殺害対象にならない』という事項の唯一の例外であるものとする(例えば、殺し屋が判明しているのに依頼人が不明のケース、もしくは逆に依頼人がわかっているのに殺し屋の正体がわかっていないケースの場合、依頼人と殺し屋の双方が標的となる)。ただし、共犯者の一部が逮捕もしくは自首している場合、逮捕された共犯者は第8条同様の処置をとるものとし、逮捕されていない共犯者のみを標的とする。

・第12条

 時効の有無は関係ない。ゆえに時効成立した事件に関しても依頼は受諾される。

・第13条

 正当防衛、緊急避難による殺人であったとしても依頼が中断される事はない。調査段階でこの事実が判明したとしても、通常と同様に依頼は遂行されるものとする。

・第14条

 犯人の殺害に関する故意の有無については一切問題にならない。ゆえに、交通事故など故意のない殺人に関しても容赦なく殺害対象となる。

・第15条

 依頼対象となる犯人がすでに死亡していた場合は依頼不履行となり、依頼料を返還した上で依頼打ち切りとする。

・第16条

 依頼された事件が殺人ではなかった場合(殺人に見える自殺や第三者の関与しない事故)は依頼不履行となり、この場合も依頼料返還の後に依頼打ち切りとする。

・第17条

 依頼事件の犯人以外の人物を殺害することは極力避ける事とする。特に警察など職業上『復讐代行人』と敵対する事が予想される職種の人間の場合、基本的に『復讐代行人』の妨害をしたからといって即座に殺害するという処置は取らないものとする。ただし、上記関係者以外で『復讐代行人』に積極的な意思で危害を加えようとしたり、積極的な意思で依頼遂行を妨害しようとしたり(依頼ルートの破壊もここに含まれる)、『復讐代行人』の素性を暴こうとした場合はこの限りではなく、その判断は『復讐代行人』が行うものとする。

・第18条

 『復讐代行人』のことを調べる事自体に特にペナルティは発生しない。ただし、『復讐代行人』の過去や正体を積極的に暴こうとする行為に関しては制裁処置がとられる。

・第19条

 依頼をするには「要求する一定額の金銭もしくはそれに順ずるもの(依頼人の所得に応じた累進制)」、及び「依頼人が逮捕されるリスク」を了承する事とする。

・第20条

 依頼は依頼料入金から一ヶ月以内に必ず遂行される。仮に一ヶ月を超えても依頼が遂行できなかった場合は、その時点で依頼料を全額返還した上で依頼を継続するかどうかの確認が行われる。その場合の継続依頼料は、『復讐代行人』側の不手際である事を理由に金銭面に関しては無償となる。ただし「依頼人が逮捕されるリスク」については継続するものとする。

・第21条

 依頼人の裏切り行為に関しては依頼遂行後、遂行前にかかわらず容赦なく制裁対象となる。依頼遂行前であれば、裏切り発覚時点で依頼は打ち切られる。

・第22条

 依頼人が依頼遂行前に自殺した場合は、契約違反としてその時点で依頼は打ち切られる。

・第23条

 依頼人が依頼遂行後に自殺した場合は、契約違反として依頼人が生前最も大切にしていた人間を代わりの制裁対象として殺害する。その制裁対象者の選定は『復讐代行人』に一任される。

・第24条

 依頼人が依頼遂行前に依頼情報を第三者に話した場合は、裏切り行為として制裁対象になり、依頼も打ち切られる。出雲への依頼を理由とした依頼遂行前の自首もこれに含まれる。

・第25条

 依頼人の依頼遂行後における自首に関しては特にペナルティは存在しない。同様に、依頼遂行後における依頼人の自供及び依頼情報の暴露に関してもペナルティはない。

・第26条

 警察の捜査によって依頼遂行前に依頼人が『復讐代行人』への依頼容疑で逮捕されてしまった場合、逮捕の原因が依頼人になく、かつ依頼人が自供しない限り依頼は継続し、制裁も行われない。ただし、逮捕の原因が依頼人にあった場合はその時点で依頼打ち切りとし、依頼遂行前に自供してしまった場合は24条に規定された依頼遂行前の自首と判断されて依頼打ち切りの上で制裁対象となる。なお、この依頼人が逮捕された状況のまま依頼が遂行された後の事に関しては、25条の規定がそのまま適応される。

