第4話 人の心がわからない

「丈晴ってさ、月魄さんと付き合ってるの?」「平家君てさ、月魄さんとどんな関係?」「ねぇ、あの写真って本当?」「おまえ、絶冬華さんに手を出したら、殺すぞ」「月魄さんとのキスってどんな感じだった?」「平家君、そういうの、よくないよ。彩がいるのに」


 その日、丈晴はクラスメイトの話題の種だった。


 愛想の悪い丈晴は、彩以外と話すことはほとんどないのだが、この日は鬱陶しいほどにみんな丈晴と話したがった。

 それだけ、みんな絶冬華に興味があったのだ。


 あまりにも無視するのもクラスでの立ち位置が悪くなるので適当に答えてはいたが、それでも帰る頃にはヘトヘトになってしまった。部活動を行なっていない丈晴はさっさと帰ろうと教室を出ようとしたら、「丈晴ってすごい人気者だね」と言うのは彩で、囲まれたのは自分じゃなくて絶冬華のせいだと思ったが「人気者は楽じゃないな」と軽口を叩く。


「駅前にできた新しいスイーツの店行かない? カッサータ食べに」


「なんだよそれ」


 イタリアンアイスだよ、と彩は説明したが、そういった付き合いはあまり好きではないので断ろうと思った。

 が、思い直す。


「悪くないな」

「おお、行くんだ」


「誘ったのは彩だろ。なに驚いてるんだよ」


 校舎を出て、二人で駅前の店に向かう。彩の車椅子を押しながら駅に向かうと、制服だらけの人並みは徐々にマダラになってゆく。県内屈指の繁華街……から三つ隣の駅はそれなりに都市開発が進み、高校生がたむろするには困らない程度には様々な店が立ち並ぶ。


「私いまだに丈晴のことよく分からないんだよねー。いつも私の話聞いてないし、他人に興味ないわけじゃん? だから、一緒にどっか行くとか無いと思ってたし」


 よほどスイーツが楽しみなのか、彩からはピンク色の綿菓子が浮かぶ。ただ少しばかり青色がマーブルされており、その意味を丈晴には窺い知ることはできない。


 いや、もちろんそれに触れれば知ることはできるだろう。


 しかし、丈晴はそれを良しとしない。それは小さな頃の体験から、なんとなく他人の心を正確に知るということは怖いことだと感じていた。だから丈晴は、身近な相手であればあるほどその能力を使うことはなかった。


「別に、食べたことないものは食べたいしな」

「へー意外、言葉が返ってきた! 嬉しいな」


 何を喜ばれているのかよくわからないが、彩の素直なところは望ましい。彼女は基本的に言葉と綿菓子の感情が一致しており、それは彼女の言葉が煩わしく感じない理由の一つでもあった。


 ただ、言葉が返ってきて嬉しいと言うのはどういうことだろう。オウムに言葉でも教えているような感覚だろうか。



 彩が行きたがったカフェはまだオープンしたばかりで、モノトーンで統一された店内に観葉植物とディスプレイされたケーキがカラフルに映えていた。店内には丈晴と同校の生徒が何組かいた。女子のグループか、男女のカップル。おそらく他から見れば、丈晴たちもカップルと見えていることだろう。


 さっそくディスプレイの前で彩はケーキやアイスを物色すると、すぐさま「これこれ! カッサータのセットを2つ下さい」とお目当てのものを見つけた。


「僕はそれを食べるって言ってないけど」

「じゃあ何しにきたのよ」


「まぁ……それもそうだ」


 真新しいソファー席に案内され、カッサータとコーヒーが給仕されるのを待つ間、彩はキョロキョロと店内を見回す。


「見たこと無い観葉植物があるよ。赤いやつ、何かな?」


 丈晴は植物よりも人から漂う綿菓子が気になる。あたりの客から浮かぶ、安らぎと高揚感。おそらく、ここは良いカフェだ。比べれば、学校はもう少しネガティブな色が混じっているから。

 すぐにテーブルにお目当てのそれが運ばれる。


「ふふふ、これが食べたかったんだよね」


 彩はおやつなのにわざわざいただきますと言ってから、フォークでカッサータをひとかけら口に運ぶ。


「美味しいっ! ほら、丈晴も食べたほうがいいよ」

「そりゃ、食べるさ」


 黄色い綿菓子を漂わせた彩は本当に幸せそうだ。

 丈晴も習って口に運ぶ。悪くはないが、丈晴の好みと比べると少し甘すぎる。ただ、コーヒーと合わせると丁度いい気もした。コーヒーの香りは、たしかに良かった。


「でさ、今日はなんでこんなところに来る気になったわけ?」


 彩にはかすかに感情の揺れが見える。

 しかし丈晴はそれを気にしない。その察しの悪さは生来かもしれないし、生い立ちから来るかもしれない。あるいは、あえて綿菓子から読み取れることを無視することがフェアだと考える潔癖さから来ているのかもしれない。


