第7話 講義
琴春大学附属琴春高等学校は、とうぜん琴春大学との提携校である。
琴春大学はまだ歴史の浅い大学で、偏差値的には中の上でありながら外資による有り余る資金力で有数の教授陣を誇る。最近では付属高校との連携授業も多く、同校の人気は日増しに高まっている。
丈晴が現在受けている脳科学の脊谷政宗教授の特別講義もそうだ。メディアにも頻繁に取り上げられる、まだ三十代の脊谷はどこか威光めいたものを放ちながら華麗に教鞭を振るう。
「皆さんは神様を信じますか? 胡散臭い? オカルトを話しだす大学教授は信用できないですか? ちなみに私は、『わからない』という立場です。仕事柄いろいろ調べたり、知ってるふりをして偉そうにするんですが……」
教室で笑いが起こる。
「まだまだほとんどの事柄は、突き詰めていくと『わからない』に行き着いている気がします。例えば、小鞠さん」
小鞠と呼ばれた女性は助教授であり、脊谷の助手でもある。講義で使うプロジェクターを操作したり、議事録でも取るようにいつも傍でノートパソコンを叩いていた。
彼女は呼ばれ立ち上がる。
「みんなの前に立ってください」
言われるがまま、彼女は最前列の前に立つ。
「それで、好きなタイミングで歩き出してみてください」
「好きなタイミングですか?」
「ええ」
ひょっとするとそれは何度も繰り返されたやり取りなのかもしれないが、小鞠は初めてのように頷き、少し間を空けて歩き出した。
「小鞠さん、ちなみにあなた今、歩こうと思いましたね」
「はい」
「自分の頭で考えて動こうとした?」
「はい」
「と、このように人間は自分で決断して歩き始めたと考えます。しかし、これは実際に測定して見るとわかるんですが、彼女が歩き出そうとするコンマ五秒ほど前から脳は動き始めているんです。どういうことかわかりますか?」
脊谷はクラス全体がクラス全体に尋ね、誰かが応える。
「無意識!」
「その通り! 人間は自分で動こうとする前に、動き出すための無意識が働き始めているんですね。あ、小鞠さん、もう戻っていいですよ」
小走りで持ち場に戻る小鞠の動きに、また小さな笑いが起きた。彼女は小学生のように小柄で、ちょっとしたことがコミカルに映る。
「ということで、人間には無意識があるということがわかりました。そして、その後に意識して決断している、ということも。すると、こう考えることができます。人間の意志というものは、無意識によって自動的に決定されたものを追従認識しているに過ぎない。だから、自分で決断したとか、こうやろうと思ったとか、そういうのは脳が勝手に動いたことを勝手に解釈して『意志』と名前をつけているだけなのです。ラディカルな言い方をすれば、『意志なんて存在しない』」
漠然とした話にポカンとした生徒もいれば、何かおそろしげな表情を浮かべる生徒も。一人の生徒から声が上がる。
「私たちは何も考えていないってことですか?」
「いえいえ、考えていますよ。その結果が『歩く』という行動ですから。問題は、『考え始め』です。先ほど小鞠さんが歩き始めた時、小鞠さんが歩き始める前に脳が動き始めている、という話をしました。これは無意識です。では、この無意識はなぜ発生したのか。何がきっかけで、脳が働き始めたのか。ここが『わからない』部分です。現代の科学では、自分の意識よりも先んじて無意識が動き始めることはわかっている。しかし、その無意識がどう発生するのかはわかっていません。じゃあ、そこに『神』がいたっておかしくありませんね。神様の命令が私たちに無意識を発生させて、それを自分の意識と認識している。私たちはひょっとすると神様の傀儡なのかも知れません」
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