第2話 噛む犬と噛まない犬


「あ、恣槻しきさんやんか〜!」


しずちゃん?」


満面の笑みで、長く美しいベージュ髪のポニーテールが揺らめく。こっちに向かって走ってくるのは、矢野 しずだ。


「いやぁ、お久しぶりです」


紺のスーツが、彼女のスレンダーな体型にぴったりとフィットしており、黒いリボンがネクタイの代わりに首元を飾っている。足元は、履き心地の良さそうなヒールブーツが足首までしっかりと包み込んでいる。


「相変わらず美人だねぇ」


「また恣槻しきさんったら、そんなん言うて!何も出ませんよ?」


しずはぺしりと恣槻しきの肩を叩いた。


彼女の美しさは100年に一人しかいないと噂される程で、その美しさに誰もが一度振り返る。しかし彼女はものすごーく関西弁だ。コテコテの関西弁。だが、それはそれでありだと思わせるほど彼女は美人だった。それにめちゃくちゃフレンドリー。地域の人たちからも愛されている。


「今日はお店ええんですか?」


「どうせお客さん来ないしね〜、それに芝ちゃんとこに用があるから」


「ほんだら芝さんにもよろしく言うといてください」


彼女は、見かけによらずである。この地域において最も大きい勢力を誇る、つまりは組織のナンバー2だ。喧嘩をすることが趣味で‪”‬狂犬‪”‬とまで呼ばれる極端な性格も持ち合わせているが、今この瞬間、話している彼女は、気立ての良い美人である。


しずちゃんの方こそいいの?こんな所で俺と喋ってて」


「あぁ、ええんですよ。どうせ戸塚さん今日は出てますから」


しずはマシンガンのように言葉を続ける。


「戸塚さんったら、やれちゃんと仕事しろ、暴れすぎだだの口うるさいんですよ〜。

しょっちゅう頭はたかれるし、こんな美人の頭はたくなんてどう思います?ほんま考えられへんわ〜」


…さっきの言葉は訂正しよう。気立てのいい美人だ。


「こんな顔の可愛い部下が近くにおって幸せもんですよね〜」


「俺もしずちゃんみたいな可愛い子、部下だったら幸せだな〜」


「そうですよね恣槻しきさん!流石、分かってはるわ〜。戸塚さんはそこんとこ分かってへんねんな〜。もっと矢野を大事にせぇっちゅうんで―」


スパン!!


「痛ったぁぁぁぁぁ!!!」


しずの頭が思い切りはたかれる。思い切り、本当にこれ以上はないほど思い切り。

はたいた主の声が低く響く。


「…誰がお喋りしてろって言った?」


「っあぁぁぁぁぁ!痛っったぁぁ!!!パワハラ!パワハラや!!」


「パワハラじゃない、だ」


声の主は頭を抑えてしゃがみ込むしずを上から冷たい目で見下ろす。

しずは声の主を涙目で見上げる。


「今日は出るって言うてたやないですか!」


「早く終わったんだよ。と思ってたしな」


しずの頭を思いっきりはたいた彼は、

恣槻しきの姿を見て


「よりによって面倒な奴と…」


心底嫌そうにメガネを上げる。


彼は、戸塚 時雨しぐれ

高級感に溢れた黒のスリーピーススーツに身を包み、足元には光沢を放つ黒い革靴を履いている。手には、上品な黒の革手袋をはめ、完璧に整った顔立ちを持つ彼の眼鏡の奥の瞳は、凍てつくほど冷たい光を放っていた。彼の存在そのものが、場の空気を凍り付かせるような、恐ろしい雰囲気を溢れ出させている。それはそうだ。

なぜなら彼は戸塚組組長。極道だ。まだ30代と若くして組長を務めるが実力は相当だ。という伝説まで残っている。


「そんなに嫌そうな顔しなくてもよくない?」


「俺はお前みたいな奴が嫌いだ」


「そんなこと言われると傷付いちゃうな〜」


「…そういう所が嫌いなんだ」


戸塚ははぁと深いため息をついて、自分の部下を一瞥し、未だに痛い痛いと呻いているしずを足蹴にする。


「痛あっ!美女蹴ったらアカンですやんか!」


「…矢野、組戻るぞ」


しずの言葉は無視して戸塚はさっさと歩いていってしまう。


「あ、ちょお待ってくださいよ〜」


しずは立ち上がってにこりと笑みを浮かべる。彼女はだいぶ丈夫にできているのだろうか、あんなに痛そうにしていたのにもうケロッとしている。


「じゃあ、恣槻しきさん、また」


「またね〜」


「置いていかんといてくださいよ〜」と言いながら走り去っていく彼女を見送る。台風のように来て台風のように去っていった。



――――――――――――――――――――



芝探偵事務所はここ桜音町おうねちょうの繁華街の雑居ビル2階にある。桜ビルと書かれたビルの階段を上り、ドアを開ける。部屋の奥にある彼女のデスクには誰もいない。代わりにいたのははたきを持って部屋を掃除する少年、一人だけだった。ドアが開いたことに気が付き掃除の手を止める。


