櫻は夜に咲く

水澄かりん

第1話 穀潰しって言い方はないんじゃない?


「お前も少しは働いたらどうだ、穀潰し」


「酷い言いようだねぇ、芝ちゃん」


言われた当人は軽蔑的な言葉を浴びせられたことを気にした様子もなくふわぁとひとつあくびをする。黒髪が肩まで無造作に伸び、前髪の隙間から瞳が覗く。

穀潰しはお気に入りのアンティークチェアに腰かけながら、古本と骨董品の球体の時計やらが載ったデスクの上で頬杖を付いている。


「俺は今っていう大事なお仕事中なの、わかる?芝ちゃん?」


彼が店主を務める骨董品屋『夜櫻よざくら』には年代物の壺、置時計、絵画等価値のありそうなものが所狭しと並んでいた。

しかし、なぜか、常に閑古鳥が鳴いている。

店主の見た目こそ紺の着流しに素足で下駄という、いかにも骨董屋主人ですといった風貌なのだが、いかんせん本人の態度というか雰囲気からやる気というものが全く感じられない。彼が本当に店主なのかと疑問を抱かざるを得ないだろう。


「客、来る予定があるのか」


「ん〜、今んとこないかなぁ〜」


ふわぁとまたひとつあくびをする。

本当にこの男ときたら…


「……恣槻しき、今月の家賃、今日までだが?」


穀潰しこと‪”‬恣槻‪しき”‬と名乗るこの男は何も聞こえていないかのように目を瞑る。得意の狸寝入りだ。ひとつ舌打ちをして 「恣槻しき…」 と低い声で威圧するように問いかける。すると穀潰しは恐る恐るというように目を開けた。


「払えるのか、払えないのか……どっちだ」


思い切り睨みつけるとぷるぷると震えながら口を開く。


「………はらえないです…」


「なら決まりだな」


机の上に資料をバンと勢いよく置き、恣槻しきは慌てて落ちそうになった謎の箱を拾う。

こいつとはもう長い付き合いだ。どうせこうなることは解っていた。こいつも解っているはずなのになぜ、いつもこの態度なのか。

肘をつきながら渡した資料に目を通している恣槻しきに声をかける。


「少し遠出だが、行ってこい」


――――――――――――――――――――


 電車で1時間ほどの場所にある喫茶店の窓際の席、そこ恣槻しきはいた。だいぶぬるくなってきた砂糖7杯入りのミルクティーをすすりながら、店の奥の席を眺める。そこにはいかにもできるサラリーマンという男と可愛く着飾った女性が、こっそり人目を気にしながらイチャイチャしていた。


「……甘い」


ミルクティーをすする。こんなに砂糖を入れなくても良かったかもしれないくらい甘い、甘ったるい会話をずっと味合わされている。


「ねぇ、ダーリンは私の事…好き?」


「当たり前だろ?君以外の女性なんて考えられないよ!」


思わずため息が出る。結構大きめのやつ。


「大好きダーリン♡」


「僕もさ♡」


一人頭を抱える。

もうかれこれ30分は同じような問答が繰り返されていることが苦痛になってきていた。

というか5分くらいでもう辛くなってきていた。人の惚気聞くの辛くない?ちょっとならまだしもそれが30分!30分だよ!?

…これ以上の苦痛はないよね。うん。


周囲の人に聞こえていればうんざりして店を出ていくだろうが、2人は自分たちにだけ聞こえるくらいの極めて小さな声で話している。

恣槻しきは耳が良いため、横で話されているかのようにその会話がよく聞き取れた。

もうずーっとこれ。もうずーっとこれなの。

俺の辛さを味わってくれ。あと代わってくれる人、絶賛募集中。


「私の事好き?」


「好きだよ?」


「本当に好き?」


「僕が好きなのは君だけだ」


「ダーリン️♡」


「好きだよ️♡君しかいな―以下略。


何時までやってるんだ!

そして、なんだそのレパートリーのなさは!もっとひねりの利いたこと言えないのか!ずっと同じこと言い続けやがって!

バカップルの会話を聞き続けないといけない俺の気持ちも考えてくれ!

俺の方がもっと上手く口説けるぞ!


そもそも彼がなぜこんなことをしているのかというと芝に与えられた仕事が起因している。


恣槻しきが芝から与えられた仕事は浮気調査だ。


あきら。32歳。彼女の背中まで伸びた猫っ毛は、手入れが行き届いており、整然とまとめられている。彼女自身も、その美しさに自覚があるのかないのかは分からないが、化粧っ気は殆どない。グレーのパンツスーツに紫のループタイを着こなす彼女の姿は、まさに美女だ。彼女が醸し出す雰囲気には、知的で凛とした美しさが漂っている。

その姿勢や表情には、自己のプライドを懸けているかのような力強さが感じられる。

一方で、彼女が内に秘める感情や事情は、見えない部分がある。しかし、彼女が身に纏うスーツのように、その内面にも整然と整理されたものがあるのだろうと想像させる。

『芝探偵事務所』の所長であり、恣槻しきの店兼家の大家でもある。そのため家賃が払えない時などは探偵の仕事の手伝いや雑用をやって家賃をチャラにしてもらっている。時には無茶苦茶な仕事もあったが、まぁやるしかない立場にいる。だって大体家賃払えないから。仕方ないよね。

