第10話 フラスコの解浸変

 丈晴と絶冬華はは友達のようにSNSのアカウントを交換した。ただしアプリは見たことがないもので、絶冬華の組織専用のものらしい。丈晴たちのやりとりは今後これで行うとのこと。


 スマホにインストールすると、画面に絶冬華をちびキャラにしたようなアバターが映し出され、それが丈晴に語りかけた。


「丈晴くん。あなたはこのアプリでテキストを打ったり、あるいは直接話しかけてくれればその言葉は私、月魄絶冬華に届くわ。ネットワーク経路を秘匿しているから、誰かにもれる心配はない。秘密のやりとりはすべてこのアプリを介して行うこと。秘密だなんてドキドキするでしょ?」


 両手で頬を覆って可愛こぶる絶冬華のアバターに、丈晴は毒気を抜かれる。危険な状況に置かれているのに、どうにも絶冬華はそれを表に出さないみたいだ。

 絶冬華のアバターは続けた。


「丈晴くん。まずは私の自己紹介をさせてもらいます。私は『小人の友達』の調査員ーー月魄絶冬華。『小人の友達』は『フラスコ』の存在調査と共存を行う組織で、その能力の悪用によっての世界の混乱を防ぐことを目的としている。創設者は『七瓶』が一人ーー煤某一郎すすぼういちろう

「しちびんって、どこかで聞いた気もするな。確か、刺された時に」


 ーーこれが『七瓶』とは笑わせる


 刺された時に男がつぶやいた言葉。


「『七瓶』は、簡単にいうと人工的に生み出された取り分け優秀な七人の『フラスコ』だよ。もともと、人の心を操り、乗っ取ることもある人間の存在がいて、それは歴史の裏で暗躍していたという噂があった。でもそんな人間はなかなか見つけられない。その能力を持った人はほとんどいないし、仮に持っていたとしても隠すから」


 丈晴はアバター越しに頷いた。


「ある科学者集団は、そんな『フラスコ』を人工的に生み出すことに成功した。見込みのある子供を集めて、さまざまな実験を重ねることでね。そして生み出された最高傑作の七人は、互いを知らないまま実験施設から世に放たれて、お互いに殺し合っている」

「……ついていけないな。どうしてそんなことに」


「その強い力で大統領でも操って仕舞えば世界の掌握の完了よ。科学者の一人はそれを恐れて、『七瓶』同士で潰し合いさせることで解決しようと考えた。そのとき別の科学者が、それを阻止するために実験施設から全員を逃したの。結果として、『七瓶』それぞれが互いの命を狙っていると認識しながら日本各地に散った。……それが殺し合いのきっかけって言われているけれど、まぁそれぞれに思惑があるのでしょうね」


 他人を簡単に操る能力は要するに他人から操られるというリスクである。それは丈晴もよく理解できる。


「互いに顔を知らない『七瓶』を見つけ出し、再起不能にする。それが現在の『七瓶』のミッション。ただしそれを、煤某一郎は良しとしなかった。彼はそれよりも『七瓶』それぞれが協調して、世間一般に生きていく方法を模索できないかと考えている。もし『七瓶』に出会って、その瞬間に殺されてしまっては馬鹿みたい。だからこそ彼が始めたのは、『七瓶』に対抗できる特殊な人間を仲間に引き入れることだった。その内の一人が私」


 綿菓子を纏わない少女、絶冬華。

 もし『七瓶』が丈晴と同じような能力の持ち主というのであれば、彼女は鉄壁だ。


「私は組織から、丈晴くんが『七瓶』ではないかとの情報を受け取った。さっさと調査を済ませようと思って、お金で働く男に匿名で指示を出し、あなたの目の前で私を攫わせた。あなたは見事にフラスコの片鱗を見せ、なんの危機もなく男を捕らえたわ!」

「操られていたみたいで気分が悪いな」


「結果としてあなたがフラスコであることは確定し、ただし『七瓶』じゃなかった」

「……どうしてそう思うんだ? 『七瓶』は互いに顔を知らないんだろ?」


「だって丈晴くんは、欲しいものがわからないんだもの」


 ーー欲しいものは手にはいるよ。私が保証する


 突然彼女に投げかけられた言葉はしかし、僕に対するものではなくて、『七瓶』に対してのものだった。


「『七瓶』は互いに殺し合っている。欲しいものは互いの首か、あるいは身の安全だよ。少なくともわからない、なんて言葉にはならない。でも丈晴くんは、欲しいものがわからなかったっ!」


