第13話 欲しい物

「彩ー、お友達が来たわよ! 上げるわね」

「え? ちょっと待って! 誰⁇」


「凪ちゃんよ! あと、平家くんだって」

「なんで⁉︎ 準備できてない‼︎」


「いいから、早く片付けと着替えしちゃいなさい」


 ドタドタと音がして、そして準備ができたと彩の母親に案内されて彼女の部屋に向かった。

 彩の部屋はとてもスッキリしていてものが少ない。意外と几帳面な所があるのだなと丈晴は思った。


 ベッドに腰掛け、クッションを抱いて俯く彩は、以前より少し痩せている。

「あやー」凪の声には涙が混じる。「よかった会えてー」


「私も、あえて嬉しい。でも、やつれてるから、あんまり顔を見せたくなくて……」


 彩がいうと、凪は彩に抱きついた。凪の泣き声に、次第に彩が鼻を啜る音が混じる。


「彩……。会えてよかった」


 丈晴が口にすると、彩は凪に顔を埋めるようにしてさらに言った。


「丈晴は帰ってください」

「え⁉︎」


 妙に心のこもらない言葉に、丈晴は聞き違いかと思うことにした。そして、あらためて口にしてみる。


「あの、彩、今日、会えてよかったよ」

「丈晴は、帰ってください!」聞き違いではなかったらしい。「いや本当に。ぜんぜん部屋着だし。やつれてるし。メイクできてないし」


「大丈夫だよ彩。可愛いよ?」

「凪。女子のいうそれは罠だからやめて」


「じゃあウチは一旦外すね!」


 凪は彩からパッと離れ、そしてすぐさま部屋を出た。「ウチは下で彩のお母さんとお茶にしますゆえ」


 バタンと扉が閉まり、彩の部屋に二人で取り残される。


「な、凪ー」


 泣きそうな彩は救いを求めるように手を伸ばしたが、ベッドに座っている彼女は凪を追うことができない。そして手を伸ばし、下半身の踏ん張りが効かないことで、彼女はバランスを崩した。

 ベッドから、落ちる。


「あ、彩!」


 咄嗟に丈晴が彼女を受け止めた。

 間一髪だ。

 彼女の荒れた息遣いが耳に届く。パジャマに、薄いカーディガンを羽織っただけの彩の体温を感じる。そこでやっと、抱きついたようになっていることに気がつく。


「ご、ごめんっ」


 丈晴が離れようとすると、しかし逆に彼女に強く抱きしめられた。


「行かないで」


 彼女はシクシクと、泣いていた。


「行かないでよー」


 怯えたような、安心したような彼女を、丈晴は抱き返す。


「行かないよ」

「行かないで」


「行かないよ」

「絶対行かないで」


「うん」



 何時間にも感じるような数分間、二人は抱き合った。

 二人は顔を見える距離感になったが、今度は彩は拒まなかった。


「こんだけぐちゃぐちゃだと、もうどうにでもなれって感じ」


 充血して、目と鼻が真っ赤な彼女は、しかし丈晴には魅力的に映る。それは少し不思議な感覚だ。

 久々の彩に見入っていたが、彼女は唐突に頭を下げた。


「ごめんなさい。でもきっと、私は何を言っても許されない」


 その意味を、丈晴は理解できない。


「何が?」

「……私が、丈晴を刺した」


 そんなことを彼女が本当に思い詰めたような表情でいうものだから、丈晴は拍子抜けしてしまう。丈晴はそれが彼女の意思ではないことを知っているから、自分の迂闊さを呪いさえすれ、刺されたことに関してはなんとも思っていないのに。