・第27条

 依頼人が依頼遂行前に自殺以外の理由で死亡した場合、依頼は問題なく継続される。ゆえに依頼人を殺害する事は依頼遂行を阻止する手段とはなりえない。

・第28条

 依頼においては依頼人による直接面談が行われ、代理人等による依頼は一切受け付けない。面談に際して『復讐代行人』の指示に反した行動をした場合は、面談の打ち切り、悪質な場合は制裁処置となる事もある。

・第29条

 依頼受諾後、依頼人は面談から一週間以内に規定の依頼料を指定された方法で『復讐代行人』に支払うものとする。支払方法に関してはその都度『復讐代行人』により個別の指示がなされるものとし、依頼料が支払われた時点をもって当該依頼は開始される。なお、期日までに依頼料が振り込まれなかった場合、第三者による振り込みの妨害等やむを得ない事情が存在した場合を除き、悪質な裏切り行為と判断し制裁対象となる。

・第30条

 依頼遂行後、依頼経過を詳細に記した「報告書」が依頼人に送付され、この報告書の送付を持って依頼関係が解除される。ただし、この報告書は「依頼人が逮捕されるリスク」の一環なので依頼人が死ぬか逮捕されるまで保管する事が義務付けられ、意図的な処分は制裁対象となる。

・第31条

 報告書を偶発的に紛失した場合は、発覚から一週間以内に依頼と同じ手順でその旨を知らせれば、代わりの報告書が送付される。この権利が使えるのは一度のみで、それ以降の紛失はたとえ偶発的でも制裁対象となる。ただし、報告書が意図的に第三者によって盗難されたというような場合は制裁の対象外とし、その盗難者が制裁対象となる。また、警察官及び司法関係者が捜査の過程で報告書を押収する事については特に問題はない。

・第32条

 依頼遂行後に依頼人が何らかの要因で制裁対象となって殺害された場合、『復讐代行人』は依頼人に送付したもの若しくは送付する予定だったものと同様の報告書を警察若しくは司法機関に送付し、依頼が『復讐代行人』によって行われた事を明示するものとする。

・第33条

 一度受けた依頼のキャンセルは一切受け付けない。どうしてもキャンセルしたい場合は依頼人の命が代償となる。


 以上、二〇〇七年六月現在、全三十三条により当規則は構成される。



 すべてを読み終えると、斧木はゆっくりと顔を上げた。復讐代行人……出雲は相変わらずの笑みのまま斧木の正面に立っている。その出雲は、斧木が規則を読み終えたのを確認すると、改めて話を再開した。

「さて、斧木様、私のルールはご理解頂けたと思いますが、その上で、今回の依頼を行うという事でよろしいでしょうか? 今ならば、まだ依頼を撤回する事も可能でございます」

「なぜそんな事を聞く?」

「そこに書いていますように、私の依頼条件は依頼人にとっては過酷でございます。それゆえに、詳細な依頼条件を知って依頼を撤回される方も多いのでございます」

 出雲はあくまで事務的に淡々と言う。

「依頼人が逮捕されるリスクってやつか」

「その通りでございます。私はこうする事で、依頼人の復讐に対する思いを確認させて頂いているのでございます。復讐に挑む以上、依頼人にもそれ相応のリスクと覚悟は背負って頂きます。いかがでございましょうか? そのリスクを承知の上でなお、あなたは私に依頼を申し込まれますのでございますか?」

 重い問いだった。だが、斧木の心はすでに固まっていた。

「……もとより、そのつもりでここにいる」

「自分が逮捕されてもかまわないと?」

「本当にあんたがあいつを……『心臓強盗』を殺してくれるなら、私に悔いはない。逮捕されようが何だろうが、甘んじてその罪を受け入れるつもりだ」

 その言葉に、出雲は小さく笑った。

「『心臓強盗』……それがあなたの標的でございますね。あなたの恋人、森川景子様を殺した富士樹海の殺人鬼」

「そうだ。調べたのか?」

「もちろんでございます。私は依頼に当たって、必ず依頼主の情報を調べますから。ですが、依頼をするというのであるならば、あなたの口から依頼案件についてしっかりと説明して頂きます」

 そう言うと、出雲は斧木の持つカードを指さした。

「選択でございます。このまま依頼を続行されるなら、そのカードを先程の規約と一緒に私に渡してください。依頼を断念されるなら、カードを地面に置いてください。帰り道は別途指示いたします。参考までに申し上げると、依頼受諾時の依頼料は、斧木様の場合一千万円程度になるとお考えください」

