第30話 中途半端な彩

 脊谷政宗にとっての二つの脅威が目の前にある。


 その一つである月魄絶冬華は椅子に縛り付けられ、何もすることができない。

 もう一つである平家丈晴は近藤彩に乗っとられ、自由に動かすことさえできる。


「ねぇ丈晴くん、丈晴くんってば!」


 先ほどから絶冬華は大声でギャアギャア騒いでいる。

 月魄絶冬華らしくないが、一方で脳波は相変わらず機械的。声を出す、という動きはするもののそこに感情は含まれていない様子。


 オーラも浮かび上がらず、本当に人間なのか疑わしい。

 脊谷政宗は考えた。


 もし本当に感情のない人間だとすれば、それはどうすれば生み出せるのか。脳のどこに機能障害があってこんなことになってしまうのか。それを正確に調べれば、『七瓶』との戦いで圧倒的に有利だ。


 ただ、その彼女の優位性と矛盾してしまうが、さっさと調べるにはオーラから読み取ってしまうのがいい。

 彼女は本当に鉄壁なのだろうか。それとも何らかのショックでオーラを浮かべることがあるのだろうか。


 先ほどからうるさい絶冬華に、脊谷は声をかける。


「あなたも知っているはずです。フラスコにより乗っ取られたら、もう意識はありませんよ。そこにいるのは平家丈晴ではない」


 一滴程度の絶望は生まれるだろうか?

 それとも。

 ぎろり、と恨みがましく思える絶冬華の目。

 ただしそれは空っぽだ。


「ああでも、それを平家丈晴だと思うのは構わない。あなたには感情がない、とは思います。でも、もしあったとして、彼の目の前で乱暴を受けるのはどうでしょう。それはとても、昂ることだと思いませんか?」


 脊谷が顎をしゃくる。

 そうすると、男子生徒の一人はいいんですか?とばかりに、絶冬華の服に手をかけた。しかし「や、やめましょうよ、それは」そう言って、男子生徒の手を掴んだのは近藤彩だ。ただし、彼女が平家丈晴の体を使ってしゃべっている。


 近藤彩は記憶をいじって、さらには『フラスコ』の能力を与えたジャンク瓶ではある。ただ、元からの性格を大きくいじるわけにはいかない。

 近藤彩は続ける。


「今回の目的は『平家丈晴』と『月魄絶冬華』を捕まえることのはずです。こんなことをする必要はないでしょ」

「いえいえ、近藤さん。一石二鳥だったんですよ。私はこのまま実験をしたい。それには、彼が月魄さんに乱暴することが必要なんです」

「だとしたら、私は味方できない」


 面倒だ。

 なるべく小さな変更で近藤彩を味方にしたのが失敗だったらしい。こんな程度のことで抵抗されていては仕事が進まないじゃないか。


「それは……困りますね。私にも世界の発展のためにすべきことがありますので、もし邪魔するのであれば相応にやりあわないといけない」

「やりあうって、何をですか! 大体、女の子を傷つけてまでしたいことって何ですか⁉︎ あれ……? そもそも私、なんで……」


 学園生活から逸脱させないための浅い『変』は、彼女の中での矛盾を育む。

 脊谷はため息をつく。

 これはよくない。

 さっさと、済ませた方がいいだろう。


「わかりました。では乱暴はやめましょう」

「……よかった! わかってくれたんですね!」


 彩の表情がパァと弾けた。反対に、乱暴仕掛けていた男子生徒は恨みがましい目を向けた。


「ちょっと待ってください。こんな直前で? もう我慢できない! やってやる」

「いま手を出したら、あなたは私の仲間ではない」


「構うもんか」

「ちょっと!」


 彩が止めようとするが、力ずくで男子生徒は絶冬華に手を伸ばす。彼はともかく、他の男子生徒の中でも迷いが生まれているものもあるようで、このままでは状況が不利に傾く可能性がある。

 もう少し深く人格を変えるべきだったかと反省しつつ、現状の軌道修正を行う。


「分かりました」


 男子生徒の発する赤とピンクで濁った邪なオーラに脊谷は手を触れた。

 そして『浸』。


 制御権を手に入れ、絶冬華から離れた。そのまま窓に向かい、それを開けて飛び降り、制御を解いた。


 ギョッとする、といったようなそれぞれの視線を集めた。


「これからみんなで自殺しましょう。それを月魄さんに見てもらうこととします」

「……そんな、狂ってる」


 彩が呟くように言う。


「ええ、私たちは皆、狂っているんですよ」

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