壊して生きて私の世界
青野
第1話
夜、ベッドの中で目を閉じると私はいろんなことを考える。
たとえば家のそばに突然ミサイルが落ちてきて家族もろとも木っ端微塵に吹き飛ばされたり、勢いよく回転する船のスクリューに足元から巻き込まれたり、部屋に殺人鬼が現れて滅多刺しにされたりする。そんな場面が次々とまぶたの裏に浮かんでは消えていく。
なぜか私は小さなころから『どう死ぬか』という空想を寝る前に繰り広げる。バリエーションは結構たくさん。
ある晩は狭い箱に閉じ込められて大量のナメクジに窒息させられたりして、無限に湧き出るアイデアに自分でも感心してしまうことがある。
そうして何パターンか巡らせたあとは、やっぱり痛かったり、苦しかったりするのは嫌だなと思って、大抵一番楽な死に様を選択する。
今夜はやっぱり家の隣にミサイルだ。
その場面をもう一度思い描きながら私は眠りにつく。
進藤ゆきの、十四歳。
鼻の上から両頬にびっしり散ったそばかすと、同年代の女子たちよりも少し毛深いことがコンプレックスの中学二年生。
家族構成は父と母、三歳年上の兄との四人暮らしで、家族仲はたぶんいいほう。
都会でも田舎でもない町で徒歩十分の中学校に通い、毎日それなりに楽しく過ごしているけれど、幼い頃から続く破滅の空想癖はいまだ健在だ。
「ただいま」
帰宅部の私は下校時刻になると真っ直ぐに帰宅する。
迎えてくれる人がいなくても、家に帰ったら必ずあいさつをするのが我が家のルールだ。
「ありがとう」を始めとした基本のあいさつは、誰が居なくても、誰が見ていなくても、絶対に欠かしてはいけないと両親はいまだに口すっぱく言ってくる。
手洗いうがいを済ませたら、キッチンからおやつをひとつ見繕って、自分の部屋に直行する。
何よりも先に宿題を済ませてしまうのはマイルール。
制服は脱がずにそのまま机に向かった。着たまま挑んだ方がなんとなく捗るような気がするからだ。
SNS巡りをしたい欲望を必死で抑えながら、机の上に広げたプリントにびっしりと印字された連立方程式とにらめっこする。
お気に入りのアーティストの歌声を直接耳に吹き込みながらシャーペンを滑らせると、存外にさくさくとプリントは埋まった。
見直しをして一息。ようやくおやつのクッキーを口の中に放りこむ。
明らかに余計な計算式などを整えていたら、消しゴムを勢いよくかけすぎてプリントの端が少し破れてしまった。
すぐにセロハンテープで直そうと思ったのに、机の上にあるホルダーは空っぽで思わずため息が漏れる。
備品のストックはまめなお父さんが管理しているので物置に必ず予備があるはずだけど、わざわざ一階まで降りていくのは少し面倒だし、こういうときお兄ちゃんの部屋がすぐ隣にあるのはとても便利だ。
イヤホンをしていたのでお兄ちゃんが帰ってきたかどうかはわからなかったが、私は「お兄ちゃんテープ貸して〜」と声を上げながら隣の部屋の扉を開けた。
お兄ちゃんは帰ってきていた。
恋人とキスをしているところだった。
「ごめんなさーい……」
ノックをすればよかった。失敗だった。後悔先に立たず、と自学ノートに十回書こう。
私は何も見てませんというパフォーマンスのため、顔を背けてそろそろと机の上に手を伸ばし目的のテープを拝借する。
呆れたお兄ちゃんの表情とか、口元を拳で抑えて俯いている恋人さんの顔とか、もう全然見えません、見ていませんよというオーラを出して、そっと扉を閉めた。
それから爪先立ちでちょこちょこと小走りをして部屋に戻った私は、深呼吸とともにつぶやく。
「今度は男の人だ」
初めて見る人だった。
半年ほど前によく連れてきたのは女の人だったから、もしかするとお兄ちゃんは性別に拘らないタイプなのかもしれない。
だけど今日見た人も、この前の彼女も、前の前の彼女も、どこから見つけてきたんだろう? と首を傾げたくなるような美男美女で、お兄ちゃんの交友関係の謎が深まる。
薄い壁一枚をへだてた場所に好き合っている二人がいるのだと思うと、なんだかそわそわして気恥ずかしかった。
音楽でもかけて気を紛らわせようとしたけれど、甘い空気をぶち壊してしまった謝罪の意と、隣もいま相当気まずい状況だろうと考えて、スマホと鍵を引っ掴む。
「外で勉強してくるねー」と大きな声を上げながら、必要以上にドタバタと音を立てながら階段を降りて、スニーカーを引っかけると家を飛び出した。