「いらっしゃいま―って恣槻しきさんじゃないですか」


「あれ?芝ちゃんは?」


あきら先生なら依頼で出かけてます」


言いながらぱたぱたとはたきで中断した掃除を続ける。


この少年は 雄飛ケゆうひがおか しおん。

たしか11歳だったはずだ。

中性的な顔立ちには未だにあどけなさが残っている。グレーのストライプのスーツを身に纏っており、黒い蝶ネクタイを締めていた。

少女らしい服装であれば女の子と見間違うほど中性的な少年だ。


だが彼はこの歳で探偵の助手を務められるほどに、賢く頭が切れ、なかなか侮れない。

そして芝ちゃんのことがめちゃくちゃ好きだ。将来的には彼女に結婚を申し込むとか言っていた。そういう子どもらしい可愛さは彼の魅力の一つだった。


「何の用事ですか?ぼくで良ければ伝えておきますよ」


「‪ん〜?まぁ、たいした用事じゃないからしおんに頼むのは申し訳ないよ」


しおんの動きがぴたりと止まり、くるりと恣槻しきの方を向く。


「‪……恣槻しきさん、わざとですよね?」


「なにが〜?」


「ぼくがの分かっててやってますよね?」


大人びた雰囲気を持つ彼がぷうと頬を膨らませながら指摘する姿は、年相応の子どもらしくて可愛らしい。


「ごめんごめん、しおんくんの反応が可愛いからつい」


「ぼく本当に気にしてるんですから!」


「でも芝ちゃんと似てていいんじゃない?」


あきら先生と?」


「ほら、しおんって名前は女の子っぽいけど、あきらって名前は男っぽいでしょ?ほら、似てる」


「た、たしかに…」


「これは、かもしれないよ〜?」


「う、運命…!?そう考えるとなんかこの名前も良いような気がしてきた…」


芝ちゃん関連の話に絡めるとけっこう上手く転がってくれる。


「うちの助手を言いくるめるのは止めてもらおうか」


あきら先生!おかえりなさい!」


しおんは嬉々として、いつの間にか戻ってきていた芝の元に駆け寄る。さながら犬のようだ。彼に尻尾が生えていればブンブンと音を立てて振っていることだろう。


「あぁ、ただいま」


芝はしおんの頭を雑にぽすぽすと撫でる。それにしおんはこれ以上ない程の満面の笑みを浮かべる。


「…で、恣槻しき、用件は何だ?」


「この間、‪”‬‪蜜蜂”が俺の所に来たんだけど…俺、なんか‪”‬‪女王蜂クイーン”‬の気に触ることしちゃったかなぁ?」


「日頃の行いじゃないか」


「それ言われると弱いなぁ…」


「大方今のお前の実力を試しにきたんだろ。

違うか?」


「流石、芝ちゃん。鋭いね。…まぁ、仕留められるなら仕留めてこいって命令だったみたいだけど」


「私があいつでも同じ命令をするな」


「二人して酷いなぁ…」


「だが、本人が出てきていない時点で本気ではないだろう。ただ‪”‬‪蜜蜂”にじゃれさせただけだ‬」


「怖いし危ないからやめて欲しいんだけどね」


一体何の話かといった顔のしおんに芝が視線を向ける。


「…しおん、私の分のコーヒーを淹れてきてくれ。こいつの分はいらない」


「え〜」


「わかりました!!」


しおんがうきうきでコーヒーを淹れに奥のキッチンへと入る。二人だけになった所で恣槻しきが口を開く。


「彼女は……関係者だと思うか?」


「‪あいつは‪”‬‪女王蜂クイーン”であると同時に”‬吸血姫ヴァンピレス‪”‬だ。蝙蝠こうもりとは縁がある‬‬。何か知っていてもおかしくはないが」


「そう簡単に話してくれる相手じゃないよねぇ…」


「血をやれば話は簡単だ」


「あれ痛いし怠いから好きじゃないんだよ…。俺、あれで一回死にかけたんだから」


「今度はちゃんと死んでこい」


「冷たいな〜、芝ちゃんは。…戸塚もだけど」


「あいつに会ったのか?」


「うん。しずちゃんにたまたま遭遇してね、それで戸塚とも。あ、しずちゃんが芝ちゃんによろしくって言ってた」


ふっと芝が笑う。


しずは相変わらずだな」


「…芝ちゃん」


恣槻しきの声音が真剣なものに変わる。


「‪、探しておいてくれない?‬」


「…高くつくぞ」


「うん。一生かかっても払うよ」


「言質取ったからな」


「…お願いね、芝ちゃん」


ひらりと手を振って恣槻しきは芝探偵事務所を後にした。

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