 丈晴は、単刀直入に言った。


「彩、僕と付き合おう」


 そして訪れる、丈晴が思い描いていたものよりもずっと長い沈黙。


 少し離れた席に座っていた同校の生徒の視線を感じる。甘い香りの漂う店内にいる人々の綿菓子が、その言葉を受けて少しパステルへと変化した。


 肝心の彩はといえば。

 ――恐ろしいほど固まっていた。


 体は動かせないのに、目ばかりぱちくりさせている。


「彩、何か言ってくれないと」


 彼女は口をパクパクするばかりだ。


「声、出てないよ」

「あ、ああ、ごめん。びっくりしちゃって。えっと、えええと」


 どうやら丈晴の提案は混乱をきたすものだったらしい。自分のコミュニケーション力の低さを反省し、丈晴は言葉を継いだ。


「彩って今、恋人いないよね?」

「え、あ、うん。いないけど」


「付き合う予定の人はいるの?」

「えっと、いないよ」


「ほら、きょう僕は月魄さんと付き合ってるって噂が流れただろ?」


 彩は慌てて二度うなずく。


「それでさ、クラスメイトが妙に僕に興味を持ったんだ。なるほど彼女は目立つから、その真偽を僕に確かめたくなったわけ。でも、それって面倒なんだよ。僕がしっかり否定したところで、それは素直に信じてもらえはしない」


 彩はぽかんとして丈晴を見る。


「でも、もし僕に公認の恋人がいたらどうかな。流石に月魄さんと僕は関係ないって信じてもらえそうじゃない? だから別に、彩には僕と恋人らしいことをして欲しいって言っているわけじゃないんだ。ただ、クラスメイトに聞かれたら、僕と付き合ってるといって欲しい」

「……なにそれ」


「もともと彩はクラスで僕に話しかけることが多かったから、そもそも付き合ってるって勘違いする人もいただろ。だったら、彩からすれば今までとあまり違いはないんじゃないかと思うけど」

「それってさ、すごくつまらない」


「つまらない? 何が」


 どんどん変化する彩の綿菓子は、残念ながら朗らかな色ではなくて、丈晴は一瞬手を伸ばしそうになるがそれをこらえる。


 彩は、答えない。


「丈晴は、私を見下してたんだね」

「見下す? なんだよそれ」


 彼女は急にカッサータにフォークを突きたて、大口で頬張った。コーヒーで流し込むように喉をならし、一呼吸して。


「食べ終わったから、帰る」

「僕はまだ食べ終わってないんだけど」


「あれ? ここに何しに来たか忘れたの? カッサータを食べにきたんだよ。それって、一人でできると思わない?」


 言うと、彼女は早速荷物をまとめて出て行ってしまった。

 一人残された丈晴は仕方なくフォークでカッサータをつつく。

 丈晴はふぅと息を吐き出し、掬ったカッサータを口に運んだ。


  ◆


「あれが例のフラスコか?」

「ええ」


「とてもそうは見えない。クラスメイトの女の子さえ扱えないだなんて。『解』さえもまともにできないじゃないか」

「そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。少なくとも今朝は『浸』を見せたわ」

 


 男は絶冬華に向き合いながら、苛立たしげに体を揺すりながらコーヒーを啜る。歳は絶冬華とそう変わらないが、ひどく痩せて隈の深い顔と長身でもっと年上に見えた。


 絶冬華は何をするでもなく、人形のように座っていた。丈晴のいた喫茶店で、彼からは少し離れた席でのことだ。


「まぁいいさ。あいつがフラスコだとしたら、対処は必要だ。確認ご苦労、今からやつの担当は俺だ。とりあえず、あの車椅子の女だな」


 いうと、彼は伝票を持って席を立つ。

 絶冬華は言った。


「私たちは『小人の友達』。彼は仲間だということを忘れずに」

「もちろん! 『仲良くできたら』仲間だ!」



 男は絶冬華を置いて喫茶店から出ていった。

 遠くの席で、丈晴も席を立つのが見える。絶冬華は思った。このまま何もしなければ、丈晴は殺されるかもしれない。

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