目的地は約一キロ先にある美術公園。いまのところ一番お手軽な避難場所だ。
小さい頃はお父さんとお母さんに手を引かれて、よく家族でピクニックに行った。
数えきれないほど往復した馴染みの道を小走りで駆け抜ける。ときどきスキップが混じる。
「いいな、いいな」
息と一緒に声が弾む。
いまこの瞬間、好きな人と一緒にいるお兄ちゃんが羨ましいと思った。
私にとって『恋』は憧れだ。まだ人を好きになったことがないから余計に。
中学校でも学年が上がるにつれて彼氏を作ったり、彼女を作ったりと恋に花を咲かせる同級生たちがぐっと増えた。
誰かに恋をしているみんなはどこかキラキラしている。だから、きっと恋はすごく素敵なものなのだろう。
私もいつか、みんなのようにキラキラしたい。特別な一人を選びたいし、選ばれたい。
だけどそんなことが起こるのかな? と疑いの気持ちも少しある。
だって、私、なのだ。
寝る前に家にミサイルを撃ち込むような私。
そんな人間を、選んでくれる人なんているんだろうか?
私にとって『恋』はまだ未知数で、自分の死に様を空想するよりも難しい。
肩の上で切り揃えられた髪をなびかせながら、小学生たちが遊ぶ神社を駆け抜ける。
次に見えてくるアパートは新しくて綺麗なのに、三階の右端の部屋だけがいつまで経っても埋まらない。
すぐ横には水が張られた田んぼが続く。風が吹いて水面がきらめく。
その脇を走る、走る。
きっと来週には、ひょろっとした緑の苗が田んぼ一面に植わっているだろう。そして始まるカエルの大合唱。しばらくしたらカエルの卵を探そう。その次はオタマジャクシ。尻尾を懸命に動かしてうようよと動く様を見るのは幾つになっても飽きないから不思議だ。
すれ違う軽トラックや乗用車に気をつけながら、時々現れるアスファルトのへこみの上を大股で飛び越える。
走って、走って、ときどき、跳ぶ。
しばらく行くと、道中で一番大きなへこみスポットが見えてくる。
俄然足に力が入る。びゅんびゅんとスピードを上げる。
今日は配管工の気分じゃないから、気持ちはそう、バレリーナ。
バレエの経験なんてないけれど、少し前にニュースで見たロシアの有名な賞を受賞した少女のように。
両手両足を大きく開いて、美しく、跳ぶ。
着地は成功。優雅な表情を保ったまま、私はまた走り出す。
あっという間に目的地に到着して、入り口を彩るバラ園を抜け、カモが泳ぐ池のほとりを進み、小さな丘の上を目指した。
そのてっぺん、木々の間にひっそりと立っている四阿が私のお気に入りの場所だった。
「――あ」
どうやら今日も先客がいるらしい。
公園近くの有名進学校の制服を着た男子高生が一人でベンチに座り、熱心に手元を動かしていた。
彼と遭遇するのは初めてじゃない。
月に一、二度の確率で顔を合わせるので、会えばどちらからともなく会釈をする。
そんな『ただの顔見知り』の関係がほんの少しだけ進展したのはつい先週のことだ。
その日も同じ場所に座っていた彼は、じっと小説を読み耽っていた。
綺麗な空が描かれた本の表紙を見て、私は心の中で「あっ」と声を上げる。ちょうどその前の日に同じ本を読破したばかりだったからだ。
スマートフォンに入れた単語帳アプリをスワイプしていたが気はそぞろ。彼がページをめくるたびにそわそわしていた。
きっと今はこのシーン。
昨日駆け抜けたばかりの物語が頭の中を駆け巡る。
ほどなくして、彼はついにラストページをめくった。
本の背表紙を閉じ、一呼吸つくのを見届けてから「面白かったですか?」と勇気を出して問いかけた。
彼は一瞬驚いたが、訳を話すとすぐに笑顔を見せてくれた。笑うと八重歯が覗くことを初めて知った。
その後のささやかな感想発表会の興奮と、振り絞った勇気のせいか、その日は家に帰ってからも胸がずっとドキドキしていた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
「なにを描いてるんですか?」
よく見ると彼の膝の上にはスケッチブックが乗っていて、近くに色鉛筆も広げられている。
「これは隕石が降ってくるところだよ」
「隕石?」
「そう、遠くない未来――もしかしするとあと十五分後かもしれない。この場所に巨大な隕石が降ってくるんだ。その様子」
予想外の答えに、私は一瞬きょとんとした。そして次の瞬間、心の中で歓喜のファンファーレが鳴り響く。
なにそれ! 私と同じだ!