骨董品屋兼探偵というか、もはやを名乗った方がいいかもしれない。



 ターゲットはさっきから鼻の下伸ばしまくって繰り返し‪「君だけだ‪」とか言ってるあの男。実は妻子持ちで、妻から浮気を疑われて調査をするに至ったわけだ。…もしかしたら相手の女の子は奥さんがいることを知らないのかもしれない。まあ、そんなこと俺には関係ないけど。


とにかく、こいつはクロ。完全にクロ。イチャついてる写真は十分に撮った。今だって二人の世界に浸って、手なんか握っている。

あと必要なのは決定的証拠。ホテルに入る写真でも押さえられればお仕事は終わりだ。

もういいから早くホテル行ってくれ。まだ昼間とか関係なく早くホテル行ってくれ。ほんと頼むから。今まで生きていて、こんなに他人がホテルに行くことを望んだことはない。


「はやく帰りたい…」


切実に呟きながら、甘いミルクティーを一口啜った。



――――――――――――――――――――


 結局浮気調査の仕事が終わったのはそれから1時間後だった。無事2人がホテルに入る姿を撮影し、芝に決定的な証拠写真を送る。

すぐに返信が来る。「よくやった、今月の家賃はチャラにしてやる」


ようやくお仕事が終わった。うーんと大きく伸びをする。


「これでやっと自由だぁ〜」


時計を見ると時間は14時。意外と早く終わってよかった。もっと長期戦になることを覚悟していただけに嬉しさが込み上げてくる。

あともう耳が辛い。バカップルっぷりをずっと文句も言わずに聞いてくれた耳を労ってあげたい。よく頑張った、俺の耳。


時間もあることだし少し街でも散策してみようかと街を歩く。それなりに活気があり、今日は休日ということもあってか人も大勢歩いている。仲の良さそうなご夫婦、イチャつく高校生カップル。あんなのを何時間も聞いたあとの高校生なんて可愛いもんだ。



ふらふらと街を歩きながら路地裏に入ると急に人がいなくなり、辺りに静寂が訪れる。

活気づいている街から切り離された、

ぴたりと足を止め


「さて…」


人気ひとけがないことを確認して背後に声をかける。


「おじさんに何か用かな?」


恣槻しきの声だけが響く。

誰からの反応もないし、誰の気配もしない。


「…えっ、本当に誰もいないとか?」


背後を振り返る。だが恣槻しき以外の人間はいない。人っ子一人いない。静寂だけが広がっている。


「うっわ、もしかして恥ずいや―」


ヒュと恣槻しきの頭目掛けて飛んできたナイフの柄を指先で掴む。その速さだけで相当な腕前の人物だと見て取れる。


「な〜んだ、やっぱりいるじゃん」


という軽口には一切反応せず、何本も飛んでくるナイフを、恣槻しきは少し身体を反らすだけで全て躱す。。それをなんでもない事のように恣槻しきはやってのけた。


「ねえ、顔くらい見せてくれてもいいんじゃない?俺今、一人で喋ってる痛いおじさんみたいになってるんだけど」


しばらくの静寂の後、どこからか20代前半の黒いセーラー服に身を包んだ女性が姿を現した。右耳には黄色い蜂をモチーフにしたピアスが揺れている。そのピアスが明確にであるかを物語っていた。


「…流石は‪”‬‪蜘蛛”‬」


「君は‪”‬‪蜂”の遣いかな?美人さん‬」


彼女は腰まで届く艶やかなストレートヘアを纏い、目の上で真っ直ぐに切りそろえられた黒髪が、その美しい顔立ちを更に引き立てている。

しかし、何よりも目を引くのが瞳だった。

彼女の切れ長の瞳は氷のように透き通っており、刀のように鋭い。ひとたび見つめられれば心まで凍りついてしまいそうな冷たい瞳だった。


「私は‪”‬‪蜜蜂みつばち”‬の椎名しいなです」


「‪…それで、”‬女王蜂‪‬クイーン‪”‬は俺に何の用なの?」


「‪”‬‪蜘蛛”の今の実力を試してこいと仰せに」


「わざわざどうも」


「そして仕留められるようであれば仕留めよと」


「…相変わらず俺の事好きだねぇ」


「私の実力不足です」


椎名と名乗った女性は感情のない声音でそう言って


「……次は仕留めます」


「あ、ちょ―」


恣槻しきが口を開く前にふっと姿を消した。


辺りには再び静寂が訪れる。


さっきまでの非日常がかのように、ただの路地裏が帰ってくる。



「‪”‬‪蜂”の遣いねぇ…」


懐から手元に古びたペンダントを取り出し、そこに刻まれている蝙蝠こうもりの模様を静かに見つめる。


「あいつはあの件に……」


蝙蝠こうもりの模様を指先でなぞり、目を閉じる。瞼に映るのはあの日の出来事だ。

あの日、あの瞬間が瞼に焼き付いて消えない。

…あの日を一日たりとも忘れたことはない。



しばらくして意を決したように、彼は目を開けた。


「俺は必ず―」


ぽつりと呟いたその声は、誰にも拾われず路地裏に消えていった。

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