第三事件 六月八日 佐田豊音殺害事件

 六月八日の昼頃にその通報が入った瞬間、捜査本部の空気が一気に重くなるのを藤は感じ取っていた。

『至急、至急! 富士樹海において心臓をくりぬかれたと思しき女性の遺体発見の通報あり! 捜査員は至急現場に急行されたし! 繰り返す……』

「畜生っ!」

 刑事部長が絶叫しながら机に拳を叩きつけ、それと同時に硬直していた捜査員たちが弾かれたように部屋を飛び出していった。藤もその中に混じってパトカーに乗りながら、先行しているはずの初動捜査犯に連絡を取る。

「状況を報告しろ!」

『現場は樹海を通る道路から少し入ったところ。被害者は二十代半ばと思しき女性。遺留品の中に名刺を確認した。名前は佐田豊音。名刺によると、職業は日本中央テレビのアナウンサーです』

「アナウンサーって……もしかし、事件報道で現地入りしているマスコミの人間か?」

『その可能性が高いですね』

 よりにもよって被害者は事件を報道するためにここにやってきていた報道関係者である。皮肉にも、事件が新たな被害者を引き寄せた事になってしまった。

「えらい事だぞ……」

 藤はパトカーを走らせた。何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながら疾走していく状況に、それを見守る地元住民の間にも騒然とした雰囲気が漂っている。

 現場に到着すると、藤は即座に現場となった樹海の中へと入っていった。すでに多くの捜査員がうろつき、普段は静かな樹海も喧騒に包まれている。その中央、一本の木の根元にその遺体は倒れていた。

 若い女性だった。パリッとしたスーツを着ていて、少なくとも今までの二人の犠牲者とは明らかに違う。こんな山の中にもかかわらず街で使うようなパンプスを履いていて、登山家辺りが見れば山をなめているのかとでも言いだしそうである。だが、その左胸にぽっかり空いた穴が、この女性が今回の事件の第三の犠牲者である事を明確に物語っていた。

「どうも」

「あ、お疲れ様です」

 初動捜査犯の刑事が敬礼して藤を案内する。

「アナウンサーだそうだな?」

「今回の事件で一番派手な報道をしていたところです。本人もまさか自分が標的になるとは思っていなかったでしょう。今、他の取材陣がこちらへ向かっています」

「第一発見者は?」

「警戒中の捜査員です。樹海を警邏中に偶然発見しました」

 藤は遺体の傍に立ってジッと見つめる。今までと一緒で、心臓以外に目立った外傷は認められない。犯人の情けなのか目は閉じられており、心臓の件さえなければ眠っていると言われても信じられそうである。周辺には私物と思しき肩掛け式のバッグが転がり、その中身が地面にぶちまけられている。

「財布の中身は抜かれていません。今回も現金目的ではないようです」

「暴行の形跡は?」

「今回もありません。ただ心臓がくり抜かれているだけです」

「まんまとやられたって事か」

 しかし、被害者はこの事件の報道のために山梨入りしていたアナウンサーである。当然事件の事も知っていたはずで、そんな彼女がさして抵抗した様子もなくあっさり殺されたというのはどこか不自然な話だった。

「どうやら、今回は取っ掛かりが得られそうだ」

 藤がそう呟いたとき、被害者と一緒に山梨入りしていたテレビクルーがやって来たという連絡が入った。樹海から道路に出ると、取材用のバンから降りてきた取材班が顔を青ざめさせながらこちらへ向かってくるところだった。

「佐田さんの同僚の方ですか?」

「え、えぇ。プロデューサーの秋口勝則と言います。あの、彼女が殺されたというのは本当ですか?」

 秋口と名乗ったプロデューサーは信じられないと言わんばかりの表情で聞いてきた。彼らにとっては絶好の取材機会であるはずだが、あまりのショックなのかカメラマンも撮影をする気にはならないらしい。というより、まさか自分たちの中から犠牲者が出るなど夢にも思っていなかったようだ。

「遺体の確認をお願いできますか? 全員で来るのもなんですので、一人だけで結構ですが」

「で、では私が」

 代表で秋口が藤について樹海に入っていく。遺体の場所に行くまでに、藤はいくつか秋山に確認の質問をした。

「昨日はどちらでお泊りに?」

「河口湖近くの『小富士』という安宿です。もちろん部屋は別でしたが」

「彼女を最後に見たのはいつですか?」

「夕食が終わってそれぞれが自分の部屋に戻った時です。昨日の午後八時頃だったと思います。それ以降はわかりません」

 その宿からこの現場までは車で三十分前後かかる距離だ。彼女をここにおびき出して殺したにせよ、また遺体をここに運び込んだにせよ、間違いなく自動車が必要である。

「彼女に何か変わった様子はありませんでしたか?」

「いえ、そんなものは……」

 そう言っているうちに、二人は現場に到着した。ショックを与えないように顔以外の部分には毛布が掛けられているが、秋口は真っ青な表情で唇を噛むと、振り絞るように告げたのだった。

「間違いありません……彼女です」

 その言葉に、藤は厳しい視線を遺体にそそぐしかなかった。

「あなた方は今回の事件の取材に来ていたんですよね?」

「は、はい、そうです。最初の事件の直後から現地入りしています」

「という事は、遺体の発見された五月二十五日以降ですか?」

「えぇ、五月二十六日からですね。そこからずっとここに張り付いて取材をしていました。それまでは大阪で取材をしていたんですが……まさか、こんな事になるなんて……」

 秋口はすっかり憔悴しきった表情でうなだれたが、すぐに顔を上げて藤に詰め寄った。

「刑事さん、彼女を殺した犯人を絶対に捕まえてください! 我々も全面的に協力しますから……お願いします!」

「……もちろんです」

 藤は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「もう、これ以上の犠牲を出すわけには行きませんから。そう……絶対に……」

 だが、次の一週間の間に事件を解決できる確実な保障……そんなものは、どこにもないも同然だったのである……。


 ……そして、事がここに至ったこの時点で、事件はゆっくりと、しかし確実かつ静かに動き出そうとしていたのだった……。

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