第15話 高崎凪の神

 高崎凪は、不良少女だった。

 正確には、不良少女に憧れる気弱な少女で、例えば放課後にSNSで繁華街に集まって街のインフルエンサーと繋がる同級生を羨ましいと思っていた。まだ当時十三歳の凪にとって、それはとても自由なことに見えていた。


 凪の両親は硬い人で、小学校三年生から凪を塾に通わせて凪に私立中学受験させた。たくさん勉強したものの、もともと要領の悪い凪は第一志望、第二志望と落ち、第三志望としてなんとか通うことができたのが当時の中学だった。


 両親は目に見えて落胆し、ああ、真面目に生活したってこれからの人生こんな感じなんだな、と凪は毎日をつまらなく感じていた。

 そんな中、自分とはまったく違うように見えたクラスメイトに憧れるのはしょうがなかったかもしれない。


 そのクラスメイトは、どんな有名人と会った、だとか、何をした、だとか、当時の凪にとって刺激的な話をいつも聞かせてくれた。

 だから「一緒にくる?」と言われて、頷いてしまうのは必然だ。


 ついていった先は、いわゆるクラブと言われるところだろうか。自分達のような中学生が入っていいところかはわからない。そこには動画系SNSで見たことのある大学生たちがいて、クラスメイトは彼らと親しげに話していた。そんなクラスメイトが、凪にとってはとても大人に見えた。


 一人の男が、凪に話しかけた。


「俺のこと知ってる?」


 事前にクラスメイトから紹介された動画で見ていたから、凪は彼のことを知っていたので頷いたし、有名人に会えたようでときめいた。


「可愛いね。よかったら少し二人で話さない?」


 答えるよりも早く凪は手を引かれて個室に連れて行かれた。怖いと思ったが、男は優しかった。


「凪ちゃんって、優等生でしょ。こんなところ、場違いだよ」

「……そうかな」


「そうだよ。でも、俺のこと知ってもらえて嬉しかったな。だから今日、二人で喋れて嬉しい」


 浮かれていて、その瞬間男のことを好きになった。

 もっともそれは、その暗がりの高揚感がそうさせただけではあったのだが。


「不良の真似してみようよ」と渡されたアルコールにも口をつけると、それこそ自分が一つ大人になったように感じたのだ。クラクラする酩酊感のなかで、やっと彼女は自由になれたのだ。


 ただし、凪にそう感じさせたのはアルコールの力だけではない。そのアルコールにはドラッグが混ぜられており、その結果凪は凪本人が感じている以上におかしくなっている。


「なぁ、好きだよ」と男の唇が迫る中で、ばん、と密室のドアが開いた。

「ちょっと凪、何してんのよ! 彼をとるなんて!」


 入ってきたクラスメイトと、その男の関係を凪は知らない。ただ事前に有名人だと知らされただけで、個人的な関係については聞かされていなかった。


 だから彼女がなんで激昂しているのかわからないし、うるさい彼女を止めなければと思った。

 怒りに眉を吊り上げ凪に掴みかかろうとする彼女に対し、凪は近くにあったワインボトルを振り上げて思い切り叩きつけた。鈍い感触を手に感じながら、彼女は音もなく崩れ落ちた。

 なんだかそれがおかしくて、凪は笑い転げた。


 そのクラブは『幸運にも』警察にマークされていたらしく、タイミングよく駆けつけた警察によって救急車が呼ばれ、クラスメイトは病院に運ばれた。


 凪は事情聴取を受け、たまたま呼ばれただけで薬物やアルコールに常習性はないと伝わり、その後児童相談員に定期的にやり取りするだけの処分となった。事件のことで両親は大いに怒り、ただし凪に対して以前より優しくなった。

 その後、頭を何針か縫ったクラスメイトは転校した。凪が責任を問われることはなかった。

 大学生たちは捕まり、凪だけが日常に戻ったような気がした。

 

 凪は時折、彼女を殴りつけた時の感触と、その後何が面白いかわからない中での自分の哄笑を思い出し、その度に叫び出したい恐怖に包まれた。

 自分がクラスメイトを転校させたきっかけを作ってしまったという引け目もあり、クラスでうまく振る舞うことも難しくなった。


 何事にも集中できなかった。

 それはクラブでの高揚感の副作用かもしれない。薬物なるものの副作用かも知れない。とにかく凪は、今目の前のことに集中することが難しくなってしまったのだ。

 真面目に勉学に励むクラスメイトや、毎日トレーニングに励む運動部は、もはや凪にとって羨望の存在だった。彼女たちはきっと、幸せな将来に向かっているのだから。

 定期的な児童相談員とのやり取りの中で、凪は度々言った。


「ウチは悪い人間だから、きっと地獄に落ちるんです」

「どうしてそう思うの?」


「……わかりません」


 自分がなぜ不幸なのかさえ、凪にはわからなかった。誰かを恨んでいるのか、コンプレックスが強すぎるのかさえもはやわからない。思考が散漫で、何も考えられない。

 ある日、若い男の児童相談員が言った。


「悪い人間でも、いいことはできるよ」


 嘘みたいな笑顔だった。


「ウチには、そんな立派なことはできません」

「難しいことじゃなくても、できることはいっぱいある。君には、見込みがある」


 妙にまっすぐな目で、彼は言った。

 どこにでもいそうな痩せ型の彼こそが、『ゼロ課』の工作員だった。彼は政府の勅命で動いており、それが社会正義になっていることを教えてくれた。小柄で陰気なのに、不思議なエネルギーを発する男だった。

 嘘みたいな話を彼は、本当みたいに語った。『ゼロ課』について、それがいかに重要で、彼の職務がどれほど日本に貢献し、もしそれを手伝うことができたらどれほど名誉なことかを教えてくれた。


 そのエネルギーは、弱った凪にとっては全能に見えた。


「僕が命令してあげるよ。従ってくれたら、世界が良くなる」


 天啓だ。

 それだけでいいのであれば。自分にもできるかも。

 言われたことを実行するだけ。それだけで自分は少しずつ浄化されるのだ。最初は簡単なことから、彼の言葉に従った。


 紙袋を駅のトイレに隠す、とか。公園の子供に呼びかける、とか。

 でもその一つ一つが、社会平和のためだと教えてくれた。

 凪はそれを信じ、少しづつ大変になる命令を信じ続けた。


 きっと変われる。

 自分はきっと、正しくなれる。


 ――だから――


 ――それは――


 ――間違っている――

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