第1話・出会い

『乾いた大地』キネシスにその街、エレミアはあった。

 乾いた大陸にありながら、水豊かな街。

 水が豊かなことと街に伝わる言い伝えとで、この街は『蒼の街』の異名を取っていた。

 いまや異名の方が通じやすい程に、その名は定着していた。

 街の、少し小高くなった丘に建つ、神をまつりし白亜の神殿。

 その神殿から一人の、両手に大きな青い壺を抱えた長い黒髪と水色の瞳の少女が出てきた。

 少女の名は、リュノル。神殿に仕えるシスターになったばかりの、少女だった。

 リュノルは、生まれ育った街を、神を愛していた。なのでシスターとして街に、神に尽くせることは、彼女にとっての最大の幸福であった。

「こんにちは、リュノルちゃん。これから水汲みかい?」

「こんにちは、コスターさん。ええ、そうです。これが私のお役目ですから。……貴方に、神様のお恵みがありますように」

 人に話しかけられるたび、リュノルは壷を置いて、手をあわせて律儀に挨拶した。

 その生真面目な小さな姿は、街の人々に愛される存在であった。

 さらさら流れる川の側にある道を、リュノルはゆっくり歩いていく。

 リュノルが向かっているのは、街の中央にある、泉だった。

 神が下したと伝えられている、美しい乙女達のレリーフが刻まれた、青く透き通った石板――文字も記されていたが、誰一人としてそれを読めるものはいなかった――が泉のすぐ側にある故に、泉の水は「聖水」と尊ばれており、リュノルが仕えている神殿では、神に捧げる水はその水と決まっていた。聖水として訪れる者に与える水も、泉の水を用いて作られる。

 故に水は毎日必要。そんな水を必要なだけ汲んでくるのが、シスターになってまだ日の浅いリュノルに与えられた、「お役目」なのだった。

「リュノル姉ちゃん!」

「まぁ、エルロイ」

 元気な子どもの声が聞こえてきた。リュノルは壺を置くと、笑みを浮かべて声の方へと向き直る。

 息せき切って走ってきた短い黒髪と水色の瞳を持つ子どもを、リュノルはそっと抱きしめた。

 この子の名は、エルロイ。親を亡くしているので、神殿で養育されている子どもの一人だった。

「リュノル姉ちゃん、今から水くみ?」

「ええ、そうよエルロイ」

「おれもいっしょに、行っていい?」

「ええ、構わないわ。行きましょ、エルロイ」

「やったぁ!」

 エルロイはリュノルによく懐いていて、よくこうして水汲みについて来る。

「リュノル姉ちゃん。おれ、ぜったい神官戦士になって、姉ちゃんのことを守ってやるからな!」

「まぁ、いつのことかしら。でも、楽しみね」

 そんな他愛のない話をしながら歩いていると、あっという間に泉に着いた。

 青い石板の前に、旅人らしき汚れた緑のマントを着けた男が立っている。

「エルロイ。ここで待っててね」

「うん!」

 リュノルは旅人の邪魔にならないようそっと横を通ると、泉の側にかがみこみ、水を汲み入れた。

 大きな壷一杯に水を満たして立ち上がろうとしたとき、リュノルはその重みによろめいた。

 いつも、そうなのだ。小柄なリュノルには、水を満たした壷は少々重い。

 エルロイに手伝ってもらおうと思った、そのときだった。

「大丈夫、シスター?」

 思いがけないところから手が伸びて、ふらつくリュノルの身体を支えた。

 大きく、力強い手。見ると、石板の前に立っていた男だった。

 男の手に助けられながら、リュノルは壷を抱え、立ち上がった。

「ありがとうございます、旅の人」

「礼には及ばないよ」

 リュノルは頭一つ高いところにある男の顔を見て、礼を言った。

 ひとつに括られた蜂蜜色の髪と、睫毛の長い琥珀色の瞳。リュノルやエルロイの持つ黒髪や水色の瞳と違うそれが、とても物珍しかった。

 視線が合うと、男は優しく笑いかけてくれた。初めて出会った男なのに、その瞳の輝きにリュノルは惹かれるものを感じた。なぜか自然と胸が高鳴る。

「エルロイ。そろそろ戻りましょ」

「――あ、ちょっと一つ聞いても良いかな、シスター?」

 自分の感情に戸惑いつつ、泉の側で遊んでいたエルロイを呼んで、神殿に帰ろうとしたリュノルを、男が呼び止めた。

「はい、何でしょうか、旅の人」

「この街で、ものを調べられる場所ってどこにあるの? 例えば、図書館とかさ」

「図書館ですか? それなら、ここから見える白い神殿の近くにある、一番大きな建物です、けど……」

「分かった。ありがとう、シスター。ごめんね、帰るところを呼び止めちゃって」

 男はリュノルと、側に来たエルロイに軽く一礼すると、悠々と歩き去った。

(……図書館は、原則街の人しか使えないんだけど……言いそびれちゃったわ。他所の人が使うときは、神殿に届出が要るのだけど……)

 しかし、言い忘れたことを悔やんでも、もう遅い。

「さあ、私たちも帰りましょ、エルロイ」

 水の入った壷を抱えて、リュノルはエルロイと元来た道を、帰った。

 その道々、エルロイが話しかけてくる。

「姉ちゃん。さっきの兄ちゃん、変わってたよなぁ」

「そうかしら? 助けてくださって、優しい人だとは思ったけど」

「あの兄ちゃん、姉ちゃんに話しかけたとき、ここの言葉話してたよ。旅人はふつう、共通語話さないかなぁ。あと姉ちゃんのこと、シスターって呼んだし。巡礼っぽくないのに、なんで姉ちゃんがシスターだってわかったのかなぁ」

