第3話 噂話

「でね、凪の彼氏が月魄さんが好きだから別れたいって言ってきたんだって。馬鹿だよね。先に告白して成功してから別れればいいのに。まぁそういう不器用なとこが凪も気に入ってたんだろうけど、まっすぐ脇道に行かれちゃたまんない」


 下駄箱にローファーを差し込んで教室のロッカーに荷物を仕舞い、席についた瞬間に耳に飛び込んでくる言葉は立て板に水。


 丈晴の朝は大体そういう感じで始まる。


 丈晴がスマホで読書しながら適当に時間をつぶす横で、延々と喋るのは黒髪の少女だ。丈晴は一切反応していないのだが、しかし少女は気にせず続けた。


「それで凪は大泣きだったんだけど、でもあたしは逆によかったなって思うわけ。話したこともない転校生に告白するために別れるなんて『俺は女の中身はどうでも良くて、外見がすべてだと思ってるから』って言ってるのと同じじゃん? 丈晴もそう思うでしょ?」


「あ、ああ」


「だからね、凪の方こそさっさと乗り換えた方がいいわけよ。それにさ――」


 再び、誰も聞いていない話をペラペラと続けるのだった。少女は別に、丈晴が聞いていようが聞いていまいが一切気にしない。少女――近藤彩と丈晴はそういう関係だ。クラスで唯一の気安い関係は友人でさえなく、一方的にしゃべる人と、ただその言葉を受ける人だ。


「丈晴が相手だったら、凪の彼氏程度じゃどうにもなんないし」


「――ん? 俺が、なに」


 彩の話の中で突然自分が登場人物になっており、思わず彼女の方を見た。スポーティなショートカットの年齢よりも幼い顔立ち。そこにある大きめの口が、少し挑発的に笑う。


「丈晴って、月魄さんと付き合ってるんだよね?」


「いや付き合ってないけど」


「丈晴さ、今日いつもより少し遅れたよね。それって、月魄さんと落ち合ってたからでしょ? 月魄さんを路地にさらってキスしたって」


 不思議な話に、丈晴は首をかしげると、更に彩は続けた。


「なんか見かけた子がいたらしくてさ、もうみんなに回ってるよ、画像」


 そういって彩はスマホを丈晴に差し出した。そこには、路地から出てくる丈晴と絶冬華の画像だった。さらに悪いことに、丈晴は絶冬華と手をつないでいた。それは残念ながら親密に写っているに違いなく、そういえば今日はやたらクラスメイトがこっちを見ているなぁと思ったのだった。


 ふと、彩を見る。


「なによ、私のことじっと見て」


 オレンジの陽気は、青い不安でマーブル状になっている。なるほど、転校してきたばかりの女生徒に早くも手を出す男子は女子の敵ではあるかも知れない。


 綿菓子に触れれば、その感情の詳細までわかるだろう。ただし、それはしない。


「誤解だよ」


 別に誤解されても構わないが、一応否定しておく。


「だと思った!」


 丈晴のひとことで、綿菓子の濁りは一瞬で吹き飛んだ。丈晴を信じてくれるのだ。不思議なほどに。その彩の単純さが、丈晴にとって付き合いやすい。


「じゃあ、キスはしてないよね?」


 割と興味があったのか、彩の綿菓子はかすかに揺れる。


「まさか」


 その程度の返事でも、彼女は満足気。

 彩とはそういう関係だ。彩はとにかく口が回り、誰かに何かを話していないと落ち着かない少女で、丈晴はただ彼女の言葉の雨を浴びる傘。彩は喋れば気が済むし、丈晴はそれで担任から心配されたり、他のクラスメイトから憐れまれたりせずに済むから彼女が一方的に話すのを放置している。


 丈晴はクラスで大抵席に座って時間を過ごす。それは彩にとっても都合がいい。


 近藤彩は足が悪く、車椅子である。


 だから、ずっと席に座って動かない丈晴は話しかけやすい。本当はみんなと話したい彼女が丈晴に話しかけ続けるのはそういった理由からであると、丈晴はそう信じていた。


 とにかく、絶冬華とのことは否定したし、それはクラスに伝わりいずれみんな興味を失うだろう。


 絶冬華のことは小事。

 もっともこの時の丈晴は、クラスメイトの絶冬華への興味がどの程度かを見誤っていたからそう思ったのだが。

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