 そして、出雲はこう付け加える。

「なお、この手続きを持って以来の正式な受諾となりますので、これ以降の依頼のキャンセルは一切認めません。それでもキャンセルされる場合は規約三十三条に基づき、あなたの命を頂戴いたします。」

 そう言うと、出雲は細目にしていた目をゆっくり開き、斧木の姿を見据えた。

「さて、どうなさいますか?」

「……言ったはずだ。覚悟は当にできている、と」

 迷いは一切なかった。斧木は出雲に一歩近づくと、そのまま青のカードを出雲に差し出した。

「頼む。『心臓強盗』を……景子を殺した悪魔を殺してくれ!」

 その瞬間、出雲は少し悲しそうな表情をしたようにも見えたが、すぐに元の微笑みに戻るとカードを受け取った。

「了解いたしました。ただいまをもちまして、斧木陽太様からの依頼を正式に受け付けます。依頼内容は、森川景子様を殺害した人間に対する復讐という事でよろしかったでしょうか?」

「あぁ、そうだ」

「それでは、改めて斧木様ご自身の口から、依頼される事件の概要等をお話し頂きたく思います」

「わかった」

 それを合図に、斧木は依頼内容……『心臓強盗』事件について語り始めた。事件前の森川景子との生活や、彼女と最後に会った日の出来事。そして事件の発生……。この事件に関して斧木が知るすべてを、目の前に立つ殺し屋にすべてぶちまけたのである。

 話が終わった時には、斧木は自分の中にあるすべてを出し切ったような感覚になっていた。そんな斧木を前に、出雲はその長い髪をかき上げながらじっくりと熟考している様子だった。

「話は以上でございますか?」

「あぁ」

 しばし短い沈黙がその場を支配する。斧木は固唾を飲んで出雲の返事を待った。

 そして、それからしばらくして、出雲は顔を上げるとはっきりと宣言した。

「いいでしょう。相手が話題の『心臓強盗』であるなら、私にとっても不足はございません。この依頼、お引き受けいたしましょう」

「……ありがとう」

 斧木はそう言うのが精一杯だった。何とも言えない気持ちがこみ上げて来て、胸が張り裂けそうになる。

「礼は不要でございます。私にとってはあくまで仕事でございますから。さて、今後の手続きでございますが、今から一週間以内に先ほど申し上げた一千万円をお振込みください。振込先は追って指示をいたします。その時点をもって依頼開始とし、一ヶ月以内に依頼を遂行させて頂きます。それ以降に関しては先程の規約に準拠するものといたします」

 そして出雲は宣告する。

「それでは、以上をもちまして『復讐代行人』に対する依頼手続きを終了いたします。なお、帰りに関しましてはそのままこの部屋の奥の壁の前にお進み頂き、そこで壁の方を向いたまま待機頂くようお願いいたします。この指示に反した場合、命の保証は致しかねますのでご注意ください。それでは、よろしくお願いします」

 斧木は訝しげに思いながらも、素直に指示に従って、出雲に背を向けたまま部屋の奥の壁の前に立った。その瞬間、背後から音もなく出雲の気配が消えていく。振り向きたいのを我慢しながら斧木はその場に立ち続けた。

 と、それからしばらくして不意に目の前の壁でカチリという音がした。何が起こったのかわからないでいると、急に目の前の壁がゆっくり横にずれていく。呆気にとられているうちに、目の前に地上へと続く階段が出現した。ここから出ろというつもりらしい。

 おっかなびっくり斧木はその階段を上っていく。と、やがて地上と思しき光が見えた。そこから外に出ると、そこはどこかのビル街の裏路地と思しき通路で、自分はビルの壁に開いた階段から出て来たようだった。

 ここがどこかわからず斧木は戸惑っていたが、次の瞬間、背後の壁に開いていた穴がゆっくりと閉じていき、やがて周りの壁と見分けがつかなくなってしまった。その瞬間、斧木はすべてが終わったのだとようやく実感し、どこともわからぬ裏路地にそのままへたり込んでしまったのだった……。


 その翌日の六月十一日月曜日。全国の銀行が業務を開始すると同時に、某銀行の預金口座に一千万円の振り込みが確認された。そしてその瞬間、伝説の殺し屋『復讐代行人』と、連続猟奇殺人鬼『心臓強盗』との対決の幕が静かに上がる事となったのである。

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