その場で何度かジャンプして、握手を求めそうになるのをなんとか押し留めて「すてきですね」などと澄まし顔で答える。
その後、彼はいくつかのスケッチブックを捲っていくつかの絵を見せてくれた。
描いてあるものはごく普通の建物だったり、動物だったり。
だけどときどきよくわからないものも混じっていて、よくわからないのが嬉しかった。
「なんだか恥ずかしいな」
はにかんだ彼の口元からちらりと八重歯が覗く。
急に胸の中がうずうずした。
これって、もしかして。
私は彼のことを好きになりかけているのかもしれない。
うきうきした気分で家に帰ると、お兄ちゃんたちがちょうど二階から降りてくるところだった。
五時半のチャイムは少し前に鳴ったので、つまりお母さんが帰ってくるまであと四十分くらい。なんとも周到な時間配分だと思った。
私の顔をちらりと見たお兄ちゃんは「バス停まで行ってくる」とぶっきらぼうに言って、ずんずんと玄関に向かう。
その後ろについてきていた恋人さんは、近くで見れば見るほどものすごい美男子で、思わずその場で立ち尽くしてしまった。
少なくとも私の中学校にこんなかっこいい人はいない。二人の出会いがますます気になる。
すると彼は私の顔をしっかり見据えて、口の形だけで「ご・め・ん・ね」と言った。
なんだ、いい人じゃん。
単純な私はその一瞬で絆されてしまった。
ほろ苦く笑った彼だったが、纏うオーラは隠しようもなくキラキラだったし、ホワホワもしていた。
「なにより、なにより」
完全にすれ違ったあと、まるで好好爺のような声と表情を作ってこっそりとつぶやく。
キッチンに向かい冷蔵庫の中から麦茶のポットを取り出していると、玄関を開ける音のあとに「おじゃましました」と言う声がはっきりと聞こえた。
「やっぱりめちゃめちゃいい人じゃん」
ひとりごち、お気に入りのカップに麦茶をそそいで部屋に戻る。
徒歩五分のバス停までの間、二人はどんな話をするんだろう。
翌週、お母さんと一緒にショッピングモールに行くと、偶然八重歯の彼を見かけた。
いつもの制服じゃない私服姿を見られてラッキーと体温が上がったのも束の間、八重歯の彼の隣に彼よりも頭ひとつぶん背の高い男の人がいるのに気づく。
並んで歩く二人を見て、ある予感が私の中を駆けた。
とくとくと弾んでいた心臓が、風船から少しずつ空気が抜けて萎んでいくように、だんだんその勢いをなくしていく。
こっそり、怪しくないギリギリの程度で彼らの様子を観察していると、ふたりはごく自然に手を繋いだ。それもしっかり恋人繋ぎ。これは確定ではなかろうか。
何より八重歯の彼は美術公園で会うときよりも、不思議とキラキラ輝いてみえた。
「また男だ」
「ん? ゆきちゃん何が言った?」
心の中でつぶやいたはずが、うっかり声に出していたらしい。
「ううん、なんでもない。ねえお母さん。お母さんはなんでお父さんと結婚したの?」
言ったあと、まるで幼稚園児のような質問だったなと少し恥ずかしくなる。
するとお母さんは「うーん……」と少し困った顔をして、それからすっと通路の脇のガラスの手すりに近づいた。
私も隣に並んで、お母さんがしているのと同じように吹き抜けを覗き込む。
三階下の広場の真ん中でパンダの着ぐるみが小さな子供たちに風船を配っていた。あの中ってどれくらい暑いんだろう。
「実はお母さんね、子供の頃から段差のある場所に立つと、下に落ちることばかり考えちゃうの」
「え?」
「たとえばここ。突然ガラスの板が外れて足元から落っこちちゃうとか……橋の上なんて絶対だめね。そんなつもりは全然ないのに、どうしても飛び降りたくなっちゃう」
