第8話 小人の友達
体はほぼ全快。
琴春高校の授業は在校生であれば後からいくらでも映像アーカイブを確認することができるので、病院でも確認することが可能だから勉学の遅れもない。
が、久々の座学にぐったりする丈晴だった。何せ寝ている時間が長かったためか、頭に血が回らない気がして妙な眠気にずっと襲われていた。
「まるで、君のことを言っているような話だったね」
そして振り返ると絶冬華。
「噂になるのは迷惑だって言わなかったっけ?」
「もうこれほど噂になってしまったらどうしようもないでしょう!」
ひと月ほど休んで学校に来てみたら、なぜか学園でそれは既成事実になっていたのだ。すなわち、絶冬華は丈晴の恋人であり、すでに将来を誓いあった許嫁であるという。
思い出し、丈晴は頭を抱える。
朝登校した瞬間に、クラスメイトの視線が自分に集まっているのはわかっていた。それは単に、大怪我を負った生徒の久々の登校だからかと思っていたが、それはぜんぜん違った。
廊下で出会った初対面の上級生に、突然「おまえ月魄絶冬華の彼氏なんだってな」と睨まれたときには絶望に襲われた。
なるほど自分は、これから学園でそういった立ち位置の運命になってしまったのだと。
平家丈晴は、学園のヒロイン――月魄絶冬華を独占する悪党だ、と。
だからこの瞬間も、あちこちからチラチラと非難の視線を感じる。そんなのすべて事実無根なのに!
丈晴はあたりを睨みつけ、聞こえるように語気を強めて言った。
「確認だけど、僕は月魄さんとは付き合っていないし、なんなら言葉を交わしたのも数回だよね?」
「ああ、呼び方は絶冬華でいいよ」
「月魄さん」
「絶冬華で」
「……絶冬華。もし学園に僕たちが付き合っているという噂があるのであれば、それは訂正スべきだ」
「そんなっ! ひどいっ!」
あまりにも意味のわからない反応。
絶冬華は涙を浮かべ、歯を食いしばるようにして自分の体を抱いた。
なんだよそれ。
そして、非難めいた視線はますます丈晴を突き刺すのだ。
おかしい。こんなことはおかしい。
だとすれば、自分は嵌められているのだ。そもそも初めて絶冬華に出会ったときから、丈晴の状況は尋常ではない。
丈晴は絶冬華の綿菓子に手を伸ばそうとして、そして改めて彼女には何も漂っていないことに思い至る。
意味がわからない。虚空に漂う自分の手。そのまま更に突き出して、丈晴は絶冬華の腕を掴んだ。
「きゃっ、何かしら、丈晴くん」
白々しいその態度は、おそらく学園にさらなる噂を作り出すだろう。
「場所を変えよう。話がしたい」
「あら、そんなことしたら噂になるわ!」
言葉を無視して、妙に楽しそうな絶冬華を連れて丈晴は学園を出た。授業はまだあるが仕方ない。この学園にはもはや、静かに話せる場所はない。
学園から駅と反対方向へ。
そっちは住宅街から山に繋がる方向で、学園の生徒はほぼほぼ通ることがない。
「どこにいくの? まさか人目につかないところで私を……」
「冗談はもういい。別に目的地もないよ。話せれば」
「授業時間中に連れ出すなんてロマンチックなのに、歩きながら話すだけなの?」
丈晴は少し足を早め、絶冬華の前に立つ。
「構わないだろ? 僕たちの関係はそういう感じさ」
「……それもそうね」
絶冬華の表情に不服さは浮かばない。
改めて丈晴があるき始めると、ぴょこぴょこと絶冬華は横を歩く。まるで自分の可愛さを知っているような所作が、丈晴は妙に気に食わない。
「いったいどんなお話をしてくれるのかしら。ずいぶん難しい表情をしているようだけど」
不信感も強く、尋ねたいことは山ほどあった。
ただ、その前に。
丈晴はもう一方の思いを伝えておかなければならない。
「絶冬華、助けてくれてありがとう」
ふっと、絶冬華の表情には小さな驚きが浮かぶ。
「刺されたとき、君がいなかったら僕は死んでた」
その事実は、不本意ながら絶冬華を拒絶できない理由でもあった。
彼女は煩わしく、どう扱っていいかわからない存在ではあったが、しかし彼女は恩人だ。まずそれを認めないと、丈晴はここで彼女と二人きりになることもできない。
「いいえ。お気になさらず」
「その上で、聞きたい」
「何かしら」
「彩は……無事か?」
絶冬華は、意外そうな表情を浮かべる。
「刺された自分のことより彼女の話なんだ。大丈夫、近藤さんはあの時のショックで休んでいるだけ。危害が加えられた訳でもないし。彼女が刺したという記録も行政には残っていないし、本当に何とも」
彩が受けたショックは気になるが、しかしそれをこの場で絶冬華に問い詰めても仕方がない。
丈晴は少し足を早め、絶冬華の前に立った。
「絶冬華。君は何なんだ?」
無表情で丈晴を見上げるだけで、彼女は挑発するように見える。
ただし、絶冬華は躊躇わなかった。
「私は『小人の友達』っていう組織の
小人の友達?
