第26話 目的

 月魄絶冬華は脊谷教授に生徒指導室に呼び出されていた。


「以前、直せますかって聞いたのは、機器じゃなくて私自身だったんですけど、いかがかしら」


 まるで医者と患者のように、脊谷教授は絶冬華を覗き込む。


「本当に興味深いですねぇ。反射でここまで精巧に動くとは驚きです。月魄さんには感情がない。いやぁ、感情らしきものをなぞってはいるので、ないと言い切るのは違うかもしれませんが、それにしてもすごい」

「御託はいいんですけれど、直るんでしょうか」


 絶冬華は小鞠助手の方を見た。相変わらずカタカタとキーボードを叩いている。


「それが目的ってことでいいですね?」

「目的?」


 絶冬華は首を傾げる。


「要するにあなたは、その目的のためだけに動作しているんです。だからこそ平家くんに近づくし、こうやって私に会いにきたりするわけです。君は、普通の人間になりたい。『哲学的ゾンビ』は、普通の人間を模すだけの存在だから、普通の人間の真似をすることだけを目的として、すべての動作はそれに紐ずく反射にすぎない。寝て、食べて、あるいは学園生活さえ、そこに向かうための付随動作だ」

「それを指摘することが目的で私に近づいたんですか?」


「いいえ。どうやればそれを生み出せるかと考えたんです。だって無敵じゃないですか。『フラスコ』に対して」

「脊谷教授……。あなたは『七瓶』ですか?」


「やっぱり知ってるんですねぇ。はい、その通りです」脊谷教授はにこやかに頷いた。「同時に、フィクションズでもありますよ」

「フィクションズ?」


「ああ、知らないんですね。『七瓶』については誰に聞いたんですか?」

「言いませんよ」


 脊谷教授はため息をついた。


「まぁいいでしょう。せっかくだからフィクションズについて教えてあげます。『七瓶』っていうのは人工的に生み出された優秀なフラスコだ。つまりそれを生み出した科学者がいる。その科学者たちの名は『フィクションズ』。虚構を現実にするものたちです。私は『フラスコ』を生み出す方法を編み出し、同時に自分にも施しました。見事、私は『七瓶』として数えられるようになったというわけです」

「優秀なんですね」


 それを信じるのであれば、僥倖には違いなかった。絶冬華の状態を理解してくれて、人間を変質させるのに長けた人間が目の前にいる。


「私たち『七便』は現在殺し合っている。もしあなたが誰か『七瓶』と関わっているのであれば、そのことは知っているのでしょうが」

「それで、私をここに呼んだ目的はなんですか?」


「私の仲間になりましょう」大の大人が、屈託のない満面の笑みでそんなことを言った。「月魄さんは、普通の人間になりたい。その方法はわからないとしても、私であればそこにたどり着く可能性があります。そう考えると、私が『七瓶』に殺されてしまうのは惜しい気がしてきませんか?」


 絶冬華はふと思案した。

 そもそも、煤某一郎は『七瓶』を排除するのではなく、皆仲間にしてしまう計画なので彼の提案そのものは受け入れられる気がする。


「私に何をさせるつもりですか?」

「月魄さんは被験者として検査に付き合ってもらうだけの予定です。簡単でしょ。私は月魄さんみたいな、オーラの見えない『哲学的ゾンビ』を人工的に量産したい」


「量産したらどうするんですか?」

「もちろん、他の『七瓶』の排除のお手伝いをしていただきます」


「別に殺しあわずとも、他の『七瓶』と強調すれば終わるんじゃないかしら」

「終わると言って終わるのであれば、この争いは始まってはいませんよ」


 絶冬華自身、『フラスコ』のように他人の気持ちがわかるわけではない。しかし、その屈託のない表情はきっとそれが本心なのだろうと思われた。

 つまり彼は煤某一郎とはまったく違う考えを持っており、絶冬華としてはどちらにつくか選ぶ必要があるということだ。


 残念なことに、脊谷教授の言っている絶冬華の感覚は正しい。

 彼女の目的は普通の女の子になることで、さまざまな選択はそこに向かって自動的に行われているという状態だった。


 例えばものを食べることも、寝ることも、学園生活を送ることも。

 こうやって本当に普通の女の子を目指しつつ、一方で丈晴と恋愛もどきを演じてみることでさえ。

 なぜそうなのかはわからない。ただ、そうである。


 月魄絶冬華は、普通の女の子になりたい。


 そして。

 だからこの結論は、少なくとも絶冬華にとっては合理的な判断だ。


「お断りします。私は『七瓶』が皆仲良くできるものだと思っているので」

「……いやはや、不思議ですねぇ。お互いのためになる提案をしたと思ったのですが。また何か間違えたようですね。一体どんな前提が間違っていたのでしょう」


「あなたのような三下よりも、もっと可能性を感じるものが他にあるということです」


 絶冬華は直感的に、あるいは自動的に分かった。

 この男を信じるよりも、丈晴の方が圧倒的に彼女をそこに連れて行ってくれる。

 脊谷教授はポリポリと頭をかいた。


「困ってしまいますねぇ。そうなると、私にとってあなたが大きな脅威ということになってしまう」


 脊谷教授は絶冬華のことをまっすぐに見た。

 その意味は、わかる。

 恫喝だとか、脅迫だとか。それを怖いと思うことはない。ただ、相手の対応に応じた動作が自動的に生み出されるだけだ。


 それは現実となり、ずらずらとこの生徒指導室内に入ってくる生徒たちがいた。それはどう見てもフラスコによって操られている人間だった。


 男子生徒、四人。


「それでは、お願いします」


 そんな風にいう脊谷教授に従って、彼らは絶冬華を椅子にロープで縛り付け始めた。

『小人の友達』の仲間は学園内まで呼び込む準備は今のところできていないので、もし今力ずくでこられたらどうしようもなかった。その中で絶冬華は、頭の中に丈晴の映像が浮かび上がった。その意味するところまでは判然としないが、とにかく彼のことを考えていた。


 絶冬華はあえて何もしなかった。何も言わなかった。

 その沈黙を希望と呼ぶことを、まだ彼女は知らない。

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