第21話 絶冬華の願い

 運動部の掛け声が響くグラウンドの横を歩いて帰る。

 隣には相変わらず絶冬華がおり、いつも通り周囲の視線も突き刺さる。ただし、それを気にしないようにする気構えだけは上達し、それは徐々に気にならないものになってゆく。


 絶冬華は言った。


「例えばさ、こうやって私と一緒に歩くことっていうのは『青春を奪われている』とかって思ったりするの?」

「奪われるって言うのは、現在持っている場合にしか発生しないんじゃないかな」


「じゃあ、丈晴くんは彩ちゃんが青春を持っていないって思ってたんだ」

「……嫌なことを思い出させるな」


 彩と付き合っているふりをしたのは、確かにそう言ったことだったかもしれない。


「丈晴くんは、自分の青春がないって思っているのはどうして?」

「それは『小人の友達』の調査員が僕と関わる上で必要なことなの?」


「いえまったく。ただ興味があっただけ」


 丈晴は少し意外に思った。絶冬華はそう言った興味が希薄な少女かと、勝手に思っていたのだ。


「……偉そうに聞こえたら悪いんだけど、やっぱり僕は自分が特別だと思ってるから。いざとなれば、他人の気持ちがわかって。その気になれば、他人を操れる。きっと、同級生ほど人間関係に不安が無いんだよ」

「こんなに孤立しているのに?」


「他人に期待しないから」

「丈晴くんは、いま丈晴くん自身がどんなふうに見えているの?」


 普段はあえて見ようとしない自分の綿菓子。

 それは少しずつ青く濁ってく。


「見る限り、僕を苛立たせたかったとしたら成功していると思うよ」

「そう。じゃあ逆に、丈晴くんからだと私はどう見える?」


 どう見える?


「そうだな、青春なんか必要ないっていうふうに見えるよ」

「どうして?」


「……絶冬華は、気持ちが見えない。それに、秘密結社に所属して、クラスメイトが求める生活とは違うものに人生を捧げてる」

「気持ちが見えないのに、私の気持ちを推察するのはなぜ?」


「さっきから言いたいことがわからない。言いたいことがあるならはっきりして欲しい」


 帰り道。

 絶冬華は歩みを止める。

 太陽さえもスポットライトで、彼女は透明に光り輝く。


「私は、普通になりたい」


 学園の敷地から外へ。春には満開だった桜はすっかり緑に色を変え、青々しい匂いを放つ。蝉の声が強く聞こえる。

 絶冬華は続けた。


「私は、ものの感じ方が、ひょっとすると人と違うかもしれない。それが、とても嫌。私は『小人の友達』に所属しているのは、そのうちに私を変質させられる『フラスコ』に出会うことを期待しているから。……偉そうに聞こえたら悪いんだけど、私は普通の女の子になりたい」

「……突然、だな」


「私の目の前には『解浸変』の『変』に自力で到達した『フラスコ』がいる。丈晴くん。私は普通の青春が送りたくて、『小人の友達』に所属してるんだよ」


 学園から離れるほどに、制服姿は減っていく。


「ねぇ知ってる? 丈晴くん。普通の女の子って、カラオケに入ったりするんだよ。行こ」


 丈晴の反応を待たずに、彼女は腕をひいて雑居ビルに向かった。丈晴は彼女の思うがままについていくことしかできなかった。

 二人は個室に入り、適当に飲み物を準備した。丈晴は烏龍茶で、絶冬華はコーラだ。


「カラオケなんて久しぶりー」


 その姿は、普通の少女そのものだ。タッチパネルを操作してカラオケに曲を入れる。丈晴が戸惑っている間にも、彼女はすでにマイクを手にとり体を揺すり始める。

 丈晴には本当に絶冬華がわからない。


 曲はいきなりテンションの高いイントロから始まった。

 絶冬華はうまくも下手でもない。それは普通の女の子の歌声という感じだった。新鮮だ。初めて彼女を彼女だと知った時から、同じ空間にいるのに別次元にいるような気がする少女だった。


