第25話 彩の浸透
午後の授業が始まっても感情が落ち着かない。
絶冬華とは一体何なのか、と言うことに自分なりの結論さえ持てず頭の中で考えがくるくる回る。ただ、同時にそれが何なのか、とも思う。
自分と絶冬華は家族でも恋人でも数年来の友でもなく、つい最近出会ったクラスメイトにすぎないのだ。
もやもやしたまま授業時間が終わり、帰ろうと思ったところで彩に声をかけられた。
「丈晴、話があるんだけど」
彩は一応絶冬華のいいつけの通り、あまり丈晴に対して関わらなくなっていた。
だから、そうやって話しかけられるのは珍しい。
その上で、彼女の綿菓子が怒気の赤を含んでいたものだから、丈晴は困惑してしまった。
「歩きながら話そうか」
今や丈晴は有名人なので、車椅子の少女と一緒に歩いていると言うだけで何だか視線が集まっている気がする。絶冬華はどうしたのだ、と言う非難の目だ。
二人は学園から離れたところに向かうかん、ほとんど口を交わさなかった。そしてだいぶクラスメイトがまばらになってきたところで、彩は言った。
「丈晴。率直に聞くけど、凪に何かした?」
丈晴は自分の能力は伝えたが、高崎凪の記憶を一部奪ったことに関しては伝えてはいない。それを伝えるには凪が彩を裏切るような行動をしていたことを伝えなければらず、そうすると二人の友情関係が破綻するのは間違いないと思われた。
ただし、真剣に疑っている彩に対して、適切な嘘が思い浮かばない。
「わかるのか」
「わかるよ」
彩はそういうと、シュンとしたを向いてしまう。
「やっぱりね。そういうことか。凪ってさ、すごく私と仲良くしてくれるからさ、私なんかと。とっても優しいの。こんな足だと、いろんなところに出かけたりすることもできないのに」
「いや、その」
「でもそれって、違ったんだ。多分、丈晴が私と仲良くしてくれるように操作したってことなんでしょ? そうじゃなきゃ、おかしいよ」
悲哀のこもる彼女の言葉。
ただし、今度首を傾げるのは丈晴の方だ。
「高校に上がってからさ、なんか凪って変わったもん。何だか、前よりも迷わない子になったっていうか。それってさ、丈晴が彼女の人格を変えたってことだよね? 丈晴が何をやったかはわからないけど、そうやって人の内面をいじるのって、怖いことだよ」
「い、いや、そんなことはやっていない」
「そんなわけない。そうじゃなきゃ、あんなふうに、外見は変わっていないのに雰囲気だけ変わるなんてないよ!」
「ちょっと待ってくれ。わかった、正直に言うよ」丈晴はたまらず言った。「確かに、彼女の記憶の一部を変えた」
「記憶の……一部を?」
驚愕の表情に歪める彩に対し、丈晴は頷いた。
「必要……だったんだ」
「……何それ? 必要? 何か都合の悪いことがあったら、クラスメイトの記憶を都合よく歪めるの? 必要とか、そんな適当なこと言わないで!」
ああ、こんな経験は過去にもあったな、と思った。借金取りを追い払って、母親に非難された苦い過去。自分の正義が、大切な人にとっても正義だと勘違いしていたあの日。
自分は、あの日から変わっていなかったと言うのか。
「私は求めてない。無理やり記憶をいじって従順にされた友達なんて、いらない」
「そうか。……でも、これだけは安心して欲しい。僕が彼女の記憶を操作したのは、彩のお見舞いに行った日一回限りだから。高校で彼女と仲良くなったのは何も間違っちゃいない。凪はちゃんと、彩の友達だ」
「そ……そうなの?」
「ああ、間違いない」
そうは言っても、彩は納得しない様子だ。
「じゃあさ……」
彩は顎に手を当てて思案しつつ、絞り出すように言った。
「丈晴みたいな人が、丈晴以外にもいるのかな……」
ふと言われた言葉で。
ピッタリとピースがはまる。
「彩……」
「何よ、急に変な顔して」
「それ、正解だ」
なるほど、わかってみれば簡単だ。凪は『ゼロ課』の記憶ごと、彼女の芯ごと『フラスコの解浸変』によって生み出されていたのだ。だからこそ、『ゼロ課』の住んでいるアパートがそもそも存在しない、なんてことが起こった。おそらく彩が違和感を持ったタイミングで、凪は頭に神を住まわされたのだ。そして、こんなことをできるのは『七瓶』に違いない。
つまり。
刺客は『ゼロ課』ではなく、『七瓶』だ。
その人間の作り替えは、誰にでも起こり得ることだった。
例えば目の前の、彩にでも。
あまりにも素速い綿菓子の変色。発光色をへて落ち着いた色へと収斂する。
いま、この瞬間彩は作り替えられた。つまり近くに『七瓶』がおり、丈晴は反射的に当たりを見渡した。
丈晴の判断は誤りだ。
瞬時に、目の前に彩に対処すべきだったのだ。
彩は、丈晴の綿菓子に手を伸ばしていた。それはちょうど、丈晴が彩の心を暴くように。
そして少しずつ彩が、丈晴の中で混ざり合う。
「ごめんね、丈晴」
目の前にいるのは彩。
ただし一部の記憶をすり替えられている。さらに言えば、彼女はフラスコの能力を与えられていた。
それができるのは『七瓶』だと、絶冬華は以前言っていた。
――丈晴、ごめんね
――悪気はないんだけど
――必要なことだから
徐々に浸透する彼女は、彩であって彩ではない。その言葉の浸透は遅く、浅いとも思う。
押し返せる。
しかし、ダメだ。もしそんなことをすれば、彩は壊れてしまうかもしれない。
『七瓶』が能力によって生み出した脆いフラスコ――『ジャンク瓶』。丈晴はそれを一度壊している。
もし『七瓶』が近くにいるのであれば、直接丈晴を操ってもよかったはずだ。それをしなかった理由は、丈晴が彩に手出しできないとわかっていたからだろう。
彩の面積がどんどん増えてゆき、それを押し返すすべは、丈晴は持っていても、使えない。
丈晴はそれを、ただ受け入れるしか無かったのだ。
――丈晴、好きだよ
――ああ、僕も、彩を大切に思っているよ
丈晴は、意識を失った。
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