「だから、謝りたいし、精一杯償いはしたいけど、合わせる顔がなかった。今日突然丈晴がきて、謝らなきゃって思った。でもそれより先に――」


 彼女は丈晴の胸で泣いたのだった。

 言葉に詰まる。『フラスコ』のことを話してしまおうか。しかしそんなことをすれば、自分の境遇に彩を巻き込んでしまうことにならないか。

 もやもやと考え、そして行き着く当然の帰結。


 自分のせいだ。


 丈晴が能力を持っていたから、だから丈晴の命は狙われ、彩が利用されたのだ。


「ごめん、彩」

「なんで丈晴が謝るの」


 すでにぐちゃぐちゃの顔をさらに涙で濡らす彩に、渡しても大丈夫な言葉を探す。


 何も心配しなくていいよ。僕は気にしてない。

 だめだ。漠然としすぎている。


 僕が命を狙われていて、彩は巻き込まれただけだよ。

 だめだ。余計な不安を与えてしまう。


 彩は大切な友達だから、何があっても謝る必要はないんだ。

 だめだ。そんな言葉を彩が望んでいるかわからない。


 彩は、何を求めているんだろう。

 そうだ。確かあの雨の日もそうやって不安になって、僕は彩の綿菓子に触れようとした。

 きっとこれはずるいことで、だからこそ親しい人には使うまいと思っていた。それがその人のため、というのも自己欺瞞に違いない。


 あなたの気持ちが知りたい。

 単純な欲。

 傲慢だ。


 それでも丈晴はただ、その心のままに彩の綿菓子に触れた。



 寂しいな。

 みんなに合わせる顔がない。

 凪がきてくれて嬉しいな。ずっと友達でいたいな。

 私みたいな欠陥品は、どうせみんなに見捨てられる。

 一人でいた方が楽。

 丈晴に会いたい。

 ただしゃべっていられるだけでいい。

 今すぐここから消え去りたい。

 私が刺したんだから、丈晴と一緒にいちゃいけない。

 私は幸せになれない。

 歩くことさえできなくて、一日生きるごとに人に迷惑をかけるんだ。

 丈晴と一緒にいたい。

 今すぐ丈晴には、どこかに消えて欲しい。



 まるで嵐。丈晴は彩の奔流に溺れる。

 矛盾する感情と、強烈な自己否定。丈晴は今まで、彼女の言葉の表面しかなぞっておらず、今、初めて彼女と向き合った。それはずるい方法であったかもしれないが。


 そして今更ながら、本当に今更ながら理解したのだ。

 心なんて、わからない。

 覗いてみたところでそれは、彩本人さえ扱いきれない代物だから。

 丈晴は綿菓子からそっと手を離し、彩を見つめる。


 それでも。

 自分はおそらく、言葉よりも確かなものを与えられる。


 丈晴は刺された時のことを思い出す。

 自分の体を理解して、そして自分を無痛状態にした。その時に初めて、自分はそんなことが出来ると知った。


『フラスコの解浸変』


 そんな言葉を絶冬華に教わった。

 終着点の変。


 丈晴は一つだけ、彩にしてあげられることがある。

 きっと、できる。

 

「願いは、僕の頭の中にはなかったんだ」


 彩は首を傾げる。

 不思議そうな彩に、丈晴は笑いかける。


 丈晴は改めて彼女の綿菓子に触れ、暴く。

 そのまま彼女の全身をこれでもかというほど理解する。


 構造を意識して、仕組みを知る。

 途方もないほどの情報量の、神しか作り得ない構造物。

 なぜ彼女が歩けなくなってしまったのか。

 その原因を探す。


 探す。


 探す。


 これだ。

 特定した。

 影響しろ。


 丈晴は一層集中する。


 出来るはずだ。

 構造が分かれば、それが変わるよう脳に働きかければ。

 何かのホルモンを出して、その神経をつなげば。

 圧迫を取り除けば。


 きっと、出来るはずだ。


 ――欲しいものは手にはいるよ。私が保証する


 

 目を開ける。

 自分がびっしょりと汗をかいているのがわかる。そして、ダメだったこともわかっている。歩けない原因を特定しても、歩けるように構造を変更することは叶わなかった。わかることと、物理的にできることの間には乖離があるようだ。


 もっと知らなければならない。

 丈晴は初めて自分の能力に関してそう思った。

 もっと知らなければ、誰かの頭の中にある欲しいものを、きっと手に入れることはできない。


「丈晴、大丈夫?」

「あ、ああ、うん。大丈夫。ごめん、急に黙っちゃって」


 彩は急にキョトンとして、そして「ふふ」と、穏やかに笑った。

「そっか、黙ってたんだね」


 不思議な言葉に、丈晴は首を傾げる。すると、彩は照れたように赤らめながら教えてくれた。


「変なこと言うなって、笑わないでね。なんだかね、丈晴が私をとっても心配してくれてるなって、感じたの。私のことをたくさんたくさん考えて、どうしたらいいかなって……うまく言葉にできないんだけれど」


 丈晴が彼女を暴くように、彩は。

 それは丈晴が思っているほど一方通行ではなくて、もしかすると。


「私はこれからも、丈晴と友達でいられるんだね」


 そんなこと、悩むまでもないのに。

 空気清浄機の静かな稼働音と、窓際に飾られた一輪の花。この部屋で行われている丁寧な生活。

 自分はきっと危険な存在で、理性的に考えるのであれば離れた方が良かったのかもしれない。だから、本当にこれはエゴで、それがわかっていながら丈晴は他の言葉を見つけられなかった。


「彩がいないと、寂しいから」



 その後、丈晴はトイレを借りると階段をおりた。

 そして目的のものを発見し、アプリで絶冬華と通話する。


「予定通り」

「すぐに」


 丈晴はそれを見つけて、玄関から外へ出た。事前にテキストメッセージで送った通り、黒塗りの車がそこに付けられていた。

 作業着を着た知らない男が出てきて、丈晴はそれを渡す。男は全てわかっていると言うように何も言わずに受け取り、そして車に戻って走らせた。


 丈晴は一つ息をつく。



 丈晴は彩の部屋に戻ると、「遅かったね」と彩が迎えた。

 彩はスマホを触っており、何してるのと尋ねると「凪に全然連絡がつかないの。どこ行っちゃったんだろ」と不思議そうな顔を浮かべている。


「ああ、さっき玄関で会ったよ。帰るって」

「え、そうなんだ。ふふ、そっか」


 何やら自分なりの想像に耽っている彩の想いはわからない。綿菓子には触れない。次に触れるときは、その彩の欲しいものを渡してあげられるときであるべきだと、丈晴は思う。

 彩はその後、以前のように丈晴とたくさん話し、陽が落ちて丈晴が帰る頃に「明日、学校に行くね」と笑った。


 丈晴は「そうか」と答えた。返事はそっけなくとも、彩はそれ以上に何かを受け取ってくれるんじゃないか。丈晴はそんな気がした。

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