 でも、こうやって暗がりで歌う彼女は、本当に普通。

 一曲歌い終えて、彼女はいう。


「例えばこうやって歌っている時、私の感情はどうなっているの?」


 言われ、丈晴は目を凝らす。


「……特に変化はないな」


 彼女を覆うのはカラオケボックスの澱んだ空気。彼女はしょぼんと下を向く。


「そう。楽しんでいるつもりなんだけど」


 彼女は寂しそうにマイクをテーブルに置く。


「普通はクラスメイトの男子と二人でカラオケに来たら、どう感じるものなんだろう」

「さぁ、どうかな。僕は女子じゃないからわからない」


「じゃあ男子は、丈晴くんはいまどう感じているの」

「普通の高校生の男女が密室に二人っていうわけじゃないから、参考にならないよ」


「どうすれば普通に近づける?」

「……普通こういうところに二人で来るのは、仲のいい友達とか、恋人とかだから、どうかな。僕たちは出会いが普通じゃないし」


「例えば、こういうのはどうかな?」


 絶冬華は丈晴をソファーに押し倒した。華奢で、強い力ではなかったかもしれない。しかし、彼女を押し返すことが、丈晴にはできなかった。


 絶冬華は首元のリボンを外し、そしてボタンを一つ二つと外した。

 そして、覆いかぶさるように丈晴に顔を近づける。

 首元がたわみ、彼女の胸元が顕になる。


 頬を赤らめるようにして、絶冬華は目を瞑る。

 それでも。

 彼女は一切の綿菓子を漂わせてはいなかった。


「やめよう」


 丈晴は彼女を押し返す。

 二人はソファーに座る形になり、絶冬華はキョトンとした顔で丈晴を見ていた。


「どうして? 私は構わなかったのに」


 夢のようには、違いない。絶冬華は凄絶に可憐で、目の前の現実は求めたとしても得られないものだ。

 丈晴は自身の欲望を抑えつつ、言葉を選びつつ、いう。


「……愛情とか、そういうの。絶冬華は何も感じていないんだろ?」

「そんなことを気にするの? もしそういうのを私が誰に対しても、平等に感じないのであれば、行為の対象が丈晴くんでも同じだとは思わない? ああ、丈晴くんの方に心に決めた相手でもいるってことかしら。それならそっちはさっさと終わらせて欲しい。欲しいものは何でも手に入れられるんでしょ? 私はその次でいいよ」


 厭世的な言葉は悲しい。

 しかしその悲しささえも、絶冬華は覚えていないというのだろうか。


「違うよ」

「何が違うのか教えて? 男であれば、きっと私が欲しいでしょ? 私は構わないって言ってるの。それで進めるかもしれないんだから。合理的な理由があるなら教えてよ!」


 刹那的だ。

 それはあまりに、刹那的すぎる。


「……きっと普通の少女になったあとの絶冬華が、後悔すると思うんだよ」

「普通の少女になった、あと?」


 絶冬華はぼーっと視線を定めない。

 思考がまとまらないとでも言うように、彼女は黙り込んでしまった。

 気まずくて、丈晴は必死に言い訳の言葉を探した。


「絶冬華。……僕たちの関係は、『小人の友達』と『フラスコ』でしかない。僕はさ、君の願いを叶えたい。それで、君の欲しいものは多分『普通の女の子になりたい』じゃないと思う」


 ごちゃごちゃと始まるカラオケのCM。その密室の中で、絶冬華はじっと丈晴を見つめていた。

 丈晴は言う。


「『普通の女の子になって、しあわせを感じたい』。たぶん、こっちだろ?」


 言い終えた後に、丈晴は青臭いことを言っている気がして恥ずかしくなった。絶冬華から視線を逸らし、そして彼女の言葉を待った。

 絶冬華は言った。


「そう……だね。そうかもしれない」彼女は首元のボタンを止めて、改めてリボンをつけた。

「丈晴くん、じゃあ約束してよ」

「……何?」

「絶対に私を普通の少女にして、しあわせにして。期待してるよ!」


 言葉と、笑顔はすでに普通の少女。

 丈晴には絶冬華の綿菓子は見えず、彼女を変えるための兆しは見えない。


 それでも、その願いは。

 丈晴の願いへと昇華してしまった。


「任せてよ。いつか君の願いを、絶対に叶えてみせる」

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