スカウト?
「ぜんぜんわからないな。わかるように教えて欲しい」
「逆に聞くけど、丈晴くんは自分のことはどれだけ解ってる? 丈晴くんに何ができて、どれほど危険か」
「ある程度は」
他人の気持ちを読み取り、あるいは相手の意識を乗っ取ることができる。丈晴はそれをどこまで話していいのか躊躇った。絶冬華は得体が知れない。
しかし、丈晴が話す前に絶冬華が話し始めた。
「丈晴くんのような能力を持った人のことを、私たちは『フラスコ』って呼んでる。まるでその中で薬品を扱うように、すべてを把握してしまうことからそう名付けられたって聞いてるわ」
自分の能力に名前がついている。
ということは。
「なるほど、僕みたいなやつはたくさんいるんだな」
「いいえ、そんなことはない。世の中に『フラスコ』は本当に少ない。ただし、使い方によっては本当に危険な存在だから、その存在は把握、管理しなきゃいけないでしょ? 私たち『小人の友達』の目的は、丈晴くんのような『フラスコ』を探し出して、情報共有する。そうすることで『フラスコ』の暴走を防いで日常生活のサポートをしていく。とっても穏健な団体だよ」
「その割に、僕は君と関わるようになってから二度も危険な目にあってる」
「丈晴くんはこれからもっと危険な目に合うよ。だって『フラスコ』が本気になれば、国家転覆だって世界征服だって可能かもしれない。その能力を利用しようっていう人なんていくらでもいるし、危険が訪れる前に事前に処分しようっていうのも普通の考えだわ」
大袈裟な物言いではあるが、それが冗談ではないと丈晴は直観的に解った。自分の力は、それだけ危険だ。
「公園で僕を襲った男も、『フラスコ』ってわけだね」
「彼はそんなに上等なものじゃない。『フラスコ』が普通の人間を組み替えて一時的に能力を与えた『ジャンク瓶』。危険なことは間違いないけど、丈晴くんとは格が違う」
「どうしてあの男のことを知っている?」
「彼も『小人の友達』だもの」
なんの動揺もなく話す絶冬華に対し、丈晴はため息をついた。
それは絶冬華の仲間という意味ではないか。
「絶冬華、君は僕の信用を買いたいのかな? それとも僕を殺しにきたとでも?」
「あの男は思い上がっていただけ。いずれ自分が組織の頂点に立ってたくさんの『フラスコ』を自在に操ろうと思っていたの。そんなものは無理に決まっていたのに。それで無理をして、いまでは廃人よ」
「廃人?」
「ええ。無理やりに与えられた能力だから。器が耐えられなければ狂ってしまうのも当然だわ」
廃人が生まれるというのは、彼女にとって日常なのだろうか。
温度差を感じたが、丈晴は続けた。
「もし僕が襲われるのを君が知っていたとすれば、その前に助けてくれてもよかったのに」
「『小人の友達』の最終目的は、世界の安定だから。そのためにできることは二つあって、一つが『フラスコ』を仲間にすること。もう一つが排除すること」
「僕が死んでもいいってことか」
ふと言った言葉に対して、絶冬華は即答した。
「組織としては」
おそらく『フラスコ』なる丈晴に対して、死んでほしいと思っている人は大勢いるに違いない。だからこそ絶冬華は目の前に現れているし、現に刃物を突き立てられる始末だ。
でも、それでは納得できない。
「……じゃあ、なぜ助けた?」
「個人としては、丈晴くんが死ぬべきじゃないと思ってる。その思いは日に日に強くなってるよ。だって、クラスメイトでしょ?」
信頼されることを放棄したようなハリボテの言葉。
その言葉の裏に何があるのか。しかし、彼女は丈晴が初めて出会う綿菓子を漂わせない人間で、丈晴には一切読むことができない。