 絶冬華はまるで興奮するようにヒートアップする。


「そんな言葉が自然に出てくるわけがない。もっと訝しんだり、何を言っているんだと思ったりするはずで、少し遡って調査させてもらったらすごく幼少の頃の事件に行き着いたの。集金代行会社の社員が、あなたの家を訪問した後に同僚を殺害した事件だよ」


 過去の苦い思い出が蘇る。

 母が浮かべる恐怖の綿菓子と、毎日現れる迷惑な男たち。


「それは丈晴くんが操っていたとすれば辻褄が合うし、その頃から使えたとすれば『七瓶』が生み出されるよりも昔の話。丈晴くんは『七瓶』じゃなくて、生まれ持ったフラスコだということ。その上で、丈晴くんは能力を使いこなしている。『解』と、『浸』までならわかる。ついに『変』の領域にまで辿り着いた」


 再び丈晴が首を傾げる時だ。


「その、カイとか、シンとかって、なに?」

「フラスコの能力の段階の名前だよ。解っていうのは解析を指す。人の心や、造を本人なりに言語化して読み取ってしまう力。その次の段階が『浸』。さっきと反対。解析した相手に情報を逆流させて乗っ取ってしまう力。ここまでできるだけでも恐ろしいのだけど、『浸』までなら『ジャンク瓶』でも到達しうる領域ではある。そして、ほとんどの人がたどり着けないのが『変』の領域。一時的な乗っ取りじゃない。人間の作り替えだよ」


 丈晴は聞いていて不思議に思った。


「確かに、他人を乗っ取ったことはないとは言わない。でも、作り替えだなんてそんなことした覚えがないな」

「いいえ。丈晴くんは男に刺された後に平然と立ち上がった。どうしてそんなことが可能だったの? まさか、気合いではないでしょ?」


 確かに、と丈晴は納得した。

 そのとき丈晴は、自分自身の造りに干渉したのだ。

 そして、まるでワクワクするかのように絶冬華は言った。


「天災だよ。丈晴くんは」


 評価されているのか、恐れられているのか。

 自分の能力の強力さは理解できるが、それを他人から指摘されるのはどうにも居心地が悪くも感じる。


 絶冬華の言葉。


 その内容に、丈晴は落胆した。


「つまり、僕の欲しいものを君が知っていたわけじゃなかったんだね。君は『七瓶』に対して適当に『欲しいものは手に入るよ』だなんてそそのかしただけで、僕個人に何かを言ったわけじゃない」


 もし欲しいものがあったとして、それは能力を使えば簡単に手に入れることができるだろう。だからこそ人生は退屈で、そんなもの自分には一切ないように思え、障害物のない途方もない平野をずっと歩いているような感覚で丈晴は生きてきた。


 心のどこかで期待していた。

 ひょっとすると自分は、まだ知らぬ欲しい物があるのではないか。


 落胆する中でしかし、アバターですら何を考えているかわからない笑顔で、絶冬華は丈晴のおでこを指さして言った。


「そこには、ない」


 謎かけをされているような気分になって、丈晴は少し苛立つ。


「なんだよそれ」自分の頭の中に欲しい物がないのであれば「じゃあ、ないってことかよ」

「例えば、ここにはあるよ」


 絶冬華のアバターは、自分のおでこを指した。

 なんだよそれ。絶冬華の欲しいもの。それがなんだというのか。

 丈晴の落胆を知ってか知らずか、絶冬華は続ける。


「とにかく、私たち『小人の友達』は丈晴くんにとって絶対プラスになるよ。もし何か大変なことがあればすぐに伝えるから、丈晴くんの方からも何かあったら教えて欲しい。ウィンウィンでしょ」

「どうかな」

「丈晴くんは『七瓶』に見つかれば命を狙われかねない。だって『七瓶』は互いを知らないから、フラスコであればまず勘違いされる。私たちは一蓮托生で行きましょう」


 そしてアバターが消え、丈晴は取り残されたような気分になった。

 スマホを放り投げ、ベッドに横になる。


 意味のない言葉は徒労。


 なぜ自分が命を狙われねばならないのか。なんなら差し出してしまおうか。これから訪れる思い通りの人生はきっと、それほど面白いものじゃないだろう。

 くるくるくるくる。

 無駄な思考は意味のない蛇行を続け、それは丈晴を苛立たせ続けた。

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