「あら……本当、そうね……」

 言われてみれば、その通りだった。あまりに男の言動が自然だったから気付かなかったが。

 通常、旅人が話すのは、どこの大陸でも通じやすい「共通語」と呼ばれている言葉なのだ。そして、巡礼でも無い限り、この地方のシスターの姿は知らないはずだ。少々、他の大陸のシスターとは服装が異なっているが故に。

「もしかしてあの人、この大陸の方なのかしら。それなら、ここの言葉は知ってるし、私がシスターだってこともわかるじゃない」

「姉ちゃん。おれ、あんな髪と目、見たことないよ。やっぱあの兄ちゃんが変わってるんだって」

「どうなのかしらね。……あら、お日様があんなに傾いてる。急いで帰らなきゃ」

 リュノルは心持ち早足で歩き出した。もっとも、重い壺を持っているのであまり速くなってはいなかったのだが。

 その横を小走りに、エルロイが急ぐ。

 そんな二人をよそに、川は、さらさらと変わらず流れていた。

 さらさらと、さらさらと流れていた。



 その日の夜。

 リュノルが自室で祈りを捧げていると、扉が軽くノックされる音がした。

(神様。お祈りを中断することをお許し下さい)

 神様にお詫びをしてから、リュノルは扉を開ける。そこにいたのは、リュノルの先輩にあたるシスター、マリーだった。

「何の御用でしょうか、シスター・マリー」

「リュノル。司祭長様から、貴女にお役目を預かってまいりました。こちらへ」

「はい」

 リュノルが部屋から出ると、マリーは着いて来なさい、というように手招きしてから歩き出す。遅れないよう、リュノルも後について歩き出した。

「貴女に与えられたお役目は、旅人の世話です。調べ物をするため、長期滞在なさるとのことなので、貴女が案内などして差し上げるのです。そして万一、不審な行為があったり、街に害をなすような行動があった場合には、すぐ神殿に報告するのです。お役目の内容、分かりましたね、リュノル」

「はい、シスター・マリー」

「お役目の際に、注意事項があります。決して旅人に近付きすぎないこと。貴女はシスターです。神と、街に尽くすのが最優先と心得なさい」

「はい、わかりました」

 時々ある、お役目だった。もっとも、リュノル自身がその役目を受けるのは初めてだったが。

 旅人が長期、街に滞在して街の施設を使う場合、神殿の許可が要るのだ。世話をするという名目で、監視をするためだった。街の不利益になることが起こらないようにと考えられた、役目であった。

(長期いらっしゃる旅の人が、いるんだわ……もしかして、あの人なのかも)

 リュノルは昼間出会った男の顔を思い浮かべた。その優しい琥珀の瞳を。

「さあ、この部屋に司祭長様と旅人がいらっしゃいます。挨拶をしていらっしゃい、リュノル」

 それだけ告げると、マリーは早足で去っていった。

「……失礼します」

 ノックしてから扉を開け、一礼する。

 顔をあげたとき、リュノルの瞳にうつったのはこの神殿を預かる司祭長と。

(あ……やっぱり、あの人だったんだ……)

 昼間出会った、男であった。

「マリーから役目は聞いたな。お前に頼むぞ。リュノル、挨拶なさい」

「はい、司祭長様」

 リュノルは男の方を見て手を合わせると、頭を下げた。それから口を開く。

「はじめまして、旅の方。リュノル・サルヴァと申します。あなたのご滞在の間、お世話などをさせていただきます」

「キミ、昼間会ったシスターだよね?」

 リュノルのことを覚えていたらしい。開口一番、男はそう言った。

「そうなのか、リュノル」

「はい、司祭長様。昼間、泉のところで助けていただきました」

「そうか……私からも御礼、申し上げますぞ、クラーレ殿」

「たいしたことはしてません。礼には及びませんよ」

 この人は、クラーレって名前なのね。司祭長の言葉を聞いてリュノルは思う。

「おっと、シスターにボクも挨拶しないと。ボクはクラーレ・ミルワーズ。滞在中よろしくね、シスター・リュノル」

 言って男……クラーレはリュノルに微笑みかけた。

「さあ、今日のところはこのくらいにして。リュノル、クラーレ殿を表まで送って差し上げなさい」

「はい」

 司祭長の命に従って、リュノルはクラーレと一緒に神殿の入り口まで歩いた。

「わざわざありがとう、シスター・リュノル」

「いえ。……あの、昼間は申し訳ありませんでした。私がちゃんとお教えしていれば良かったのに」

「ああ、良いんだよ。ちゃんと全部聞かなかったボクが悪い」

 そう軽く言ってクラーレはまた笑う。助けてくれたときとは違うけど、明るい笑顔。

「……明日からは、私がお世話しますので、何でも聞いて下さいね」

「うん。よろしく頼むよ。それじゃ、また明日」

 クラーレは軽く会釈すると、丘を下っていった。

 不思議な縁もあるものだ。一人になってから、リュノルは思う。

(神様。今日も一日ありがとうございます。明日も私たちを、お守り下さい)

 明日は、どんな日になるのだろう。

 そう思いながら、リュノルは眠りについたのだった。

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