「観覧車は?」
聞いたあと、自分でも想像してみた。
私だったらきっと、頂上に辿り着いた瞬間、ゴンドラごと落ちて地面に叩きつけられる。
「もちろん、扉を蹴破って飛び出すのよ」
自信たっぷりのお母さんの言葉に、私はちょっと感動した。
生まれて初めて、遺伝子ってすごいんだなと思った。
「お母さんも気になって調べたんだけど『ボイドの呼び声』って名前があるみたい。でも心配しないでね、本当にいなくなりたいと思っているわけじゃなくて、そういう空想をすぐしちゃうってだけ。ああでも一度小学校のときになんだかとてもたまらなくなって、階段の上からランドセルを放り投げたことはあるわ。でも金具がひとつ飛んだだけで、中の筆箱は無事だった。ランドセルってやっぱり相当丈夫なのね」
そう言って笑うお母さんはまるで同じ歳くらいの少女のようだ。
「大きくなるにつれて他にも考えることがたくさん出てくるから自然と空想する機会も減ってくるけど、高所恐怖症ってだけじゃないくてそんなこともあってお母さんは高いところがすごく苦手」
「スカイツリーに登ったときずっと目を瞑っていたもんね」
「あれは本当に怖かったわぁ」
景色が綺麗だから外を見ようよと誘っても、お母さんは壁際に張り付いたまま絶対にその場から離れなかった。その姿を思い出して少し笑う。
「それでね」とお母さんは続ける。
「お母さんがひとり暮らしを始めるときに、死んだおばあちゃんから『駅のホームの先頭に並んじゃいけないよ』ってよーく言われてたの。大学生のときはそれを律儀に守っていたけど、ある日へとへとになった仕事帰りに前の人が抜けてたまたま先頭になっちゃったことがあったの。そのころはまだホームドアなんてなくて、こうじっとね、黄色い線の向こう側を見ていたらね、『危ないですよ』って後ろから手を引いてくれたのがお父さん」
「なにそれロマンチックじゃん」
「あはは、ロマンチックかどうかはわからないけど、よっぽど危険に見えたのかもね。それで後日お父さんを見かけて『先日はありがとうございました』って改めてお礼をしたところから物語のはじまり、はじまり」
その口調は幼い頃寝る前に毎日聞いていたものとまったく変わっていなくて、なんだか無性にお母さんに抱っこしてもらいたいなと思った。
だけど私は十四歳。そんなことできないのはわかっている。もう身長だってほとんど変わらない。
だから代わりに手を差し出すと、お母さんは当然のようにそれを握ってくれた。
「ゆきちゃんは大丈夫よ」
私は何も言っていないのにお母さんはそう言った。
でも、お母さんがそう言うなら私は大丈夫なんだとどこからともなく自信が湧いてくる。
「たこ焼き食べたいな」
照れ隠しにそう言うと、お母さんはふふふと笑う。
「じゃあ、お父さんとお兄ちゃんのぶんも買って帰ろうか」
お母さんに手を引かれながら歩くのは久しぶりだなと思った。
その日の夜、ベッドの中で目を閉じると、目の前に駅のホームが現れた。
構内のスピーカーから入線のアナウンスが鳴り響き、駅員さんがしきりに黄色い線の内側に入るように警告する。
遠くに見えた電車の四角い顔が、ヘッドライドを爛々と輝かせながらぐんぐん近づく。
私の腕を引いてくれる人はいるのだろうか。
いるとしたら、一体どんな人だろう。
壊して生きて私の世界 青野 @ao_to_shiro
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