丈晴は、ため息をついた。
「味方、と思えないんだけど」
「これから味方になりましょう。丈晴くんが『小人の友達』に加われば、そこの刺客がやってくることはないでしょうね。私が推薦すれば大丈夫」
「味方に引き入れて、把握、管理するってことか」
「私が手に入れた情報は丈晴くんに渡す。例えば近隣で『フラスコ』を狙ってる人の情報とかね」
物騒な話ばかりで嫌気はさすが、その話は丈晴にとって都合がいいのは間違いはない。絶冬華が組織で動いているとすればその組織が手に入れる情報は欲しいし、『小人の友達』から狙われるのも避けたい。自分だけならまだしも、彩が再び巻き込まれるなどもってのほかだ。
「なるほど合点がいくよ。絶冬華は僕と恋人だっていう噂になれば、僕と一緒にいる機会が増えて情報共有しやすくなる。僕が休んでいる間にそうやって仕向けたってわけだ」
「勘が良くて、感じ悪いね」
「僕の連れて行かれた病院は街から離れた小さなところだった。その割にやたらと設備が良くて新しい。まるで実験施設みたいに」
「寝込んでいる間に殺されてはいけないからね。組織の病院を手配した」
「僕を監視するには、たしかに君はぴったりだ。同級生であることももちろんだし、何より君は綿菓子が見えない」
「……綿菓子?」
「……ああ、なんでもないよ。能力が効かないってことさ。どういうわけか、君の気持ちはわかりそうにないみたいで。どういうことかな? 君にもなにかの能力があるの?」
「もしそれがあったとして、私が正直に話すと思う?」
所詮、絶冬華は丈晴を管理しているに過ぎず、であれば心の内を明かす必要はない。その絶冬華の優位性は、丈晴の居心地を悪くした。
「ただ、それでも君は僕の管理なんてすべきじゃないと思うよ」
おそらくは、丈晴の中に怒りがあった。その怒りは丈晴自身が気づかないほどに、少しだけ発露する。
「なぜかしら」
「君は華奢で、最初に出会ってさらわれたときだって何も出来はしなかった。面倒事に巻き込まれたとき、君自身でなにかできる人じゃない。そのうえ、転校してすぐに学園中で話題になる程度の美人だ」
「あら、嬉しい」
「だから、危険だろ」
丈晴は彼女の腕を掴んで、彼女を引き寄せた。
顔を近づけ、まっすぐ彼女を見て言った。
「同級生の男子に、乱暴される可能性だって十分ある」
とても残念なことに、絶冬華の表情に驚きの色は浮かんでいない。それがただのポーカーフェイスなのか、本当に何も感じていないのかは綿菓子の見えない丈晴にはわからない。
絶冬華は相変わらず意図の見えない微笑を浮かべ、丈晴の首に両腕を回した。
そして、絶冬華はこんなことを言ってのける。
「……いいよ。そのまま。これで私たちは本当の恋人だ」
殺気だつ程に、可憐。
彼女の微笑は恋を模し、幻想を作らんと丈晴の脳を侵食する。息がぶつかるほどに近づいて、彼女はそっと目を閉じた。
それでも所詮はハリボテだ。
丈晴は彼女を押し返した。
「ごめん。僕の負けだよ」
絶冬華に背をむけ、下を向く。
「僕の能力のせいで厄介ごとに巻き込まれそうになっているっていうことも、わかった。君が敵じゃないっていうのも、今のところ否定しても意味がない。その上で、聞きたい。僕はこれからどうすればいい?」
七月の蒸し暑さで、シャツが肌に張り付く。
鳴いては途切れる蝉の声の煩わしいバックミュージックを除けば、平日昼前の住宅街は人がいないみたいに静かだ。
鈴が鳴るように、絶冬華は言った。
「教えてあげるよ。『フラスコの
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